190、天界 〜騒がしい男
強い光が消えると、魔導ローブを身につけた女神ユアンナが、呆けた顔で立っている姿が見えた。女神だけでなく、あの男も一緒だ。
(強制転移か)
エメルダ・ガオウルのとんでもない能力に、俺は背筋が冷たくなるのを感じた。こんな膨大な魔力や能力を持ちながら、うっかり者というか、いろいろとやらかす。彼女を近くに置いておくには、あまりにも危険すぎる。
「おや、エメルダさん、今度は何ですか? あぁ、彼らの紋を処刑紋にしたことへの抗議なら却下しますよ」
「ちょ、どうして女神ユアンナを取り寄せただけなのに、管理局まで付いてくるのよっ。えっちぃわねっ」
(コイツ、えっちの意味がわかってねぇな)
情報管理局のユニルーは、俺や、その背後にいる27人をチラ見して、軽く頷いている。コイツの能力は、少なくとも天界にいる誰よりも高い。エメルダ・ガオウルが、女神ユアンナを強制的に戻した理由がわかったようだな。
「彼らの住居についてですか。確かに、新大魔王コークンの領地の街道沿いの天界の監視塔は、天界による不法建築ですね」
「そうなの? じゃあ私達の家にしても、何の問題もないわねっ。あの森って、不思議な橋の使い方をしてるじゃない? 塔から見れば面白そうだもんね」
(俺は、橋エキスパートだからな)
「あの〜、お話が見えないわよん。私にもわかるように話してくれないかしら?」
女神ユアンナは、まだ呆けた顔をしている。
「さっきね、コイツがさ、女神ユアンナ様は、いろいろな法規違反を繰り返してこられましたぁとか、スカタンなだけで悪意はない子ですぅとか、ちょーぜつ面倒くさがりで怠惰だけどぉって、言ってたよ」
(コイツ、悪意ありすぎだな)
エメルダ・ガオウルは、神の後任者らしき男を指差しながら、女神ユアンナにボロクソ言っている。嘘はついていないが、悪意ある脚色がひどい。
「タイサント、どういうことかしらん?」
女神ユアンナは、ボーっと呆けた顔で、一応、後任者らしき男に尋ねているが、何も気にしてないような雰囲気だ。エメルダ・ガオウルが、悪意を込めた話し方をすることを知っているのか。
「いえ、私はそこまでは……」
一方、その男は顔汗がひどい。
「それからねー、トーリ叔父さんみたいに水竜リビノアを従えて、天界をぶっ壊した天界人を放置した責任を取らされて、女神ユアンナ様が処刑されるのですぅ〜って泣いてたよ」
(泣いてたんじゃなくて、怒ってただろ)
「誰が、処刑されるのよん。タイサントの妄想癖は、治らない病気だわねぇ」
「えっ……女神ユアンナ様、凶悪な天界人を放置した罪は、問われなかったのですか? その天界人は、水竜リビノアを解き放ち、大魔王の座にのし上がってるんですよ? 水竜リビノアを使って、星の時差も破壊したのですよ!?」
「別に、気にしなくてもいいよん」
「女神ユアンナ様! よくありません! そんな大魔王は、認められない! 危険すぎます! しかも水竜リビノアが隠しているから、どこに潜んでいるかもわかりません!」
(コイツ、何を言ってんだ?)
「タイサント、騒がしいですよ」
管理局のユニルーは、エメルダ・ガオウルを睨みつつ、神の後任者の言葉を止めた。彼にうるさいと言われて、顔汗がさらに酷いことになっている。
「タイサントってばさー、そんなに大魔王コークンが恐いのぉ? あっ、ユアンナが居なくなったら、自分には抑えられないってビビってるのねっ。そんなことより、私の家なんだけどさー、あの塔の所有権とぉ……」
「エメルダ様! 貴女はご存知ないから、そんなにのんびりしておられるのです! 新たな情報によると、大魔王コークンは、トレイトン星系にまで思念を飛ばし、有能な方たちを眷属化したんですよ! 危険すぎる! 直ちに全力で処分すべきです! ゴールド星の情報管理局も、そう思われませんか」
(俺を殺せと言っているのか)
そんな彼を、エメルダ・ガオウルはニヤニヤしながら眺めている。コイツ、ほんと性格悪いよな。
「タイサント、何を寝ぼけたことを言ってるのぉ? ユニルーさん、どうしよ? この子に天界を任せるのぉ? たぶん、他の子の方がいいわよん」
女神ユアンナは、そう言うと、ふわぁっとあくびをしている。確かに怠惰という言葉がピッタリだな。
「エメルダさんが、彼を混乱させたのではないですか。タイサントの父親も、エメルダさんが大魔王コークンに負けたことを笑っていたようだから、嫌味を言いたいのだろう」
(あの目玉か)
俺は、背後に視線を移した。俺達と一緒に天界に移動してきた、ゴールド星やトレイトン星系の住人27人の中には、目を伏せる者もいる。だが、タイサントという男の父親はいないようだな。
彼らの額には俺の名前を記した紋が光っているが、これはタイサントという男には見えていないようだ。奴隷紋ではなく処刑紋だと言っていたっけ。だから見えないのかもしれないな。奴隷なら誰かの所有物だが。
するとタイサントという男は、俺に救いを求めるような視線を向けてきた。
「なぁ、エメルダ様の助手のアンタはどうなんだ? その背後にいる所属不明の使用人は、随分と戦闘力が高いな。大魔王コークンを恐れているから、そんなに多くの使用人を連れているのだろう? やはり、大魔王コークンは滅ぼすべきだよな?」
(は? コイツ……)
言葉を失うとは、こういうことか。俺は、口は開いたが、何も出てこない。言いたいことが多すぎて、言葉が交通渋滞を起こしているようだ。
「そんなことを尋ねられても困るわよね? あ、ウンコくん」
(は? くそっ、このクソ女神!)
「ちょっと、ユアンナ! カオルに、アウン・コークンという名をつけた語源は、ウンコなの? 排泄物のことよね? えっちぃわねっ」
エメルダ・ガオウルは、一応、俺のために怒ってくれているらしいが……。
「だって、彼の口癖だもん。名付けって大変なのよん」
「カオルって、そんなこと言ったことないよ?」
「クソって言ってるわよん。ウンコのことみたいだよん」
(コイツら……)
天界の守護者と天界を統べる女神の、この意味不明な下品な議論には、俺は何かをいう気にはなれなかった。
「なぁ、エメルダ様の助手さん、アンタならわかるよな? 大魔王コークンは危険すぎる」
(は? まだ気付かないのか。俺もクソ女神に賛成だな)
「情報管理局のユニルー様、俺もこの人が天界を統べることには反対ですね。鈍すぎませんか」
「そうだな。しかし、この妄想癖以外は、極めて優秀なんだよ。理解してやってくれ、大魔王コークン」
管理局のユニルーがそう言ったことで、彼はやっと気づいたらしい。膝から崩れるように、その場にしゃがみ込んでしまった。




