第一章 監獄区(4/4)
「詳しい話って……どうしてこんな場所で?」
カリスタは嫌悪感も顕わにそう愚痴をこぼした。
黒白髪の青年――ヴィンスにより案内されたのは、待ち合わせの住所にあったラブホテルの一室だった。どうやらヴィンスが予め部屋を借りていたらしい。ホテルの受付を横切る際、受付をしていた亜人の視線にカリスタは思わず赤面してしまう。
ラブホテルの部屋に入り、カリスタは赤い顔をさらに紅潮させた。大量の枕が置かれた大きなベッドに壁一面に張られた大きな鏡。噂にだけ聞いたことがある、だが自分にはまだ関係ないと思っていた世界が今、彼女の目の前にあった。
「俺は定期的に拠点を移動している。今のこのホテルがその拠点ってわけだ」
部屋の入口で固まっているカリスタを無視して、ヴィンスが部屋の中心にある巨大ベッドにドカンと腰を下ろす。「だ……だからってこんな」とモジモジと体を揺らすカリスタ。動揺する彼女に、ヴィンスがニヤリと底意地の悪い笑みを浮かべた。
「何だお前? まさか十七にもなって男と寝た経験もねえのか?」
「かか、関係ないでしょ! そんなこと!」
デリカシーのないヴィンスの発言に顔を真っ赤にして怒鳴る。羞恥から目尻に涙まで浮かべるカリスタに、ヴィンスが適当にハラハラと左手を振る。
「いや重要なことだぜ。経験がないほうが価値も高く、より屈辱的だろうからな」
「な、何よそれ? 意味が分からないわ」
「そう慌てんな。後になりゃあ分かる。それよりもネイト――お前の親父から荷物預かってんだろ? それをこっちに寄こしな」
ヴィンスが催促するように手首を振る。カリスタは顔をしかめながらも、父から渡された封筒をリュックサックから取り出した。
ベッドに腰掛けているヴィンスへと近づいて、二メートルほどの距離を空けた位置から荷物を放り投げる。そしてすぐさま部屋の入口付近まで足早に退避した。ヴィンスがクツクツと肩を揺らして、封筒からアダルト雑誌を取り出す。
パラパラとアダルト雑誌をめくるヴィンスと、それを赤い顔で見つめるカリスタ。何やら思案深げに眉間にしわを寄せて、ヴィンスがおもむろに呟く。
「そこにあるティッシュを持ってこい」
「最低!」
全力で怒鳴る。憤慨するカリスタを見て、ヴィンスがまたニヤリと唇を曲げる。
「固いやろうだな。生徒会長をやってるとは聞いたが冗談も通じねえのか?」
「冗談だとしても悪趣味よ! 今度くだらないこと言ったらただじゃおかないわよ!」
「気の強い女だ。まあそれは嫌いじゃねえが……っと、ここだな」
懐からナイフを取り出して、ヴィンスが開いていたページにナイフを当てる。慎重にナイフを動かすヴィンス。何をしているのかと思いよく見ると、どうやらそのページは二つのページが重ねられていたようで、その接着部分をナイフで切り離しているようだった。
ナイフにより切り離されて、雑誌の一ページが二ページに分けられる。そして接着されていたページのその間には、なんと数枚の紙幣が挟まっていた。
「どういうこと?」
唖然とするカリスタを無視して、ヴィンスがまた雑誌をめくり別のページを裂いていく。そのページにもやはり数枚の紙幣が隠されていた。この作業を黙々と繰り返すこと五分。彼の手元に二十枚ほどの紙幣が集められる。
ヴィンスが雑誌をポイっと投げ捨てて、集めた紙幣を懐にしまった。
「前金は確かに受け取った。とりあえずお前の依頼を受けてやるよ」
「前金って……もしかしてその雑誌に隠されていたお金のこと?」
疑問をそのまま口にするカリスタに、ヴィンスがナイフを懐にしまいながら頷く。
「監獄区の亜人に現金を渡すことは原則禁止されている。だからこうして下手な細工をして現金の受け渡しをしているってわけだ」
「だとして………どうしてそんなその……いかがわしい雑誌に隠す必要があるのよ」
「理由は二つある。この手の雑誌は荷物検査で念入りに調べられることが少ない。どいつもこいつも紳士ぶるからな。むろんその雑誌が初めから疑われていれば話は別だが」
確かに荷物検査をした若い軍人は、気不味そうにしながら検査を手早く終わりにしていた。どうやらそれを見越してアダルト雑誌を金銭受け渡しに利用したらしい。
これまでの言動はともかく、思ったより理性的な人間なのかも知れない。ヴィンスの評価をそう改めつつ、カリスタは首を傾げる。
「理由は二つあるって言っていたわよね? そのもう一つの理由って何?」
「利用後の実用性だ。魔導士の女が載っているアダルト雑誌は監獄区では貴重でな」
改めた評価を再び急降下させる。ジトリと半眼になるカリスタ。睨みつけるその彼女など気にも留めず、ヴィンスが「さてと」とさらりと話題を変える。
「ネイトの野郎から依頼内容は聞いている。アルバート・スキナーを殺害した正体不明のピエロ、そいつにさらわれた亜人の女を見つけ出してくれってことだったな。その女の名前は確か――ネル・シンプソンか?」
「……ネルは私の大切な友達なの。お願いヴィンスさん。協力して」
このヴィンスという男が本当に頼りになるのか分からない。だが手掛かりが何もない今は信じるしかないだろう。カリスタはそう考えて真摯な気持ちで頭を下げた。
「友達ね……ネイトからお前とその亜人の女との関係も聞いている。それを聞いて、俺が感じた率直な感想をお前に伝えといてやるよ」
包帯に隠されていない右眼を鋭く細めて――
ヴィンスがきっぱりと言う。
「魔導士が亜人を友達だなんて――胸糞悪いんだよ」
ヴィンスの表情から軽薄な笑みが消えて、代わりに剥き出しの嫌悪感が覗いていた。普段の生活ではあまり感じることのない他人からの敵意。その慣れない気配にカリスタの表情が強張る。沈黙するその彼女に、ヴィンスが淡々と冷えた言葉を重ねていく。
「亜人に同情して善人でも気取っているつもりか? それとも亜人をペットか何かとでも思ってんのか? どっちにしろ友達だなんて、心にもねえこと言うんじゃねえよ」
「……な、なんでそんなことアナタに言われなきゃいけないのよ!」
ヴィンスの物言いに、カリスタは困惑の表情を怒りに染め上げた。
「私は同情してネルと付き合っているわけじゃないし、まして彼女をペットだなんて思ってない! ネルは大切な私の友達よ! それなのに酷いこと言わないで!」
「それが胸糞悪いってんだよ。内心では亜人のことを見下しているくせに、上面に綺麗ごと並べてんじゃねえ。魔導士が亜人を対等に扱うことなんざあり得ねえんだからよ」
「そんなことない! そもそもヴィンスさんだってパパと友達なんでしょ!? だったら私の気持ちも理解できるはずじゃない!」
「ネイトとは腐れ縁ではあるがダチなんて関係じゃねえよ。あの野郎が俺をどう紹介したかは知らねえが、互いに利害関係があるからこそ付き合ってんだけだ」
「例えパパとヴィンスさんがそうでも、私とネルは違う! 本当の友達だもの!」
「信じられると思うか? 俺たち亜人をこんな監獄区に閉じ込めている魔導士のことを」
言葉が詰まる。勢いを失くしたカリスタに、ヴィンスが言葉をたたみ掛けてくる。
「俺たち亜人を犬猫のように閉じ込めておいて、自分たちだけは自由を謳歌しておいて、それで友達だと? 対等だと? 随分と手前勝手な意見を言うじゃねえか? ああ?」
「それは……歴史的な事情から仕方のないことで……それでも最近は亜人にも正しい権利を与えようって、色々な制度が見直されている時なのよ」
「分かってねえな。権利を与えるって言っている時点で、お前は亜人を見下してんだよ」
ヴィンスの屁理屈に怒りが込み上げてくる。ネルは大切な友達だ。だからこそ彼女を助けるために監獄区まで来たのだ。魔導士だとか亜人だとかそんなこと関係ない。
(どうしてそんな簡単なことも分からないの)
無言のまま金色の瞳を尖らせる。不満を顕わにして睨みつけるカリスタに、ヴィンスもまた視線を鋭くする。互いが睨みあうことしばらく。ヴィンスが小さく嘆息して――
ニヤリと軽薄な笑みを浮かべた。
「……まあそんな面すんな。胸糞悪いことに違いねえが、お前の依頼は受けてやるよ」
そう軽い口調で言うヴィンスに、カリスタは内心の怒りを抑え込んでいった。仏頂面をするカリスタに、ヴィンスがベッドから腰を上げて肩をすくめる。
「個人的な感情と依頼は別物だからな。依頼の成功条件はピエロのさらわれた亜人の女を見つけ出すこと。俺たちより先に女が誰かに見つけられた場合、或いは女を見つけたとしても既に死亡していた場合は、依頼は失敗で構わねえ。それでいいな?」
「……ええ。それでいいわ」
「それでだ……前金は貰ったが、依頼を達成した場合にはそれとは別に成功報酬を支払ってもらう。それも構わねえだろ?」
「もちろん構わないけど……金額によってはパパにも相談しないと」
「ネイトに相談は必要ねえ。この報酬はお前にしか払えねえものだからよ」
ヴィンスがおもむろに近づいてくる。距離を詰めてくる彼に困惑するカリスタ。ヴィンスが目の前で立ち止まる。ヴィンスのナイフのような瞳。その鋭い視線に射竦められ体が動かない。ヴィンスが両手を持ち上げて――
カリスタを間に挟んで、バンッと壁に手を突いた。
ヴィンスの両腕に挟まれてカリスタの背筋が凍える。ヴィンスの顔が近づいてくる。互いの息が触れるほどの距離。金色の瞳を震えさせる彼女にヴィンスが告げる。
「報酬はお前の体だ。この依頼が成功した暁には――お前を抱かせろ」
「……え?」
言葉の意味が分からない。否。意味は分かるが心がその意味を拒絶している。呆然とするカリスタ。ヴィンスがまるで値踏みするように彼女の体に視線を這わせていく。
「まあガキくさい体しているが我慢してやる。せいぜい可愛がってやるよ」
「……どうして?」
ようやく絞り出した言葉。ヴィンスが犬歯を覗かせて冷たい眼光を輝かせる。
「魔導士の連中ははした金なんぞ幾らでもある。だから俺は魔導士の依頼を受ける時は、金じゃなく別のものを要求することにしている。それは連中の――誇りだ」
ヴィンスがひどく楽しそうにクツクツと肩を揺らす。
「魔導士としてのプライド。そいつをベキベキにへし折ってやんのさ。汚らわしい亜人に抱かれるなんざ魔導士にとってこれ以上ない屈辱だろ? 処女ともなればなおさらな」
唖然とする。ただ屈辱感を与えるためだけに体を差し出せと迫るヴィンス。それはあまりに常軌を逸している。このような馬鹿な取引など受けられるはずもない。だがその考えを読んでいたように、ヴィンスがこちらの思考に言葉を滑り込ませてきた。
「やはりイヤか? 亜人の女を友達だ何だとほざいておきながら、そいつの身の安全よりも自分の貞操のほうが大事ってわけか?」
「――っ!」
「所詮そんなもんなんだよ、お前ら魔導士はな。都合の良い言葉を吐いておきながら、いざ自分に被害が降りかかると簡単に見捨てやがる。違うか?」
これは挑発だ。安易に乗ってはいけない。父と相談するべきだ。父と相談して別の手段を模索するべきだ。そう頭の中で警報が鳴り響く。だがヴィンスの黒い瞳が、魔導士を全否定するその瞳が、ネルとの関係を全否定するその瞳が、ひどく悔しくて――
「――いいわ。受けてやるわよ」
カリスタは自分が気付いた時にはそう答えてしまっていた。
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「もういい! 下がれ!」
クレイグはそう声を荒げると、右手の治療をしていた亜人を殴り飛ばした。床に倒れた亜人が殴られた頬を押さえて呆然とする。
顔が馬のような形に変異した亜人だ。何と醜いことか。クレイグは鋭く舌を鳴らすと、亜人から視線を逸らして包帯の巻かれた自身の右手を見つめた。
深夜十時。監獄区にあるホテルの一室。一拍の値段がそれなりなだけに、その部屋は高価な家具が揃えられていた。亜人には過ぎた贅沢だと言えるが、こうして監獄区で宿泊しなければならない時もあるため、高級施設を潰すわけにもいかない。
パタンと音が鳴る。急きょ呼びつけた医者が部屋を出て行ったのだろう。扉には一瞥もくれず、クレイグは包帯の巻かれた右手をゆっくりと動かした。痛みはあるが悪くない腕だ。亜人でなければ褒めてやってもいい。
本来なら魔法で治療したいところだが、医療魔法は通常の魔法よりも緻密な精神集中が必要となる。痛みと興奮状態で精神が乱れている今、魔法による治療は危険だろう。
「ふざけおって……あの小僧め」
右手を撃ち抜いた男。黒白髪の青年を脳裏に思い浮かべて歯噛みする。即刻始末してやりたいところだが、軍にこの件を報告するわけにはいかない。
「亜人などというゴミに後れを取ったなど口が裂けても言えるものか。それに――」
軍に始末を任せてはあの男の死にざまを見ることができない。あの男は自分の手で始末する。否。ただ始末するだけでは足りない。自身の脳髄に収められた医学知識。それを総動員して、あの男には生き地獄を味あわせてやる必要がある。それが――
亜人などという醜悪な存在が、気高い魔導士に逆らった罰となるだろう。
包帯の巻かれた右手から視線を上げる。窓から入り込んだ風に揺れるカーテン。その波打つカーテンを何気なく眺めつつ、今後について検討した。
だがここで――クレイグはふと気付く。
カーテンが揺れている。だが部屋に入った時、全ての窓は閉じていたはずだ。ならばなぜカーテンが風に揺れているのか。視線を鋭くさせるクレイグ。カーテンがこれまでより大きくはためいて窓を覗かせた。
カーテンに隠されていた窓。閉められていたはずのその窓が開いている。クレイグの息が思わず止まる。窓の先にあるベランダ。月明かりに照らされたそこに――
ひとつの人影がポツリと立っていた。
「クレイグ・スタンプ・スキナー」
性別不明の奇妙な声を鳴らし――
ベランダに立っている人影が――
ピエロの仮面をした殺人鬼が――
その瞳に危険な眼光を輝かせた。