61、帝都ライール 〜エルギドロームに触れた者扱い
記憶喪失を装っている俺は、兵舎へと連れて行かれた。
皇帝の住む館に隣接する建物は、皇帝の館に劣らず立派な石造りになっていた。彫刻の像も飾られている。
俺のこれからの役割は、救難要請か。すなわち、仲間の強制転移だ。いま宿屋で待機している他の7人が、俺のいる場所へ転移してくることができる。
ただ、救難要請には発動条件がある。俺が、傷を負うことが必要だ。もしくは毒などによる命の危機だったか。
俺が噛み砕いた石は、一定時間、指定範囲の記憶が誰からも見えなくなるアイテムだそうだ。どんなサーチをしても、完全に記憶が消えているように見えるらしい。だから記憶喪失の兵として、簡単に潜入することができた。
俺以外の他の天界人は、勲章の星が邪魔をして、このアイテムが使えないらしい。これは、思念傍受を防ぐ効果もある。もともとその能力を持つ天界人には、使えないそうだ。
(だからって、こんな芝居……)
転生塔管理者のリーナさんは、俺が新人だから、今回の緊急要請に指名したのだろう。おそらく、新人の中では一番戦闘力が高いからだ。いや、シルバー星の住人の能力に近いのかもしれない。
「彼は、エルギドロームに触れたようです。一切の記憶が消え、姿も若くなっているようです」
俺が連れて行かれた部屋には、鎧を着た人間が大勢いた。休憩時間なのか、食事中の人も多い。
ムワッとした汗の臭いが鼻につく。よくこんな場所で、平気な顔をして食べているな。魔王スパークの奴隷部屋よりも酷い環境だ。
報告をした兵の言葉で、一斉に俺に注目が集まった。
(エルギドロームって、何だ?)
彼らが何度も口にしているエルギドロームは、女神から与えられた知識にはない。
ここはシルバー星だ。俺には、ここに来る権限もないらしいから、知らなくて当然か。
「なぜエルギドロームに触れた? 天界攻撃用の特殊兵器だぞ。結界で完全に覆われていたはずだ!」
(天界攻撃用の特殊兵器?)
俺を睨みつける男……指揮官だろうか。だが、俺は何も答えられない。
「団長、彼は何も覚えていません。それに魔法袋も持っていません。何者かに襲撃されたのではないでしょうか」
俺を連れてきた兵は、なぜか俺をかばってくれる。
「昨夜、エルギドローム付近に、魔弾が撃ち込まれたとの報告がありました。彼は、襲撃者を目撃したのかもしれません」
兵舎にいた男も、なぜか俺をかばう。
「昨夜は、特別指令準備中の兵も合わせて数十人が、襲撃されています。死んだ者は数名ですが、蘇生済みです」
(蘇生済み? 転生ではないのか?)
「爆発で吹き飛ばされた十数名は、安否不明になっています」
次々と報告があがる。
俺が潜入できるようにと、昨夜、アスロム・コイルが暴れたようだ。しかし事前に聞いていた話よりも、圧倒的に数が大きい。
(さすが破壊の魔王、やりすぎだ)
「やはり、奴らが嗅ぎつけてきたか」
団長と呼ばれた男が腕を組み、そして俺の顔を睨みつける。
(バレてるじゃねーか)
一瞬、俺の考えを覗かれたかと焦ったが、このアイテムの効果時間中は、思念傍受はされないはずだ。その効果が何時間続くのかは、聞いてなかったが。
まぁこれで、俺が、下手な芝居を続ける必要はなくなったな。この男に斬られたら、待機中の彼らを呼ぶ強制転移の発動条件を満たす。
あわよくば、皇帝がいる館で発動したかったが、仕方ない。シルバー星の住人は、みんな魔王クラス以上の力があると聞くからな。
「俺がその仲間だと知って、ここに連れて来させたのか」
俺は、団長と呼ばれる男を睨みつけた。コイツは剣を抜くだろう。痛いのは嫌だが仕方ない。
俺は警戒して、その時を待つ。だが……。
「おまえ、完全にイカれてるな。その妄想は、エルギドロームに触れた者の典型的な副作用だ」
(は? 妄想だと?)
「兄さん、それは悪い夢だ。空白の記憶を埋めようとする回帰能力の誤作動らしい」
「妄想って……」
「わかったから、もうおまえは休め。家はわからないか。街の宿屋にでも泊まれ。宿代は記憶が戻るまで、立て替えておいてやる」
「ちょっと待て。せっかく潜入したのに……じゃなくて、えーっと」
(やべぇ、失言だ)
だが、誰も俺の言葉を聞いていない。いや、逆に同情されているような気がしてきた。
エルギドロームという兵器に触れると、記憶を失い、頭が狂うということか。
「さぁ、兄さん、門まで送るよ。あぁ、近くの宿屋に送り届ける方がいいかな」
(待て。ふりだしに戻ってどうすんだよ)
「俺は、おまえらの……その奴らの仲間だって言ってるだろ!」
俺を支えようとする男の腕を振り払った。
「兄さん、その奴らが誰かもわかってないだろ?」
「天界人に決まっているだろーが」
俺がそう言うと、やれやれという表情だ。どういうことだ? バレてるんじゃねぇのか?
「兄さん、天界人の旅行者に助けられたんじゃなかったか? 記憶がこんがらがってるだろ。奴らといえば、キシャランに決まっているだろう?」
(誰だ?)
「俺は、仲間の名前は知らなかっただけだ」
「キシャランは、人の名前ではなく、都市の名前だよ」
「えっ……」
だ、ダメだ。シルバー星のことは何も知らないから、俺は、グダグダなことを言っている。
「兄さん、キシャランは天界派だ。だから帝都ライールを潰そうと、常に隙を狙っている。だが、おかしいのは天界の方なんだよ。天界が作り上げた魂の転生システムは、廃止すべきなんだ」
(えっ!?)
シルバー星では、いや、帝都ライールでは、あのシステムの運用がおかしいと気付いているのか。皇帝は、それをゴールド星の会議でぶちまけたのか?
「俺も、魂の転生システムには欠陥があると思っていた」
そう呟くと、団長と呼ばれる男が頷いた。
「記憶は失っても、信念だけは消えてないようだな。フッ、数日の休みを与える。誰か、宿屋まで送ってやれ」
(は? くそっ、ふりだしに戻ってたまるか)
俺は兵舎を飛び出し、皇帝の館へと走った。