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EP.30 - 反撃の炎

「これは、なにが……!?」


 自身の体を突き破った炎に、教祖は悲鳴に近い声でそう口走る。

 その声は痛みを無理やり堪えたような悲痛なもので、実際額には大量の汗をかき、触手が生えた冒涜的な顔に浮かんでいる表情は、見ているだけで痛みが伝わってくるほど苦しげだ。


 信者達から悲鳴が上がる。

「何が起こっているんだ」と、状況を理解できずに固まっている者達と、「水を持ってこい」と、教祖を助けようと動こうとする者がいる。


「ぐうう゛うぅ゛ぅぅぁ゛ぁぁああああ゛あ゛!」


 自身の肌が焼けて炭に変わっていく感覚――まるで数千本の針を一か所に刺されたような痛み――が、教祖の腕を、脚を、腹を中心にして広がっていく。

 だが、自分の身に突如起こった人体発火現象に多少なりとも動揺はしたが、すぐになにが原因になったのかを必死に探り、何らかの対処法を見つけようとしていた。


 その時、背後から物音がする。


 まるで人が起き上がったかのような、衣服が擦れる音と、地面に足をつける音。

 まさか、と思って教祖は物音がした方向に振り返る。


 教祖の背後には、死を与える短剣で心臓を刺して、殺したはずの人外の少女が立っていた。

 頭を俯けて、両腕はだらんとぶら下がり、フラフラと左右に揺れる佇まいは、まるで幽鬼の如く。

 肌がガラスのように割れてしまった部分からは、まるで点火したボイラーのようにゴウゴウと勢いよく炎が上がっていた。


 俯かせていた顔を、少女が上げる。

 垂れた前髪で見えなかった少女の顔が、見えるようになる。


 戦闘中の終盤を除き、ほとんど変わることのなかった無表情。

 それとは違う、キュッと引き締まった覚悟を決めたような表情だ。


 少女の鋭い眼光が自身に刺さり、教祖は身震いをする。


「何故、お前が……」


 少女から放たれる威圧に近い雰囲気に、耐えきれなくなって教祖がそう言った。


 教祖からの質問を無視して、少女は一度目を閉じ深呼吸をする。

 そして、深呼吸を終えて再び瞼を開けたその瞬間――大きな爆発音と共に、少女が居た場所に巨大なクレーターが出来上がった。


 当の少女は、気づいたときには教祖の目の前にいる。


 その音とクレーターは、少女が移動のために床を蹴ってできたものだった。

 そこで少女は、ようやく教祖の質問に返答をする。


「さぁ。なぜでしょうか」



 ◇◆◇◆◇◆◇



 触手に右足に巻き付かれた時、円は安全に勝利することを諦めた。

 ああなってしまっては、まともな方法で勝利する道はすでに途絶えてしまったに等しく、勝利へと続くものは、一本の細い綱を渡るような、茨の道という表現ですら生ぬるい険しい道だけだった。


 だからこそ、円は考えた。


 どの道が最も安全であり、如何にすればその道を最も安全に渡り切れるか。


 触手による殴打の雨が襲い掛かる中、最低限守るべきだった頭だけを守りながら、その方法を考え、模索し、計画した。

 そして触手に捕らわれ、教祖が長ったらしく自身の魔術の構造を語っている間、全てを諦め負けを認めたふりをしながら、細い綱を懸命に渡っていた。


 まず最初に実行したのは、自身を教祖の触手にリンクさせること。


 これは比較的簡単だった。

 円は一つの生命であり、炎を核とする非実体。

 触手は教祖の一部であり、神秘を保有する実体。


 互いに一人称で見れば、この二つには全く共通点がなく、パスを通してリンクさせることは魔力のゴリ押し以外では不可能に思える。

 しかし、他人である三人称視点、つまり信者達からの見え方を利用すれば、その結果は大きく変わる。


 信者達からすれば、炎の吸血鬼たる円も、神による祝福たる触手も、常識の内にないありえざらる神秘なのだ。

 どちらも理解することができない、神秘の怪物なのだ。


 それを利用してやれば、『円と触手は同質のもの』という定義をお互いにつけてパスを確立させるのは、実に容易なことだった。




 そして次に行ったのは、神秘を円を経由させてから触手に流し込むこと。


 神秘と言っても、その単語一つで全てを十把一絡げに出来るほど、容易な作りはしていない。

 この世に存在する神の数だけ種類があり、それぞれに特性があるのだ。


 例えば触手には大いなる者(クトゥルー)の神秘が宿っており、そして円には生ける炎(クトゥグア)の神秘が少量混じっている。

 そして大いなる者(クトゥルー)の神秘は主に水に関する特性を持っており、生ける炎(クトゥグア)の神秘は主に火に関する特性を持っている。


 今回円が使ったのは、もちろん自身の内包する生ける炎(クトゥグア)の神秘。

 円の母体である生ける炎(クトゥグア)と自身の間にある主従関係を利用して、自分と主人の間にパスを確立させ、生ける炎(クトゥグア)の神秘を自分に流し込んだ。


 神秘というのは、その全てが生きとし生ける者の力となる。

 実体を持つ持たないに関わらず、どのような傷であれ瞬間的に治癒してしまう再生力を得ることができる上、物理的に不可能な事柄の実行を可能にしてしまうような、超常的な身体能力をも得ることができる。


 だが、それは神秘を得た最初の一瞬だけの話。

 そんなことができる量の神秘を獲得してしまえば、それは神秘の本来の持ち主である神に、自身の一部と認識されてしまうのだ。

 そして、その神は自分と相手の持つ神秘の密度を同じにしようとして、どれだけの距離があろうが関係なしに大量の神秘を流れ込しこんでくる。


 それだけを聞けば、強力な力を持つ神秘が大量に得ることが出来て、良い事尽くめのように思えるかもしれないが、それは全くの勘違いである。


 どのような生き物であれ、常に流れ込んでくる神秘を十全に使い、流れ込んでくるのと同じ量の神秘を消費することができない。

 そして、結果的に神秘はその生物の体に蓄積していき、最後には耐えられなくなった器が崩壊する。


 その後どうなるかは、知ったことではない。

 生ける炎(クトゥグア)の神秘であれば教祖のように体の内から炎が噴き出すのかもしれないし、大いなる者(クトゥルー)の神秘であれば体が霧に変わってしまうのかもしれない。


 そして、生ける炎(クトゥグア)の神秘を自身に流し込んだ円は、勿論のこと生ける炎(クトゥグア)に自身の一部と認識され、壊れた蛇口のようにドバドバと大量の神秘を流し込まれた。


 だが、それも計算の内。

 円は先に繋いでおいた触手とのパスを使うことで、自身を中継点として触手に生ける炎(クトゥグア)の神秘を流し込んだ。

 そして自分は残さず消費できるだけの神秘をその中から拝借することで、どうにか再び小さくなった炎の勢いを取り戻すことに成功した。


 だが、神秘を流し込まれている触手の側――つまり教祖の側はそうはいかない。

 そもそも神秘を流し込まれていることに気づいておらず、神秘を消費することすら出来なかった教祖の体には瞬く間に大量の神秘が蓄積し、すぐに教祖の体は限界を迎えた。


 それが今の状況だ。


 限界を迎えた教祖の体からは神秘が炎となって吹き出し、教祖を内から燃やし尽くしている。

 そして円は自身の立て直しに必要な量の神秘だけを獲得して、戦闘力は絶頂の状態にある。


 明らかな形勢の逆転。

 既に教祖が打てる手段は何も残っておらず、ただ待っているだけでじきに燃え尽き、死に至る運命。


 勝敗は決した。

 だが、円にはまだやることがある。


 教祖に突き刺された短剣の効果はまだ生きている。

 今は神秘でどうにか補うことが出来ているが、円の体の魔力の流れは未だに止まっており、教祖が死に、神秘の供給が無くなれば円もすぐに死に至る。

 神秘を自身に流し込んで生きながらえたとしても、このままでは教祖と運命を共にするだけ。




 だから、円は教祖に襲いかかったのだ。




 神秘を獲得してしまったことで、完全に生ける炎(クトゥグア)と神秘を流すパイプが繋がってしまった教祖に、円という中継点はもう必要ない。

 その事実を利用して、円は自分を挟んで繋がっていた生ける炎(クトゥグア)からの神秘の通り道と、触手へ繋がる通り道を直接くっつけて繋げることで、自分は神秘の本流から抜け出すことに成功する。


 後は、時間との勝負だ。

 神秘で再び勢いを取り戻した炎が尽きない内に円が目的を達成するか、それとも教祖がそれを阻むか。


「そこまで、そこまでして私を殺したいか! 奉仕者!」


「いえ、私は生きて戻らないといけないので」


 円の目的を理解していない教祖が、純度百パーセントの憎しみがこもった大声で円にそう叫ぶ。

 それに対して円は、淡々と作業をするような冷たい声で、自身の生存の道を突き進んでいることを宣言した。


 それを聞いた教祖が、円を鼻で笑う。


「出来るものか! 貴様の心臓は既に我が短剣でその機能を終えた! 生命線の源である臓器が、貴様の内から消失したのだ! お前が生き残れる道はすでに残っていない!」


「確かにそうですね。私の内に心臓はなく、私は直に死に至る運命です。しかし――」


 ありもしないことを口にする円を嘲るように、煽るようにしてそう叫ぶ教祖に、やはり円は冷たい声で冷静に返答をする。

 そして、今の状況を覆す言葉を口にした。


「――裏を返せばそれは、()()()()()()()()()()()()()()()()。そういうことですね?」


「それは……たしかにそうだが、そのような物はどこにも――貴様ッ!? まさかッ!?」


 その言葉に、教祖は若干驚いたような表情を浮かべた後、すぐに困惑したような口調で言葉を返す。

 だが、すぐに円の右腕が伸びて来ている箇所を見つけて、焦ったような叫び声を上げた。


 あまりの高熱で溶岩のように赤く煮えたぎっている円の右腕は、教祖の左胸に向かって真っすぐに突き進んで来ていた。

 教祖の左胸、つまり教祖の心臓に向かって。


「やめろ! やめろやめろやめろ! 不可能だ! 私には、俺には結界がある! 貴様の侵攻を防ぐ結界だ! お前はそれを破ることは――」


「知っています。貴方を内、それ以外全てを外として、その間にある境界の強度を上げたものでしょう? 確かにメジャーで強力な結界です。否定することは難しく、力で破ることも難しい。まぁ、所詮それだけで無効化は簡単ですが」


 焦って円の行動を阻止しようとしていた教祖だったが、再び考え直してやはり円の思惑が叶わないと結論を出したらしい。

 再び笑みを浮かべてその事実を突きつけてやろうとする。


 だが、それすらも計算の内、と言わんばかりに冷静な表情で円はその結界の内容を的確に言い当て、教祖を黙らせた。


「無効化、だと?」


「えぇ、無効化です。それでは、あの短剣を私に刺す前のあなたに合わせて、一つ問いましょう――あなたを()()から食い破り、今現在も進行形であなたに苦痛を与えているもの。それは一体なんでしょう?」


 突然の質問に一瞬ぽかんと呆けた教祖だったが、すぐに何かに気づいたかのように、ハッとして息を吞み、恐怖に顔を歪ませる。

 そして、円は教祖のその気づきを肯定するかのように、答え合わせをした。


「はい、ご存知の通り炎です。そして、あたなによればフォーマルハウトの奉仕者である私も、ご存知の通り炎です。どちらも炎であり、その内の片方は貴方の内にあるわけですから、同質の私もあなたの内に存在することができると定義できます。ですので、私はあなたの結界を素通りできます」


「待て! やめろ! やめろやめろやめろ! やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ!」


 必死にそう叫んで円の接近を拒否する教祖の様子は、短剣を刺される前の円に似ていた。

 もっとも、円のあれがただの演技だったのに対して、教祖のそれは演技でもなんでもない本音の露出だが。


 円の侵攻を阻止するため、教祖は第一ラウンドで円を圧倒した触手を、総動員して円を攻撃しようとする。

 だが、それにさえ一切表情を変えることをなく、円は落ち着いて教祖に話しかけた。


「そういえば、あなたはその触手に神秘が含まれていると言っていましたが、そんなことは決してありませんよ?」


「何を馬鹿なことを! これは偉大なる神に祝福された腕だ! 神秘が含まれていないわけが――」


「だからですよ。祝福を受けたから変形しただけです。祝福をされたという定義があなたの右腕に付与されただけです。それだけで、神秘は全く含まれていません。そもそも神秘が含まれているなら、あなたは今のように内側から神秘に打ち破られているでしょうし」


「……!」


 円の言い分に納得してしまったのだろう。

 教祖は反論をすることもなく、押し黙ってしまった。


 円がニヤリと笑みを浮かべる。


「自ら否定しましたね?」


「……ッ!? しまっ――」


 突然、教祖の触手がグチャグチャという肉を潰すような音を立てて、教祖の意思に反して苦しむように動き始める。

 そして次にボコボコと沸騰するかのように表面から泡立つと、次第に先端から溶けていく。


 二重の自己否定。

 それが今円が口頭だけで教祖に仕掛けた攻撃だった。

 半分賭けの作戦だったが、うまくいったようでなによりだ。


 円が教祖に語った祝福による左腕の変形の原理は、全くの嘘のハッタリである。

 だが、教祖は魔術の知識はあるものの、祝福による体の変形の理屈の知識はなく、円の理屈の通った嘘に騙されて納得してしまった。


 触手が神秘の塊であることを一番知っているのは教祖だというのに、その教祖張本人による神秘の否定。

 それだけで触手に含まれていた神秘はその権能のほとんどを失ってしまったのだが、円はさらに教祖自身に自分で触手の神秘を否定したことを指摘して、それを肯定するような発言をさせることで、否定したという事実の強度をさらに強固なものとした。


 その結果がこれだ。

 触手の神秘は完全に消失し、泡立つ水となって離散した。

 そこに残ったのは、触手に変容する前の教祖の左腕だけ。


 勿論教祖の左腕が祝福されたという事実は残っているため、時間が経てば左腕はまた触手に戻るのだろう。


 しかし、今この瞬間において、教祖は円への最たる攻撃手段を失った。

 そして、今までの戦闘のせいで教祖に魔術は残っておらず、水による攻撃もない。

 短剣を使ったとしても、すでに円の心臓は機能していないため意味がない。


 完全に詰み。

 円は実質無敵の状態だった。


 死への恐怖で顔を歪ませた教祖が、円から逃れるように後ずさりをする。

 だが、円から逃げ出すことを決めるには、既にどうしようもならない程に遅く、同時に自分に最も馴染む神秘で身体能力にドーピングをした円から、逃げられるわけがなかった。


 熱が溜まり、マグマのように煮えたぎる円の右手が教祖の心臓に迫る。


 一刻、一刻と時間が進むごとに右腕と心臓の距離は縮まっていく。

 そして円の右腕が教祖の左胸に触れたその時――




 灼熱によって肉が溶け落ちる音と、教祖の絶叫が礼拝堂に響いた。

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