Ep.31 - 思い出
――円が教祖を反撃始めたのと同時刻。
赤萩町の中でも最も大きい総合病院の手術室で、外科医たちが一人の患者を囲んで慌ただしく手足を動かしていた。
「ダメです! 患者の容態に全く変化がありません!」
「何がダメなんだ!? もう打てる手は全て打ったのに!」
「執刀医はとにかく延命に集中しろ! 手が空いているやつは執刀医の手伝いをするか、患者の容態が変化しない原因の発見を調べるんだ! とにかく急げ!」
今日の昼頃に運ばれてきた、重症患者の緊急治療。
腹部に刃物を刺突されて意識不明の重体になっていたらしいが、奇跡的に患者に刺さった刃物は人体の急所となる部分を避けており、傷を縫って血管を繋げればすぐに容態は安定する――はずだった。
現実はその真逆。
体から傷を無くしても、止血をしても、何をしても患者の容態は変わらない。
心拍数は時間が経てば経つほどその頻度が少なくなり、傷もないのに血液の量が少しずつ減っている。
そこにいるどの医師にとっても未経験のことで、知識の内にない事例だった。
彼ら彼女らにできるのは患者の延命措置だけ。
だが、それでも患者の命をどうにか救うべく、医師たちは懸命に手を動かした。
既に医師たちの勤務時間は十二時間を越えている。
本来なら他のチームと交代しているところだが、同じ日、同じ箇所で突然発生した超大規模な事件のせいで大量の患者が搬入され、他のチームは次々と運ばれてくる患者の治療に付きっきりになり、交代ができなくなっていた。
そして、そんな疲労と緊迫した状況にいる中で、患者――藤広裕介は、薄っすらと目を開けて、ひっそりと意識を取り戻す。
麻酔が効いていて、メスによる切開もまるで痛みがない。
というか、どういう訳か周りの雑音が一切聞こえない。
そんな状況にいながら、藤広は「あぁ、自分は死ぬんだな」と、どこか確信をめいた様子でそう思った。
そして、そう思った瞬間に自分の頭の中に浮かび上がる、三十二年という長くも短い人生の中での思い出。
――愛していた父親に、誕生日プレゼントを貰った日。
――家族と共に様々な場所に行って、遊んだ日々。
――敬愛する師と、出会ったその日。
心の奥底から湧き上がってくるその日々に感じた感情と共に、藤広は懐かしい気持ちになる。
そして、一つの心残りとして朱色のツインテールが特徴的な少女の後ろ姿を脳裏に浮かべると、心の中で「ごめん」と一言謝って、再び目を閉じた。
どうせ死ぬのなら、幸せだった日々に囲まれて死にたい。
心の中で、ただ安らかにそう思って。
◇◆◇◆◇◆◇
藤広裕介――その名前は偽りである。
本当の名前は永藤弘文。
藤広という名字は本当の名前の『藤』と、『弘』をもじった『広』の二つを組み合わせてつくった。
名前はその場で考えた適当なものである。
永藤弘文という男児は、海淵教という宗教団体の長の子供として生を受けた。
この海淵教という宗教団体は古来より神道とも仏教とも違う異質な神を信仰しており、その神のためならば生贄を捧げることにもなんの疑問を抱かないような、平たく言って狂った集団だった。
そして、そんな狂人達の集まりのリーダーの子供として生まれた弘文は、勿論その狂人達の常識を常識として育てられ、小学生時代という幼き頃から、神の為ならば人殺しも厭わない冷酷非道であった。
無論のそのような弘文と友人になるような者は周りにはおらず、弘文は学校では常にクラスメイトからいじめを受け、教師側からも弘文を更生するために何度も生徒指導室に呼び出されていた。
だが、そのような環境の中でも弘文の精神は折れず、むしろ彼にとっての正義である神への信仰を貫くために、反骨精神でクラスメイトや教師に一人で立ち向かっていた。
その方向性こそ違うものの、正義感が強かったのは今も昔も変わらない。
学校では完全に孤立していた弘文であったが、家や教団内での扱いは真逆のものだった。
父親母親からは常日頃から最高の愛を与えられ、海淵教の本部に行ったとしても、尊敬する教祖の子供として崇められ、事あるごとに褒め言葉を貰っていた。
誰も味方が居ない学校と、誰もが味方だった身内及び海淵教。
幼い頃からずっとそんな環境に居た弘文の中では、どちらが守るべき正義であり、そしてどちらが悪であるかは決定的であり、今後も変わらないものと思われた。
だが、そんな弘文の生活にも変化が起こることになる。
それが、弘文が高校に入学したばかりの頃にあった、一人の教師との出会い。
彼の恩師だと言って、生ける炎の端末の名付けの際にその名を借りた、浅谷麻土香という女教師との出会いである。
その女教師は、弘文にとって初めて出会うタイプの人物だった。
今まで弘文が他人と共存できていなかった理由は唯一つ、その一般のものとはかけ離れた常識である。
神の為ならば生贄を捧げることになにも違和感を感じないという、異質過ぎる常識が弘文と他人の間に大きな谷を作り、同時にだれもその谷を埋めようとする努力をしなかったのだ。
言わば、アステカ人とスペイン人との宗教的心理の関係性である。
アステカ人からすれば当然であり神聖なだった生贄を捧げるという儀式は、スペイン人からすればあまりにも異端であり、忌避すべき邪悪な儀式であった。
また、アステカ神話の最高神であったテスカトリポカは、スペイン人には生贄を求める悪魔として扱われていた。
そんな真逆の認識を持つ二つの人種が互いに共感し、歩み寄れるはずがない。
弘文と他人との関係性は、その上記の関係性を簡易化及び規模を縮小したものである。
だが、そんな巨大な谷を渡ってきて、対岸を繋ぐ橋を建てようとした人物が居た。
それが、浅谷麻土香という教師。
浅谷は弘文と接して常識の違いを認識してもなお、弘文との交流をやめようとしなかった。
むしろ弘文に歩み寄り、弘文のことをもっと知ろうと努力してくれた。
弘文にとっては完全に初めての経験だった。
赤の他人から邪険にされることには慣れていても、赤の他人から友好に接されることには慣れていなかったのだ。
だからこそ、弘文は浅谷麻土香という女教師に惹かれた。
初めて異教徒である人物のことを知ろうと努力して、交流を増やした。
相手が何を考えているのか知ろうとして、初めて異教の常識について考え、分析した。
そこでようやく理解したのだ。
殺人の悪性を。
生贄という風習の邪悪さを。
そして、自身の異質さを。
そこから弘文の価値観と人生の路線は大いに変わった。
新しい視点を得られたからこそ、他人に共感ができるようになった。
他人に共感ができるようになったからこそ、クラスメイトと良好な関係を築けた。
良好な関係を築けたからこそ、このきっかけをくれた浅谷に感謝していた。
その幸せが、予想だにしなかった形でおわりを迎えることなど知らずに。
殺人の悪性を理解してもなお、弘文は海淵教の教義を否定することはなかった。
正しくは、否定できなかった。
海淵教の否定。
それは、今まで弘文の心の支えとなってくれた神に反旗を翻し、その有り様を否定するのと同義だ。
それは、当時の弘文の人生の大半の時間を共に過ごし、弘文に良くしてくれた人たちを裏切るのと同義だ。
それは、人身御供という行為を否定し、生贄になってしまった犠牲者達の怨嗟を知るのと同義だ。
――それは、自分の人生が罪と邪悪に塗れたものであると、認めるのと同義である。
そのような事実に耐えられるはずがなかった。
今まで自分が当然に正義として歩んできた道を、異端で邪悪な道と定義することなんて、できるはずがなかった。
そんな今までの自分を否定するような行為を、できるはずがなかった。
だから、弘文は無意識の内にそのことを考えないようにして、殺人を悪としながら人身御供を善とする、矛盾に満ちた生き方をしていた。
だが、そのような中途半端な生き方を神は見逃さなかった。
それを指示したのが、海淵教の神だったかは分からない。
だが、運命は過酷な選択を弘文に迫った。
ある日のこと、弘文は家族と共に毎月恒例の生贄の儀式に向かった。
そして、それこそが弘文の人生の本当のターニングポイント。
その日の生贄。
その日の犠牲者。
その日の神に捧げられし者。
その名は、浅谷麻土香――最初は言葉で、そして次は自身の死を以てして、二度も弘文のあり方変えた教師だった。




