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第一章 監獄区(2/4)

 監獄区。それは首都シモンズの東部に位置している、直径にして約五百メートルの区画のことを指す。首都シモンズの総面積の一割にもなるその区画は、高さ十メートルほどのコンクリート製の塀で囲まれており、数百人もの亜人が暮らしているという。


 監獄区の正門前にある停留所でバスを降りたカリスタは、監獄区の塀を視線でなぞった。あまりに巨大なその監獄区の塀は、囚人を閉じ込める檻というより城壁のイメージに近い。もっとも監獄区の塀が守るべき対象は、()()()()()()()()()()()()()だが。


「普通のやり方だと塀を超えることはできないわね」


 だが魔法を使えば話は別だろう。力ある魔導士ならばこの程度の塀、軽々と跳び越すことができるはずだ。もっとも魔法の使えない亜人を閉じ込めるには必要十分と言える。


 ピエロが亜人であるか否か。その真偽は不明だが、どちらにせよピエロが高度は魔法を扱うのなら、監視に見つかることなく監獄区に侵入することはできるだろう。


「ピエロがこの監獄区にいるなら、ネルもこの監獄区のどこかにいるはず」


 ネル・シンプソン。羊のような角を生やした大切な友人。何としても彼女を早急に見つける必要がある。例えピエロが彼女に危害を加えるつもりがなくとも――


 この緊迫した状況は()()()()()()()()()()()()だ。


 カリスタはそう改めて気を引き締めると、監獄区の正門前にある駐在所へと向かった。駐在所にいたまだ青年と思しき軍人が、訪問者であるカリスタに丁寧に頭を下げる。


「カリスタ・マリオットさんですね。魔導教学院の学院長からお話しは伺っております。規定に基づき簡単な手荷物検査をさせて頂きますので、こちらにお越しください」


 駐在所の奥にある小部屋に案内されたカリスタは、部屋の中央にあるテーブルの上に自身の手荷物を置いた。とはいえ学院から直接監獄区を訪れたため――服装も学院の制服のままだ――、荷物は父から渡された封筒を入れたリュックサックだけだ。


 特に問題なく手荷物検査は終わる。カリスタは気楽にそう考えていた。だが手荷物検査をしていた青年が、父から渡された封筒の中身を覗いて表情を強張らせる。


「あの……すみません。学院長からの連絡ではとても大切な荷物だとお伺いしていたのですが……その……念のために荷物に間違いがないかご確認お願いできますか?」


 パタパタと金色の瞳を瞬く。確認するも何も、カリスタは父から渡された封筒が何なのかさえ知らない。だがそれを正直には言えず、カリスタは戸惑いながら頷いた。青年が封筒からものを取り出してかざして見せる。封筒に入っていたものは――


 半裸の女性が表紙に載せられている、いわゆるアダルト雑誌であった。


「ふぁああへぇええ!?」


 ヘンテコな声が漏れると同時、顔が沸騰して赤くなる。こちらの反応を訝しそうに見やる青年。しばし硬直していたカリスタだが、すぐハッとして無理やり笑ってみせた。


「え……ええ。間違いありません。それが監獄区に届ける大切な荷物です」


 羞恥で目尻に涙まで滲んでくる。だがここで怪しまれてはいけない。「そう……ですか?」とこちらをジロジロとみる青年、カリスタはふんと胸を張った。


「何か問題でもありますか?」


「ああ……いえ、問題ありません。ご協力ありがとうございました」


 青年がアダルト雑誌を封筒に戻して、いそいそと部屋を退出した。部屋に一人残されるカリスタ。しんと静まり返るその部屋で、カリスタはアダルト雑誌が入れられた封筒をおもむろに持ち上げると、それを床に全力で叩きつけた。



======================



 ひどい恥を掻かされたが、どうにか監獄区に入ることができた。カリスタは気持ちを切り替えることにして、監獄区の景色に視線を巡らせた。


 高い塀に囲まれた監獄区。だがその景色は一般的な監獄のイメージとは異なり、平凡な街並みが広がっていた。文化水準も塀の外と中で大差なく、そこにある建物や売られている商品を見るだけでは、そこが監獄区か否かを判断することはできないだろう。


 監獄区が監獄区であるがゆえん。それはやはり亜人の存在だと言える。


 監獄区の大通り。そこには大勢の通行人の姿があった。通りを歩きながら通行人を視線で追いかける。年齢も性別もバラバラの通行人だが――


 彼らは魔導士とは異なる亜人なのだ。


 亜人は一般的に体の一部分、もしくは全身が変異している。個体別に変異する場所や形は異なり、髪の色や肌の色など些細な変異から、もはや人の形状をなしていない変異までと様々ある。ネルの羊のような角もまた、変異により生まれた亜人の特徴だ。


 通りを歩いている通行人の亜人もまた、バラエティに富んだ姿形をしていた。ネルのように頭から角を生やした者や、角の代わりに犬猫のような三角耳を生やした者、背中から大きな翼を生やした者や、背中に亀の甲羅を背負っている者までがいる。


 変異の特徴が似ている大人と子供が手をつないで歩いている。恐らく親子なのだろう。親子間では変異の特徴も似通ると聞いたことがある。何にせよカリスタは、大勢の亜人に囲まれてやや緊張していた。なぜなら亜人の多くは――


 魔導士に悪印象を抱いているだろうからだ。


(こんな塀の中に閉じ込められて恨まないはずないものね)


 監獄区の亜人は首輪の着用が義務付けられている。首輪のないカリスタが監獄区の住民でないことは一目瞭然であり、亜人としての特徴もないことから彼女が魔導士であることは推測できるだろう。だがさすがに公の場で魔導士を非難する者はいないようだ。


(ネルも……監獄区から外に出た時は、こんな不安な気持ちだったのかしら?)


 そう思うも、カリスタはすぐその考えを否定した。魔導士と亜人とでは社会的立場が違う。恐らく自分がいま感じているものよりも、ネルはさらに心細かったに違いない。


(そして今もネルはきっと苦しんでいる)


 友人を必ず助け出す。その決意を新たにしてカリスタは力強く足を踏み出した。



======================



 力強く踏み出して、カリスタはいつの間にか人気のない裏路地に入り込んでいた。


「……ここが待ち合わせの場所?」


 父の知人だというヴィンス。その彼が指定した待ち合わせの住所。そこにはやけにけばけばしい看板を掲げた、古びた五階建ての建物が存在していた。眉間にしわを寄せながら看板の文字を読む。看板にははっきりとHOTELの文字が書かれていた。


「これって……もしかしてラブホテル?」


 如何にもいかがわしい建物の雰囲気にカリスタはそう推測した。


 手持ちの地図と指定された住所を見比べて誤りがないか確認する。だがどうやら間違いないらしい。地図には建物の名前までは書かれていないため、指定されたその場所にラブホテルがあることをいま初めて知ったのだ。


「何でこんな場所を待ち合わせに?」


 恐らく深い意味などないはずだ。目印の建物が偶然にもラブホテルだというだけに違いない。カリスタはそう言い聞かせて平静を保とうとした。


 ここで突然背後から肩を叩かれる。「ぴゃあ!」と奇怪な悲鳴を上げて、横に飛び退くカリスタ。ドギマギして振り返ると、フラフラと千鳥足の男性がいた。男性の右手には酒瓶。どうやら泥酔した男性が肩にぶつかっただけらしい。


 こちらのことを気にも留めず、泥酔した男性が通りの奥へと消えていく。カリスタは止めていた息をゆっくりと吐き出すと、泣きそうな気分で独りごちた。


「もう、こんな場所にいたら誤解されるじゃない。ヴィンスとかいう人はまだなの?」


 すでに約束の時間だ。しかし周囲にそれらしい人物は見当たらない。一人顔色の悪い青年が路地の端に座り込んでいるが、こちらを気にする素振りもないため無関係だろう。


「近くに待機できるような喫茶店もないし……ここで待つしかないじゃない」


 そう観念して、ラブホテルから少し離れた位置で待機を始める。人気のない通りとはいえ通行人が皆無というわけではない。ラブホテルの近くで待機していると通行人から好奇の視線が何度も向けられた。顔を赤くしながらその視線を耐えるカリスタ。だがヴィンスらしき人物は一向に現れない。


 そのまま三十分が経過する。まさかすっぽかされたのか。そんな不安が頭を過る。そしてさらに五分が経とうとした、その時――


「うわぁあああああ!」


 男性の悲鳴が聞こえてきた。


 反射的に悲鳴に振り返る。人気のない路地。そこにいつの間にか、数人の人だかりができていた。しかもその人だかりは監獄区で暮らしている亜人ではなく――


 青を基調とした制服姿の軍人であった。


「貴様! どういうつもりだ!?」


 中年の軍人が声を荒げる。怒りに顕わにする軍人たち。その彼らの前に一人の青年が尻もちをついて座り込んでいた。怯えたように肩を震わせている青年を見やり、カリスタは眉をひそめる。彼は確か三十分前から路地の端に座っていた青年だ。


 青年がもともと悪い顔色をさらに蒼白にして、尻もちをついたまま頭を下げる。


「す……すみません。ワザとではないんです。ちょっとぼうっとしていて……偶然立ち上がった時にぶつかってしまっただけで、決して悪気があったわけでは……」


「偶然だと!? デタラメを言うな!」


 平身低頭に謝罪する青年だが、軍人はまるで聞く耳もなく唾を飛ばした。


「薄汚い亜人が! 一体何が目的だ! このクレイグ・スタンプ・スキナー様に危害を加えるつもりならこの場で即刻処分する! 我々にはその権限があるのだからな!」


「危害など……滅相もございません。本当にぼんやりとしてぶつかっただけでして」


 どうやら亜人の青年が軍と誤ってぶつかり、難癖をつけられているようだ。亜人の青年に対して高圧的な軍人に苛立ちを覚えるカリスタ。だがここで彼女は軍人が口にした名前にふと気付く。クレイグ・スタンプ・スキナー。その名前は確か――


(ピエロに殺害されたアルバート・スキナーの……生徒の一人?)


 そう考えたところで、亜人を怒鳴りつけていた軍人が慌てて横に体を避けた。軍人の背後にいた一人の男性が悠然とした様子で前に進み出てくる。四十代と思しき中年男性。大柄な体格に白衣をまとい、右手には銀色のスーツケースを握りしめていた。


 写真で見たことがある。この白衣の男がクレイグ・スタンプ・スキナーその人だ。


 軍人の前に進み出たクレイグが、亜人の目の前で立ち止まり口を開く。


「青年……名は何という?」


「名前ですか? あの……テッドと言います」


 クレイグの落ち着いた口調に、青年の強張った表情がやや緩む。青年の名前を聞いたクレイグが、針のような瞳を細めながらおもむろに左手をかざした。そして――


 クレイグの左手に魔法陣が展開される。


 瞬きをする間もなく、青年の右腕が肩口から切断される。クレイグの展開した魔法陣から圧縮された空気の刃、いわゆるカマイタチが放たれて青年の腕を切り裂いたのだ。


「ひっ――ぎゃぁああああああああ!」


 右腕を切断された青年が悲鳴を上げて地面を転がる。苦しそうに傷口を左手で押さえる青年。その傷口からは大量の血がこぼれ落ち、青年と地面を赤く染めていった。


 倒れた青年を見下ろして、クレイグが表情を変えず冷徹に告げる。


「亜人のようなゴミに名前など必要ない。ましてやこれから死体になる亜人などにはな」


 痛みに喘いでいる青年にクレイグがまたも左手をかざす。魔法で止めを刺す気だ。クレイグから放たれる狂気の気配に、カリスタは青年に向けて駆け出した。


 クレイグの左手に魔法陣が展開されると同時、カリスタもまた魔法陣を展開した。クレイグから放たれた不可視の刃が、カリスタの展開した魔法陣に激突して霧散する。


 カリスタの乱入に騒めく軍人。カリスタは青年とクレイグの間に割り込むと、金色の瞳を精一杯に怒らせて、顔色ひとつ変えていないクレイグを睨みつけた。


「ちょっと止めなさいよ! たかがぶつかったぐらいで何考えているの!?」


「小娘……魔導士か?」


 クレイグの細い目がやや見開かれ、すぐにまた針のような鋭さを帯びる。


「監獄区は厳戒態勢にあり相応の理由がなくては立ち入りが認められんはずだが……まあいいだろう。それより何のつもりだ? まさか亜人を庇いだてする気か?」


「当たり前でしょ! こんな無茶苦茶な言い掛かりで人殺しなんて許されないわ!」


 カリスタの物言いにクレイグが嘲笑する。


「人殺しだと? それは何のことだ? 亜人の始末はただのゴミ掃除に過ぎん」


 クレイグが肩をすくめてすぐに頭を振る。


「私の魔法を防ぐとは大した腕前だ。だがそれだけに残念だ。君のような優秀な魔導士までが亜人などという醜悪な存在を庇いだてするとはな。まったく世も末だな」


「監獄区の亜人にも人権は与えられている! 無闇に殺していいわけじゃない!」


 カリスタの反論を「下らんな」と一蹴して、クレイグが嘲笑を不快げに歪める。


「最近はやりの平等意識という奴か? 若手議員のホープだと祀り上げられているノーマン・シンプソンに触発でもされたか。そのようなもの歴史を軽視する愚者の戯言だ」


「何が戯言よ!」


「亜人に人権などない。連中の存在価値は()()()()()()()()()()()()()ことだけだ」


 亜人への差別意識。それは年配者ほど根強く残されている。特にアルバート・スキナーを筆頭に、彼を支持する者たちの亜人に対する嫌悪は凄まじいと噂に聞いていた。目を尖らせるカリスタに、クレイグが嘆息する。


「君もいずれ私の言葉こそが事実だったと理解するだろう。さあそこをどくんだ」


「いやよ! こんなこと見過ごせないわ!」


 こうしている間にも青年の命は徐々に削られている。魔法による治療をしなければ本当に死んでしまうだろう。青年のか細い呼吸を聞きながらカリスタは焦燥を覚えていた。


「私は忙しい。いつまでもこのような下らないことに構っている余裕はないのだぞ」


「……忙しいって言うのは、アルバート・スキナーの敵討ちにってこと?」


 このカリスタの言葉にクレイグの眉が跳ねる。この話題に触れることは賭けにも近い。カリスタは慎重に言葉を選びながら、クレイグに向けて不敵に笑った。


「こんなところで油を売っていたらピエロが逃げちゃうわよ? アナタがアルバート・スキナーの敵討ちに監獄区に来たのなら、早くピエロを探したほうがいいんじゃない?」


 挑発的にそう告げる。アルバートの三人の生徒。クレイグを含めたその彼らは師であるアルバートを敬愛していると聞いたことがある。アルバートの名前を出すことで、クレイグの意識をこの話題から師の敵討ちへと逸らさせることが目的だった。


 息を呑むカリスタ。しばしの静寂の後、沈黙していたクレイグが口を開く。


「……勘違いするな小娘。アルバート様がピエロなどという不届きな輩に殺されるなどあり得んことだ。事実先生の遺体はまだ、()()()()()()()()()()()()のだからな」


「……え?」


「私が監獄区にいるのは先生の敵討ちではなく別の要件があったからだ。だがつまらん挑発をしたな。少々大人げないが、君にはお灸を据えてやる必要がありそうだ」


 クレイグの気配が大きく膨れる。魔法で攻撃を仕掛けてくるつもりだ。自身の失策に歯噛みする間もなく、カリスタは意識を瞬間的に集中させた。


 だがその時、パンっと乾いた音が鳴る。


「――ぐぁああ!?」


 クレイグが片膝をつく。クレイグの右手に握られていた銀のスーツケース。それが音を立てて地面に落下した。何が起こったのか分からず目を丸くするカリスタ。スーツケースを落としたクレイグの右手が――


 真っ赤な血に濡れている。


「わりいわりい。欠伸混じりにぶっ放したもんだからよ、外しちまったわ」


 人気のない路地にゴツンと乱暴な足音が鳴り響く。苦痛に顔を歪めたクレイグと唖然とする軍人。その彼らから視線を外して、カリスタは路地の奥を呆然と見やった。


 路地の奥から一人の青年がこちらに歩いて近づいてきている。


 青年の容姿は二十歳前後。首筋まで伸びた左右で異なる黒と白の髪。ナイフのように鋭利な黒の瞳に、荒々しい笑みを浮かべた唇。鋲のついた首輪。膝丈下まである黒のロングコートを身にまとい、鋼で補強された頑強なブーツを履いている。


 青年が少し離れた位置に立ち止まった。脂汗を浮かべて片膝をついているクレイグ。苦悶の表情を浮かべたその男を、青年が()()()()()で見据えている。なぜ右の瞳だけなのか。その理由は簡単だ。不敵な笑みを浮かべる青年。その顔の左半分が――


 白い包帯により隠されていたためだ。


「今度はちゃんと脳天をぶち抜いてやるからよ」


 青年が右手を持ち上げて――


 硝煙の立ち上る拳銃を構えた。



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