Ep.3 - おっさん meets ガール
今にも少女に殴りかかりそうだった不良のリーダーは、割って入ってきた藤広の声にすんでのところで動きかけた拳を止める。
そして、青筋を立てたままの不機嫌そうな顔で藤広を睨みつけた。
「なんだよおっさん。もしやコイツの保護者かぁ?」
その強面に相応しい、ドスが効きまくった声色でリーダーは藤広にそう言い放つ。
並みの成人男性であったとしても「ひょえぇ……」という声と共に、速攻で意気消沈してしまいそうな形相で睨まれた藤広は、その迫力に思わず口の端をピクつかせた。
が、決してそれに怖気づいてその場にへたり込んでしまうようなことはしない。
こういう場面では最初に相手に怖気づいた方が負けである。一瞬でもその素振りを見せてしまえば、そこに付け込まれて勢いに押されてしまうのが大抵だ。
藤広は自身の家系が黒い部類であることに感謝した。
恐らく幼少期をあの、この世全ての闇を一身に纏ったような家で過ごしていなければ、リーダーの凄みに耐えることは出来ていなかっただろう。
いや、この世全ての闇を一身に纏ったような、というのは少々盛りすぎだろうか。そんなことないか。
閑話休題、今はそんなことを考えている場合ではなかった。早くこの場を切り抜けなければならない。
生来の正義感の赴くままに不良達の間に突っ込んできたが、よく考えてみれば藤広も普通にピンチである。
ケンカが得意、というわけでもないし。
「あぁ、そうそう。そうなんだよ、俺、この子の保護者なんだよね。いやぁホント迷惑かけてごめんね。今すぐ連れてい――」
だから、藤広は不良達のリーダーの言葉に上手く乗っかって少女と共にこの場から逃れようとした。
「違いますが」
そして常識知らずの少女こと端末は、普通にそれを台無しにした。
場の空気が凍り付く。藤広の思考も凍り付く。
周りの不良達が藤広に不審者を見るような目を向けてくる。その中でも二人の女がコソコソと喋り始めた。
妙に静かな路地裏にその二人の小さな囁き声はよく響いた。いや、響いてしまった。
「やばくない? あのオッサン」
「それな。急に入ってきて知らない女の保護者のフリしだすとか、マジキモイ」
「絶対にアレだよアレ! ロリコンってやつ!」
「うわ、きっしょ!」
藤広の目が死んだ。ついでにこの場での藤広の株も死んだ。
周りの不良達の藤広を見る目が不審者を見るそれから犯罪者を見るそれに代わっていく。それも性犯罪者を見るタイプの視線に。
それに伴い、段々と不良達の顔つきが今までの下卑たものから正義感溢れる表情に変わっていった。
今までの強面が嘘だったかのような精鍛な顔つきに変わったリーダーが、謎に正義感に満ちた声で言い放った。
「俺はよ、今までもそこのチビにやってたみたいに人から財布奪ったり、夜中にバイクでブンブン突っ走ったり割と悪いことをしてきた自信がある。なんならサツにも何度かお世話になったことがあるくらいだ」
「……うん」
リーダーが自分語りを始める。
「だがな、おっさん。その俺からしても、テメーが今やってることは最低だ。吐き気を催すことの邪悪だ」
「……さいですか」
リーダーが藤広を悪だと罵った。
「こんな奴は許せねぇ、痛い目を見せて反省させねぇといけねぇ! そうだよなぁ!? お前らぁ!!!」
リーダーがそう叫ぶと、「うおぉぉぉぉ!!!」という雄たけびと共に拳を天に向かって突き上げる不良達。
彼ら彼女らの不良という名の社会不適合者らしい下衆な様子はもうそこになく、代わりにそこには不良マンガに出てくるような覚悟ガンギマリの、凛々しい顔つきの青年達が居た。
完全に藤広を叩きのめすつもりである。
今の空気はどう考えても不良達が正義で、藤広が悪である。
おかしい、藤広は少女を助けに来たはずなのに最初と立場が逆転している。
顔を上げて天を見上げると、藤広はスゥ―ッ、と息を吸った。
次の瞬間、綺麗なターンで180度回転。後ろを向いて走り始める。
最初から全力は出して体に無理はさせずに、次第にスピードを上げていく。
途中に数人の不良という名の壁があるが、それも生来の大柄な体躯を利用して無理矢理突破する。
後ろから不良達の「いってぇ!」「クッソ!」など「逃げたぞ!」「追えー!」といった怒りと正義感に満ち満ちた声が聞こえてくる。
そんな状況に心の中で頭を抱えながら、藤広は走り続ける。
どうしてこうなった。
いや大丈夫だ、このまま走って自分の料理店に向かえばいい。
そうすれば、どうだろう。当初のタイムリミット内に店に戻るという目的に、不良達を振り切るというサブミッションが追加されただけではないか。
最悪である。
「……ッはぁ!」
走りながら、藤広は呼吸のリズムに合わせてため息を吐く。
誰がこんなことになると思うだろうか。
一瞬、こんなことになるなら止めなければよかった、という思いが頭を過る。
だが、藤広は頭を振ってそんな考えを頭の中から追いやる。
もう過ぎたことだ。
それに、不良達があのような考えに至れば彼ら彼女らに絡まれていた少女はきっと見逃してもらえるだろう。それも、不良特有の普通ではあり得ないの優しさと共に。
そう考えれば、藤広はあの少女を助けるという目的を無事に、とは言えないが果たすことができた訳だ。
そう考えればこの結果もマシなものだと思えてくる。むしろそう思わないとやってられない。
だが、次の瞬間に藤広の耳があり得ない言葉を拾った。
「あのオッサン真正のクズだ! 女の子を連れて逃げるつもりだぞ!」
走るのを止めはしないが、藤広の思考が一瞬フリーズ。
次いで湧いて出てくる大量の疑問。
そんなことはない。だって、藤広は少女の手を掴んだり、ましてやおぶったりなんて勿論していない。だから、あの少女を連れて逃げるなんてそんな訳が――
ガシッ、と誰かに右腕の手首を掴まれた。
不良に捕まったのではないか、と一瞬焦るが肌を通して伝わってくる短めで細い指の感触に、不良達ではないと一安心。
そして、「え、じゃあこれ誰の手だ?」と思い返してまた焦る。
恐る恐る振り返って、手首を掴んでいる者の正体を確認する藤広。
そこには、先程まで一緒に不良達に囲まれた少女が藤広の右腕手首を掴んだまま走っている姿があった。あってしまった。
「なにしてんの!?」
予想だにしていない事態に半狂乱で少女にそう怒鳴る藤広。
その様子を見て「あいつ怒鳴って脅してやがる!」と藤広に更なる誤解をする不良達。
不良達の中での藤広の株は今なお絶賛低下中である。
そんな様々な問題と誤解の元凶となった少女は、このような状況下であっても全く動じず、眉一つ動くことのない無表情のまま、冷静な声で藤広の問いに返答する。
「あなたの現在の目的は今私達を追跡しいる人間からの逃亡であると推測しました。違いますか?」
藤広の全力疾走に近い速度に自力でついてきながら、少女がどこか機械的な口調で藤広に話しかける。
藤広はそんな少女の問いに驚きで軽く息を切らしながら答えた。
「そう、だけどッ!」
「であれば私達の目的は合致します。そのため協力の申し出を行おうと、今あなたに併走しているところです」
ともすれば自転車と等速かそれ以上のスピードで走っているというのに、無理をしている様子も見せずに、一切の息切れもせずに少女は淡々と藤広にそう語る。
そして、藤広はその細い体にどうしてそんな筋力と体力があるのか、という疑問を抱いたのだが、しかしそれよりも先に少女に対して言うべきごとがあった。
「何でついてきたわけ!? あの流れだったら絶対にアイツらから逃がしてもらえたでしょ!?」
少女はあのまま被害者のフリをしていれば確実に不良達から見逃してもらえたはずなのだ。
その藤広の疑問に、少女は相変わらずの無表情ながらも、僅かに眉を顰めて首をかしげた。
表情にはほとんど出てはいないが、今まで見ていた中で初めての、少女の感情らしい感情である。
「私は既に考えられるだけのあの場を収める策を講じました。しかし、全て失敗に終わっています。それに、今なおあの人間達は私達を追いかけています。あの様子を見るに、簡単に私を逃すとは思えませんが」
「いや、あいつらが追いかけてるのはオレだから! 今の君は保護対象だから!」
藤広にそう言われて少女は視線を藤広から外し、一度考えるような素振りを見せる。そして判断がついたのかもう一度藤広に視線を戻し――
「私を騙して囮にしようとしていますか?」
「んなわけあるかい!」
藤広のどこか諦観が入り始めた叫びが、路地裏に木霊した。