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ほのぼのを目指すエッセイとなむいひけるもの~1回目~

作者: 夜霧ランプ

 エッセイと言うジャンルに手を出すにあたって、一つ恐れていることがあります。エッセイジャンルの上位を争っている、「闘うエッセイスト」さん達のように猛々しくなければならないのだろうかと言う恐れです。

 かと言って無理に猛々しくあろうとすると頭が疲れてしまうので、スローリーな感じで進めて行こうと思います。スローリーな話で良いのなら、このまま読み進めてみて下さい。

 1、日頃の作家業と資料


 Pixivに書いている小説を執筆する上で、何回か「庭の様子」を描写せねばならなかったことがあり、庭づくりの本を買ったことがあります。

 一冊目は、外国人の庭師さんが高原とか色んな場所で作った「オリジナルで大規模な庭の作り方」が分かるもので、もう一冊は日本の色んなご家庭の「ロマンチックで素敵な小さい庭」を研究したものでした。

 大規模な庭と言うと、虫やトカゲが住んでいて、庭の近くに大自然があるような場所に作る庭ですね。

 ロマンチックな庭の方は、「おっ花~」「みっどり~」「ろーずぃ~ず(薔薇の花)」って感じの庭です。

 どちらも写真がたっぷり使われてして、説明もくどくないです。

「現物を観に行くわけに行かないが、写真だけでもあると資料としては助かる」と言う場合が多いので、この二冊はとても大事に取ってあります。

 庭づくりの中で、「エイジングさせた小物」を置く手法があると言うを知りました。確かに個人宅の庭で「古びた道具」が置かれている事があるけど、あれはわざわざ劣化しているように見せていたんですね。

 僕が春になると出かける行動範囲に、店の前面にだけ古びた様相を見せる洋服屋さんらしき建物があるのですが、あれも「敢えて古びて見せている」のは理解しました。しかし、店の真正面だけしっかりエイジングさせてあって、側面と屋根は普通の真新しい家なのはどうにかならなかったんだろうかとも思います。

 個人のお店に完璧を求めるべきではないのかな。

 さっきの二冊のおかげで、庭の外観は大体分かったので、そこに生えていてほしい花とか草とかについても調べました。季節の花の辞典と、学生時代に友達に借りて返すのを忘れてそのまま僕の家の蔵書になってしまった薬草辞典を使っています。友人よ、とてもありがとう。

 出来れば毒草の辞典も欲しいのですが、それはまた別に実費で買いましょう。だけど、世の中のサブカルがポップに変貌してしまったことにより、そう言う「資料としてほしいマニアックな事」が書いてある本を置いている本屋が限られてしまっているご時世なのです。

 たぶんあの店にだったらあるかな? って言う店に目星は付けてあるけど、だいぶ広い店なので、自力で探すのではなく、ちゃんと店内検索機を使おうかと。

 毒草の辞典ではないですが、買ってみて執筆に役立った本と言うと「毒の科学」と言う、水色が基調の装丁の本が、うちの書棚にあります。毒と解毒の歴史とか、空気循環説と体液循環説…だったかの古代の医学とか、薬草学から来る医術の進歩とか、そう言うやはり少しマニアックな事が書かれている本です。

 そんな書物は某専門書書店で買い集めることが多いのですが、この書店が僕がこのエッセイの前に投稿した小説の中に出てくる「大型専門書書店」のモデルです。

 小説内では、専門書を扱う大型の建物であるとされていますが、実際の書店はビルの中に在って、2フロアをほぼ全部埋める大きさの本屋です。近くには確かに広場もあり、晴れた日にお弁当を食べるには良さそうなベンチもいくつもあります。

 だからと言って、あの物語の舞台が「Japan」の話なわけではないです。本当は異世界恋愛物として書こうとしていたので。だけど仕上がりは恋愛要素ありのSFになっちゃったんですけどね。

 話題の筋を戻します。

 本屋に行く目的としては、資料探しの時もあるし、「唯何となく」の時もあり。「唯何となく」書店に行って、買ってきた本がたまたま資料になったりします。これは、買った本の知識に触発されて物語が進んでいる時に多く起こりますね。

 僕の場合は、本の他にも、「唯何となく」見ていたYouTubeとか、「唯何となく」読んでいた風景写真とか、そう言う何となくの積み重ねが頭の中で発酵して、物語として形作られているようです。

 文章を上手に書くと言う所では、色んな好みと技法と意見があるでしょう。物語を思いつくと言う所では、それまで読んだ本とか、知り得た知識とか、日常の中の様々とか、色々とアイデアの種を探して、頭の中で練ります。

 そのアイデアを自力で練って形に出来る人を「作家」と呼ぶわけですが、作家になるためには、ある程度の努力は必要です。脳が受け取った(思いついた)情報と、情報を表現する技術の間にある差を、なるべく無くす事で、より理想的な作品を作る…と言うのが、創作のメカニズムだと思うので。

 文章で何かを表現するとしたら、執筆表現による誤解や、執筆者と読者の間の認識のずれが、最小限になる事を最初に心がければ良いのかも。

 簡単な文章でも印象的な物語を書く人は居らっしゃいますし、僕のようにごてごてと描写をしてしまう人も居るし、だからと言って描写をすることが悪いわけではないし、と言うさじ加減を覚えて行くことが必要なんでしょうね。

筋道を立てて論理的に「思考を練った」物をエッセイと呼ぶのだと知って、随筆とは違うんだなと言う事を念頭に置いて書いてみました。

何となく日記に近い気がいたしますが、一回目の「エッセイとなむいひけるもの」の結果は以上です。

自分ではほのぼのしているか分からないのですが、この様子で時々エッセイを投稿して行く予定です。

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