第二章 岩人形(4/5)
その屋敷は大通りに面した立地の良い場所に建てられていた。両手に余る部屋の数に美しく整えられた庭園。監獄区に似つかわしくないその豪勢な屋敷こそ――
有名な女性政治家の一人、ジーン・レイ・スキナーの別宅だという。
イライザからの情報で、カリスタとヴィンスは彼女の屋敷を訪れていた。ヴィンス曰く、ジーンと直接話がしたいのだという。だがそれは無謀な試みに思えた。
ジーンはまだ三十代という若さにして絶大な権力を誇る政治家であり、亜人否定派の筆頭であるアルバートの生徒なのだ。魔導士でさえ約束もなく訪問したところで会えるか分からないのに、亜人と面会してくれるとは到底思えなかった。ところが――
そのカリスタの推測はきっぱりと外れる。
「初めまして。私がジーン・レイ・スキナーです」
丁寧にお辞儀して、女性政治家――ジーン・レイ・スキナーがニコリと微笑んだ。
年齢不詳のイライザとは異なり、ジーンは歳相応の美しさを持った女性だ。几帳面に後頭部でまとめられた金色の髪に、最低限のファンデーションで整えられた肌。穏やかな碧い瞳に薄めの赤い唇。赤のスーツを上品に着こなし、革張りのソファに腰掛けている。
テーブルを挟んでジーンと対面の席についていたカリスタは、この予想外の展開に頭を困惑させていた。高価な家具で飾られた部屋。そこに十数人の軍人が直立不動で待機している。彼らから向けられる針のような視線に、カリスタは変な汗が止まらなかった。
だがそんな緊張などどこ吹く風と、ヴィンスが目の前のテーブルにドカンと乱暴に足を乗せる。この彼の暴虐無人な振る舞いに、カリスタの心臓が止まりそうになる。
「丁重に迎えてくれるとはな。場合によっては拉致することも考えていたんだがよ」
ジーンがクスクスと肩を揺らす。ヴィンスの発言を冗談だと捉えたのだろう。だがカリスタは思う。恐らく彼は本気で言っている。
「わざわざ訪ねてきてくれたお客様です。話も聞かずに帰すような無礼なことはしません。むしろこのような物々しい場所にお迎えすることをどうかお許しください」
「い、いいえ、とんでもありません。こちらこそ急に押しかけて申し訳ありません」
「客人だってなら茶菓子はねえのかよ?」
こちらのフォローを台無しにするヴィンスに、カリスタは堪らず彼の頭を引っ叩いた。ギロリと睨んでくる彼を無視して、カリスタはジーンに精一杯の愛想笑いをする。
「す、すいません。悪気は……あると思いますが、どうか気を悪くしないでください」
「そうかしこまらなくても大丈夫ですよ」
またクスクスと肩を揺らして、ジーンがゆっくりと頭を振る。
「私がアルバート先生の生徒だということで誤解されることが多いのですが、私は亜人に偏見の目など持っていません。正しく彼らを判断していると自負しています」
「そ、そうなんですか?」
目を丸くするカリスタに、ジーンが「もちろん」と首肯する。
「先生のことは尊敬していますが、これは個人で判断しなければならない問題です。そういった点において、私はクレイグの考え方には賛同しかねます」
怪訝に首を傾げる。ジーンが呆れるように嘆息して唇に指先を触れさせる。
「クレイグは先生を妄信していました。そしてあろうことか、彼は第二のアルバート・スキナーになろうとしていたのです。彼が先生と同じ医学界に進んだのもそれが理由です。彼の執着はすさまじいもので、生前は先生の思考や言動の全てを模倣していました」
「……生前……ということはその……」
「貴方もご存知のようですね。はい。彼は先生の仇であるピエロに殺されたようです」
ジーンがまた嘆息して、その碧い瞳を憂いげに細める。
「亜躯魔を自称したピエロは、亜人を虐げてきた魔導士に復讐すると宣言して、先生と私たち生徒の命を狙っているようですね」
「そこまでご存知ならどうして監獄区に? 危険じゃありませんか?」
「危険は承知の上です。しかしこのような凶行は止めなければなりません。さもなくば全ての魔導士が危険に晒されないとも限りません。政治家であり先生の生徒である私には、この事件を収束させる責任があるのです」
碧い瞳に決意を込めて、ジーンがまっすぐこちらを見つめる。彼女とクレイグは同じアルバートの生徒だ。だが感情的に亜人を嫌悪していたクレイグとは異なり、ジーンは亜人にとても友好的で理知的な女性に見えた。
(そうよね。冷静になれば亜人への偏見なんて誰もが悪いことだと分かるはずだもん)
政治になどあまり興味もなかったが、これからは彼女のことを応援しよう。単純ながらにそう思う。ジーンが「失礼しました」とお辞儀をして表情を柔らかくする。
「私ばかり話してしまいましたね。お二人のご用件をお伺いしましょう」
カリスタはヴィンスについてきただけでその目的を知らない。ヴィンスをちらりと一瞥するカリスタ。ヴィンスが「大した用じゃねえよ」と前置きして――
その鋭い瞳を尖らせた。
「俺はピエロ野郎を探してんだがよ、手掛かりが今のところ全くねえ。そこで考えた。ピエロ野郎はお前さんをぶっ殺したいんだろ? だったらお前さんを張っていれば、そのピエロ野郎に会えるってことじゃねえか?」
「つまり私は……ピエロを誘い出すためのエサということですか?」
「そういうこと」
「ええええええええええええええ!?」
親指を立てて爽やかに笑うヴィンスに、カリスタは思わず絶叫した。
「ジーンさんにそんな危険なことをさせるつもりだったなんて私は聞いてないわよ!」
「お前……そりゃねえぜ。さっきまではあんなにノリノリだったのによ」
「んなわけないでしょ! なに裏切られたみたいな顔して平然と嘘ついてんのよ!」
憤慨するカリスタに、ヴィンスが「けっ」と舌を鳴らす。
「亜人のダチを助けたいと騒いでたのは誰だ? それとも諦めんのかよ」
「そ……だ、だけど他に方法はないの!? もしジーンさんが殺されでもしたら――」
「私は構いませんよ」
さらりと差し込まれたジーンの言葉に、ぽかんと目を丸くする。姿勢を一切崩さずにソファに腰掛けているジーン。一抹の動揺も見せることなく彼女が淡々と言葉を続ける。
「私もピエロから逃げるつもりは毛頭ありません。でしたら私に対する危険はお二人がいようといまいと、どちらでも同じことです」
「それは……理屈ではそうかも知れませんが」
「むしろお二人が私を守ってくださるのならとても心強くもあるのですが?」
ジーンが試すようにそう尋ねてくる。彼女の言葉にヴィンスがしばし沈黙し――
ニヤリと挑発的な笑みを浮かべた。
「構わねえぜ。ただしその条件として――俺と一晩寝るってならな」
ジーンが穏やかに微笑んで――
「すみません。その手の冗談は嫌いなんです」
柔らかくヴィンスを窘めた。
======================
ジーンにより、カリスタとヴィンスは屋敷の客室で宿泊することを許可された。この部屋でジーンを狙って現れるだろうピエロを待つということだ。それは良いのだがひとつだけ問題がある。それはカリスタとヴィンスにあてがわれた客室が一室だということだ。
「警備の都合上、お二人の部屋を分けるわけにはいかないのです。申し訳ありません」
つまり突然現れた来客のために、警備を二部屋分も割けないということだ。そのことには納得しているが、カリスタはピエロとは別の危険を感じざるを得なかった。
部屋の隅でヴィンスを警戒するカリスタに、ヴィンスが呆れたように呟く。
「昨日も話したがお前は成功報酬だ。先に唾つけとくなんて詰まんねえ真似はしねえよ」
もちろん信用できない。だがジーンの計らいにより、カリスタたちの部屋にも五人の軍人が警備として置かれている。武器を所持した彼らが部屋にいる以上、ヴィンスもそう乱暴な真似はできないだろう。
そして時刻は夜七時となる。ベッドに胡坐を掻いて欠伸をしているヴィンス。その彼を変わらずに警戒していると、ふらりと部屋を訪れたジーンからこう言われた。
「カリスタさん。宜しければ一緒にお風呂に入りませんか?」
きょとんと目を瞬く。ジーンが穏やかに微笑み、重ねたバスタオルをかざした。
「この屋敷で女性は私とカリスタさんだけです。バラバラに入るよりは一緒にいた方がお互いに安全でしょう。私の屋敷にあるお風呂はそこらのホテルには見劣りしませんよ」
ピエロの脅威がある中で呑気とも思えるが、狙われているジーン本人からの誘いである。彼女を護衛する意味にもなるため、カリスタは喜んで頷いた。
「ではお言葉に甘えさせて頂きます」
「良かった。では行きましょう」
ジーンからバスタオルを受け取り、彼女とともに部屋を出ようとする。するとここで「待ちな」とヴィンスから声を掛けられた。ヴィンスが思案深げに眉間にしわを寄せる。
「女二人だけで風呂に入るなんて危険だ。仕方ねえ。この俺が一緒に――って、コラ」
何やら紳士的に話していたヴィンスを軍人が無言で縛り上げる。「うおぃいい!」と縄でグルグル巻きにされて絶叫するヴィンスに、ジーンがニッコリと笑う。
「申し訳ありません。どうにも不安なのでヴィンスさんはそこで待っていてくださいね」
「だからってここまですんじゃねえよ! テメエ足まで縛ろうとすんじゃねえ! おいカリスタ! お前からも何か言ってやれ!」
足元に近づいてきた軍人を蹴りつけながらヴィンスが吠える。カリスタはキリリと表情を引き締めると、ヴィンスにこくりと頷いてジーンに向き直った。
「ジーンさん……さすがです! 素敵です! よく分かってらっしゃる!」
「ぶち殺すぞ、クソガキが!」
負け犬の遠吠えを背後に聞きながら、カリスタとジーンは部屋を後にした。
歩いて一分ほどで浴室に到着する。浴室前を警備していた二人の軍人に会釈して脱衣所へと入るカリスタ。手早く制服を脱いで引き戸を開けると、そこにはこれまで見たことのない大きな浴槽があった。
「うわあ。こんな広いお風呂初めてだわ」
「言ったでしょう。ホテルにも見劣りしないと。ゆっくりと浸かってくださいね」
返事をしようとしてふと気付く。浴室の一面が大きなガラス戸となっていたのだ。ガラス戸から見える外の景色に躊躇していると、ジーンがクスクスと肩を揺らした。
「大丈夫ですよ。ここは屋敷の裏側で高い塀もあります。誰かに覗かれることなどありません。今は殺風景ですが、季節によっては綺麗な花を見ることもできるのですよ」
ジーンが浴槽まで歩いていき、お湯の中に体を沈めていく。お湯に肩まで浸かり微笑むジーン。その彼女の表情に促され、カリスタも意を決して浴槽へと近づいた。
お湯に浸かり肩まで沈む。おもわず溜息がこぼれた。体に蓄積されていた疲労がお湯に溶け出し抜けていく。呆けた顔をするカリスタに、ジーンがクスリと笑う。
「リラックスできるようお湯に香りをつけているんです。気に入ってくれましたか?」
「はい。最高に気持ちいいです」
お世辞ではなく正直に告げる。ジーンが「良かった」と碧い瞳を柔らかく細めた。
「私はこの歳で子供がいません。ですからカリスタさんぐらいの歳の子と一緒にお風呂を入ることなどありませんでした。不謹慎かも知れませんが、それがとても嬉しいんです」
「……私もママを早くに亡くしているから、ジーンさんのような大人の女性と一緒にお風呂を入ることは少ないんです。だから私もジーンさんとお風呂に入れて嬉しいです」
ジーンの微笑みが一段と華やぐ。
それからしばらく、お風呂に浸かりながらジーンと他愛ない世間話をする。彼女はその話を聞いているだけでも、聡明であり優しい女性であることが知れた。友人であるネルの安否に不安はあるものの、カリスタは数日ぶりにささやかな安らぎを覚える。
五分が経過する。体の芯までポカポカとしてきたところでジーンがおもむろに言う。
「ところでカリスタさんとヴィンスさんはどのようなご関係なんですか?」
「関係ですか?」
「もしかして恋人とか?」
ジーンのとんでも発言に、カリスタは「はあああ!?」と思わず浴槽で立ち上がった。
「そんなわけないじゃないですか! あんな性根の腐った男! 大っっっ嫌いです!」
「そうなのですか?」
「ヴィンスさんに仕事を依頼しているだけで、それ以外の関係なんてありませんから!」
ぷうと頬を膨らませて憤慨する。ムキになり否定するこちらの様子が可笑しかったのか、ジーンがクスクスと笑う。
「よく分かりました。お二人は別に親しいというわけではないのですね」
「もちろんです! できることならすぐにでも別れたいぐらいなんですから!」
「そうですか。それを聞いて安心しました」
きょとんと首を傾げる。疑問符を浮かべるカリスタにジーンが微笑む。
「あの方は危険ですからね」