158、天界 〜賢者ガオウル
理不尽に夢幻牢に囚われて、どれくらいの時間が経ったのだろう。
経理塔の雑音がずっと聞こえてくるから、何もない空間でもそれほど苦にはならない。術者は、俺の目には何も映らないと言っていたが、青い檻は、見えている。
少なくとも、丸一日以上は経過しているだろう。慌ただしい気配と日報がどうのという声、そして一日の終了を知らせる音が、これまでに二度聞こえた。
俺は、このまま消えるのだろう。あぁ、居酒屋ストリートで食い倒れたかったな。
もしかすると、この牢に入っていると門にはなれないか。それなら、もう一度やり直しだ。冥界に関する俺の記憶は消えるのだろうか。
(メモが必要だな)
腰に装着している魔法袋を開けようとしたが、何かのチカラが働いて開かない。当然か。魔法袋が自由に使えたら、この牢を壊せるかもしれないからな。
何かの魔法で手にメモを残そうと考えたが、魔法も使えそうにない。だから、魔法袋が開かないのか。
(どうする?)
俺がこのまま門になるなら、それでいい。だが、期限がきて、冥界に関する記憶が消えたら、どうやってもう一度、やり直せばいい?
リィン・キニクは、おそらく、再び俺に冥界へ行けとは言わないだろう。俺の頭の中から冥界に関する記憶が消えたら、そのまま素知らぬ顔をすると思う。
俺に教えるということは、俺に死ねと言うことと同じだからな。やはり自分でメモを残すしかない。
俺は、腕に爪を立てた。そして、自分の血を利用して、【よ・ろ・し・く】と、流れるような文字で上着に書く。これなら、血で汚れただけに見えるだろう。
うっかりクリーニング屋魔法を使うと、消えてしまうかもしれない。だが、俺ならその前に、なぜ血で汚れたかを考えるよな?
(自信はないが)
だが、そもそも、これで思い出すだろうか? バブリーなババァが海賊旗のようなものにドクロマークを書いていた。自分の寿司屋で、あの旗を見て、あの森の冥界で会った死神を連想できるだろうか。
(あっ、ガイコツじゃねーな)
冥界で会った死神は、リッチのような感じだった。死神といえば、普通はガイコツだろ。
(やはり、これでは足りない)
あっ、経理塔の担当者を利用しようか。ここから出たときに、自然に何か言わせればいい。だが、何を言わせればいいんだ? 寿司屋? 寿司屋の外観の話がいいか。だが、それで、俺は気づくだろうか。
(あぁ、ダメだな)
血のメモとは別のものにしなければ、意味がない。冥界に行けと言わせるわけにもいかないしな。門? いや、記憶が消えたら、門といっても、意味がわからないだろう。
まだ、俺の記憶が消えるまでには、少なくとも2日はあるはずだ。焦る必要はない。最適なメッセージを考えなければ……。
◇◇◇
「この者か?」
俺が熟考していると、こちらに近寄る二つの足音が聞こえた。これは、聞いたことのない声だな。低く響く声は、強い威圧感を感じる。
「はい、私には手に負えなくて、拘束しました」
この声は、俺を夢幻牢に閉じ込めた女だな。
「チカラ無き者を虐げる行為は、トレイトン星系では最も恥ずべき不法行為だぞ、エメルダ」
(エメルダ? あの女の名前か)
近くで、誰かが慌てふためいている気配がした。あの女は、俺に名前を知られたくなかったのか。
そう考えていると、視界が戻ってきた。そして、青い檻もスーッと消えていく。
(あん? なんだかコイツ……)
「アウン・コークン、悪かったな。エメルダは、まだ未熟なのだよ。許してやってくれ」
その男は、俺に軽く頭を下げた。見た目は初老なのに、あまりにも圧倒的な威圧感に、俺の額を悪い汗が流れる。暗殺者のような目つきの悪さが、そう見せているのだろうか。
俺も、見た目は暗殺者のようなクールすぎるイケメンのアバターにしてしまったからか、なんだか親近感を感じるが。
「ちょ、賢者ガオウル様! 何をなさっているのですか!!」
(えっ? ガオウル?)
思わず叫んだらしいその女は、慌てて自分の口を塞いでいる。だが、発した言葉は、消えるわけがない。
「アウン・コークン、やはり、ガオウルを知っているのだな。冥界に行き、死神と契約を交わし、その命をかける決断をしたか」
(どう答えればいい?)
賢者ガオウルということは、トーリ・ガオウルの関係者だよな? いや、佐藤さんがたくさんいるように、よくある名前なのかもしれないが。
「ふっ、サトウさん? 何のことかは知らぬが、トーリ・ガオウルは、私の息子だ」
「えっ? 息子……」
「あぁ、そうだ。なるほど、息子がキミを呼んだのだな。キミのその姿は、息子の若い頃によく似ている。だから、天界が騒いで、私を呼んだのか」
(は? ちょ、はぁ?)
俺は、思考が完全に停止していた。
「賢者ガオウル様! アウン・コークンは、さっき……じゃなくて2日前に、冥界に行ったのです! このままだと、天界の魂の転生システムを、シダに潰されますよぉ」
(シダって、幼女のことだよな?)
「それで、あと3日間、ここに閉じ込めておくつもりだったのか? エメルダは、トーリのことを舐めすぎだ。それに、おまえは記憶違いをしている。彼が冥界に行ったのは3日前だろう。彼の核に仕掛けられた術は、彼がどこにいても、天界時間であと2日も経たないうちに始動する」
(あと2日を切っているのか)
だが、それならいい。メモを残そうと考える必要はなかったんだな。
「俺の命の期限が2日も無いなら、俺はこれで失礼します。ブロンズ星でやり残したことが、たくさんあるので」
「そうか。だが、アウン・コークン、覚えておけ。トーリの息子シダが、魂の転生システムを潰すと、天界に関わるすべてのバランスが崩れる。そうなると、トレイトン星系の者がほとんどいないシルバー星とブロンズ星は、崩壊するぞ」
賢者ガオウルは、俺を真っ直ぐに見てそう告げた。
「俺ではなく、それは冥界神となる人に……」
キュインキュインキュイン
(は? 警報?)
突然、耳障りな警報のような音に、俺の声はかき消された。経理塔にいた人達は、固まっている。
(何だ?)
『ブロンズ星の上空に、冥界の門が現れた! 直ちに、迎撃準備!』
(は? 冥界の門だと?)




