162、天界 〜時を止め、青い門へ
視界が戻ってきた。そして、それと同時に静寂が訪れている。まるで時が止まったかのような、錯覚を感じる。
『錯覚ではない。ワシが時を止めた』
(は? そうか、水竜リビノアのチカラか)
『ふっ、だが、この中でも動ける者は居る。カオル、おまえは、我が主人の願いを受け継いだらしい。おまえの魂に、我が主人が刻んだのであろう』
水竜が意味不明なことを言っている。冥界神トーリ・ガオウルの願い? 冥界から洞窟へと出たときには、息子を救ってくれと言っていただけだ。それを願いだというのか?
(あっ、アイツはどこだ?)
『我が主人の願いは、おまえの考えと同じであろう。いや、同じだからこそ、この世界に引き寄せることができたのだな。シダ様は、今、冥界の門にいらっしゃる。カオル、おまえが門を出現させた。そして、門を開ける鍵の役割を果たしたのが、森の賢者リィン・キニクだ。おまえ達は、シダ様に仕える配下となった』
(は? いや、俺は何もしていない。なぜ門が出現した?)
『出現した門は、青い門だ。だから、このワシは、外に出ることができた』
(青い門?)
『あぁ、驚いたぞ』
水竜リビノアの機嫌が良いらしいことは伝わってくる。青い門と言われても、だから何なのか、さっぱりわからない。それだけで、説明が終わったかのような気配を漂わせている水竜……。
青い門が何なのかを尋ねようとしたが、声が出ない。そうか、時を止めていると言っていたからだな。時が止まれば、振動も伝わらない。発声できないのは当然か。
『そうか、カオルには知る権限がないのだな。青い門が現れたことで、慌てて爺さんが天界に来たようだ。ククク、天界の奴らでは、青い門への対応はできぬからな』
(わざと説明しないつもりか)
水竜の機嫌が良くなるにつれて、なんだか俺はイライラしてきた。そもそも冥界にいくつも門があるなんて、知らないことだ。
『ほう、それすらも権限で封じているのか。天界は、そんな方法でしかコントロールできないということだ。逆の言い方をすれば、我が主人と同じように、反対派の方が多いのではないか』
上機嫌な水竜は、天界に居ることを忘れてるのではないか? 時を止めていても、聞こえる人はいるだろう。あぁ、だから、さっきから俺の疑問をはぐらかしているのか。
そう考えていると、すぐそばに何かの気配を感じた。だが、それは気のせいだったのか、すぐに何も感じなくなった。
『あぁ、それなら、邪魔な奴が来たから排除したぞ。時を止めていても動ける者は居るが、ワシのテリトリー内で勝手なことはさせぬからな』
(コイツ、めちゃくちゃプライド高くねぇか?)
まぁ、冥界神に仕えていた竜だからか。神に仕えるってことは、当然、誇らしいことだろう。
しばらく、静寂が続いた。俺の目には、経理塔の室内が映っている。だが、皆、身動きをしない。動けないということらしい。
俺を夢幻牢に閉じ込めた女は、目だけが動いている。そして、俺のすぐそばにいたはずの賢者ガオウルは、あの女の近くに移動して座っている。
(賢者ガオウルは、自由に動けるのか)
そして俺は、キョロキョロと頭を動かすことはできるが、身体は動かない。まるで、足が床に張り付いたかのように重い。
水竜リビノアが時を止めたのは、この経理塔だけでなく、天界全体らしい。いや、もしかすると、ブロンズ星も同じだろうか。
(なぜ、時を止めた?)
そう考えていても、水竜の声は聞こえない。他の誰かに気を取られているのだろうか。
『カオル、待たせたな。準備が整った。いざ、参ろうか』
(どこへ行くのですか? 時を止めているのに?)
『ふっ、時を止めたのは邪魔されぬようにするためだ。新たな冥界神が誕生した。青い門へと、おまえを連れて行こう』
水竜リビノアは、俺の返事を待たずに、俺を捕まえたらしい。身体がふわりと浮かぶ。
(ちょ、は? ぶつか……らない?)
ふわふわと経理塔の室内を移動し、窓から外へと出た。俺は別の時空にいるのか、何も触れない。
経理塔の数人が驚いた顔で、俺を目で追っている。だが、動くのは目だけらしいな。
『ほう! カオル、おまえの固有魔法は面白い。天界人のほとんどに効いているようだ。おまえを新たな神だとでも思ったのではないか? 女神ユアンナの出来が悪いからな。クハハハ』
(また、さらに上機嫌だな)
そんな風には見えないが? 俺がふわふわと移動しているから、驚いただけだろう。
俺は、そのまま、ふわふわと天界を移動していく。まるで水竜が、天界人に俺の姿を見せているかのようだと感じた。
天界の端っこには、ブラックホールのような真っ黒の渦が見える。水竜リビノアが天界の結界を破った穴だろうか。
『アレは、時を止めたときにだけ現れる天界の出入り口だろう。別の言い方をすれば、我が主人が天界に攻め込んだときにできた穴だな。アレは時を止めねば修復できない。だが天界には、時を止めると自由に動ける者は居ない。クハハハ』
(水竜は、めちゃくちゃ楽しそうだな)
俺は、ふわふわと、そのブラックホールのような穴に吸い込まれていった。
◇◆◇◆◇
「賢者ガオウル様ぁ〜っ! 逃げられちゃいましたよぉ。喋れるようになったけど、まだ動けないですぅ」
彼が経理塔から出ていくと同時に、室内は大騒ぎだ。だが、賢者ガオウル以外は、まだ誰も動けないでいた。
「エメルダ、おまえの魔力を利用されたようだな。しかし、新人転生師が、水竜リビノアを手懐けるとはな。驚きしかないが、彼の力からすれば当然か」
「あーん! 魔力泥棒ですよぉ〜。管理局に言いつけて、捕まえてもらいましょうよぉ」
「馬鹿なことを言うでない。アウン・コークンが、おまえの異常な魔力を別の形に変質させねば、天界が吹き飛んでいたぞ。エメルダ、おまえが罰を受けるだけだ」
「ふぇぇん、ひどいですぅ。それに、なんだか、あの子、叔父様みたいなことを言ってましたよぉ」
「あぁ、そうだな。アレが、彼のオリジナル魔法らしい。水竜リビノアが魔力操作を助けていたが……とんだ洗脳魔法だな。ふっ、だが、我が息子トーリの夢を叶えたようだ」
「あの子は、トーリ叔父様の生まれ変わりですかぁ?」
「さぁ、どうだろうな」
賢者ガオウルは、水竜リビノアに抱かれた彼が、黒い穴から出て行くのを見届けると、フッと柔らかな笑顔を浮かべた。




