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Ep.7 - 少女の始まり

 端末が驚愕という名の感情を表情にして見せて、それを見た藤広をも驚愕させている時、端末の思考にあったのは全く別の感情だった。


 それは困惑。


 ただ料理を口の中に入れ、いくつかの情報を得ただけ。体の中に入れば、すぐに端末の存在の核である炎の燃料になるだけの品物だ。

 だというのに、自分を襲うこの変化はなにか。


 なんの指示も出していないというのに表情筋が勝手に動く。

 味覚を経て得た情報がいたく口の中に残り、もう一度同じ情報を得たくなる。既に記録は終わり、もう同じものを採集する必要性はないというのに。


 様々な食材からなる形容しがたき情報が口の中を疾走し、舌のあらゆる部分を刺激する。

 それによって自然的に引き起こされる、どこか自分の内側が満たされていくような奇妙な感覚。


 いや、これでけではない。自分の体の異変は料理を食べる前からあったはずだ。



 藤広が料理をしている様子から、何故か目を離せなかった。

 ――食材の色と香りが変化していき、料理へと変わっていく様子を、ずっと見たいと考えていた。


 藤広から料理を運ぶのを頼まれたときだって、急ぐ理由はないのに小走りになってしまった。

 ――その間、この料理の情報を早く得たいという考えがずっと頭の片隅にあった。


 藤広を待っている間だって、いつもよりも時間の進みが遅く感じた。

 ――藤広が早く到着することだけを考えている自分がいた。



 ――これはなんだ。



 自分の内側で起きていた、そして同時に現在も続いている身体的及び精神的反応に理解が追いつかず、ただただ同じ文章ばかりを頭の中で繰り返す。


「……そんな美味かった?」


 そんな端末に助け舟を出したのが藤広だった。

 いや、藤広自身は助け舟を出したなどとは毛頭も思っていないだろうが、たしかにその言葉は端末に取って、その思考のループを止める大きな助けになったのだ。


 端末の体を蹂躙する謎の反応に対する疑問は一旦おいておき、端末は思考を藤広への返答に切り替える。

 そして、端末は一つの疑問を口にした。


「美味い、とはどういう意味ですか?」


「はぁっ!?」


 藤広が予想だにしていなかった突然の質問に変な声を上げる。


 だが、端末にとってその質問は今の自分の状態を確認できる、唯一の手段であった。

 端末が理解できない今もなお端末の中で荒れ狂う反応を、外側からでしか端末を観測できないはずの藤広は「美味い」という言葉を用いて表現してみせたのだ。


 ならば、目の前のこの男なら自分の中で起こっているこの謎の反応を説明できるのでは、と。

 彼が口にした「美味い」という言葉を理解できれば自分もこの反応を理解できるのでは、と。

 そう考えたのだ。




「美味い、の意味かぁ……改めて説明するとなると難しいな……」


 当の藤広は少女に如何にして返答するかを悩んできた。


 普通に生きていれば「美味い」、「美味しい」といった感覚が如何なるものかは自然に理解していくものだ。

 というか、藤広達人間からすれば知っていて当然の常識だ。犬や猫などの動物だってそうだろう。そういった動物だって食べ物の好き嫌いがあるのだから。


 そして、そういった類の常識とは誰だって理解できているのだから、普段から言葉にして説明する必要のないものである。

 それをいきなり説明してくれ、と言われれば困りきってしまうのも当然だろう。


 普通、こういった場面では「そんなことも分からないのか」と聞き返すものだが、藤広は薄々この少女が普通とは違うことに感づき始めていた。そして同時に、常識というものを知らないことも。


 まぁそれはそうだろう。

 不良から逃走するときに散々人外としか思えない体力や、本人は魔術だと主張する意味の分からない逃げ出し方を見せられたのだ。

 未だに少女が常識の通じる存在だと思い込んでいる方がおかしい。


 それでも、気味が悪い、と思って少女を追い出すなりするのが普通なのだが、生憎と生来の面倒見の良さと、実家で培われた精神の図太さも相まって、藤広はそんな考えには――全くと言い切れるほどに――至らなかった。


 それはともかく、少女への返答である。


 藤広は腕を組んで喉を唸らせると、黙りこくって考え込む。

 そして、しばらくすると歯切れが悪いながらも少女の質問に答え始めた。


「『美味い』ってのはなぁ……その、今みたいに料理を食べて、それで旨いって思ってぇ……いやこれで分かるわけないか」


 しかしながら、やはり説明するのが難しいらしい。それでも少女の妙に迫真な様子を見て、どうにか説明しようと言葉を紡ごうとする。

 そんな藤広の頭の中に、突然とある言葉が思い浮かんだ。


『価値観っていうのは人それぞれ。同じ言葉でも自分と他人じゃ全く違ってくるんだよ?』


 どこか、宥め言い聞かせるような優しい口調だった。そして、自分がその言葉に救われたのを覚えている。

 遠い昔、藤広と親しかった人が口にした言葉。


 それを受けてすぐ、藤広の思考が唐突にクリアになっていく。

 一般的なイメージを話そうとするから、他人に合わせようとするから難しいのだ。ただ、自分の価値観で話せばいい。

 そうすれば、幾分かは簡単になるはずだから。


「……きっと『美味い』っていうものの定義も人それぞれだと思う。でも、俺にとっては『美味い』っていうのはきっと、料理っていう作品に対する感想で、賛辞だ。料理そのものと、それを作った人を褒めたたえる言葉だ。んで、それと同時に――」


「……それと同時に?」


 机に身を乗り出してがっつく様にして端末がそう藤広の言葉を繰り返す。どこか目が細くなっているように見えるのは気のせいだろうか。

 早く自身の体の異変をどうにかするため、その言葉の続きが気になるのだろう。だから、そうやって藤広を急かすのだ。


 そう急かされながらも、藤広は自身の思いを分析しながら、ゆっくりと慎重に言葉を選んで少女のへの回答を頭の中で構築していく。


「それと同時に、『美味い』っていうのは料理に対する感動とか、食べたときに感じた楽しみとかさ。そういった感情が合わさって生まれる、感情の一種なんじゃないか、って俺は思う。そういう思いがあるからこそ、自然に『美味い』っていう言葉が出てくるんだと思う」


「……」


 最終的にそう言い切った藤広は、完全に黙り込んでしまった少女に「どう?」という思いを込めた視線を送る。


 それに気づいたのか気付かなかったのか、少女から今までの焦ったような様子はなくなり、代わりに元の無表情が戻ってきた。

 そして、前に乗り出した体を静かに戻して椅子に座りなおす。


「私には、分かりません」


 たった一言。

 そう漏らした少女に、藤広はなにか話しかける訳でもなく、静かに少女が次の言葉を口にするのを見守る。


「私には、あなたの言う感情というものが分からない」


 うむ、と黙りながらも藤広が大きく首を振って頷いた。


「先程、あなたの料理を口にした時の高まるような感覚がそれなのか、それとも理解できない私自身の反応に感じた、袋小路に追い詰められたような感覚がそれなのか、私には分かりません」


「両方とも、立派な感情だよ」


 無表情ながらも俯いた様子でそう語る少女に、初めて藤広がそう言葉をかけた。


「ならば、尚更私には分かりません」


 が、藤広のその言葉があってもなお、端末は自分が理解できないことを口にする。


「あなたの言う感情は、私にはあまりにも複雑すぎます。あまりにも難解で、意味不明で、理解できなくて――それはあまりにも、私には強烈すぎる」


 感情という自分では理解できない存在が、自分を侵食していくことに対する恐怖――端末はそれが恐怖という感情だとは理解していない――を、言外に口にする。


 が、


「でも――」


「でも?」


 今までの端末の言葉を一部でも否定するような接続詞を、先程の端末のように藤広が繰り返すようにそう言う。

 端末が、初めて会った時の機械的な口調とは別の、まるで端末自身の思いを述べるような幾分か抑揚がある声で続く言葉を口にした。


「あなたの言った『美味い』というものがどういったものかは、少しだけ理解できたような気はします」


 そこまで言って黙ってしまった端末に、藤広は「そっか」とだけ返答すると少しだけ前のめりになって、どこか楽しそうな様子で話しかけた。


「君さ、住む家とかないだろ」


「……そうですが」


 突然全く別の話をしてきた藤広に、端末が「その質問に意味はあるのか」という意図が微量ながら交った目線を藤広に送る。


「やっぱりな――それじゃ、ウチに住んだら?」


「……なぜ?」


 続いてまたもや突飛的な話をしてきた藤広に、端末が若干の間を開けてからその意図を問うた。


「純粋に君の今後が気になる。君が今後どんな風に成長していくのかが気になる。最初は人間じゃないみたいに無感情だった君に、急に感情が芽生え始めて興味が湧いた」


 続けて――


「人が、いや人じゃなくても何かが変わるときにはなにかしらのトリガーがある。実はのことを言うと、昔は少しでも不快に思った奴は全員ぶん殴ってた不良少年だった俺も、とある出来事があって今みたいな俺に変わったんだ。間違いない」


「それが何か関係が?」


 突如自分語りを始めた藤広に端末が中々に冷たい言葉を放った。

 だが、それを受けても藤広は怯んだりせずに、少女に話しかけ続ける。


「君の今の変化のトリガーはさ、きっと料理を食べたことにある。これは俺の勘だけど、こういう風に美味いものを食べたのは初めてだったんじゃない?」


「……そもそも何かを口にしたのが、初めてでしたが」


 少女の返答に「やっぱな」と呟いてニッ、と笑うと藤広は、次のように締めくくった。


「それなら尚更ここに住むべきだ。俺の店に居れば結構な、とは言わないがまぁまぁの数の人が来るから。もしもここに住めば君は色々な人に会って、色々な経験ができる。

 そして、そういった経験が君の新しい変化を生むトリガーになるかもしれない。で、そのトリガーを何回も引いていたらいつの日か、君も感情ってものを理解できるかもしれないぞ?」


 その言葉を聞いた端末は、下を向いて黙って考える。

 確かに、藤広の提案には端末にとっての明確なメリットがあった。

 端末にとって未知の存在である感情を理解できる、というあまりにも明確なメリットが。


 だが、同時にデメリットもある。

 それは藤広が端末が感情を知る上で必要になると言った、端末自身の変化。

 端末はそれが理解できないながらも、自身が変化するというその言葉に恐怖していた。先ほど感じた追い込まれるような感覚を、再び味わうことになるかもしれない、と。


 そんなメリットとデメリットを天秤にかけ、悩む端末に、藤広がとある一言を投げかけた。


「それに、君をこうやって家に住ませようとしてくる奴は俺以外にはそうそういないと思うぞ? 大半のやつは気味が悪いだのなんだのって言って、追い出すと思うから」


 それが最後の一押しになった。


 今後再び訪れるかどうかの確率が限りなく低い選択肢を、選ばせてくれている相手が目の前にいる。

 その事実が端末の中でメリットの重みに足され、天秤は遂に一方向に傾いたのだ。


 もちろん端末だって馬鹿ではない。

 藤広が嘘を言っている可能性も危惧したが、不思議と藤広が嘘を言っていると思う気は微塵も起きなかった。


 それを無意識の内にしていた相手の分析の結果、と思考の中で断定し、端末は藤広の誘いへの返答を、ようやくすることにした。


「あなたの提案を受け入れます。これから、この家に住まさせてもらいましょう」


「それきた」


 端末の返事に満足げな笑みを浮かべると、藤広は右腕を端末に差し出す。

 それに目線を送ると、端末は相変わらずの無表情に、疑問の感情の色をほんの少しだけ追加する。


「それは?」


「握手。これから同居するんだ、これくらいは礼儀ってもんだろ?」


 変わらない笑みを浮かべながらそういう藤広に、端末は「そうですか」と一言呟いて、同じように右腕を差し出す。


 藤広の太く頑丈な右手と、端末の細く繊細な右手がそれぞれの手を掴み、しっかりと握手をする。


「これからよろしくな」

「よろしくお願いします」


 こうして、奇妙な縁で結ばれた二人の長いようで短い物語が始まったのだった。



 ◇◆◇◆◇◆◇



「そういや君、名前は?」


「名前ですか? ありませんが」


「……あ、そう。じゃ、今決めないか? ずっと君って言うのもなんだしな」


「別に私はそれでも構いませんが」


「俺が気にするから決めよう。苗字も一緒に決めるか?」


「どちらでも構いません」


「じゃあ決めよう。名前の方は俺が一つ案があるから、苗字はそっちな」


「……樋之上(ひのかみ)、というのはどうでしょう」


「樋之上? ちなみに由来は?」


「私の母体のもじりです。それよりも、考えているのなら早く名前を言ってください」


「了解。それじゃ、君の名前は今日から(まどか)だ」


「……なにか由来が?」


「あぁ、あるとも」


 そう言って藤広は満面の笑みを向ける。その様子を見ている端末は、相も変わらず無表情だ。


「俺が変わるトリガーになった俺の恩師。その偉大なるお名前さ」

【作者からのお知らせ・後書き】

 この物語を読む上で、この話がおそらくあなたの見切りポイントになると思います。


 ここまで読んで「面白い」「いい話だな」と思えなかった方は今後もこの物語を楽しむことは出来ないと思うので、至急ブラウザバックを推奨します。


 そして、少しでもそう思ってくださったそこのあなた!

 感想とかをくれると創作の励みになります! よければブックマークとかもしてくれると嬉しいなぁー!

 なぁー!!!

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