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Ep.9 - 暗闇の中で

 ――2014年8月17日。


 時計の短針はまだ3の数字を越えたばかり。

 世にも恐ろしい丑三つ時が終わってすぐだ。なんと神聖でありがたい時刻だろうか。

 神に感謝。今すぐにでも狂喜乱舞し祝福したいところである。


 まぁ、実際にこの時間の到来を泣いて喜ぶような人物は、全世界を見て回ったとしても絶対に見つかることは無いだろうが。



 そんな時間帯に、藤広の料理店の一階。正面の入り口とは真逆の場所にあるキッチンの中で、何かが蠢いていた。


 小学高学年か中学生のような、細く膨らみの少ない小さな体。

 腰まである長いツインテールに、暗闇の中でもよく目立つ朱色の髪。


 何を隠そう、どこぞの生ける炎の端末改め、樋之上円(ひのかみまどか)ちゃんである。


 妙にコソコソした動きで、ゴソゴソという音を立てながら円はキッチンの至るところを何かを探すように漁っていた。


「……あった」


 そして、調理台の下にある棚で目的の物を見つけたらしい。

 細い手を伸ばしてそれを掴み取ると、すぐ上にある調理台の上にそっと載せた。


 もっと前からこのキッチンの中を物色していたのだろう。調理台の上にはそれ以外にも様々な物が載せられていた。

 そして円はキッチンからまたもや違うものを持ってくる。


 カラン、というまるで刃物が置かれたような音が響く。

 ゴトン、というなにか重い物が置かれたような音が響く。


 他にも色々なものを調理台の上に置いては似た音をもう数度キッチンに響かせると、ようやく円が欲しかった物は揃ったらしい。

 キッチンを漁るのをやめて色々な物が並んだ調理台の前に立った。


 顔はいつも通りの無表情だが、逆に体の方は待ちきれないとそわそわしており、どこか浮足立った様子である。

 そして、下に垂らしていた両腕の肘から先を上に曲げて、それぞれの手で拳を作ると、ふん、と気合を入れるように鼻を鳴らした。


「調理開始、です」



 ◇◆◇◆◇◆◇



 ことの発端は円の内で起こった謎の反応Xだった。


 勿論、この謎の反応Xとは円が初めて料理を食べた時に発生した理解不能の反応――藤広は感情と呼んでいた――と同類のものである。


 それは、藤広が料理を作っているときにいつも起こる反応だ。初めて円が感じたのは11日――円がウェイトレスとして働き始めた日。

 調理の様子を見ていると、どうしても胸が高鳴り、目が離せなくなる。思考が妙に高揚し、体がそわそわと動いてしまう。

 なぜか、自分も調理をしてみたい、と考えてしまうのだ。


 全くもって意味不明だ。

 調理経験など全く無い円が料理を作るよりも、そんな円を遥かに超える経験と慣れを持つ藤広が料理を作る方が圧倒的に効率がいいというのに、それでも自分も作ってみたいと考えてしまうのだ。

 本当に非合理的である。


 だが、今回のこの反応では円は恐怖――あの袋小路に追い詰められていくような感覚に襲われることはなかった。

 なぜかというと、そもそも単純に円がその反応を謎の反応と考えていなかったためである。


 これに関して、円は自身の母体からの命令によって引き起こされる反応だと認識していた。

 円の使命は『人間の生態及び文化の調査』であり、円は自身の得た情報はすぐに母体に共有されるようにしている。

 そして、円は自身の内に起きるこの反応が『料理の情報を受け取った母体がさらなる情報を得るため、実際に自分でも作ってみろ』という命令を受け取ったことによるものだと考えていた。


 実際にそんな命令を受けた記憶は一切ないが。

 なんなら、ただ命令を受けただけなのに、なぜか発生している胸の高鳴りなどの反応に説明がつかないが。


 だが、きっとそうに違いないと円は自分に言い聞かせ、藤広が調理する様子を盗み見ながら如何にして料理を作るかを研究していたのである。


 ただし、それを始めてから六日後――丁度今日の深夜に、予想外の事態が発生した。

 円の中で溜め込まれた謎の反応X、仮称感情が爆発したのである。


 簡単に言うと、今まで我慢していたものを我慢できなくなったのである。


 本当のことを言えば円はもっと長い期間の研究を予定していたのだが、そのせいで円の研究計画はオジャンになった。


 勿論、円だって自身の欲求に対抗しようとしたのだ。

 が、結果は以下の通りである。


 まだ研究データが揃っていない。情報が足りなすぎる。

 ――六日間も続けたし大丈夫。きっとどうにかなる。それよりも早く作ろ?

 繊密な計画が必要だ。材料、調理法について考える必要がある。

 ――六日間も見てたし大丈夫。きっとどうにかなる。それよりも早く作ろ?

 いや、でも……確かに早くやりていけど、まだ……

 ――六日間も待ったんだよ? きっとどうにかなる。それよりも早く作ろ?


 ――つ・く・ろ?

 よし、やろう。


 自分の中に潜む悪魔の囁きに、円は鮮やかにも思える完璧な流れで敗北した。

 悪魔、つまり欲望という感情――もちろん円はそれが感情なんてさらさら思っていない――は、円にとってはあまりにも甘美で耐え難い感覚で、それに抵抗することなんて出来なかったのだ。


 人が誘惑に勝ち難いのと同じである。

 それを今までそういった物を感じことがなかった円が耐えれるわけがない。むしろ、よくぞ六日間も我慢したものだと褒めたいくらいだ。






 そして、現在に至るわけだが。


「……なぜ?」


 円は早速つまずいていた。

 コンロのツマミが回せない。


 いつも藤広がやるように勢いよく左に回そうとしてみても、ロックが掛かっているのか、全く動かないのだ。

 別に回すだけならゴリ押しで行けるが、さすがの円もそんなことをすればこの調理機器が壊れてしまうのは分かるので、実行には移さない。


 本来、コンロのツマミを回すためには一度ツマミを押し込まないといけないのだが、円はそれをやらずにツマミを回そうとしていた。

 回せるはずがない。


 6日間も藤広を観察していてこのザマか、と思うかもしれないが、これは仕方ないことなのである。

 円がこういった機械の知識が少ないことも原因の一つだが、一番の原因は藤広にある。


 二年間も料理し続けているだけあり、藤広はツマミを回す動きに慣れすぎている。

 その技術は既に神業の域にまで至っており、ツマミを押し込む工程そのものがあまりにも自然すぎて、そもそもやったことを他人に気づかせないのだ。

 そんな物を円が気づけるはずがない。


「……仕方ありませんね」


 円はコンロを起動させることを諦めた。

 かわりに、コンロの上に載せていた四角いフライパンを持ち上げ、自分の左手の上に置く。


 次の瞬間、まるで内側から破れるようにして円の左手から炎が吹き出し、瞬く間に燃え始めた。

 否、正確には左手が炎に変わった。


 円は炎の吸血鬼と呼ばれる炎を存在の軸としている生物だ。

 そして、自身を構成する炎の勢いはある程度の範囲でなら自由自在であり、自身の手をコンロ代わりにするなんて簡単なことである。

 むしろ、自身で好きに温度を調節できる分、コンロよりも便利かもしれない。


 そして、円は調理台に用意しておいた、料理の材料を手に取り藤広がやっていたのを思い出しながら調理を始めた――



 ◇◆◇◆◇◆◇



「その結果出来上がったのがこれ、と?」


「はい……」


 皿の上にあるものを見ながらそう言う藤広と、どこか肩を落としてしょんぼりしているように見える円。


 なぜこんなことになっているのか、理由は明らかだ。

 円が普通に調理に失敗した。


 皿の上に載っかっている食べ物は、全体的に黄色いが所々に白色の塊が混ざっており、その上表面にまるで月のクレータの如く穴が空いていた。

 また、形は一点にだけ力を加えられてそこだけ潰されてしまった直方体のようになっており、歪な見た目をしている。

 見た目には是非ともゼロ点を付けたいところだ。


 恐らくだし巻き卵を作りたかったのだろう。

 この料理を見て一瞬でそれを判断した藤広は、一度ため息を吐いてから端末を見た。


「なーんで料理未経験でだし巻き卵なんざ、難易度の高いものを作ろうとするかな」


「すみません……」


 藤広にそう言われ、明らかにしょんぼりとした声色でそう謝る円。


 だし巻き卵は、卵しか使っていないように見えるその見た目から、作るのが簡単だと思い込みやすいが、断じてそんなことはない。

 むしろ、料理に慣れていなければ、かなりの高難易度である。


「まず、卵の混ぜが甘い。白身と黄身が混ざったと思った時点で混ぜるのをやめたでしょ。だから、こんなでっかい白身の塊ができてんの」


「では、もっと長い時間混ぜたほうが良かったのでしょうか……?」


「いや、茶碗蒸しとか卵かけご飯ならそれでもいいけど、だし巻き卵はダメ。あんまり混ぜすぎると今度は卵の固まる力が小さくなって、ふんわりさせることができなくなる」


「……そうなんですか」


「そう。それと、多分火の強さも足りてないね。弱火で焼いたでしょ。弱火はたしかに食材を焦がしにくいけど、その反面火が通りにくい。だから、卵を巻いてる内に形が崩れたんじゃない?」


 藤広の指摘を受けて、円は自身の知識不足を痛感する。

 今回の失敗は自分の早く料理したい、という願望を優先させた円が原因だ。当初の計画通りもっと長めに研究して情報を集めておくべきだった。


 そう思った円の眉尻と口の端が無意識の内に少しだけ下がり、落ち込んでいるような表情を見せた。


 それを見て、藤広はこの短期間で随分変わったな、と静かに思う。

 一週間前までは行動の全てが無表情で無感情であったというのに、今になっては基本がそれなのは変わらないが、ところどころで感情のあるような小さな仕草を見せるようになった。


 成長の早いものだ。やはりウェイトレスとして客と接したのが良かったのだろうか。


 それはともかく、藤広は珍しく失敗してかなり落ち込んでいる円に、一つの疑問を投げかけた。


「つーかさ、なんで俺に言わなかったの? 自分も料理してみたいって。言われれば教えてやったのに」


「あ」


 円が間抜けな声を口にした。

 そして、その手があったか、と言わんばかりに手で相槌を打つ。


 次の瞬間、今までの落ち込んだ様子から一転して急にいつもの感情が全く見え隠れしない調子に戻り、藤広を見上げる円。


 だが、相変わらずの無表情ながらどこか表情がキラキラしているようにも見える。

 そして、藤広に向けられている視線にも少しの期待が混ざっているように感じられる。


「……なに?」


「だし巻き卵の作り方を教えて下さい」


「……今日の夜にね、そろそろ店開けるから」


 円の質問にそう答えた藤広のその言葉には「仕方ないな」という気持ちは入っていようとも、決して嫌だ、という拒否は入っていないのだった。

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