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Ep.29 - 死の短剣

「……頃合いか」


 教祖はそう呟くと、触手の動きを止める。


 数分間に渡る、触手による殴打のゲリラ豪雨。

 周囲の石のタイルが敷かれた床には大きなヒビが入っており、最も攻撃が集中していた地点には、あろうことか小さなクレーターが出来上がっている。

 床に掘られた細い水の通路も当然その被害を受けており、崩れた地点からクレーターにチョロチョロと水が流れていた。


 そして。


 クレーターの中央。

 最も衝撃を受けていたその地点には、腕で顔を覆った一人の少女が仰向けになって倒れていた。


 着ていた服は所々破れており、そこからは白い肌を露出させている。

 また、艶やかだった朱色のツインテールも土埃で汚れてボサボサになってしまっていて、右のツインテールに至っては、髪ゴムが切れてしまっていた。


 ただ、そんなボロボロの様相を呈しながらも出血や痣の類はどこにもなく、少女の異質感を強調していた。

 そして、その異質感をさらに強調しているのが、少女の存在の核たる炎だった。


 少女の顔をずっと守っていた両腕、防御の手段のなかった脚と胴の一部が、まるでガラスのように割れていた。

 そして、その少女の割れた部分からは、ようやく解放されたかのように、熱い炎がメラメラと焚き上がっているのだ。


 間違いなく、この少女は人外の怪物だった。

 少女の形を取っただけの、常識から外れた化け物だった。




 教祖の何本かの触手が、人外の少女――円に迫る。


 腕に、脚に、腹に。

 それぞれ、蛇のように何重にも巻き付いてくる。


 円はされるがまま。

 既に反抗するだけの力は残っておらず、体を動かすことすら出来ない。


 雁字搦めにした円を、教祖は触手の力を以て持ち上げる。

 その体は軽すぎて指一本でも支えてしまいそうだが、教祖は相手がどのような状態でも油断をしない。


 力尽きた様に見えて、実は教祖の隙を狙っているだけかもしれないのだ。

 決して抜け出せないように、教祖は円を触手で力強く締め付けた。


 幸い、そういった心配事が現実になることはなく、円は大人しく教祖の前まで運ばれる。

 触手が運ぶ前まで両腕が被さって見えなかった顔は、やはり両腕で守られていただけあって、なんの損傷もなかった。



 ルビーのように煌びやかな、赤色の瞳。

 ――その目に光はともっておらず、焦点も合っていない。


 小ぶりでふっくらとした、可愛らしい唇。

 ――支える力さえ残っていないのか、半開きになっている。


 粉雪のように白い、麗しい玉肌。

 ――その常識にない美しさが、かえって人形のような無機質さを後押しする。



 円の美しい造形を眺めて、教祖は呟いた。


「よくできた擬態だ」


 返事はない。

 だが、その代わりにハイライトのない瞳がわずかに動き、教祖の顔に焦点が合った。


 その様子を横目に見た教祖は、右腕を自身のローブの下に入れて、何かを探すかのようにゴソゴソと動かす。

 目的のものはすぐに見つかったらしく、腰の右あたりから奇妙な金属音と共に何かを抜き出した。


「これが何か分かるか」


 取り出した物を円の目の前に掲げて、教祖は円にそう問いかける。


 先程と同じく、返事はない。

 あるのは、教祖が取り出したものを、生きる気力を無くしたような呆然とした表情だけ。


 教祖が取り出したのは、一本の短剣だった。


 ただ、その刀身はまるで稲妻のように途中で二度も大きく曲がっており、とても戦いに使えるようには見えない。

 また、その材質も実に奇妙なもので、光を反射する金属光沢こそあるものの、まるで骨のような白い物質が使われていた。


「これは、数百年前、私の先祖が愚かしくも神の遺骨を削り、作り上げてしまった恐ろしいほどに罪深い短剣だ。そして、処刑用の刃でもある」


 教祖は語る。

 円の目の前にある短剣の歴史を。


「この短剣が使われたのは、長い歴史を辿ってみても三度しかない。一度目が、これを作り上げた先祖の処刑。二度目が、神の鞍替えを行おうとした愚かな罪人の処刑。三度目が、我らが神を嘲笑し、低俗なものとした、どうしようもない咎人の処刑だ」


「……」


「分かるか。この短剣は、偉大なる神の怒りを体現する時にだけ使われてきた。毎度毎度、必ず死刑囚の心の臓を貫き、その鼓動を止めてきたのだ」


「そう、ですか……」


 円が初めて返事をする。


 戦闘中にしたものとほとんど変わらない、全く興味のなさそうな平淡な返事。

 だが、その返事はとても弱々しく、どれだけ円が衰弱してるかがよく分かった。


 そんな円に、教祖は再び問いを投げかける。


「奉仕者、貴様は心の臓とは何だと考える」


「さ、あ……血液、を送りだすため、の、臓器、で、は?」


「その通り。心臓は血液を体中に送り出すための器官だ。そして、貴様は血液とは何だと考える」


「酸素を、運ぶため、の……赤血球の集合体、です」


「あぁ、よく分かっているではないか。血液は体中に酸素を運ぶもの。つまり、呼吸を必要とするあまねく生物の生命線だ」


 この会話に何の意味があるのか、と言いたげな視線を、円が教祖に向ける。

 それに気づきながらも、教祖は会話をやめることはない。


 その態度は、暗に円に「すぐに分かる」という返事をしているようにも見えた。


「生物の生命線たる血液と、それに流れを生み、体中に送り届けるための心臓。心臓が止まれば血液の流れが止まり、生命線は切れてなくなる。それすなわち、心臓が命の源泉であり原動力であるということだ」


「……そうです、ね」


「お前も賛同するか。それでは、こうは考えられないか?」


 教祖が休憩するかのように、あるいはもったいぶるかのようにして、一息つく。

 それに対して、円は興味がなさそうな態度をしながらも、しっかりと耳を傾けていた。


「――心臓を貫くという行為は、生命の源を止めるという行為だと」


「……!!」


 その言葉を聞いた瞬間、円が焦った表情を浮かべて、触手から逃れようとしてバタバタと暴れる。

 だが、がっしりと固く円に巻き付いた触手は簡単に円を離さない。


「無理だ。勝敗は既に決しており、貴様は既に詰んでいる。この短剣から逃れることは叶わない」


 そんな円を見ながら、教祖は冷笑を浮かべてそう言う。

 そして、短剣の刃に指を這わせながら、さらに言葉を続けた。


「先ほども言ったが、この短剣は必ず罪人の心臓を貫いてきた。そして、これが示すのはこの『短剣』という概念の定義が、『この刃が貫くのは、必ず心臓でなくてはならない』というものであるということだ」


「……やめ――うぁあッ!」


 円が何かを叫ぼうとするが、円の拘束に参加していなかった教祖の触手が、「話の邪魔をするな」とばかりに円の頬を殴る。

 そんな様子の円に反して教祖は、それを気にも留めていないかのように話を続けた。


「この定義は、実体を持ち、心臓の場所が確定している生物に対しては一切意味がないものだ。しかし、相手が非実体の生物となってくると話が違ってくる。非実体の生物は心臓がないからな。逆に、『この短剣が刺さる場所こそが、その生物の心臓である』と定義することができるわけだ」


 教祖が逆手持ちに短剣を構えた。

 そして刃の先を円に向ける。


「もう分かったな? これこそは貴様を終わらせる魔術だ。『突き刺さる場所が強制的に心臓になる』短剣で、貴様の『生命の源流である』心臓を貫く。実体を持たない貴様であっても、流石にお前を保つための血液の代わりくらいはあるだろう?」


 正解だ。

 確かに円には血液はないが、自身を燃やし続けるために必要な、魔力という生命線がある。

 だから、確かにあの短剣が円に刺さってしまえば、それは本当に円の死につながる。


 短剣から逃げるべく円は暴れるが、やはり触手が円を離さない。

 そして、教祖側の余裕でも示すためか、ご丁寧に人であれば心臓があるはずの、円の左胸部分にだけ剣を刺すための隙間を作った。


「別に当てるだけで殺せるが、せっかく人の形をしているのだ。本来心臓のある部分に心臓を作り、人間にしてやろう!」


 教祖が迫る。

 一歩一歩、確実に。

 円を殺すべく、短剣を向けて確実に。


 最後の最後まで生存のチャンスを探って、円は触手を振り払おうと暴れ続ける。

 だが、それを触手が許すはずもなく――



「……あ」



 教祖の短剣は、グサリ、と円の胸に突き刺さった。













 ◇◆◇◆◇◆◇













「……終わったか」


 がくりと頭を下げて動かなくなった円を瞳に映して、教祖はポツリとそう呟く。

 割れた外殻から猛っていた炎は勢いをなくし、外殻の内部へ引っ込んでしまって久しい。


 別にあのまま触手で嬲り殺しにしても良かったのだが、生物としての特性などで逃げられてしまう可能性があった。

 だから、魔術を使って確実に殺したのだ。


 後ろからは信者たちの歓声。


 ――流石は教祖様。

 ――教祖様がいれば安泰だ。

 ――嗚呼、私たちの救世主。


 そんな掛け値なしの賞賛が、教祖に降り注ぐ。

 勝利の美酒の味と、信者達からの喝采に笑みを浮かべた教祖は円を地面に向けて投げ捨てると、いざ英雄の凱旋だ、とばかりに信者の下へ歩いていく。



 興奮しており、体が暑い。

 ――戦闘で激しく、動いたからだろう。


 体が火照って、汗をかく。

 ――信者たちの賞賛で、興奮してしまったか。


 汗がまるで、滝のように流れている。

 ――本当にそれだけか? これは、まるで……


 ――体が燃えているような。



 そして、円の残骸が地面に落ちたその瞬間。

 杯から溢れてしまったかのようにして、灼熱の炎が教祖の体を内側から突き破ったのだ。

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