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第二章 岩人形(2/5)

「これが電話でお伝えしていた手紙です」


 差し出された手紙を受け取り、ネイト・マリオットは手紙の文字を視線でなぞる。


 カリスタを監獄区に送り出した翌日。魔導教学院学院長のネイト・マリオットは、ピエロにさらわれたネル・シンプソンの保護者、シンプソン夫妻の屋敷を訪ねていた。


 手紙を黙読しながら、テーブルを挟んで向かいにいる人物を見やる。三十代半ばの男――ノーマン・シンプソン。その彼がソファに腰掛けてこちらを見ていた。


 ノーマンは将来を期待されている若手議員だ。清潔感ある容姿と活力あふれる言動。それらを武器に、彼はこれまで多くの人々を魅了してきた。だが今、向かいのソファに座る男からはその力強さを感じることができない。


 彼は見るからに憔悴していた。乱雑に跳ねたボサボサの金髪に、顎の周りに生えた無精ひげ。碧い瞳を湛えたその目元は落ちくぼんでおり、あまり眠れていないのかクマまでできている。力なく肩を落としているその彼に、ネイトは胸を締め付けられた。


「申し訳ありません。本来は夫婦でお迎えするべきと思うのですが、妻はショックのあまり寝込んでいまして。私一人となりますができる限りのことはお答えしたいと思います」


「いえ。こちらこそ軍の事情聴取を受けてお疲れの時に申し訳ありません」


 丁寧に返答して、ネイトはソファに腰掛けたまま読んでいた手紙をテーブルに置いた。頭の中で手紙の内容を精査して、ネイトはノーマンに口を開く。


「この手紙はノーマン様のご令嬢、ネル・シンプソンが書いたものと電話では伺いましたが、それは間違いありませんか?」


「間違いありません。私たちがネルの……娘の字を見間違えるなどありません」


 そう断言するノーマン。ネイトは視線を下すと、テーブルに置いたネルの手紙――紙切れ一枚で手紙というよりメモに近い――を改めて見やる。


「『アルバート様からこのようなお怒りの手紙が届きました。すぐ釈明に来いとのことだったので、あたし一人でアルバート様の屋敷に出掛けてきます』とありますが……」


「これがアルバート氏の手紙です。娘の手紙と一緒にテーブルの上に置いてありました」


 ノーマンが懐から封筒を取り出し、こちらに差し出してくる。ネイトは封筒を受け取ると、すでに開封されていた封筒から手紙を取り出し、その内容を確認した。


「……アルバート氏に届けられた脅迫状がシンプソン議員によるものという証拠を掴んだと……そのように手紙には書かれていますね」


「言い掛かりです。事実無根も甚だしい」


 ノーマンが表情を憎々しげに歪め、だがすぐに力を失くしたように息を吐く。


「しかしアルバート氏は現役を引退したとはいえ未だ政界に強い力を持っている。彼が本気になれば私など簡単に潰せるでしょう。それを娘も理解していたからこそ、仕事で留守にしている私たちに代わり、彼の誤解を解こうと屋敷に向かったのだと思います」


「ただ誤解を解くためだけなら、このような手紙を残すことはないでしょう。ご令嬢はアルバート氏の屋敷を訪れることに、何らかの危険性を感じていた」


「はい。しかしこれは学院長を含めて、もはや周知の事実でしょうね」


 ノーマンがゆっくりと頭を振る。


「私はかねてより、亜人の人権問題について主張をしてきました。もはや五十年前のような戦争時代とは違う。亜人も魔導士も互いに助け合い生きていく時代になったのだと、そう繰り返し国民の方々に伝えてきました」


「存じ上げています。ご立派な考えです」


 こちらの言葉に「ありがとうございます」と一言礼を述べ、ノーマンがまた頭を振る。


「しかし亜人に対する偏見は未だに多い。特にご年配の方々はそれが顕著です。そういった方々の中には、亜人の人権を訴えている私を快く思わない人もいます。その筆頭となるのが、アーノルド氏とその意志を継いだ生徒三人だと、私は考えています」


 ノーマンが落ちくぼんだ瞳をゆっくりと閉じて、また時間を掛けてゆっくりと開く。


「私も仕事柄、アーノルド氏とは何度か顔を合わせたことがあります。直接的な非難こそありませんでしたが、彼が私のことを避けていることは明白でした。私もまた彼とは拘わらないよう避けてきました。しかし先日――私は失態を犯してしまったのです」


 ノーマンが沈痛に眉間にしわを寄せ、碧い瞳を細かく震えさせる。


「一ヶ月前、私は家族同伴で会食に参加していました。もちろん娘のネルも一緒です。亜人だということで娘に危害が及ぶのではないか。そんな考えも過りましたが、それを恐れて自粛していては世間の意識は変わらない。娘とも話し合いそう決断しました」


 そう話をしながら、膝に置かれているノーマンの両手が強く握りしめられていく。


「幸いにも、会食は滞りなく進んでいました。しかし一時間ほど経過した時、娘が飲み物を取ってくると私のそばを離れました。ほんの十メートルほどの距離。私は何事もないだろうと安心していました。しかしすぐに、大きな物音と娘の悲鳴が聞こえてきたのです」


 ノーマンが息を止めるように言葉を中断し、すぐにまた震えた声を吐き出していく。


「音に振り返ると、そこには床に倒れた娘と、娘の前で仁王立ちしているアーノルド氏がいたのです。状況が分からないながら、私はすぐに倒れた娘に駆け寄りました。大事には至りませんでしたが、娘の頬が僅かに裂けて血が滲んでいました。そしてアーノルド氏の指輪にも赤い血が付着していたのです」


 ここまで冷静に話していたノーマン。その彼の表情が怒りに染められていく。


「娘がアーノルド氏に殴られたのだとすぐに分かりました。頭に血が上った私はすぐにアーノルド氏に抗議しました。すると彼はぽつりと、歩くのに邪魔だからどかしただけと、そう言ったのです。私の娘をまるでゴミを払うかのように扱ったのです!」


 口調が徐々に強くなり、最後は怒鳴るようにノーマンが叫ぶ。ノーマンの話に沈黙したまま耳を傾けるネイト。怒りの形相を浮かべたノーマンがゆっくり深呼吸して――


 また落ち着きある表情へと戻る。


「その後はひどいものです。我を忘れた私はアーノルド氏に罵詈雑言を浴びせました。貴方の考えがいかに古臭いものか。時代遅れなのか。どれだけの人を苦しめているか。怒鳴り散らす私に、アーノルド氏は反論さえしませんでした。若造の戯言だと思ったのかも知れません。結局私は怒りのまま妻と娘を連れて、会場を出て行きました」


 力なく左右に頭を振り、ノーマンが自虐的な笑みをふっと浮かべる。


「アーノルド氏はこの件から、脅迫状の差出人を私だと推測したのかも知れません。しかし断じてそれは違う。私はあの会食での振る舞いを反省して心に誓ったのです。もう二度と娘の恥になるような軽率な真似はしないと」


「……お話をありがとうございます」


 詳細を話したノーマンに礼を告げて、ネイトは金色の瞳を鋭く細めていく。


「及ばずながら、私もご令嬢の捜索に尽力いたします。ネル・シンプソンは学院の学生であり、私の娘の大切な友人でもあります。できる限りのことをしましょう」


「学院長は監獄区にも顔が広いとお伺いしています。どうか娘をよろしくお願いします」


 深々と頭を下げるノーマン。十秒ほど経過して、彼が頭を上げると同時に口を開く。


「まことに勝手なお願いではありますが、可能な限り急いでいただきたい。娘を連れ去ったというピエロが、娘に危害を加えるつもりなのか否か。それは分かりません。ですが仮にそのつもりがなくとも、()()()()()()()()()()()()()()()()なのです」


 ノーマンが表情を曇らせて――


 自身の左胸を強く握る。


「娘は生まれつき()()()()()を抱えています。今はまだ日常生活を送るに支障はありませんが、いつ症状が悪化するか分からない。強いストレスに晒されていれば特にです。娘には時間がない。どうか――どうかよろしくお願いします」



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