170、深き森 〜カオルの後悔
「清掃の邪魔になるから、事務所に行きましょうか」
案内役のレプリーが、そう声をかけてきた。だが、先程の演奏で、レプリーに声をかける観客も多い。
「そうだな。やかましくなってきたから避難するぞ」
(避難なのか)
アイリス・トーリは、人混みを避けて出口の方へと歩いていく。幼女アバターを身につけた彼女は、少し離れると見失いそうだな。
「レプリー、さっきのはピアノ?」
「はい、この劇場のオーナーから、教えてもらいました。カオル様の森に住む人間は、何かの芸ができないといけないそうです」
(は? 芸だと?)
バブリーなババァは、クラシック音楽も芸と言っているのか。芸能人になれってことなのかもしれないが。
「そう。でもレプリーは、前世は下級魔族だったのに、芸を身につけろと言われて嫌じゃなかったか?」
俺は思わず、変なことを尋ねていた。俺が新人研修で、ゴブリンだった男の転生をわざと失敗して人間にしてしまった罪悪感から、こんなことを言ったのかもしれない。
「ふふっ、カオル様は、優しいですね。僕は、あのときの言葉を覚えています。忘れないように、大切にしています」
レプリーは、キラキラとした笑顔を見せた。もう大人なのに、目の輝きは子供の頃と変わらない。
あぁ、あの時、上級魔族になりたいと言わせたときと同じ顔だな。遠慮がちなゴブリンの魂に、俺は、もっと欲を持てと、そそのかしたのだったか。
俺の研修を担当していたアイリス・トーリに、無謀な転生は失敗するからと止められても、俺は押し通した。そして転生を失敗し、下級魔族だった男は魂の格が下がり、人間として転生したのだ。
「嫌な記憶だろう?」
「いえ、決してそんなことはありません! 下級魔族の記憶を持つ僕は、人間として赤ん坊の頃から、ダントツで有利でした。人間の王にはなかなかなれませんが、村長からは村を任せたいと言われているんです」
「そうか? それならいいが……」
「はい! それに僕は、カオル様の一番最初の転生者です。これは何よりも名誉なことですし、それに、なぜカオル様が僕を人間に転生させたのか、少しわかった気がします」
(げっ、失敗したかったと、気づいたか?)
俺は、転生を失敗して、さっさと天界から追放されようと考えていた。あの頃の俺は……自分のことしか考えていなかったな。俺に転生させられた者が、どんな気持ちになるかまで配慮できなかった。
「そうか……悪かったな」
ポツリと謝ると、レプリーは飛び上がって驚いている。
「か、カオル様!? な、何を……」
「俺の事情で、おまえの本来の希望を無視して人間に……」
「あぁ! それは、あのときは話せなかったのは、わかっています。謝らないでください」
「えっ?」
(なんだか反応がおかしい)
レプリーは、そこで口を閉じ、ニッコリとやわらかな笑みを浮かべ、出口へと歩いていく。ここでは話ができないと判断したらしい。
「遅い! 通行証がないと、事務所に通してくれないのだろ」
俺達が追いつくのを待っていたのか、毒舌幼女は、いつものように口をへの字に結び、仁王立ちをしていた。冥界神になったオーラは、完全に隠れている。ただのワガママ幼女だな。
「アイ様、すみません……。こちらです」
レプリーは謝り、彼女の前を先導していく。
俺としては、レプリーの言葉の続きが気になっていた。何をわかっているって? 俺がわざと失敗した理由を知っているということか?
あぁ、シルバー星でバブリーなババァは、俺の核に傷をつける前に、俺のすべての情報を覗いたのだったか。
俺が天界から追放されようとしていたことも、当然知られていただろう。それをいうなら、アイリス・トーリも同じか。俺が追放されたがっているから、趣味の悪い像を壊すと借金地獄になるという話をしたのだ。
どちらかが、レプリーに話したのか。心優しいレプリーは、俺の心情を理解し、寛大な心で許そうとしてくれているのかもしれない。
(俺って……サイテーだったな)
これからは、俺の余計な邪心は排除して、まともな転生師として生きていこう。あ、何か、アイリス・トーリが変なことを言っていたな。大魔王の地位がどうのと……。
「おや、珍しいね。ちょうど出前が届いたところだよ。鼻がいいじゃないかい」
(は? 飯につられたわけじゃねーぞ)
バブリーなババァは、とんでもなくバブリーな服を着て、高そうな革のソファに座っていた。
「どこの出前をとったんだ?」
幼女は、ガラステーブル上に並ぶ器に釘付けだ。広い事務所内には、スパイシーな匂いが漂っていた。
「ナン工房だよ」
「へぇ、一度食べてみたいとは思っていた。子供は食べられないほど辛い料理なのだろう?」
幼女の姿で、そんなことを言う彼女。俺だけでなくレプリーまで、笑いをこらえるのに必死だ。
「何を言ってんだい。チビっ子アバターを着ている年寄りなら、問題なく食べられるよ」
(年寄り!?)
「カオル姉さん、私にケンカを売っているのかしら? 買って差し上げてもよろしくてよ?」
(うわ、怖っ)
アイリス・トーリがこんな話し方をするとは……。
「ふふっ、随分と元気になったじゃないか。カオルが、おまえのために生け贄になることを選んだと聞いたときには、完全に抜け殻状態だったのにさ」
(えっ……あぁ、冥界の門になる話か)
「ちょ、カオル姉さん! あー、もー、アウン・コークンもカオルか、紛らわしいな」
(は? いまさら?)
何かをごまかすように、ジタバタとする幼女。そんな彼女をからかうように、バブリーなババァは好奇の目を向けている。
「ふふっ、そういえば、封じられていた古き記憶が戻ったときに、おかしなことを言っていたな。カオルは、おまえの父親なのか?」
「カオル姉さんは、何を言っている? 意味不明だ。そんなわけないだろ」
(あっ、復活した。いつもの彼女だ)
「父親の生まれ変わりだとか、だから門になるとか、トレイトン星系を知らない私達には、全く理解できないことを口走っていただろ」
そう指摘され、アイリス・トーリは、ハッとした表情の後、俺に背を向けた。身に覚えがあるということだな。
彼女は、幼い頃の……シダ・ガオウルの記憶が戻ったときは、相当、混乱しただろう。今もまだ記憶の整理はできていないようだが。
「あぁ、そういえば天界で、同じようなことを言われたな。賢者ガオウルという爺さんが、俺の姿は息子の若い頃に似ているとか」
「賢者ガオウル!? カオル、それが何者かわかっているのかい? この世界を作り上げた創造神だよ」
(は? 創造神だと?)




