201、幻人の森 〜魔王セバスの力
「ひっ!?」
俺が振り下ろした死神の鎌は、クルータスの顔の一部をかすっただけだった。左頬に一筋の血がにじむ。だが、それでいい。俺はそれを狙った。
クルータスは、その傷口から裂けるように、二つに分裂した。だが、身体が裂けたわけではない。クルータスが二人に分かれたのだ。見た目も傷までもそっくりだが、その表情の歪みは違う。
「こういう憑依もできるのだな。魔王セバス!」
俺は、一方のクルータスに死神の鎌を突きつけた。これは天界人にとって、強烈な侮辱に当たる行為らしい。
当然、俺が鎌を突きつけたのは、本物のクルータスではなく、魔王セバスだ。魂の記憶に刻まれたブタ顔社長のいやらしい顔の歪みを、俺が見間違うわけがない。
「くっ……新人のガキが!!」
俺が死神の鎌の角度を変えると、俺が鎌を突きつけていた方のクルータスは、パタリとその場に倒れ、ジューッと溶けるように消えていった。
(逃げたな、魔王セバス)
溶けた霧のような物も、跡形もなく消えている。居場所を探らせないようにするためか、完全に消去したらしい。
「クルータスさん、大丈夫ですか」
「あ、あぁ? 俺は一体……」
クルータスは、頬の傷がまだ痛むのか、その表情を歪めた。この顔は間違いなく、魔王セバスではない。完全に奴の影響は消えているようだな。
「あははは、やはり大魔王コークンの方が上だったな。分裂後はどっちが本体かわからなかったのに、ズバリ当ててるし、あははは、きゃははは」
(は? コイツ、壊れたか?)
アイリス・トーリは、何がおかしいのか知らないが、爆笑している。彼女がここまで笑うのも珍しい。
「ちょっと、アイちゃん、どうなってるのぉ? カオルくんも、突然、死神の鎌を抜くから、びっくりしたわよ」
俺が鎌を左手首に収納すると、やっとリィン・キニクが口を開いた。アイリス・トーリは、まだ笑っていて、話せない状態だ。
「あはは、だって、あの魔王セバスが、新人ぴよぴよ大魔王に、すっかり騙されて、しかもぉ〜、得意の憑依も強制解除されて〜、きゃははは」
(俺が、騙したか?)
「カオルくん、どういうこと? アイちゃんが何を言ってるか、わからないわよ〜」
「リィリィさん、俺にもよくわかりません」
「あははは、だってだって、ただの嵐を水帝のオリジナル魔法だと信じ込んで、ありがとう今なら話せるとかって、きゃははは。お腹いたーい。あははは」
(コイツ、まじで大丈夫か?)
アイリス・トーリは、洞窟内なのに座り込んで笑っている。幼女アバターを身につけてないことを忘れてねぇか?
「でも、外の嵐には、魔力を感じるわ〜。カオルくんのオリジナル魔法じゃないの?」
「天界クラッシャーって何なんだーっていう、あれは、ただの叫びだ。極まった状態で吐き出した感情に、溢れた魔力がまとわりつくことは珍しくない。あははは、もう無理〜、きゃははは」
彼女は、本当に笑いすぎて腹が痛いらしい。まぁ、安心したということだろうか。だが、俺の感情の変化で嵐が起こるのか?
「で? 天界クラッシャーって、何なんだよ?」
俺が改めて尋ねると、まだひゃっひゃと笑っているアイリス・トーリは、何かを指差している。また、笑いがぶり返したらしく、話せないようだ。
(クルータス?)
だが、指さされた彼は、何かを気にしているのか、思い詰めたような重苦しいオーラをまとっている。
すると、リィン・キニクが口を開く。
「カオルくん、さっき、クルータス、おまえもか、って言ってたよね? どういうことなのかしら?」
リィン・キニクは、クルータスの方をチラ見しながら、そう尋ねた。あぁ、そのせいで彼はあんなに暗いのか。まぁ、ガーディアンだとか、自分に任せろとか、自信満々だったからな。
「あれは、俺の言葉ではないです。トーリ・ガオウル様が、クルータスさんに怒っていると感じました。おまえも、乗っ取られたのかって」
俺がそう言ったことで、クルータスはさらに暗くなっている。だが、隠すようなことでもないだろう。
「へぇ、カオルくんには、トーリ・ガオウル様の声が聞こえるのね。私には何も聞こえないわ〜」
「そうなんですか。まぁ、俺の場合は、聞こえるというのとは違うんですけどね」
おそらく、俺が初めて、冥界からこの洞窟へと出てきたとき、トーリ・ガオウルが俺の魂に何かを刻んだためだろう。ある種の呪いかもしれない。
「クルータスが正気に戻っているうちに、魔王セバスの術を解除する方がいいんじゃないか?」
笑い疲れたらしきアイリス・トーリは、変なことを言う。もう魔王セバスは跡形もなく逃げたじゃないか。
「もう、影響は残ってないだろ」
「魔王セバスの術は、そんなに簡単には消えない。私にまで……いや、早く解除しろ」
(コイツ、ころころと態度が変わるな)
アイリス・トーリは、自分が変な術を受けていたことから、疑心暗鬼になり、こんな不安定なことになっているのか。
「そうね。カオルくんの嵐が収まる前に、解除する方がいいわ。外の嵐は、術を遮断しているみたいだもの」
リィン・キニクまで、妙なことを言う。
「まぁ、大丈夫だと思いますけど……一応、皆への干渉があるようなら、洗浄しておきます」
俺は、死神の鎌を取り出して、ぐるりと振り回した。オリジナル魔法は、死神の鎌を媒介にしないと上手く使えない。
ブンッと空気が揺れただけだ。だが、ほぼ全員が、膝から下が崩れるように倒れた。この倒れ方は、風圧によるものではない。
(マジかよ……)
それと同時に、外の雨音が静まった。嵐も突然、消えたのだろうか。
「これは、見事ですな。我が主人と認めてあげてもいいかな」
何もない空間から声がした。その直後、スッと姿を現したのは、罪人27人のひとりだ。これで、トーリ・ガオウルの側近と賛同者が揃ったのか。
「デニタス、どこにいたのだ!?」
クルータスは、頭を押さえながらそう叫んだ。崩れた人達も順次立ち上がり、頭を振っている。まさかとは思っていたが、アイリス・トーリの予感は的中だ。魔王セバスの術が残っていたらしい。
「ずっと、この場所にいたよ? 正確にはこの森にいた。僕は、番人だからね。皆、魔王セバスにやられていくから、姿を隠したのさ。僕だけでも、墓守りをしないとね」
(いや、違う……コイツは……)
「水竜リビノア様、人の姿にも化けられるのですね。いや、デニタスさんに憑依しているのかな」
僕がそう指摘すると、彼はニヤリと笑った。
『ふっ、カオルはつまらないな。ワシを見破る者など、いないのだがな』
デニタスという男の身体から、影のようなものが伸びた。今の声は念話だ。水竜リビノアは、こちらの世界とは別の世界にいるらしい。
「大魔王コークン、何の話をしているのだ? 水竜リビノアは、人の姿になどならないぞ?」
アイリス・トーリは、俺の視線を追い、首を傾げている。彼女に見えないなら、水竜リビノアがいる場所は冥界ではないらしい。
「影だけですね。おそらく幻界にいるのでしょう。そろそろ、その時が近づいてきたのか」
幻界が、このブロンズ星と交わる。魔王セバスが早々に逃げたのは、そのためもあるだろう。魔王セバスの潜入が失敗したとなると、次に動くのは、黒幕か?
クルータスは、ハッとしたように口を開く。
「カオルさん、俺は、主要な者をここに集めてしまった。皆、すぐに、持ち場に……クッ、しまったな」
森がざわめくのを感じた。これは……。
「カオルくん! 旧キニク国が!」
リィン・キニクはそう言うと、スッと姿を消した。
『街道の北側が、火の海になっているぞ、カオル。これは陽動だろう。ワシはこの者と共にここに残る。行け!』
(ふっ、水竜リビノアはイキイキしてるな)
「皆は、ここを守ってください。旧キニク国は、俺が……」
「私も行く!」
アイリス・トーリはそう言うと、俺の腕をつかみ、転移魔法を唱えた。




