小さい頃の安易な約束はするもんじゃない
幼馴染みが居るだけで、ソイツの人生は勝ちが決まったものである──by 浜島祐希。
「ねぇ、ゆうくん。次の土曜日にね」
「おう」
しかも、その幼馴染みがメチャクチャ可愛いときたら、世界一の幸せ者である──by 浜島祐希。
「前から気になっていたお化け屋敷をね」
「おうおう」
トドメに、その幼馴染みとフラグがビンビンだったら──
「ゆうくん危ない!!」
「おうおうおうおう……おうぅぅ!?!?!?!?」
──ドカッ!
「ゆうくんがリムジンに轢かれた!!」
「説明ありがとう! でもメッチャ痛い……!! 死ぬぅ!!」
直射日光で熱せられたアスファルトの熱さももろともせず、俺は車とぶつかった痛みでゴロゴロと転がるしかなかった。
「ゆうくん! リムジンからメイド服の女性とお嬢様みたいな人が出て来たよ!?」
「重ね重ね説明ありがとう! でも何のこっちゃ分からない!!」
辛うじて骨とか肉に重大な怪我が無かった様で、次第に痛みが治まってきた。
俺を轢いたであろう、やたら胴の長い黒い車から降りてきたメイド服の女性が俺を指差すと、そっと隣に居る日傘をさした、いかにもお嬢様風の若い娘へ声をかけ始めた。
「お嬢様、あちらの男性で間違いない様です」
「……分かりました。捜索ご苦労様でした」
お嬢様と呼ばれた娘は日傘をそっと閉じると、ヒールの音と共に俺の目の前へとやって来て、上から下へと目をやった。
「浜島祐希さま、で間違いないありませんわね?」
「? え、ええ」
「えっ!? ゆうくん知り合い!? お知り合いなの!?」
「いやいやいやいや」
こんないかにもTHE・リッチマンみたいな上流階級のお嬢様と知り合いな訳がない。見るからにパンが無ければケーキを食べそうな部類だし、漬物石が無ければダイヤを置けば良いのよ。とか平気で言うんじゃねーの。こういう人達ってさ。知らないけど。
「約束を……」
「やっぱりゆうくん知り合いじゃない!」
「知らん知らん」
「……憶えてはいないのですね?」
「……人違いでは?」
こんな金持ちとする約束だなんて借金くらいだろうに。
「西野、例の物を」
「はい」
と、メイド服の女性が車から一冊の本を取り出した。何処か懐かしげな雰囲気のするアルバムだった。
お嬢様は腕を組み、ふんぞり返って俺を見た。
「あ、保育所の」
「え? あ──」
表紙に書かれた【沼矛保育所】を見て、すぐに俺の脳に稲妻が走った!
アルバムを開くまでもない、そのふんぞり返った姿勢が俺の幼い頃の記憶を鮮明に思い出させたのだった。
「もしかして、柳原さん!?」
「ええ、ようやく思い出しまして?」
「うわぁ、懐かしい」
保育所時代、同じクラスにいた柳原恵麻は別段普通の子で、生意気な男子達に向かってふんぞり返って対立する程度の地味な女の子だった。たまに一緒に遊んでは、楽しい時間を過ごしていた様に記憶している。
「それでは、当然わたくしとの約束は憶えてますわよね?」
「……」
なんだろう。何かそんな大事な約束をしただろうか。そもそも柳原さんとは保育所卒業と同時に疎遠になっていて、会うのも十数年ぶりだというのに……。
「まさか、憶えていないと仰るのですか?」
「いえ、その……子どもの頃の話なので」
「ゆうくんしっかり。直接会いに来てくれているんだから、きっと大事な約束に違いないよ!」
なんだ? 金でも借りてたかな?
「西野」
「はい。浜島さま、こちらを」
アルバムを一枚開き、真っ白な寄せ書きのページの片隅に、小汚いひらがな。
【おおきくなったら けっこんしようね はまましまゆうき…………】
こんなの書いたっけか?
まあ、小さい頃の話だから記憶が無いのも無理は無いけれど。
「あれ? 終了式の時、恵麻ちゃんって居たっけ?」
「……そうですわ。わたくし、親の都合で引っ越して式には出ておりませんの」
「…………」
そう言えば一際派手な柳原さんの母親が、その日は姿が無かった様な……。
「お別れも真面に言えず、新しい家の綺麗な部屋の片隅で泣いていたわたくしは、アルバムに気が付いて中を覗きましたわ。そしてこの寄せ書きを見て、泣くのを止めましたわ」
「俺、こんなん書いてたんだ……」
「ゆうくんは昔から優しかったから」
もうあまり憶えてはいないが、このきったないひらがなは、間違いなく俺の筆跡だろう。何となく親近感がパないから。
「それでは約束を果たしてもらいますわ」
「……!?」
思わず寄せ書きを指差した。
「まさか──け、結婚!?!?」
「ええ」
「お嬢様は今日まで、浜島さまとの婚約を夢見て過ごされて参りました。ですので……」
と、メイド服の女性の纏う雰囲気が一気に刺々しくなるのを感じ、咄嗟に身を引いてしまった。
メイド服の裾からは、何やら物騒に輝く刃物が見えた。
「お嬢様を不幸にしたら……殺す」
「あわわわわわわわわわわわわわわわわわ」
「因みにこっちの方には【ついでにえぷろんのひとも けっこんしてあげる】と書いてありますわ」
「な、なんでぇ!?」
「そう言えばたまに恵麻ちゃんのお迎えで来ていた人に似ているような……」
「不幸にしたら……殺す」
「とりあえずその物騒な刃をしまって下さい……!!」
てかアンタ何歳だよ!!
「西野は今年で三十──」
「お嬢様!!」
その歳で子どもの言うこと信じてたんかい!! そこまで責任持てねーってばよ!!
「てな訳で、今日から我が柳原家に来て頂きますわ! これからあなたには我が柳原カンパニーの次期社長になって頂くためのスペシャリティカリキュラムをこなして頂く必要がありましてよ!?」
「えーっ……」
いきなり言われて『はいそうですか』なんてあるわけないだろう。こちとら帰ってスマホゲーのデイリーミッションとかで忙しい訳よ。
「ゆうくん」
「ん?」
「土曜日……」
「あ」
「どうかしましたかしら?」
「いや、土曜日に遊びに行く約束をしてたから」
「それでしたら土曜はお好きにどうぞですわ。先約が優先なのは世の常ですわ!」
「は、はぁ……」
てな訳で、俺は良く分からないままリムジンとやらに乗せられ、東京ドーム〇〇個分とかに例えられる様な馬鹿広いお屋敷に連行され、アホみたいにぶ厚い本を読まされ、洗脳に近い授業を受けさせられた。
「土曜日ですわ!」
「モウカエリタイ」
帝王学だの皇帝学だの経営学だの知らんが、もう活字一文字すら見たくない……。
「ゆうくん……何だか少し見ない間に随分と痩せたね」
「キノセイダトオモウナー」
俺達は今流行のお化け屋敷がある遊園地へ来ていた。
「何だか人が少ないけど……」
「貸し切りにしましたわ」
「「え?」」
思わず幼馴染みと二人、アホ面で柳原を見てしまった。
「わたくし、順番待ちとか嫌いですの。なので貸し切りにしましたわ。ちらほらと見える人はエキストラですわ」
「マジカヨ」
「す、凄いね……」
ちょっと混雑した中で遊ぶから遊園地っぽいのに……これでは何だか殺風景な気が。
「何だか不服そうですわね。なんなりと申して下さいな」
「ガランとしてて逆に違和感が」
「ならば無料開放にしますわ」
「マジカヨ」
そして物の十分程度で、遊園地はいつもの光景を取り戻した。人数制限をかけたらしく、混みすぎている事もない。なんてリッチな遊びなんだろう……。
「ゆうくん、お化け屋敷行こうよ」
「おう」
「わたくしも同行致しますわ。西野、パンフレットを」
「はい」
いつの間にかチュロスだのポップコーンを抱えた柳原が、ウキウキと嬉しそうに遊園地の地図を眺めては乗りたい乗り物に印を付けていた。てかメッチャ楽しんでるなこの人。
「これがお化け屋敷ですの?」
「そう。今すっごい人気でSNSでも凄いバズってるんだよ?」
「入口からして既に怖そうだな……」
人一人がギリギリ通れそうな、小さな金網の扉にぶら下げられた生首が、ギロリと俺達を睨み付けていた。
「わたくしこの手の物は苦手でしてよ!」
柳原は入る前から既に脚がガクガク震えて持っているチュロスが分裂して見えていた。
「お嬢様を置いて先に行ったら……殺す」
「分かりましたから、遊園地で刃物を出さないで下さい」
実際この人が一番怖ーよ。
「てか、西野さんも腰が引けてません?」
「置いて先に行ったら……殺す」
アンタも怖いんかい!!
「さ、行こ」
「おう」
お化け屋敷の中は妙に冷えていて、それでいて湿度が高く、息苦しい空気に包まれていた。
「キャッ!」
「うおおっ!」
入るなりいきなり物影から驚かされたが、俺が驚いたのはお化け屋敷のスタッフにではない。咄嗟に掴まれた腕に当たる柔らかい感触に、だ。
「お客様、当たっております」
「ゆうくん、離れないでね……」
「ああ。てか今思い出したけど、子どもの頃似たような事無かったか?」
「何の話?」
「ほら、何だっけ……どこだったかな……今みたいに腕を掴んで……あれは夏の……あ、肝試しだ」
「近所の神社の?」
「そうそう。お互いの親も一緒に居たけれど、お前怖くて俺の腕から離れなくて──」
「ふふっ、懐かしいね」
「いくつの時だったっけか」
「んー、たしか五歳くらいかも」
「懐かしいな」
「憶えてくれたんだね」
「今思い出したけどな」
「……じゃあ、あの時の約束……憶えてる?」
「えっ」
「ずっとこの手を離さないで、一生傍に居てくれる、って」
「──えっ!?」
「聞きましたわ」
ズルズルと、脚が動かない西野さんを引きずりながら、柳原が遅れてやって来た。あまりの怖さに西野さんは目が点になっている。
「貴方、他の女性とも約束をしまして?」
「子どもの頃の話だから」
「しかし柳原家はいかなる口約束も確実に守る誠実さを売りにしておりましてよ!!」
「恵麻ちゃんより一年くらい早い約束だから……私の方が先約になるのかな?」
まるでしてやったかのように、幼馴染みが悪魔めいた笑みを浮かべた。初めて見る魔性の一面だった。
「この際一人増えようが、柳原カンパニーを背負って立つ男に取っては些細な事ですわ!」
「他にもあるの」
「え?」
バッグから、やたらぶ厚いノートが一冊。そこには手書きで俺としたであろう、小さい約束からデカすぎる約束までがぎっしりと書かれていた。
「ゆうくんとはずっと居たからね。約束もたっくさんしたんだよ?」
「……」
「柳原家は些細な口約束も確実に守る誠実さを売りにしてるんだよね?」
「その通りですわ!」
「じゃあ、これ全部守るまで…………ゆうくんは渡さないから」
「──!?」
ギュッと更に強く腕を掴まれ、それに反比例するかの如く柔らかき感触と、お化け屋敷のやけにひんやりとした空気が俺の脳細胞を死滅させていった。
小さい頃の約束なんて、安易にしてみるもんだなぁ。