3、天界 〜研修② アから始まる名前
「ほらみろ、スカタン! 私の指導を無視するから、こんな簡単な転生を失敗したじゃないか。あのゴブリンは、別の国に、人間として生まれたぞ」
天界に戻ってきた瞬間、幼女の説教が始まった。
俺としては、想定通りだ。研修を失敗したことで、彼女に何かペナルティがあるらしいが、そんなことに構っていられない。
「はい、センパイ、すみませんでした〜。んじゃな」
ひらひらと振った俺の手を、何かが拘束した。
(あん? 手錠だと?)
「まだ、研修中だ。堂々と逃亡できると思うなよ」
そのまま、すごい力で引っ張りやがる。コイツのどこに、こんな怪力があるんだ?
(そういえば、幼女の名前を知らねぇな)
ここ、天界は、神と天界人の仕事場であり、住居でもある。道を歩く人の姿には、全く統一感がない。共通点といえば、二足歩行をしているという程度だ。
そして、いくつあるか定かではない高い塔が、あちこちに立っている。与えられた知識の中にも、塔の数についての情報はない。
幼女に連れて行かれたのは、天界の中央に密集する巨大な塔のひとつだ。えーっと、ここは転生させた者の管理塔か。転生塔と呼ばれている。
眠っている間に大量の知識をぶち込まれていたことで、いちいち質問をしなくても答えがわかる点は、悪くない。
塔の入り口では、機械のような無機質な声が、何か言っている。無視して入ろうとすると、ガチャリと何かが落ちてきた。
(は? 格子?)
「おまえ、檻に入って遊んでいるのか? 手をかざして身分チェックだ。天界人は、一度聞いた説明を記憶するはずだろ」
(手錠に檻って、ここは監獄かよ?)
俺を拘束する手錠の片方を持ち、呆れ顔の幼女。さっきの無機質な声は、身分チェックを促していたのか。
趣味の悪い像に手をかざすと、檻がパッと消えた。
(どんなセキュリティだよ?)
塔に入ると、1階は、まるでデパートかのような店になっていた。煌びやかな照明に、俺は一瞬、思考が停止した。
(転生塔じゃないのかよ)
「買い物をしたいなら、研修後だ。今のおまえには、ポイントがないことを忘れるな」
幼女にそう言われて、記憶を探る。
ポイントというのは、いわゆる金のことだ。天界では特定の貨幣は発行されていない。その代わりに、電子マネーのようなポイントが、使われている。
「1階に、こんな店があるとは思わなかっただけだ」
「転生塔には、独自の売り物はないが、すべての塔の1階は店になっている。専門性の低い物を買うなら、独自の売り物のない塔が便利だ。いろいろな物が揃っている」
(へぇ、説明してくれるのか)
「専門性? あぁ、塔の特色か」
「天界では、何をするにもポイント次第だ。快適に過ごしたければ、ガッツリ働いて、ポイントを稼ぐことだ」
「何をするにも、って、天界人は食わなくても死なないなら、そんなに働く必要なんてないだろ」
「は? まだ、前世の感覚のままか。まぁ、そのうちわかる。着いたぞ」
エレベーターのような箱型の機械から出ると、そこは、広いオフィスのようだった。近くにいた人達が、こちらに視線を移した。
「あら、アイちゃん、久しぶりね」
(アイちゃん? 幼女の名前か)
「お久しぶりですぅ。新人くんの研修なんですよぉ」
幼女は、また、ガラリと言葉遣いが変わった。コイツ、完全な二重人格だな。
「まぁ、珍しいわね。どうぞ、自由に使って」
「はい、ありがとうございますぅ。あっ、研修後に、ご挨拶に伺いますぅ」
「うふふ、じゃあ、美味しいお茶を用意して待っているわね」
にこやかに手を振り、その女性は、エレベーターのような箱型の機械に乗り込んでいった。確か昇降機という名の機械だが、エレベーターでいいよな。
「さっさと来い、新人」
手錠の片方をグンと引き、幼女は歩き始めた。
「おまえなー、二重人格もほどほどにしとけよ?」
「は? 私は、適切な言葉選びをしているだけだ。私を、おまえ呼ばわりするスカタンには、わからないだろうな。私との会話を許すだけでも……」
幼女は、突然、言葉を止めた。他の人達の視線を集めている。ふっ、言い過ぎたとでも思ったか。
「おまえの名前を知らないからな。あー、アイちゃんだっけ?」
その瞬間、俺の手首を拘束する手錠から、電撃のような何かが、ビリビリと伝わってきた。
(痛っ、こ、コイツ……うん?)
だが幼女は、しまったというような表情。わざとではないのか。俺を見て、ホッとしているようにも見える。まさか、殺人級の電撃だったんじゃねぇだろうな?
「アイリス・トーリさん、このフロアでは、強い雷撃を放つのはやめてください。機器が壊れます」
(幼女の名前は、アイリス・トーリか)
「あら、ごめんなさい。だけど雷撃だなんて、言いがかりだわ。私は、少しイラついただけよ」
「貴女の苛立ちの原因は、新人くんですか。ほう、これは面白い。貴方も、アから始まる名前かな」
幼女を叱った男性は、なんだか吸血鬼のような顔をしている。落ち着きのある笑顔からして、身分が高いのか。
「変な名前をつけられた。アウン・コークンだそうだ」
「へぇ、やはり、アから始まる名前だね。私は、アドル・フラットだ。このフロアの長をしている。女神様は、たまに名付けで遊ぶんだよね」
「はぁ、フラットさん、よろしくお願いします」
(うん? 微妙な笑顔だな)
「おい、新人、アから始まる人の呼び方には、気をつけろ。初対面なら、フルネームが無難だ。部分的に切り取ると、不快に感じる」
「どういうこと?」
「自分の頭で考えろ、スカタン。そんなことより、研修の続きだ。その席に座り、転生を失敗した可哀想な彼の人生を見て、反省しろ」
(はい? あー、ウンコくん、か)
だが、アイリス・トーリのどこが不快なんだ? フロア長のアドル・フラットも、普通の名前だろ。