171、深き森 〜ゆるい時間
俺が彼女を擁護するつもりで話したことに対して、バブリーなババァ……ライールの皇帝の口から、とんでもないことが明かされた。
(賢者ガオウルが、この世界の創造神?)
「ちょっと、カオル姉さん! 人間がいる前で……」
アイリス・トーリは、バブリーなババァがこれ以上何かを言わないようにと、口に手を当てて合図をしている。
「別にいいじゃないか。人間には、天界人と神の区別なんてできないよ。トレイトン星系は神の星系だからね。賢者ガオウルは、この次元を生み出し、天界とゴールド星を創ったのさ」
(次元って生み出すものなのか?)
驚く俺とは真逆で、レプリーは興味深そうに目を輝かせている。そうか、自分とはあまりにもかけ離れた種族のことは、おとぎ話のように聞こえるのかもしれない。
賢者ガオウルは、この次元を生み出し、天界とゴールド星を創った? ブロンズ星は、ゴールド星と同時に創られたのではないのか? シルバー星は、バブリーなババァをブロンズ星から隔離するために、後から創られたと聞いたが。
新人転生師の俺には知る権限がないらしいが……。
(うん? おかしいな)
知る権限のない俺にこんな話をして、バブリーなババァは頭痛を起こさないのか? 当然、レプリーにも権限はないだろう。いや、この権限は、天界人だけに対する縛りか。
「お待たせしましたー。チャイ屋です〜」
俺達が入ってきたのとは別の扉が開いた。新たな配達人がやってきたようだな。
「チャイ屋も出前をするのか?」
アイリス・トーリは、目を輝かせている。幼女アバターを身につけているから、チビっ子がワクワクしているようにしか見えないな。
「普通は、出前はしてないよ。私の劇場は特別だよ。チャイ屋の店主は、ウチの劇場に出前をしていることをウリにして、店員を集めているのさ」
(バブリーなババァの入れ知恵か)
得意げに話す様子から、間違いはなさそうだ。確かに、こんなに人気のある劇場に出入りできることは、店員募集の上で有利だろう。
配達人は、中級魔族か。すべての店舗が、人間だけを雇っているわけじゃないんだな。まぁ、出前は、人間よりも魔族の方が適しているか。この森は、魔物も少なくないからな。
「チャイ屋さん、今日深夜にレインボウのゲリラライブがあるの。レインボウのメンバー用に、ミラクルチャイをお願いできる?」
「わぁっ! レインボウの!? はい、では、ライブ前にお届けに参ります。ミラクルチャイを12個ですね」
「今回は、レインボウJr.も極秘参加するわ。だから、そうねぇ……」
「ええっ!? じ、じゃあ、39個ですね。ありがとうございます」
「あら、計算が早いわねぇ」
「はい! 私、レインボウのファンなんです!」
「そう。じゃあ、彼らの楽屋に届けてもらおうかしら。一旦、こちらの事務所に寄ってくださる? 誰かに案内をさせるわ」
「はぅぅ、ありがとうございます! 少し早めに出前に参りますっ!」
(なるほど、上手くこき使ってるな)
「カオル、何をボーっとしてるんだい? 話があって来たんだろ。ナン工房のカレーでよかったら、つまんでおくれ」
バブリーなババァは、いつの間にか場所を移動していた。そして幼女は既に、自分の顔より大きなナンを手に持ち、何かを凝視している。
(は? 社長室?)
ガラス張りで一体化しているから気づかなかったが、事務所の一角に個室があるようだ。ガラス扉には、社長室と漢字で書いた表札のようなものが、貼り付けられている。
「あぁ、はい。社長室なんですか? ここ」
「ふふっ、社長と書いてオーナーと読むのさ。誰も社長の意味がわかってないからね。あぁ、世話焼きエルフは、この字が汚いと言っていたけどさ」
バブリーなババァは、なんだか嬉しそうに、そんな話をしている。前世が懐かしいのか。
「もしかして、この表札みたいなものは、日本人発見機ってことですか」
「あはは、まぁ、そうだね。それは面白いな。ここだと目立たないのが残念だね」
「レプリーが持っていた許可証の字も?」
「あぁ、そうだよ。習字は得意だったはずなんだけどね。やはり、筆の問題かと思うよ。いろいろな魔物の毛を試してるんだけどね」
(魔物の毛で、筆?)
「筆って魔物の毛で作るものなんですか」
「そうか! 魔物だからダメなんだね。魔力を持たない動物の方がいいかもしれない。カオル、冴えているじゃないか」
「いや、あはは」
俺は、笑ってごまかしておいた。そもそも、筆が何から作られているかなんて、考えたこともなかったしな。
個室に入ると、扉が閉められた。すると個室の外の事務所の音が、ほとんど聞こえなくなった。
「防音結界ですか?」
「そんな面倒なことはしないよ。ただの超強化ガラスさ。扉を閉めると、メルキドロームが直撃しても、ひび割れ程度で済むよ。カオルも食べな」
(例え話が怖すぎる)
メルキドロームは、天界の結界に穴を開けるほどの力があるという。それが直撃って……ライールの皇帝らしい例えだな。
「カオル姉さんは、常に狙われてるから、ここまでしないと落ち着かないのね。いろいろと自業自得だと思うけど」
毒舌幼女は、カレーをテーブルにこぼしまくって、毒舌全開だ。食べにくいのはわかるが……コイツ、めちゃくちゃ不器用だな。
「そういう文句は、もっと上品に食事をできるようになってからにしな。見た目通りのチビっ子じゃないか。下手くそだね」
「ひっ、すみません。だけど、難しくて」
彼女の代わりに、レプリーが謝っている。ふっ、レプリーも、ナンにカレーをかけて格闘しているようだ。ナンにカレーをかけること自体が、間違いなんだよな。ナンの表面の油に弾かれて、カレーが滑り落ちていく。
(仕方ないな)
俺は、ナンを一枚手に取り、ちぎってカレーに突っ込み、そして口に運んで見せた。すると、二人は驚きの表情だ。ちぎるという発想がなかったのだろうか。
「このカレー、なんだか不思議な味ですね。キーマカレーのつもりなのかな」
「何か足りないだろ? こっちの緑色の方が味はマシだよ」
バブリーなババァが差し出したのは、鮮やかな緑色の液体。食べてみると、見た目の異様さに反して、野菜カレーのような優しい味がした。
「見た目はアレですが、味はアリですね」
「だろう? カレーライスの方が美味しいのに、ナン工房が流行っているんだ。ブロンズ星の奴らの好みは難しいよ。さて、そろそろ作戦会議を始めようか、新人大魔王くん」
バブリーなババァの言葉に驚いたのか、レプリーはナンを手から落としていた。俺も驚きだ。本当に、俺を大魔王にするつもりなのか?




