7、天界 〜転生塔29階、呼び出し付きの部屋
やっと研修が終わった解放感で、気分が少し高揚する。このまま、飲みにでも行きたい気分だが、知り合いもいないか。
転生塔の29階に借りた部屋の前で、ため息が漏れそうになる。転生前からずっと、理不尽なことが続きすぎている。
(とりあえず、部屋を見てみるか)
ドアノブに触れると、鍵が開く音がした。扉を開くと、薄暗くガランとした空間が目に飛び込んできた。
(なんだか、今の俺の心の中のようだな)
部屋に入り、数歩進むと、左右に扉があることに気づく。
一瞬、浴室や洗面所かと思ったが、違う。天界人は、風呂に入る習慣はないらしい。トイレも不要だ。汗はかくが、排泄物がないのだからな。
(ウンコを知らない奴もいるか)
理不尽な名前をつけられたが、ウンコを意味するこの世界の言葉は排泄物だ。
(だが、不快すぎる名前だ、くそっ)
右側の扉を開くと、同じくらいの広さの部屋になっていた。窓もなく暗い部屋だ。
幼女が言っていたように、寝具も何もない。だから、余計に、空虚な空間に見えるのか。
天界人は、眠らなくても死なないから、身体を維持するために睡眠は必要ない。だが情報の伝達は、基本、睡眠中に行われる。
眠らず、必要な情報を受け取っていないと、身分チェック時に、情報をぶち込まれることになる。そこで時間を取られることは、特に転生師には不利になるという。
(まぁ、俺は構わないが)
一応、左側の扉も開けてみようか。同じような部屋だろうが……。
(は? なんだ?)
俺の予想は外れていた。まるで、何かの基地のような機械だらけの明るい部屋だ。
『アウン・コークン様、おかえりなさいませ』
無機質な、声なき声だ。念話だろうか。俺の名前を呼ばれることには抵抗があるが、おかえりと言われて悪い気はしない。
「この部屋は一体……」
『こちらは、緊急時の呼び出しシステムです。この塔に設置されている通常の機器とは異なり、システム塔から、常に最先端の機器へと自動アップグレードされる仕様になっております』
(へぇ、声の主は、人工知能か?)
俺は、吸い寄せられるように、椅子に座った。だが、特に何かをするわけでもない。そもそも、こんなシステムを使いこなせる気がしない。
「使い方は?」
『何をするかを命じていただければ、サポートいたします』
「何ができる?」
『一部の機密情報以外のすべての情報の閲覧、そして、天界中央にある主要51塔で行う各種の事務作業が可能です。ただし、塔管理者の権限を必要とするものは除きます』
(仕事もできるのか)
「他の部屋にも、システムがあるのか?」
『すべての部屋に、各種機器が設置されております。呼び出しシステムは、昇降機前の部屋のみです』
(エレベーター前だけが、呼び出し部屋なのか)
「他の部屋の人達は、どう使っている?」
『最も多いものは、趣味の情報閲覧です。領地情報、特産株、人物株などの投資投機に関する利用が多くなっています』
(は? 投資だと?)
そんなものが流行っているのか。だが、今の俺には無縁だ。元手どころか、生活必需品を買えば、酒を飲む金が残るかさえ心配な状態だ。
俺は立ち上がり、真ん中の部屋へ移動した。
ふと、窓から外を見ると、時を示す塔が新たな日を告げていた。天界は、ずっと明るい眠らない街だ。
外を見ていると、違和感しかない。ニョキニョキと高い塔が大量に生えているかのようだな。
ここからだと働き蟻のように見える様々な種族、いたるところには機械、魔道具さらに魔法……。科学とファンタジー世界が融合されているのか。
天界は、様々な世界からの転生者の、知識や文化を利用して、発展してきたようだ。
一人でいると、気分が沈む。ガランとした部屋のせいか。そういえば、幼女が魔道具枕を買えと言っていたっけ。
(買い物にでも行くか)
『緊急です! 緊急です!』
頭の中に、無機質な声が大音量で響く。閉めたはずの左の扉が、勝手に開いている。
「何?」
『転生塔10階からの緊急要請です』
真ん中の部屋から尋ねても、無機質な声は返事ができるようだ。そのために扉を開いたのか。
「俺に行けって言ってるのか?」
『はい、転生塔10階です。緊急です、緊急です』
俺が行くと言うまで……いや、俺が出て行くまで、この念話は消えないのか。
確か、緊急要請に対応することが、この部屋を借りる条件だったな。俺には無視するという選択肢はない。
「わかったから、黙れ!」
そう怒鳴ると、無機質な声は黙った。
(くそっ!)
俺は部屋を出て、エレベーターの呼び出しボタンを押した。するとすぐに扉が開いた。待っていたのか。
階の指定をしなくても、スーッと降りていく。そして、10階で扉は開いた。
「あぁ、アウン・コークンさん、助かります。すぐに、行けますね?」
エレベーター前で待っていたのは、吸血鬼のような顔のフロア長アドル・フラットだ。軽装に着替えているから、一瞬、誰だかわからなかった。
「行けるも何も、訳がわからないんですが」
「ブロンズ星で、転生師がやらかしましてね。サポートの介入失敗です。一つの国が崩壊の危機なんですよ」
「はい?」
「今回の仕事は、戦乱の鎮圧です。死神の鎌で狩れば、即座に転生サイクルが優先されますから、気にせず、ガンガン狩ってください」
「はい?」
次々と、人が集まってきた。見たことのない人ばかりだな。あっという間に、エレベーターホールは超過密状態だ。
「臨時の転移魔法陣の準備ができました!」
魔女っ子のような服装……天界魔導士か。
「皆さんに位置情報、各種情報を送ります! 介入時間は、現地時間で3時間以内。鎮圧終了もしくは時間切れで、強制帰還です!」
こっちは、転移塔の職員か。
「では、皆さん、よろしくお願いします」
フロア長がそう言うと、巨大な転移魔法陣が強く輝いた。集まっていた全員の強制転移か。
浮遊する感覚の後、ぐにゃりと景色が揺れた。