163、冥界の青い門 〜弱い記憶
「遅い! 何年も天界で遊んでいるとは、何を考えているんだ? スカタン!」
ブラックホールのような真っ黒な穴を通った先には、青く輝く巨大な門があった。俺は、水竜リビノアの力で、ここまで転移してきたのか。
(だが、その姿で……ククッ)
「あの、どちら様ですか?」
「はぁ? 私がわからないと言っているのか! スカタン! 街道沿いの店を私達に丸投げして、天界で何を遊んでいた? 私達は、おまえの人物株を買った出資者だぞ。なぜ出資者たる私達を働かせて、おまえは、のほほんとしているのだ、スカタン!」
(ククッ、おもしれー)
彼女は、いつもの幼女の姿ではない。大人のアイさんの顔で、はちゃめちゃな毒舌全開だ。
(あぁ、冥界神になったんだな)
淡く輝く彼女は、見たことのない青いローブを着ている。白い肌に似合っていて、とても美しいと感じた。
「その話し方は、俺の先輩みたいなんですけど、見た目は、転生塔のアイさんみたいなんですよねー」
俺がすっとぼけて首を傾げると、彼女は慌てて、なんだか、わちゃわちゃしている。
「そ、それは……えーっとぉ」
そうか、彼女はブロンズ星に居たから、俺とは2年ほど会ってないという感覚だろう。リィン・キニクから、何かを聞いているだろうけど、俺が何を知っていて何を知らないか、ごちゃごちゃになっているのかもしれないな。
「おまえなー、冥界神になったんじゃねぇのか? えーっとぉって何だよ。かわいいフリすんなよ、鳥肌もんだぜ」
「鳥肌もんとは、何だ?」
「知らねーのか? ゾゾゾッとすると、全身の毛が逆立つだろ」
「うん? 逆立つ?」
(コイツ、ビビった経験がないのか)
「気色悪いってことだ」
俺がそう言い返すと、彼女は一瞬不安そうな顔をした。てっきり、スカタン連呼が返ってくると予想したのに……。
(ちょ、そんな顔すんなよ)
「私は、気色悪い存在だったのだな。確かに、この顔のときと子供の姿のときでは、別人を演じていた。おまえの心は……」
(なぜ、そうなる?)
「バカじゃねぇの? いつも相手の思考を覗いてばかりいるから、何もわからねぇんだよ。冥界神になっても、まだわからないのか」
「冥界神が絶対的なチカラを持つのは、死者の魂に対してだけだ。天界人を相手にして、何かが変わるわけではない」
(コイツ……不安そうな顔をしやがって)
俺は、思わず……彼女を抱きしめていた。
「なっ!? 何をしている? 私は気色悪いのだろ」
そう言うと彼女は、俺の腕から逃れた。
「おまえなー、ほんと、バカだよな。俺は、おまえがスカタンを連呼するのが面白いから、煽ってただけじゃねーか」
「は? 私はスカタンなどとは、言ってない」
「はぁ? どの口が言ってんだ? たった今、スカタン、スカタンって言ってたじゃねぇか」
「言ってない」
「いーや、言ってた」
「言ってないぞ」
「おまえなー」
ムスッと口をへの字に結ぶ彼女……。初めて会った日の毒舌幼女も、同じ顔をしていたな。
(ふっ、懐かしい)
「私のことをおまえと呼ぶな。私は……」
そう言いかけて、彼女は口を閉ざした。そうか、シダ・ガオウルの記憶も戻ったのだな。
「おまえは、どっちの姿でもアイちゃんなんだろ? あっ、おまえの中身は結局どっちなんだ?」
「は? 何の話だ?」
「中身は女なのか男なのか、前はわからないと言っていたじゃねぇか」
俺がそう尋ねると、彼女は呆けた顔をしている。記憶を探っているらしい。
(あぁ、あのときと同じか)
俺は天界で、何度か大量の情報が頭に入ってきた時のことを思い出した。雑多な情報の海から必要な知識を探すのは、なかなか大変だったか。
今の彼女の状態は、あのときの俺の比ではないだろう。
シダ・ガオウルだった頃の膨大な記憶が戻り、そして、冥界神としての知識も詰め込まれたはずだ。それまでの彼女の記憶は、頭の隅っこに追いやられてしまった状態だろうな。
「記憶が見当たらないな。おそらく……私の弱い記憶だ。今は、取り出せない。弱い記憶を失うことがないように無意識に保管したようだな」
(弱い記憶?)
俺のことを迷惑だと言っているのか? だが、彼女の表情は、不安げに揺れている。
(はぁ、もう、過去はどうでもいいか)
「無理に思い出さなくていい。今のおまえはどうなんだ? 男なのか? それとも女なのか? アイリス・トーリ。いや、シダ・ガオウル」
「呼び捨てにするなよ、新人。私は……私は……」
(クソッ、また不安そうに……)
俺は、彼女に、こんな顔をさせたいわけではない。だが彼女は、いつも相手の心を覗くことでしか真実を見なかった。言葉は、信じるに値するものではないのだろう。しかし……。
(あっ、冥界には嘘発見器があったな)
「俺は、おまえに伝えておくことがある。だが、ここで話していても、おまえには伝わらないだろうからな。門の先へ入れてくれ」
「は? この先は死者の世界だ。おまえには立ち入ることは……な、おまえは、何だ? なぜ、父の印を核に刻んでいる?」
(記憶がぐちゃぐちゃだな)
あぁ、そうか。冥界から出るときに刻まれた仕掛けは、あの時、彼女は気づいていなかった。冥界神になったことで、見えるようになったのか。
「俺は、毒舌幼女と一緒に、冥界に行ったことがある。だから、冥界にはたぶん、おまえが許せば俺も入れる。あっ、そういえば、水竜が変なことを言ってたな」
(水竜は、どこへ行ったんだ?)
天界を離れてから、全く声を聞いていない。
「水竜? まさか、リビノアか?」
彼女の表情が、険しくなったように見える。水竜に関する記憶も戻ったのか。
「あぁ、賢者ガオウルが、奴のことを水竜リビノアだと言っていたな」
「爺様に会ったのか」
「あぁ、天界で長居していたのは、そのためだ。ぎゃぁぎゃあうるさい女に、俺は捕らえられていたからな」
そう話すと、彼女は目を見開き、首を横に振っている。やはり、言葉だけでは信用できないらしい。冥界を出てからは、彼女との距離が近づいたと思っていたが……。
(それも弱い記憶か)
彼女のチカラを弱めるような記憶だということか? なんだか、胸がチリチリする。
「わかった。門の先へと誘おう。もし、そのために命を落とすことがあれば、私が責任を持って転生させてやる」
トンと胸を叩く彼女は、俺の目には、毒舌幼女に見えた。




