Ep.1 - とある料理人のハプニング
――2014年8月10日。
『昨日の夜9時36分、××県赤萩町付近の山岳に隕石が落下しました。大規模な爆発が発生しましたが、幸いにも被害範囲は山の中腹に集中しており被害者は確認されていない、とのことです。また、専門家によると――』
「おー、やっぱすごいのが降ってきたんだなあ」
今丁度テレビで名前が挙がったばかりの町、赤萩長にあるとある小規模な料理店。
カウンター席に座った白いワイシャツ姿の恰幅のいい中年の男性が、食事の手を止めてしげしげと食堂の片隅に設置されたテレビを見ながらそう呟いた。
そして、中年男性のその言葉にそのすぐ隣に座った若い男性と、もう一人の男性が反応を示す。
「いやー、昨日はびっくりしましたよね。外から突然すごい音がするんだもん、僕びっくりしてまとめてた書類ぶちまけちゃいましたよ」
「本当にな。俺はそんなへまはせずに済んだが、何事かと思っておもわず仕事をほっぽって外まで様子を確認しに行っちまった」
「いやいや、それが普通ですよ先輩。あの時は会社の中に居た人のほとんど人が外を見に行ってたじゃないっすか。むしろ、あんなことが起きてもずっと仕事してた課長がおかしいっす」
「お、言ってくれるなぁ」
そこから皮切りに始まる三人の社会人たちの会話。
節度を守って面白おかしく。昨日隕石が落ちてきたときのことを話し始める。
「そういや藤広さんは何してたんすか? 昨日の隕石が落ちてきたとき」
「んあ? 俺ですか?」
そうやって会話の始まりとなった中年の男性に話を振られたのは男の名前は藤広祐介。
ツンツンと尖った髪の上にコック帽をかぶった、高身長でガタイのいい男である。
突然話しかけられた藤広は驚いた様子でカウンター席に顔を向けるが、しかし料理をする手は決して止めない。
慣れた手つきで他の客から注文された野菜炒めの調理を続けながら、中年男性に返事をする。
「実は俺、隕石落下の瞬間をこの目で見たんですよ。ありゃあすごかった」
「マジっすか! いいなぁ、僕も見たかったなぁ」
若い男性に高校生さながらのキラキラした目でそう羨ましがられて、藤広は丁度空いていた左手で頭をガリガリと掻きながら苦笑する。
「いやぁ、そんなものいいものじゃないですよ。音もすごかったですが、それ以上に風と砂ボコリがすごいのなんの。おかげで買ってきた食材に俺の服、全部土まみれになっちゃいましたよ」
「あー、確かにそれは面倒だなぁ。そう考えると会社の中にいた俺らはマシだったのか?」
「僕は多少は汚れてでも見る価値があると思いますよ。隕石が落下する瞬間なんて、一生に一回見れるかどうかの超珍しい光景じゃないですか!」
「そろそろ喋るためじゃなくて食べるために口を動かしたらどうだい。じゃないと休憩が終わってしまうぞぉ」
熱くなり話の方に集中し始めた若い男性を途中から話を聞くだけに努めていた中年男性がそう言って若い男性を宥める。
宥められた若い男性はハッとした様子で自分の腕時計を見ると、「ヤバい!」とだけ叫んで急いで目の前にあるカレーを食べ始めた。
そんな個性豊かな3人のサラリーマンの様子を横目に見ながら、藤広は食材を取ろうと厨房の冷蔵庫の扉を開ける。そして、少しの間冷蔵庫の中を漁り、顔を顰めた。
「……しまった」
小さく舌打ちをして昨日の自分を恨む。
どうやら卵を買い忘れていたらしい。
何度見ても、冷蔵庫の中の卵ケースに入った数個しかない。勿論パックの中から出し忘れた、なんてこともない。
この数では節約すれば昼のピークは乗り越えられるだろうが、それでもギリギリだ。
別に卵を使い切ってしまったら卵を使う料理を品切れにでもすればいいのだが、幸いなことにこの山場を乗り越えてしまえばしばらくの間は客が来ない。その内に急ぎで仕入れてしまえばいい。
そこまで考えればもう卵に関してはそれ以上悩む必要はない。
卵の残り数に注意しながらいつも通り頼まれた料理を作って客に出し、食べてもらうって代金を受け取るだけだ。
料理人として個人で店を経営し始めてからもうじき二年、このくらいの窮地乗り越えて見せよう。
そう意気込んだ藤広は卵のことは一旦頭の隅に置いて、厨房で調理を再開した。
◇◆◇◆◇◆◇
「まずい……!」
コックとしての白い服装のまま、卵のパックが大量に入った白いエコバックを抱えて走る藤広。
いつもであれば服装を変えるくらいの時間はあるのだが、今日は偶然にも客の入りが良く、最後の客が店を去った時にはかなり遅い時間になってしまった。
そのお陰で着替える時間が無くなってしまったのだ。
終始藤広は卵の残り数を気にしてヒヤヒヤしていたが、最終的にはどうにかギリギリ卵が切れて品切れ、なんてことにはならなかった。
いや、本当は卵は途中で切れてしまったのだが、それ以降幸運にも卵を使った料理を頼む客が居なかったので、品切れという言葉を口にする必要がなかっただけである。
まさか、客の入りがいいことに対して、喜び以外の感情を抱く日が来るとは思っていなかった。
しかし着替えずにコック衣装のまま出てきてしまったのは間違いだった。
元々走ることを考えていない服装ということもあり、とにかく走りにくいし、なによりも清潔に保つべきである調理用の服が汚れてしまう。
これなら少しの時間をかけてでも、走りやすい格好に着替えていた方が絶対に良かった。
そんなことを考えながら、藤広はいつもならば絶対に通らないような狭い裏道を走る。
『急がば回れ』という言葉があるが、行きでそれを実行した結果、藤広に残されたタイムリミットはただ単に走っただけではとても間に合わない、というくらいにまで減ってしまった。
また客が入り始める時間までに帰るためには、もう普段通らない道を通ってでも残された時間を節約しなければならないのである。
路地を出れば、いつもスーパーの行き帰りで通る大通りにまで繋がる小道だ。
が、藤広はいつもの大通りに繋がる方には目もくれず、それどころか逆の方向に向かって突っ走る。
そっちにある路地裏を使った方が店までの距離が微妙に近いのだ。
正直色々ゴミが落ちていて不衛生なので、こんな道は通りたくはないのだが、店に早く帰ることを考えればそれくらいは割り切らなければならない。
背に腹は代えられない、というやつである。
その後もたまに大通りに出たりながらも、小道と裏道を行ったり来たりして藤広はまるで町の隙間を縫うように、着実と自分の経営する料理店へと近づいていく。
そして次の裏路地に入れば半分の道のりは完走、となったその時。
「……!」
今入ろうとしたばかりの路地裏に髪を染めたりパンクな恰好をしたりして、明らかに「俺ら(アタシら)不良です」とでも言いたげな見た目の若者たちが、十人ほど群がっているのを見つけた。
このままこの道を突き進んでいけば、確実にあの不良達に絡まれて時間を浪費する。
そう考えた藤広は迷わず違う道を選ぼうとして引き返そうとし――その前に聞こえてきた声に足を止めた。
「さっきから同じことばっかり言いやがって。どうやら本気で痛い目を見テェみたいだな」
「やっちゃってよリーダー! その生意気な顔に世の中の辛さってやつを教えてあげちゃって!」
声を荒げて脅す男の声と、その状況を楽しむような声色の女の声。
誰かがあの不良の群れに絡まれているのは明らかである。しかも、声色的に男はかなり怒っているようだ。
それにそんな不良達への返答が全く聞こえないことから、絡まれているのは一人か、そうじゃないとしても少数人。
あれだけの人数に同時に集られれば、どんな人物でも負けは確実。ひどい目に遭うだろう。
しかし、そんなことになるのは赤の他人。藤広には何の関係もない人物だ。
タイムリミットも迫っていることだし、合理的に考えればさっさと無視して違う近道を探した方がいいだろう。
が、藤広はそんな合理的かつ冷酷な判断を瞬時に下せるような人間ではなかった。
善性を持つ人ならばすぐに脳裏に浮かぶ、助けなければ、という選択肢。そして藤広もそういった類の人間である。
しかしタイムリミットが迫っているのも事実。
ここで今不良達に絡まれている人物を助けよう、とあの若者の群れに突撃していけば確実に客が入り始める時間には間に合わなくなるだろう。
『CLOSED』の看板も掛けていないのに、店の中に入って誰もいなければ客からの評判は多少なりとも落ちてしまう。
一時のちっぽけな正義感を優先するか、今まで努力して稼いできた客からの信頼を優先するか。
藤広の頭の中で二つの選択肢をかけた天秤が、激しく左右に傾いてを繰り返す。
一時間にも感じる一瞬の長くも短い熟考の末、最終的に藤広が選んだのは――
「ちょっとちょっと、何してるんだよ君たち!」
まぁ、本当のことを言えば最初から答えは決まっているようなものだった。
昔から正義感が強かった藤広にとって、多少悩んでも一瞬で判断がつくくらいには、最初から心の奥底では彼の取る行動は決まっていたのである。