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Ep.16 - 潜入

 魔術を起動すると、重力から開放されたような、ふわっとした浮遊感が円を襲う。


 宇宙空間を漂うようにしてふわふわと移動しながら、目を開いた円は先程まで座っていたブランコを見た。

 そこには、目を閉じながら俯いて、微動だにしない自分の姿がある。


 ――どうやら成功したようだ。


 残してきた外側の自分を確認して、魔術の成功を確信した円は、次に藤広の料理店がある方向へと視線を向けた。

 軽く空を飛んでいる状態だからこそ分かるが、料理店には今も黄色いテープが張り巡らされており、同じ服を着た警官たちが(せわ)しなく出入りしている。


 くるり、と空中で捻るようにして体を回転させ、円は料理店のある方向に正面から向き直る。

 そして、次は体をピンと伸ばして前屈みになり、真っ直ぐに空中を進み始めた。


 途中に電柱などの障害物があっても、お構いなしに突き進み、そのまま全てすり抜けて直進していく。

 まるで幽霊になってしまったか、幽体離脱をしたかのようである。




 直線距離という名の最短距離を選んだ円は、公園から藤広の店まで一分足らずでたどり着く。

 遠目からも見た通り、料理店には今も警察官が(たむろ)しており、現場検証を繰り返していた。


 と、そこに見覚えのある男の警官が。

 何を隠そう、円を料理店から追い出してくれやがった、忌々しき警官である。


 男警官は暇そうな顔つきで首を回して、不審者や現場に入ってこようとする者がいないか見回しているが、円に気づく様子は欠片もない。

 そして立ったまま、眠たそうに大きな欠伸をして見せた。


 この幽体離脱での移動にも慣れてきた円は、先程の腹いせに男警官に体当たりをかました。

 だが、その願いは叶わない。

 円の体は男警官に当たることはなく、今までの障害物と同じようにそのまま通り抜けてしまう。


 体当たりの勢いで体の半分が地面に埋まってしまった円は、仕返しが出来なかったことに少し不機嫌そうな顔を浮かべる。

 が、次の瞬間には、自分は何をしているんだ、と自分の行動を思い返して顔を顰めた。


 やはりここ最近、本当に無意味なことをすることが多くなった。

 つい衝動的にやってしまうことなのだが、毎回後々から考え直すと、自分のことながら本当に意味が分からない行動で、つい考え込んでしまう。


 ――これも、感情によるものなのだろうか。


 ふとそう思うと、感情を知る機会を与えてくれた一人の料理人の顔が脳裏に思い浮かんだ。

 それでようやくここに来た目的を思い出した円は、ハッとした顔つきで急いで料理店の壁をすり抜けていった。




 壁抜けをした先では、やはりというべきか数人の警察官が現場検証をしていた。

 客席がある方は円が最後に見たときとあまり大差はないのだが、逆にキッチンの様子は少々変わっていた。


 床には数字やアルファベットなどが書かれた小さな標識がところどころに置かれており、幾人かの警察がその様子を写真に残している。

 また、壁や床にべっとりとついた血痕の付近で背を屈めて、血液を採取している警官もいた。


 円は海を泳ぐ魚のような動きで宙を動き回り、警察と同じように自分もこの藤広が刺された現場を、注意深く見て回る。

 それと同時に警察官たちの会話に聞き耳を立てて、そこからも情報を得ようとするのも忘れない。


「ガラスに血痕とか残ってた?」


「残念ながら全く。外に落ちたのも含めて、割れたガラス全てを調べましたがそのどれにも」


「刺した後に窓ガラスを割って二階から逃亡か……まさか現実でこんなドラマみたいな逃げ方をするやつがいるとはなぁ」


 外から帰って来たらしい婦警と、警官の会話。

 どうやら、藤広を刺した男は二回の窓を割って逃げたらしい。随分とアグレッシブだ。


「そういえば、周辺の聞き込みはどうでしたか? 聞いたところ、犯人の服装からして見ている人は多そうですが」


「そう思うだろ? 俺も思ったよ。でも手がかり全くなし。ローブを着た人物を見た人なんて、人っ子一人いなかった。見たのは店内で刺される現場を、直接その目で見てた人だけだよ」


「では、どこかでローブを脱いだのでは?」


「俺もそう思ってここら周辺を探してみたんだが、そんなローブは見当たらなかった。もうどこに逃げたのかまるで分からないな」


 二人の会話を盗み聞きながら、円が犯人の情報を集めていると、そこで一人の警察官がコツコツと足音を立てながら、階段を使って二階から降りてきた。

 外で聞き込みをしていたらしい男の警官がその人物に話しかける。


「何かあったか?」


「いえ、特に決定的なものはありませんでした。ただ、上の階の部屋は全部荒らされていたんですけど、特に荒らし具合が酷かったのは被害者の方の個室でしたね。何かあるかもしれません」


「なるほどな。そう見ると、容疑者の動機は被害者の持っていた何かを奪うため、辺りになるのかもしれないな」


「もしそうなら、犯人は被害者が目的の品を持っていることを知っていた、ということにもなりますね。犯人は被害者と関係のある人物かもしれません」


「後で被害者の人間関係を洗いざらい調べてみるか。なにか手がかりが得られるかもしれない」


 その会話を聞いていた円は、チラリと天井を見上げた。

 藤広の部屋は丁度キッチンの真上にある。


 そろそろ他の部屋を調査するべきかもしれない。


 そもそも円は、遠野の犯人が何かを探している様子で二階へ走っていった、という話を聞いてここに来たのだ。

 一応何か手がかりは無いかと思って、藤広が刺された現場を見て回っていたが、知れたのは犯人が警察からうまく逃げおおせた、ということだけである。


 ――もうこのキッチンで得られる手がかりは無いだろう。


 そう考えた円は、階段のある方に向かって素早い動きで飛んでいき、そのまま二階へと上がっていった。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 店の二階、つまり藤広と円の居住区を見て回った円は、藤広の部屋の扉の前で止まっていた。


 他の部屋も全て見て回ってきたのだが、そのどれもが犯人の手で荒らされていた。

 主に、棚の中身が盛大に地面に投げ捨てられていたり、一部の家具が倒れていたり、だ。


 その中には自分が暮らしていた部屋もあったのだが、元々空き部屋だった上に、円には自分の部屋を飾る趣味など毛頭なかったので、荒らされていたのは床に無造作に置かれ、畳まれた布団だけだった。

 それでも、その光景を見たときに、チクチクと心に棘が刺さるような感覚はあったが。


 あと見ていないのは、この藤広の部屋だけだ。

 生憎と円には他人の部屋に勝手に入って、申し訳無さを覚えるような精神構造は存在しないので、藤広の部屋に入ること自体には特に反抗もなかった。


 だが、先程からこの部屋の前を通ると、妙に悪い予感がする。

 円の炎の吸血鬼としての本能が、この部屋になにか危険な物があると告げているのだ。


 しかし裏を返せば、こんな予感がするのだから、ここに何かしらがあることは間違いない。

 そう考えた円は、十数秒悩んだ後に、意を決して扉を開く。


 そうして円の目に入ってきたのは、荒らしに荒らされた藤広の私室だった。

 他の部屋も荒らされていたが、藤広の部屋の荒らされ具合とはそのどれとも比べられない程に酷い。


 恐らく藤広を刺した後の刃物で切ったのだろう。

 ベッドのシーツはズタズタに切り裂かれており、それと同時に切り筋には赤い血が付着している。


 他にも、壁際に設置された本棚からは大小様々な本がなだれ出ていて、床に散らばった本が足場を塞いでいる。

 藤広の私服などが収納されたクローゼットも上記二つと同様で、木製の扉は乱雑に破壊され、一部の服は切り裂かれたり、地面に落ちたりしていた。

 また、この部屋に唯一ある窓は砕け散っており、ベッドと同様にボロボロになったカーテンを揺らしながら、部屋に新鮮な空気と風を運び入れていた。


 他にも、藤広の部屋にあった家具は全てボロボロに傷つけられている。


 見るも無惨になった藤広の私室の中を、円は注意深く見て回る。


 ボロボロになってしまったそれぞれの家具に隠されたものはないか、犯人が残していった証拠はないか。

 どれほど小さなものであろうが見逃さなないように、円は部屋の中を飛び回って、それぞれの家具を重点的に時間をかけて調べていった。






 部屋にある家具の半分を調べ終えたところだろうか。


 突然、ゴトン、と重たいものが落ちたような音がした。


 何事か、と円は物音がした方向を反射的に振り返る。

 振り返ってみても、そこにはほとんど変わりの無い、犯人に荒らされてボロボロになってしまった藤広の部屋。


 ほとんど変わりの無い藤広の部屋だ。

 そう、ほとんど。


 一つ、今まで無かったものが部屋の中心に佇んでいた。


 それは白い金属製の、電子レンジ程の大きさの箱だった。

 また、その直方体の一側面にはダイヤル式の鍵が装着された開き戸があり、同時にその箱は開き戸のある側面を円に向けていた。


 一般的に言うならば、それは金庫というものだ。


 その金庫を見つけた円は、まるで蛇に睨まれた蛙のように動きを止め、緊張感のある顔でじっと金庫を見つめる。

 いや、見つめるのではなく、見つめなければならないのだ。

 円は金庫から目が離せなくなっていた。


 円の本能がけたたましく、体全体に緊急事態を知らせるベルを鳴らす。

 あれから目を離してはいけない、自分の持ちうる全ての意識を割かねばならない、と円の本能がワンワンと犬のように吼え立てる。




 ――カチリ、と。


 小気味の良い小さな音が、静かな部屋の中に不気味に響いた。

 そして、等間隔でカチリ、カチリと同じ音が部屋の中で繰り返される。


 同時に、その音の発生源を最初から見つけていた円は、その発生源を注視していた。


 円の視線の先にはやはり、白い金庫がある。


 誰も触っていないというのに、ダイヤルが勝手に動き、その度にカチリという音を部屋に木霊させているのだ。


 カチリ。

 ――その小さな音が響く度に、鼓膜が感じ取る音の大きさが増していく。


 カチリ。

 ――その小さな音が響く度に、産毛に至るまで全ての毛が逆立っていく。


 カチリ。

 ――その小さな音が響く度に、周りがいたく静かになっていく。




 ――カチャリ。


 数十回も同じ音を鳴らした後に、金庫は今までとは一際違う、何かが噛み合ったような音を立てた。

 それと同時に、金庫は自身のダイヤルを回すのをやめた。


 恐ろしいものが一歩後ろまで来ているような焦燥感と緊張感を、円は感じ取る。


 嫌な汗がダラダラと、肌を滴る。

 体力なんて無いのに、息が荒くなる。

 心臓の音が爆発しそうな大きさで、耳に轟く。


 ツーと、冷や汗が円の背筋を通った。


 そしてギィィ、と嫌な金属音を立てながら、金庫の扉はゆっくりと開いてその中身を曝け出した――





 ◇◆◇◆◇◆◇





 円が居なくなったキッチンで、三人の警察官が集まって話し合いをしていた。


 その中で、一人の警官が思い出したかのように、突然「あ」と呟いた。

 それを聞き取った婦警が「どうしたんですか?」と、その警官に話しかける。


「いえ、被害者の部屋に金庫があったことを思い出して」


「金庫、ですか?」


「はい、四角くて白い金庫でした。それと、見た感じダイヤルが結構な数あったので、かなり厳重なタイプですね」


 二人の会話を黙って聞いていたもう一人の警官は、ふと何かに気づいたかのようにニヤリと笑みを浮かべた。


「あぁ、なるほど。そういうことか」


「そういうこと、とは?」


 意味深に独り言を漏らした警官に、婦警がそれがどういう意味なのかを尋ねる。

 そして、笑みを浮かべたままの警官は、そのまま最初に発言した警官に向かって、答え合わせをするかのような口調で話し始めた。


「いや、なに。お前はその金庫が怪しいって思ったんだろ? 犯人は何かを奪うためにこの殺傷事件を起こしたんじゃないか、って話がさっき出たばっかだもんな」


「ご明察、そのとおりです。許可が取れれば、後で開けてみるのも――」



 その瞬間、突然背筋が凍る用な悪寒が三人を襲った。



 次点、急激に体が重くなって息が苦しくなり、爆発的に心臓の鼓動が増す。

 その時、三人は何が起こっているのか全く理解できなかったが、その中でも唯一、本能的に理解した感覚があった。


 触れただけで、自分の魂すら塗り替えられてしまいそうなほどの、邪悪な気配。

 自分がいかに矮小な存在であり、彼の者の偉大さを直感できてしまうほどの、圧倒される神秘性。

 そして、此世(このよ)(ことごとく)くを否定するかのような、冒涜的な存在感。



 一拍。



 婦警が甲高い叫び声を上げて、何かから逃れるように店の外に向かって、必死に走り始める。


 残った二人の内、一人は腰を抜かして床に座り込み、次の瞬間狂ったように虚空を指さして笑い始めた。


 もう一人は、ただ立ち尽くしていた。

 次第に視界がぼやけていき、知るはずのない光景を幻視する。




 深く深く、海の底に沈んだ巨大都市。

 気色の悪い緑色で、ドロドロとした腐ったような液体を纏う石材で構成された、奇妙な建造物群。

 エラとヒレを持ち、幽鬼のような青白い肌をして、巨大な眼球が丸出しになった――おそらく瞼が存在しないのだろう――インスマス面(魚のような顔)の冒涜的な住民が行き来する大通り。


 そこにいた三人の中で特に神秘への感受性が強かったその警察官は、最後に『それ』の叫びを聞き届けた。




 低く、低く。

 重く、重く。




 南緯47度9分、西経126度43分。

 その海底にある古代都市にて眠る大いなる者の、その神秘に満ちた邪悪なる呼び声を。

ミスって消したので上げなおし。

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