君と出会い、わたしは狂った。
何かの音でようやく目覚めた。
空はあまりにも暗く、月も星も見当たらない。まるで黒い絵の具で塗りつぶされたかのように色がない。
そんな真っ黒の空から、真っ白なものが落ちてくる。
丘から見える町の景色は変わっていた。
降り積もったそれを見ると空とは真逆で、けれど同じように色がない。
だけど、自分の周囲は真っ赤に染まっていた。
自分の家、その庭の中心に自分は立っている。
視界の端には、頭と胴体が千切れた、見覚えのある何か。
そこから流れた血が、白を赤へと変えていた。
音がした方に振り向くと自分がよく知る男と女。
女は泣きながら口を抑えて嗚咽に耐え、男は驚き、そして酷く悲しそうな顔をしている。
不思議に思うと自分の両手が妙に暖かいことに気づく。
両手は、真っ赤に染まっていた。
二人が近づき自分を抱きしめる。どんなことを言っているのか解らないが、とにかく言葉を紡いでいく。
これはいつかの雪の夜。
凍える世界の中で僕は、興奮して笑っていた。
いやな夢からようやく目が覚めた。
しかしながら気分が悪い。俺が見たくもないがたまに見る悪夢?のせいだ。残り二つの悪夢とは違って機嫌が悪くなるだけだから、三つの中ではマシなほうだがそれでもいい目覚めじゃない。
おそらく一昨日の大事件のせいだろう、俺の大事なところが狂わされちまった。
そのせいで昨日の記憶があやふやだ。こんなに心が不安定だからあんな夢を見るんだろう。
「……まぁ、別に何でもない時でも見るんだけどね」
誰に言うわけでもなく呟いて時間を確認する。現在午前八時三十五分。学校には遅刻だが休みの日には早起きしたと思える時間だ。
ボーとする頭でベットから起き上がり、顔を洗うために洗面所に移動する。
俺が住んでいる家は二階がない平屋の癖に学生寮並みに部屋が狭い。玄関から一メートルぐらい進むと左右に台所と洗面所があり、更に奥に進むと寝室兼居間がある。
面白いことにトイレと風呂が家の隣にある四角い建物の中にあるため、いちいち外に出なくてはならない。最初の頃はバカじゃねぇのと思っていたが金がなくてどうすることもできず、今では慣れてしまっていることが悲しい。
洗面所で顔を洗うと台所に行き、昨日の食いかけのパンを手に取って魔法陣が描かれている箱の中に入れる。
陣に触れ時間を決めてパンを焼くと、それを皿に乗っけてテーブルとベットがある狭い居間に行き、床に腰を落としてパンをかじる。
(今日は確か十時に行けばいいのか……今日はちゃんと教えてくれるんだろうな、アイツ)
この後行くところに若干の不安を覚えながら朝食を終えると歯を磨き、ベットの下の衣服入れから服を取り出しそれに着替えて玄関へ向かう。
玄関のハンガーラックに掛かっているグレーのコートを羽織り靴を履くと、これまたよくわからないが玄関のドアに張り付いている鏡でおかしなところがないか確認する。
灰色の少し乱れ気味の髪に黒色の瞳に鋭い目つき、右の下まつ毛のほうに切り傷がある顔は人を怖がらせることがあって、意外にへこむ。そんないつも通りの自分の姿を確認するとドアノブを回して外に出た。
今日の空はお世辞にも快晴とは言えず、口から出た白い息が曇った宙へと昇っていく。
扉の鍵を閉めて少し憂鬱ながらも目的の場所へ歩き出す。
現在、革新歴三千年。三月十日、午前九時半。俺ことカエデス・メタスタシスは最近し始めたバイトに行くのだった。
ここは『ゲリュオン』と呼ばれる町である。
何でも遥か昔の神代と呼ばれる時代に、この地を支配していた恐ろしい怪物の名が由来となっているらしい。今では架空の存在として扱われて、本気で怪物を信じている者はいない。そりゃあ全長三千メートルの七つ首の怪物がいてたまるか。
我が国『テュフォン王国』は世界でも上位の魔法大国であるのだが、この町だけ田舎っぽい。
聞く話によるとあまりいい魔力が湧き出る土地ではないらしく、他の街の開発がある為ここは後回しになっているらしい。確かに都市部とかに比べると豪華な建物なんかねぇし、飲食店や雑貨店は少ねぇし、何なら学校がねぇし、田舎っぽいじゃなくて田舎なのかもしれない。
そんな町だが、なんだかんだ五年はいる。
(しっかし、ホント何なんだろうなぁ、あの夢……)
俺は定期的に三つの悪夢を見るのだが、今日見たのはその中でもよく分かっていない内容の夢だった。他の二つは俺が過去に体験したあのことが夢に出てくるのだが、あの夢だけはまったく覚えがない。
まぁ、夢の法則性などは知らんが、残りの悪夢が過去の出来事なので、これも俺が忘れているだけで昔の出来事なのだろうか。
「いや、まったく覚えてねぇ。そもそも昔の俺の家あんなに広くなかった気がする。丘の上にあったのもよくわからんし」
丘の上にポツンと家があるなんて見たことも聞いたこともないので、そもそもこの町だったのかどうかも怪しい。
しかしあの夢は、覚えがないので他人事のようになれるのと、生きていた時の両親が出てくるので、あとの二つよりはマシだった。
そんなことを考えているといつの間にか森の中に入っていた。そしてもうしばらく歩いていると目的の場所に到着した。
家から歩いてだいたい二十分。森の木々に囲まれ、屋根に煙突が付いた、絵本に出てくるような家がそこにはあった。
ここが俺が一か月前に出会った、世界で最後の魔術師の家である。
「………」
感じていた不安が強まる。一昨日にあんなことがあった為、アイツと上手く話せる自信がない。
だが今はアイツの所でバイトをしている。前までのように金がなくて飯抜きなんてのはごめんだ。
扉の前で何度か深呼吸し覚悟を決める。
ドアノブを握り、今では珍しい魔法がかけられていない扉を開ける。
中に入ると未だに慣れない、家の中が広すぎるのだ。
外から家を見ればただの家なのだが、中に入れば小さなパーティー会場並みに広い。部屋の西側の扉にはトイレの部屋と浴室があり、東側にはキッチンがある。そして外からでは二階の窓が見えていたが、実際には階段はなく二階など存在しない。内と外が合っていない事に、最初来た時は頭がフリーズした。
そんな意味不明な家の主は部屋の奥右端、大人三人が一緒に眠れるほどの巨大なベットの上で毛布にくるまっていた。
「あぁ、来たんだ。今日は早いんだね」
床に散らかっている書類だの魔法具だのを踏まないようにして近づくと、毛布からこちらに顔を出した。
十八歳から二十歳ぐらいの、人によっては少年にも少女にも見える中性的な顔は誰もが見惚れるほど美しかった。
髪は肩まで伸びているボブカットはゾッとするほど漆黒で、見ているだけで不安になる。そして天使が作ったとしか思えない顔に宝石のように輝く金色の瞳。そんな完璧なもので微笑めば魂をも捧げる人間がいてもおかしくない。仮に王都などの人の多い街を歩けば、声をかけられない日はあり得ないだろう。
そんな美人こそがこの家の主であり、今の俺の雇い主のセーレ・グレモリーである。
「…………」
まぁ、うん。確かに美人だと思う。初めて会った時なんかはコイツのせいで心臓がドキドキ鳴ってしょうがなかったというかヤバかった。コイツの仕事内容と、性格とアレを知らなければ俺は今頃法を犯していた……かもしれない。
(だけどコイツ……性別が……性別がなぁ……)
あんなもの見なけりゃ、俺はこんな感情も芽生えなかったというのに。
「どうしたの?はやくこっちおいでよ」
が、俺の気も知らないでコイツは不思議そうに首をかしげる。
ベットの隣にある椅子に座ると、セーレの顔色を伺いながら口を開いた。
「……いや、あれだよ。一昨日、お前のアレ見たから怒ってるんじゃないかと思いまして」
なぜか謎に敬語で話す俺に、セーレは呆れたようにため息をついた。
「なんだまたその話か。昨日も言ったけどわたしはもう許したよ。あれは事故だったし、秘密といっても知られて困るわけでもないしね」
「それはありがたいけど……ん?待てよ、昨日?俺昨日ここに来たのか?」
「うん、きたきた。入って早々『昨日はすみませんでした』って言ってきたよ。許すよって言った後もずっと謝ってくるから怖かったなぁ」
まさかの事実に啞然とする。
そんな記憶はまったくないが、どうやら昨日の俺はそこまで追い詰められていたらしい。
「マジか……それは悪かったな。記憶がないほど頭がイってたらしい。多分アレに俺の心が耐えられなかったんだと思う」
「――なにそれ。そんなにショックだったならわたしだって悲しくなるよ……」
口を尖らせ、拗ねた表情でジっとこちらを見つめてきて居心地が悪くなるのと同時に、こんな顔も可愛いと感じる自分が嫌になる。
「ホントに悪かったよ……お前の気持ちも考えないでそんなことばっか言って」
「何度も言ったけど許してるよ。だからそっちもずっと謝らないように」
プイっとそっぽ向かれたがどうやら許しをもらえたらしい。こっちもこれ以上あのことで悩むのも疲れるし、素直に感謝しとこう。
そう考えていると、
「でも、そうだね。もし知ったのが君でなかったら……」
――その言葉で、部屋の温度が少し下がった気がした。
目には見えず、肌では感じない。だが魂が震え上がる何かが部屋を浸食していく。
もう一度こっちを見たセーレは目を細め、口を歪ませ、これ以上ないってぐらいの……
「殺してたかもね」
天使のような笑顔で、そう言ってきたのであった。
……チクショウ。さっきも思ったけど、こんなこと言われて、コイツをカワイイと思っている自分がホントに嫌になる。
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