Ep.14 - 隠された世界の法
カフェにて遠野から聞けた犯人の特徴は、あまり多くはなかった。
まず、現代ではあまり見ない、ファンタジーの世界から抜け出してきたかのような古風のローブを着ていたこと。
そして、肩幅や体格からして男性だったこと。
最後に、犯人は藤広を刺した後、何かを探すかのように上の階へ上がっていったこと。
上記の三つの中で、円が目をつけたのは最後の犯人が何かを探していたかのように見えた、という情報だ。
他の二つは正直に言うと当てにならない。
ローブを着ていたという情報はそれを脱がれただけで機能しなくなる。
また、男性だったと言っても、身長や肩幅などの詳細な情報が全くないので、その情報一つを元に犯人を探し出すのは現実的ではない。
途方のない時間がかかるだろうし、もし探し出せたとしてもその時には他の街へ逃げているかもしれない。
だがその二つに対し、残り一つの何かを探していた、という情報はかなり役立つものだ。
何を探していたか分かれば、それだけで犯人を探すための手がかりになる。
また、それが特徴的であり容易に得難いものならば、そういったものがありそうな場所は限られてくるだろう。
犯人が来そうな場所で張ったり、その品物を餌にして犯人をおびき寄せることだってできるかもしれない。
そう考えて、円は犯人が何を探していたのかを知るために、遠野と宮野と別れて一人で藤広の料理店に戻ってきたのだが――
「……困りました」
珍しく不機嫌そうな顔をしながら道端に座り、円が不満の言葉を漏らす。
その瞳には、黄色いテープが張り巡らされて入れなくなり、今も警察が屯している藤広の料理店が映っていた。
円が藤広の料理店に戻ってきたときには既に警察が到着していて、事件の捜査を開始していたのだ。
専門的な知識のない円は詳しいことは分からないが、きっと彼ら彼女らも藤広を刺した犯人を追っているのだろう。
ならば仲間だ、と思って円も入ろうとしたのだが、追い出されてしまった。
円が料理店に入るのを止めた警官によると、円が被害者の関係者である証拠がないから、らしい。
円は自分は藤広の関係者だ、と何度も訴えたのだが、証拠がない証拠がない、と同じことを言ってその警官は聞く耳を持たなかった。
円は考える。
人間というのは、なんと頭の固い生き物なのだろう、と。
そして、なぜ他人の言葉を信じようとしないのだろう、と。
円が初めて藤広と出会った日の若い人間たちだってそうだ。
円はお金を持っていないことをずっと主張していたのに、一切信じようとしなかった。
円を追い出した警察には「一般人に勝手に入られて事件現場を荒らされたくない」というちゃんとした理由はあるし、当然の応酬なのだが、そんなこと円は知らないし、関係ない。
不快なものは不快。
何も円のことを理解しようとしない警察官に、チクチクとした敵意を持ってしまう。思わずあの警察官に悪態をついてしまいそうだ。
だが、こんなことで諦める円ではない。
ここで警察が捜査をやめるのを待っていては日が暮れてしまうだろう。
それに円の求めている犯人が探していたものが残っていた場合、それを見つけた警察に持っていかれるかもしれない。
それは、困る。
幸い、やり方はいくらでもある。
円の特殊性と、母体から受け継いだ知識を活用すれば、警察の目を掻い潜って独自に事件現場の調査をするのなんて朝飯前だ。
目を閉じ、円は数ある中で、どの方法を用いて警察たちを欺くか考え始める。
それから数秒、考えがまとまったのか立ち上がり、藤広の料理店とは反対の方向に歩み始めた。
行き先は、よく子供たちの溜まり場になっている小さな公園である。
◇◆◇◆◇◆◇
魔術とは、何か。
――何もない無の空間から炎や水、雷を生み出す万能の技術。
――無条件にものを浮かせたり、人の思考を操ったりする恐ろしい技術。
――いい? レヴィオーサよ、あなたのはレヴィオサー。
きっと答える人によって思い浮かべるものは様々だろう。
それに、例え同じように聞こえる答えであったとしても、その根底にあるイメージは全く違うものの可能性すらある。
何故そこまで違いが出てくるのか。
それは万人にとって、魔術というものは完全に未知の技術であり、同時に空想の御伽噺に過ぎないからだ。
実在すらも危ぶまれるものの実態など、所詮それぞれの人の推測でしかない。
だが、魔術というのは確かにこの世に存在する。
その存在を世界から完全に隠蔽されており、それの技術知識を持つ者から教えを乞わない限り知る機会はないが、確実に存在しているのだ。
では、もう一度問い直そう。
魔術とは、何か。
無から有を生み出す万能か?
簡単に人に害をなす恐ろしきものか?
半分正解、半分間違いだ。
確かに万能ではあるが、無から有を生み出すものではない。
確かに恐ろしい物ではあるが、簡単に行使できるものではない。
その実態は、概念を定義付け、それに魔力を使って接合と切断、拡大と縮小を繰り返し、この世の因果律を操作し捻じ曲げる世界の法。
恐らく何を言っているのかさっぱり分からないと思うので、簡単にリンゴで例えよう。
リンゴは小さな存在ながら、沢山の概念を内包している。
全てのリンゴが保有している物だと、『植物』『果実』『実体』など。
逆に個々によって変わってくる物だと、『腐食』『生命』『赤色』辺りだろうか。
そして、魔術はこういった概念に、もっと詳しく言えば概念に付随する魔力に作用する。
魔力とはそれぞれの概念が持つ、他の概念との接着力。
先ほどのリンゴで例えれば、概念『植物』は『種子』『樹木』『光合成』といった概念と明確なパス――概念と概念を繋ぐ糸、もしくは道のようなもの――を持ち、繋がっている。
また、完全に繋がっているわけではないが、『生体』『実体』『被食者』などの概念とのパスも保持している。
そういった他の概念とのパスの強さと数を、魔力と称すのだ。
だが、こういった概念が元より持つ魔力を利用して魔術を使用することは出来ない。
なぜなら、一つの概念が持つ魔力はその概念がその概念であるための必要最低限の量だけであり、少しでも消費してしまえば簡単に崩壊してしまうためだ。
崩壊自体は自然的かつ瞬時に修復されるが、概念自体の持つ魔力を利用できないことには変わりはない。
では、どの魔力を使用するのか、というとそれは魔術を扱う本人の魔力である。
この世に存在するありとあらゆる物質及び生物は、ある程度の余分な魔力を保有している。
例外も存在するが、基本的に物質よりも生物の方が保有する余分な魔力は多く、また同じ種類の物質と生物でも、それぞれによって保有する余分魔力の量には差がある。
これには他の世界の理が関わってくるのだが、それは今は省略しよう。
そして、魔術はこういった魔力を用いて、概念の明確ではないが保有はしているパスを完全に開いたり、新規のパスを創造したりするのだ。
だが、新規のパスを作り出すのは神のような膨大な魔力を保有する存在でもない限り不可能なため、基本的に魔術では前者を利用する。
また、この際に概念には定義が付けられる行われることが多い。
定義とは、いわば概念の説明のようなものである。
例えば、『植物』なら『光合成を行うもの』『葉緑体を保有するもの』『実体を保有するもの』などである。
こういった定義の中から他の概念の定義と関係する要素を見出す。
もしくは定義そのものを概念と扱って内容を改変し、それらの概念が同義であるとすることで、それらの概念の間に一時的にパスが開かれる。
そして、開いたパスに魔力を注入してそのパスをより強固なものとすることで、初めて魔術は成立して現実世界に影響を及ぼすのだ。
もう一度リンゴで例えると、『実体』から『体積の超圧縮による爆発』という結果を引き起こしたり、『植物』から『他の同類植物との位置交換及び転移』などの結果を引き起こすことができる。
また、これらの概念から他の概念にさらにパスを伸ばすことで、全く違う結果を引き起こすことも可能である。
ただし、その分さらなる量の魔力が必要になるだろうが。
◇◆◇◆◇◆◇
平日の昼過ぎという時間帯のせいでほとんど誰もいない公園に到着した円は、少し風化してペンキが剥がれ、錆が見えてしまっているブランコに腰かけた。
背が低くて体の細い円であれば、ブランコに座る姿に違和感はほとんどない。むしろ、年相応の光景だ。
そして、座ったまま目を閉じ顔を俯けた円は、ブランコの代わりにこくりこくりと船を漕ぎ始めた。
そこで、誰にも勘づかれないように一言。
「魔術、展開」




