205、幻界 〜閉じ込められた砂竜
魔法陣の続く床が途切れ、小さな池のようなものを越えた先まで飛ぶと、飛竜達は速度を落とした。
(本当に飛竜達は、俺達を助けたのか?)
さっき魔法陣から立ち昇っていた赤いオーラ。この場所は、まさにその赤いオーラというか赤い霧の中だ。この赤いオーラのようなものを操っているのが幻界神なら、俺達は囚われたということじゃないのか?
しかも、俺達は今、飛竜の背に乗っている。俺が放った魔力から作られた檻は、飛竜を捕らえたままだ。すなわち、俺達も、その檻の中にいるわけで……。
「へぇ、飛竜が懐くとは珍しい。幻界神の使い魔である飛竜が、まさかブロンズ星から客人を連れてくるとはね」
(また、幻界神の使い魔か)
アイリス・トーリもさっき同じことを言ったな。だが、この声の主は、男だ。姿を見せないのに念話でもない。
「この巣穴が繋がっているとは、少し驚いたぞ」
アイリス・トーリは、右上方を見ているが……。
(あぁ、壁画か)
赤い霧でわかりにくいが、大きな絵が描かれていることに気づいた。そして左右の壁にはいくつもの絵が描かれている。
よく見れば、後方の小さな池のように見えたものは、整えられた水場のようだ。飛竜のための水飲み場だろうか。
前方は、左右の壁画とは違った二次元の世界だ。この場所の奥は行き止まりではないとわかるが、俺達の侵入を拒んでいると感じた。
『サリュ様、お連れしたのは、冥界神ガオウル様と大魔王コークン様です。癒しの檻を頂いたのです。大魔王コークン様の優しさが詰まっているので、ここに置いておきたいと思います』
「癒しの檻? 妙なモノだな。あぁ、なるほどね。大魔王コークンの領地を飛竜達が焼いたのか。だが、黒幕が他にいると考えて、ここに来たのだね」
(飛竜の記憶は、見られるらしいな)
一方で、アイリス・トーリの問いかけは、完全にスルーだ。だが、彼女は返事がないことにイラつく様子はない。ジッと、右上方を見ている。
「あぁ、すまなかったね。飛竜との会話はすぐに伝わるのだが、その空間の声は届くのが遅くてね。直接、行く方が早そうだね」
そういう言葉が聞こえた直後、アイリス・トーリが見上げていた付近の壁画が剥がれた。そして、ゆっくりと立体化していく。
(巨大なドラゴンか)
バブリーなババァの館の絵から出てきたシャチも、デカいと思ったが、このドラゴンは比較にならない。しかも壁が一気に、音もなく押し広げられるように後退していく。
「砂竜、久しぶりね」
「む? あぁ、シダか? 姿が変わっているから気づかなかったよ。天界のことは、あまり耳に入ってこないのでね」
「そうでしょうね。幻界は、どことも交流がなかったもの」
(古い知り合いか)
「ふむ、まぁ、新たな幻界神が、ワシを土壁に押し込めたからな」
「やはり、そういうことだったのね。幻界は、竜族が統べていたはずなのに、冥界やブロンズ星にかなりの竜族が移り住んだみたいだもの」
(幻界は竜の世界なのか?)
「大魔王コークンは、何も知らないようだな」
「ええ、新人ぴよぴよ大魔王だからねー」
(楽しそうに紹介してくれるじゃねぇか)
この巨大なドラゴンは、そんな彼女に優しい目を向けている。親しくしていたようだな。
「あぁ、すまない、大魔王コークン。話が見えないだろう。ワシは、ブロンズ星や天界が作られるずっと前から、幻界を治めていた竜だ。先程、話した通り、今の幻界神ライールに、敗れてな。この山の底の岩に封じられている。飛竜達がワシを描いたことで、この聖域には出て来られるようにはなったが」
(このドラゴンが幻界神だったのか)
「私も、知らなかった。記憶の一部をを封じられていたから……」
「ハッ! シダは、冥界神ガオウルだと言ったか?」
「ええ、冥界神になったわ」
「シダ! それはいけない! ライールが動くぞ。トーリ・ガオウルの魂を砕き、そのチカラを奪うはずだ。ワシが敗れた後、ワシを封じる時にライールが言っていた。幻界を手に入れたから次は冥界だとな。死神がいるから、トーリの魂を砕く必要があると言っていた!」
「えっ? 父が、天界に殺されたのは、砂竜がいなくなった後だぞ?」
すると、巨大なドラゴンは首を大きく横に振った。
「ワシは、ずっと見ている。そうか、シダは殺されて連れて行かれたから、姿が変わったのだな」
「あぁ、性別を変えて転生させられた」
「冥界に近寄らせないためだな。それに、性別を変えられると、様々な引き継ぎが難しくなる」
「そうらしいな。天界には、私の敵は多いようだ」
彼女は、少し辛そうに表情を歪めた。
「シダを殺させたのは、ライールだ。もうあの時から、ライールの計画は始まっていたのだ。シダを殺されると、トーリは必ず天界に殴り込む。そして、そこでトーリの力をライールが奪いたかったのだろう」
「えっ? 私を殺すことがライールの……」
「あぁ、だが、予定が狂ったのだ。しかし、シダが新たな冥界神となった今なら、ライールは必ず動く。新冥界神が誕生すれば、旧冥界神の墓の場所は、隠されなくなるからな」
(それで、バレたのか?)
「いや、墓守りがいるから、隠されている。だが、今、私がここに来た理由は、それだ」
アイリス・トーリは、巨大なドラゴンに強い視線を向けている。少し迷ったような表情をしたが、すぐに振り払うように首を左右に振った。
「砂竜、私に力を貸して欲しい。私は、父の魂を砕かれたくない。それに何より、ブロンズ星に暮らす生き物を滅ぼすようなことには……」
「シダ、それはできない。冥界神であるおまえが、幻界神だったワシに助けを求めてはいけない。これは、トレイトン星系の秩序だ」
(は? 秩序だと?)
「でも……」
「それに、ワシは、そうしてやりたいと願っても、無理なのだ。この赤い霧は、ワシを閉じ込めるためのライールの術」
「ちょっと待てよ、ドラゴン! すべてを見ていると言ったな? いま、ブロンズ星と幻界が交わっている。そんなときに、幻界神が無双しようとしてんだぞ」
俺は、黙っていられなくなった。
「大魔王コークン、それも定めだ。だが、トーリの魂を砕かせてはいけない。こんな時にこんな場所に来る余裕はないはずだ」
チラッと、アイリス・トーリに視線を移すと、必死に何かを考えているように見えた。もしかすると、彼女は、このドラゴンを探すために、この世界に来たのかもしれないな。
「じゃあ、冥界神がダメなら、俺ならいいのか? 幻界から見れば、ブロンズ星は格下だろ? 俺が助けを求めれば、おまえは話を聞くのか」
「確かに、弱き者を助けることにはトレイトン星系のどの法規にも抵触しない。だが、ワシは、この山からは動けないのだ。多くの魔法陣があっただろう? ワシがここから出ようとすると、ライールの術が次々と発動し、飛竜の巣は炎に焼かれることになる」
(炎? そうか、ライールは火を使うのか)
チラッとアイリス・トーリの方を見ると、彼女も目を輝かせている。たぶん、考えていることは同じだ。
「じゃあ、おまえをここから無事に出すことができて、飛竜が燃やされることにならなければ、助けてくれるか? トーリ・ガオウルの墓がある場所は、俺の領地だ。領地に住む者達を、ライールから守りたい!」
しばらく、沈黙が流れた。
ほんの数十秒かもしれないが、俺には随分と長い時間に感じた。
「わかった。ここに誓約しよう。ワシと、ワシを世話するモノ達を解放する対価として、大魔王コークンの領地を守ってやろう」
俺は、その言葉を聞き、死神の鎌を取り出した。




