あたたかな未来を信じて
【1975年 長崎県】
僕の家族は7人。
お父さん、お母さん、お姉ちゃんが3人、弟が1人に妹が1人、友達のみんなは、兄弟が2人くらいしかいないのに。
僕のお母さんは怖い。
お母さんは、テストの成績が悪いと、ものさしでよく、僕をたたいた。
お父さんは会社員、残業もせず、午後6時になると帰ってきてくれた。
僕や弟、妹をお風呂に入れ、そして、毎日、遊んでくれた。
家は、会社の社宅アパート、部屋が3つしかなかった。喧嘩がはじまると、家中に響いた。
特に、喧嘩で多いのは、食事のときだ。おかずが大きい、小さい、座る場所でも喧嘩がはじまる。
でも、良く姉弟と色々と遊んだ。家族みんなでいるときが本当に楽しい。
土曜午前中は学校だったが給食がない。家に帰って食べる昼ご飯のおかずは、「ちくわ」と「かまぼこ」を醤油で煮たものが、僕は好きだった。
僕の家では、家族みんなで外食することがない。
だけど、僕だけ、外食をする機会があったのだ。
これを知っているのは、家族の中では、お父さんと僕だけだ。
僕の幼稚園時代の同級生に、市山君がいた。
市山君は、大きい家に住んでいて、家の中には大きな庭があり、池もあり鯉もいて、離れもあった。
玄関も二重になっていて、一つ目の玄関を入ると「みかん」の木があった。
「みかん」の木には、アゲハチョウの幼虫がたくさんいた。
市山君のおかあさんは、アゲハチョウの幼虫を育て、成虫になると、自然に帰していた。
僕はよく市山君の家に遊びに行った。市山君のおかあさんのつくる、3時のおやつが大好きだった。おやつはすべて手作り、「クッキー」「プリン」「ホットケーキ」、僕にとっては、ごちそうすぎるものばかりであった。
僕のお母さんは、他の人の家では、ごちそうになってはいけないと言っていたが、僕はおやつが食べたかったので、おやつが出る時間まで遊びに行ったときは粘っていた。
ある時、市山君はおやつよりも好きなものがあると僕に話してくれた。
それがデパートのレストランにある「ざる蕎麦」だったのだ。
そのことをお父さんに話したら、お父さんがデパートのレストランに市山君と三人で連れていってくれた。デパートのざる「蕎麦」の値段は120円。
僕は、「ざる蕎麦」を3つ頼むのかと思っていたが、お父さんは2つしか頼まない。
お父さんはおなかが減っていないらしく、出された水を飲んでいた。
それから時々、三人でレストランにいったが、いつも注文するのは2つだけかった。
僕は、ある時、星に向かって祈った。
『未来では、いつもたくさんの「蕎麦」と「おやつ」が食べれるように』と。
【1985年 熊本県】
僕は、大学が夏休みの間、熊本の阿蘇中腹にあるの牧場にアルバイトに来ていた。
長い間、家族と離れて暮らす体験は初めてだった。
僕が、阿蘇にアルバイトに来たのは、もちろんお金の為でもあったが、アルバイトの合間に、やりたいことがあったからだ。
僕は、日本の国蝶「オオムラサキ」に魅せられ、その蝶を追いかけたいと思った。蝶に最初に興味を持つようになったのは、小学校の時の、市山君のお母さんの影響だ。「オオムラサキ」のオスの羽は紫色のあざやかな色をしている。飛ぶ姿も素晴らしい。最初に捕まようとしたときの、手が震えた その感覚を忘れることが出来ない。
それにしても、僕はほとほと、女性には、縁がないらしい。
学校は、男ばかり。色々とアルバイトをやったが、女性となかなか出会いがない。そんなことを考えていたら、急におなかが減ったので、カップめんの「蕎麦」とポテチをべた。
一息ついて外に出た。星がすごくきれいだった。僕は星に向かって祈った。
「未来では、素敵な奥さんとかわいい子供に囲まれ幸せな家庭を築けますように」と。
【2004年 東京】
「主任、今日も昼も蕎麦ですか?忙しいんですから、栄養のあるもの食べなくちゃいけませんよ」会社の部下の女性が、優しく言ってくれる。そういいながら、旅行のお土産を席においていく。
いつからか、僕は甘いお菓子を食べなくなっていた。
僕は、大学を卒業した後、東京の会社に勤めた。
会社から自宅までは通勤時間が二時間かかるため、朝も会社近くの駅で「駅蕎麦」で食べている。
昼も営業に出かける機会が多く「駅蕎麦」を食べることが多い。
夜も会社の同僚と飲んだ後、冷たい「蕎麦」を食べる。
ほとほと、僕は「蕎麦」が好きなようだ。
昔は、ご馳走に見えた「蕎麦」が、毎日のように食べることができ幸せだと思う。
家に帰れば、妻と幼い二人の娘がいる。平日、僕は帰宅時間が遅いので、娘たちと遊ぶ時間はない。
家に帰ると妻を含め子供も寝ている。でも子供の寝顔を見るだけで幸せな気持ちになる。
みんなが寝ている時間に帰ってきて、みんなが寝ている時間に会社に出ていく。
七夕の夜、家族は寝ていたが、僕は自宅のベランダで、かわきものを食べ、缶ビール片手に空を見上げた。そして祈った。
「家族みんなが無事に暮らせて、世の中が全て今より良くなりみんなが幸せになりますように。あたたかい未来が来ることを信じていますから、お力をお授けください」と。
【20××年 ●●県】