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Ep.8 - 日常

 少女改め、(まどか)が同じ家に住むことになったその日の夜。


「ふぅ……」


 大きな溜め息を吐いて、寝間着(ねまき)に着替えた藤広は明かりの消えた自室でベッドに横になる。

 暗い中で目を凝らして時計を見ると、既に短針が11時を大きく過ぎた頃だった。


 ――いつもよりは早く寝れそうだ。


 そう思って目を閉じ眠ろうとしてみるが、妙に目が覚めているせいでなかなか眠りにつけない。

 5分ほど経過して一旦今すぐに眠るのを諦めると、藤広は頭の下で腕を組んで自身の目線を少し上げ、部屋の一角を見つめた。


 そこには白い塗装がなされた金庫がある。


 愚直な直方体で、電子レンジくらいの大きさ。ダイヤル式だ。


 数秒間、どこか厳しい目で金庫を見つめた後、金庫から目線を外して藤広は視線を顔の正面に戻す。

 その目に映るのは電灯があるだけの、白くてなんの変哲もない殺風景な天井だ。


 何も考えずにその光景を見つめながら、藤広はほぼ無意識にその言葉を呟いていた。


「……久しぶりにあんたのことを思い出したよ。浅谷先生」



 ◇◆◇◆◇◆◇


 ――2014年8月11日。


 とある会社に勤める平社員である遠野悠翔(とおのはると)は、行きつけの料理店の中で見慣れぬ存在と邂逅していた。


 ここは藤広裕介(ふじひろゆうすけ)という男性が一人で経営している店なのだが、客数が多くないながらも出てくる料理の味が良く、隠れた名店感があって遠野のお気に入りの店だった。

 実際、遠野は週に二回以上はこの店に訪れているし、店主とも名字で呼び合うくらいには仲がいい。


 そんな行きつけの店に今日も、美味い飯が食えるぜ、と意気揚々と突撃してみれば、しかしながら遠野を出迎えたのは、聞き慣れた藤広の男らしい低音のよく響く声ではなく、一度も聞いたこともない澄んだ高音の、静かながらよく通る鈴のような声だったのだ。


 一瞬、入る店を間違ったかと思った。

 だが、辺りを見回してみれば見慣れた机とテーブルの、これまた見慣れた配置。

 間違いなく藤広の店である。


 そして、そんな遠野の前には今、染めているとしか思えない朱色の髪をツインテールにした、自分よりも頭二つ分背の低い、質素な白いエプロンを着た少女が立っていた。


 顔の造形もドラマや映画で見るような女優と同じか、それ以上に整っており、芸術品と言っても差し支えないほどだ。

 その表情に全く感情がこもっていないのが玉に(きず)だが。


「(バイトでも雇ったのかな……?)」


 そう思っていると、少女が遠野に話しかけてきた。


「ご自由な席にお座りください」


「へ? あ、うん。分かりました」


 少女に妙に機械的で単調な口調でそう言われ、つい敬語で反応してしまう遠野。

 初対面の人との会話というものは緊張するものだ。敬語なのはそのせい。きっとそのせい。

 少女の口調から謎の威圧感を感じたとかそういうのじゃない。きっと。


 チラチラと少女を見ながら歩いて行って、遠野がいつも座っているカウンター席に座ったのと同じタイミングで「あ」と何かに気付いたような声を少女が口にした。

 次いで、パタパタと音を立てながら小走りで遠野に近づいてくる。


 そして少女は既に席に座ったせいで更に背の差が大きくしまった遠野の顔を見上げた。その無表情にどこか威圧感を感じる。


「ど、どうしたんすか?」


「注文を聞くのを忘れていました」


 またもや何故か敬語になってしまっている遠野に、少女は先程と同じ淡々とした口調でそう言った。

 言われて見てみれば、いつの間に取り出したのか少女は左手に注文伝票が挟まった縦長のバインダーを、右手にはペンを持っている。


 注文を聞くタイミングが早すぎやしないか、と思いながら急いですぐ傍にあるメニューを開いて注文する料理を決めようとする遠野。


 そのタイミングで、カウンターの奥からようやく、遠野が聞き慣れた声が飛んできた。


「いやいや、自分から注文聞くの早すぎ! あんま早すぎるとお客さんが困るから自分から注文聞くときは店に入ってから3分くらい経過してからね!」


「藤広さん!」


 感極まった遠野が、ついその男の苗字を叫んでしまう。


「……了解です。それと――」


 店の奥からそうやって声を張り上げた藤広に、少女は静かな声でそう言うと、次に藤広の名を勢いよく叫んだ遠野を見つめる。

 そして――


「すみませんでした」


 そう一言だけ言ってぺこりと頭を下げると、少女はまた最初に立っていた店の入口付近に歩いていった。



 ◇◆◇◆◇◆◇



「ごめんね遠野君。今回は完全に俺の監督不足だった」


「いや、別にそれはいいんすけど、それよりも誰っすかあの子。それが気になりすぎて夜も眠れそうにないっす」


 結局、遠野の定番のメニューになりつつあるほどの高頻度で頼んでいるカレーを注文して、今も絶賛食事中の遠野は調理中の藤広とそう会話しながらチラリ、と少女に目線を向ける。


 今はこの店を知ってる人がこぞってやってくる時間帯、客数もそれなりに多くなり少女はそれぞれの客に席を案内している。

 そしてやはりというべきか、少女に話しかけられた客は全員が全員驚いた様子である。


「あぁ、あの子ね。樋之上円(ひのかみまどか)っていうの。諸事情で昨日から俺の家に住み始めて、そのついでに働いてもらってる。あ、ちゃんと本人から働く旨の許可は貰ってるよ?」


「待ってください、諸事情が超気になるんすけど。何があったら、えっと円ちゃんでしたっけ、とにかくあんな子が藤広さんと同じ家に住むんすか。法律犯したりしてませんよね?」


「そんなわけないでしょ。もしも俺がロリコンで円をさらったんだとしたらこうやって働かせたりしないし、それに雇うにしてもあんなちっこい子よりも、俺はもっと身長高くて色々他の仕事ができる人を選ぶ」


 突然円が藤広と同居し始めたという話に一瞬犯罪臭がして、問い詰める遠野だったが、藤広の返事に「それもそうか」と納得すると、それ以上の追求はやめた。

 そして、次は円本人に関する話をし始めた。


「円ちゃんとさっき話したて思ったんすけど、なんかあの子変じゃないっすか? なんつーか、こう。人間味がないっていうか……」


「感情があまりにも欠落している?」


「あぁ、多分それっす」


 遠野が言葉に出来ずに言うに言えなかったことを、藤広が見事に言い当てる。

 それに、そうそう、と頷きながら遠野が藤広に話しを続ける。


「そう、口調にも表情にも全く感情ってやつが付随してないせいでなんか怖いんすよね。さっき俺もつい敬語使っちまいましたし」


「それは俺も同感。実際俺も初めて会ってからずっと、人間じゃなくて機械と喋ってるような不自然さを感じてた。まぁ俺は敬語になったりはしなかったけどね」


「会ったときからずっとあの調子なんすか。なんか、やんごとなき事情がありそうっすね。感情が全く無くなるとかなら、両親からの虐待とかですかね?」


 遠野がそうやって円の生い立ちを推理するが、藤広は首を振って遠野の予想を否定する。


「いや、なんかヤバそうな事情があることには同意するけど、虐待とかの線はないかな。だってそんなことされてたらあんなに気が強くならないだろうし」


「強いんすか? 気」


「超強いよ。不良に囲まれても一切泣いたり怯んだりしてなかったし、なんなら自分が正しいと思ってるなら容赦なく意見してくるからね。それも立派な正論で」


「うわぁ、気ぃつよぉ……」


 藤広がどこか遠い目でそう言うと、若干引いた様子で遠野が首を捻って円に目を向けた。


 当の円はどこ吹く風、呼びかけられた客からの料理の注文を注文伝票にメモをしている。

 もうすっかり客の対応の仕方には慣れたらしい。遠野のときのような失敗はせず、テキパキと働いている。


 藤広もその光景を見ていたようで、彼の面倒見の良さがにじみ出ている物言いで、遠野に話しかける。


「確かに色々変な点を持ってる子ではあるけど、いい子なのは間違いないよ。さっきみたいに自分が間違ってると分かったらすぐに謝れるし、それに正論の話だって裏を返せば素直ってことだしね」


「それは、まぁそうっすね」


「だからさ、遠野君も円のことは気味が悪いとか考えずに普通に接してあげて欲しい。それに、それが円が変わるきっかけになるかもしれないしね」


 そう言い終えると、藤広は期待のこもった視線を遠野に向ける。

 それに気づいた遠野は無言で腕を組み、如何にも悩んでいます、と言わんばかりの険しい表情を浮かべた。

 が、すぐにそれを屈託のない笑みに変えて――


「もちろんっす! そもそも邪険に扱おうとか微塵(みじん)も思ってもいませんでした!」


 そう言い切ると同時にガッツポーズを取る。

 その様子に「頼もしい限りだ」と言って、藤広も遠野と同じような笑みを浮かべた。






 その後も時間は流れ、その間にも様々な人間が店に入っては出ていき、また違う人が入っては出ていく。


 そして、円がウェイトレスとして働き始めてくれたお陰で、料理に集中できるようになった藤広は、気づかない。


 出会ったときから変わらない質素な服装の上にエプロンを着た円の意思が、視線がずっと藤広に向いていることを。

 円が仕事がなく突っ立ているだけのときであっても、客の対応をしているときであっても、必ず円の意思が幾分か藤広に割かれているということを。


 気が付かれないように静かに、まるで隠れるように、こそこそと。

 ずっと円が藤広の様子を覗っていたことに。

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