第二章 岩人形(3/5)
ヴィンスが拠点として利用しているラブホテル。そのホテルを出発してからバスを利用して約十分。狭い路地を何度も曲がった先にその扉があった。
建物の陰になり意識しなければ見逃してしまうだろう片開きの扉。ヴィンスが扉の脇にあるテンキーに数値を打ち込むと、カチャリとした音が扉から鳴った。
ヴィンスが扉を開く。扉の奥には地下へと通じる長い階段があった。照明は申し訳程度にしかなく通路は薄暗い。躊躇うことなく階段を下りていくヴィンス。通路の暗がりの中に消えていく彼に、カリスタはやや慌てて後を追いかけた。
通路を歩くこと約三分。通路の先に片開きの扉が現れる。ヴィンスが扉の前に立ち、扉をノックする。扉の脇にある機械から女性の声が鳴らされた。
『こんにちはヴィンス。その様子だと仕事は無事に成功したようね?』
「そういうことだ。分かったらさっさと扉を開けやがれ」
『その前にひとつ。貴方の後ろにいる可愛い女の子は誰かしら?』
きょとんと金色の瞳を瞬かせる。扉が閉まっているというのに、どうやってこちらの様子を確認しているのだろうか。ヴィンスが肩をすくめて気楽に答える。
「こいつはカリスタ・マリオット。魔導士のガキだ」
『魔導士? 魔導士嫌いの貴方がどうして魔導士と一緒にいるの?』
「別件の依頼だ。心配しなくてもアンタに危害を加えるようなことはねえさ」
『ふふ。そんな心配してないわ。まあ詳しいお話は中でしましょうか』
カチリと扉から音が鳴る。ヴィンスがドアノブを捻り扉を開けた。扉を抜けて部屋に入るヴィンス。その彼に続いて、カリスタも躊躇いながら部屋に入る。
その部屋は地下とは思えないほど広大であった。縦横三十メートルはある広い床に、無数のパイプが通された高い天井。部屋の壁際には本棚などの一般的な家具に混じり用途不明な機器類が並べられており、床には足の踏み場もないほどに書類が散乱していた。
床に散乱した書類を踏みつけながら、部屋の奥へと進んでいくヴィンス。彼の向かう先には横長のデスクと、そのデスクで何か作業をしている女性がいた。部屋に反響するヴィンスの足音に、女性が回転椅子を回してこちらに振り返る。
率直に綺麗な女性だ。年齢は不詳。腰までのびた紫の髪に滑らかな白い肌。眼鏡をかけた紫の瞳に白肌に映える妖艶な赤い唇。チョーカーのような細い首輪。服装は白衣で、そこから覗いた長い足や大きく膨らんだ胸が、彼女の女性らしいスタイルを主張していた。
「カリスタちゃん? どうも初めまして。私の名前はイライザ。よろしくね」
ニコリと微笑む紫髪の女性――イライザ。その笑顔は同性ながら赤面するほど綺麗なものだった。イライザの前で足を止めるヴィンス。彼の後を追いかけて、カリスタもイライザの前に立つ。ヴィンスが包帯の巻かれた左手を上げてクイッと指を動かす。
「おい。さっき渡したブツを寄こせ。リュックサックに入れてただろうが」
ヴィンスの命令口調にムッとする。だが文句は言わず、カリスタは言われた通りにリュックサックからホテルで渡されていた紙の束を取り出した。
大勢の人の名前と年齢、性別や特徴などがリストにされた奇妙な資料。結局この資料が何なのかは教えてもらえなかった。カリスタから資料を受け取ったヴィンスがそれをイライザに渡す。イライザが資料に目を通して紫の瞳を細めた。
「確かに私が頼んでおいたものね。どうやってクレイグから盗み出したのかしら?」
「事情をきちんと説明し、相手の承諾を得たうえで貰ってきたぜ?」
「そんな器用な真似できないでしょ貴方は。まあ方法なんてどうでもいいんだけど」
イライザが資料をデスクに放り、代わりにデスクに置かれていた封筒を手に取る。
「ご苦労様。これが約束していた成功報酬よ。確認してちょうだい」
「ふ……そんなもん要らねえよ」
イライザが紫の瞳を怪訝に瞬かせる。カリスタもまたヴィンスの発言に首を傾げた。ヴィンスがさっとイライザのそばに近づき、彼女の肩に馴れ馴れしく手を回す。
「その代わりよ、今晩こそ俺に付き合えよ。そんなエロい体をいつまでもお預けされちゃあ、いい加減こっちも辛抱ならねえんだ」
「な――ちょっと! なに馬鹿なこと言ってんのよ! ヴィンスさん!」
いかがわしいヴィンスの誘いに、カリスタは顔を真っ赤にして声を荒げた。
「アナタは女性を何だと思ってるの!? それにそんなことしている時じゃないでしょ!」
「乳くせえガキは黙ってろ! なあいいだろイライザ。そうやって焦らされんのも悪くねえが、そろそろ我慢を続けている俺にご褒美をくれてもいいんじゃねえか?」
「うーん……そうねえ」
ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべるヴィンスにイライザが満更でもないように微笑む。突如始まったアダルトな展開にハラハラと動揺するカリスタ。ヴィンスが互いの唇が触れるほどに顔を近づける。イライザが紫の瞳をやんわりと細めていき――
ヴィンスをちらりと一瞥した。
この直後、ヴィンスが表情を強張らせて体をピタリと硬直させた。まるで時が止まったように微動だにしないヴィンスに、イライザが手にしていた封筒をかざして見せる。
「魅力的なお誘いだけど、今回はお断りしておくわ。ごめんなさいね」
「てめ……またこんな――おごっ!」
イライザが手にしていた封筒をヴィンスの口に躊躇なく突っ込む。封筒を口に咥えたままやはりピクリとも動かないヴィンス。イライザがヴィンスの額をツンと突く。ヴィンスの硬直した体がグラリと傾いて床に転がった。
ヘンテコな恰好で床に倒れたヴィンスをポカンと見つめる。この奇妙な現象に困惑しているとイライザがクスリと笑う。
「驚いたかしら? 私はね『蛇女』の体質に変異した亜人なの。私が一睨みすれば彼のように体をカチコチにすることができる」
「『蛇女』の亜人?」
「そう。因みにその気になれば体の自由だけでなく血の流れや心臓も止められるわ。イメージとしては時間を止める感覚かしらね。彼にはそこまで強く術をかけてないけど」
イライザが床に転がったヴィンスを一瞥する。すると体を硬直させていたヴィンスが突然動き出した。ぺっぺっと口に咥えていた封筒を吐き出し、ヴィンスが舌を鳴らす。
「クソったれが。そんな妙ちくりんの変異がなければ力づくで襲ってやるのによ」
「それは残念ね。それで、その女の子を連れてきた理由をそろそろ教えてくれない?」
イライザがクスクスと笑いながら紫の瞳をこちらに向ける。
「カリスタ・マリオット……ということは、ネイト・マリオットの身内かしら?」
「……ネイト・マリオットは私の父です。私は父が学院長を務める学院の学生で――」
「俺の依頼者ってわけだ」
ヴィンスが苛立たしそうに立ち上がり、尖り目をさらに鋭くさせる。
「こいつの依頼内容はピエロにさらわれた亜人の女を助け出すこと。イライザ。お前なら監獄区の外で起こった事件も聞いているだろ?」
「ピエロというとアルバート・スキナーの事件ね。確かに殺人鬼とされるピエロに亜人の女の子がさらわれたとは聞いているけど……魔導士が亜人を心配するなんて意外ね」
むっと唇を尖らせる。
「昔とは違います。今は魔導士も亜人も協力し合う時代なんですから」
「あらそうなの? まあそれは良いんだけど、わざわざ私のところに依頼主を連れてくるということは、その事件で私に何か訊きたいことがあるってことね」
「さすがに話が早いな」
ヴィンスが足元に落ちていた封筒を拾い上げて、ニヤリと笑みを浮かべる。
「他殺か事故かに拘わらず、お前はこの監獄区で発見された死体のすべてを把握しているんだろ? もぐりの医者にして死体蒐集が趣味の変人さんだからよ」
「勉強熱心と言って欲しいわね。それで何を知りたいの?」
「この数日のうち、銀髪に羊みてえな角の生えた女の死体が見つかってねえか?」
ヴィンスの質問にカリスタはぎょっと目を見開いた。銀髪で羊のような角を生やした女の子。それはピエロにさらわれた亜人の友人――ネルの特徴だ。
「どういうつもりよ!? まさかもうネルが殺されているってそう考えているの!?」
反射的に怒鳴るカリスタに、ヴィンスが煩わしそうに顔をしかめる。
「生き死にだけでも確認しようってだけだろうが。それでイライザ。どうなんだよ?」
「情報料は?」
ヴィンスがイライザから一度受け取った封筒を彼女に投げて返す。封筒をキャッチしてイライザが妖艶に笑った。
「その特徴がある死体は今のところ見つかってないわ。まあだからと、その彼女が生きている保障はできないけどね」
「現状で知らないならいい。もう一つ。クレイグについてどこまで把握している」
イライザが面白そうに紫の瞳を細める。返された封筒をデスクに置いて、彼女がそのすぐ近くにあるボードを手に取り、ヴィンスにそのボードを投げてよこした。
ヴィンスに近づいてボードを覗き込む。ボードには数枚の紙と一枚の写真がクリップで止められていた。金色の瞳で写真を見やる。クリップで止められたその写真には――
両腕のない焼死体が写されていた。
「これって……」
声を震わせて後ずさる。写真を見たのは一瞬のことだが、その僅かな時間で写真の映像が網膜に焼き付いていた。炭化するほど焼かれた両腕のない死体。だがその頭部だけは炭化を免れていた。そしてその死体の顔は――
クレイグ・スタンプ・スキナーであった。
「昨日の深夜十時頃、宿泊していたホテルの部屋で殺されたらしいわ。私は貴方の仕業なんじゃないかとも思っていたけど?」
「残念だが俺じゃねえ。ホテルを見張っていたテッドが犯人を目撃している。犯人はフードを被った黒コート。遠目で分かりにくかったらしいが、恐らくピエロの野郎だ」
「アルバート邸で宣言した、アルバートの生徒も殺すという言葉を実行したってことね」
「そうなるな。こいつの死因は何だ?」
「端的に言えば焼死ね。両腕の切断面が焼けていたことから両腕はまだ生きている時に切断されたようだけど、失血死する前に全身を焼かれたみたい」
「二度手間だな。切断された両腕は?」
「見つかってないわ。犯人が持ち去ったか魔法で跡形もなく消し去ったか」
ヴィンスが「なるほどね」と思案深げに呟いて、イライザにそのボードを返す。
「毎度のことながら、どうやってこんな軍しか知らねえような情報を手に入れてんだ」
「いい女は色々なコネクションがあるのよ。私と仲良くしたいって人は大勢いるから」
「その連中が羨ましいね。状況次第ではまた聞きに来るかも知れねえ。そんじゃあな」
「ああ、帰るなら待ってちょうだい。これを適当に処分しておいて欲しいの」
踵を返そうとしたヴィンスにイライザが紙の束を投げてよこす。それはつい先程、ヴィンスが依頼品としてイライザに渡した、大勢の人の特徴がリスト化された資料であった。
「どういうつもりだ? せっかくクレイグからパチったのに要らねえってのか?」
「彼が持っていたら困るってだけで、私個人がその書類を欲しかったわけじゃないの」
「それならお前が処分しろよな、面倒くせえ」
「そう言わないでお願い。その代わり情報をひとつサービスするから」
紫の瞳をゆっくりと瞬きさせて、イライザがその情報をさらりと告げる。
「今朝がたアルバートの生徒、ジーン・レイ・スキナーが監獄区に入ったそうよ」