第二章 岩人形(5/5)
体に巻かれた縄を苦々しく見下ろして、ヴィンスは鋭く舌を鳴らした。
「クソが……俺にこんな真似して、あいつらただじゃおかねえからな」
こうなれば意地でも風呂を覗いてやる。ヴィンスはそう決意すると、部屋にいる五人の軍人を見やった。まずはこの連中の目を誤魔化さなければならないと、ベッドに腰掛けたまま策を巡らせる。するとここで――
一人の軍人が目の前に立った。
「……あん?」
怪訝に眉をひそめる。軍人がおもむろに右手を持ち上げる。軍人の右手には――
黒光りする拳銃が握られていた。
「申し訳ないが君にはここで死んでもらう」
無表情の軍人がそう話す。軍人の右手に握られた拳銃。こちらの眉間に固定された銃口。暗い闇を湛えたその穴を見据えつつヴィンスはニヤリと唇を曲げる。
「ジーンの命令か?」
軍人は答えない。だがそれが回答となった。ヴィンスは「はっ」と小さく笑うと、この場にいないジーンに向けて嘲笑を浮かべた。
「何が自分は亜人を偏見の目で見てねえだ。きっちり嫌ってくれてんじゃねえか」
「違うな。ジーン様は亜人に偏見などない。彼女は正しくお前たちを認識しているに過ぎないんだ。残すべき亜人と処分すべき亜人。それを彼女は見極めている」
淡々とそう話す軍人を、ヴィンスは「勝手言ってくれるぜ」と鋭く睨む。
「俺はその処分すべき亜人ってことか? ぜひその理由を伺いたいもんだね」
「クレイグ様を警護していた軍人から報告を受けている。クレイグ様が亡くなる少し前に黒白髪の亜人が絡んできたとな。この報告にある亜人とは君のことだ。違うか」
「……俺がクレイグの野郎をぶっ殺したと?」
「その可能性があるということだ。殺人鬼のピエロは亜人の疑いがある。そして君はジーン様のもとに現れた。彼女を殺すために屋敷を訪れたのではないか?」
「ひでえ言い掛かりだ。もし相手が魔導士ならそんな理由で処分なんぞしねえだろうに」
「……当たり前だ」
軍人が拳銃の引き金に指を掛ける。
「魔導士と亜人は違うのだからな」
キリキリと拳銃の引き金を引きながら、軍人が眼光を尖らせていく。
「亜人とは言え、縛られて身動きできない者を射殺するなど心が痛むが致し方ない。せめてもの情けだ。苦しまないよう殺してやる」
「……だったら頼みがある」
突きつけられた絶対的な死に、ヴィンスは力なく苦笑を浮かべた。
「撃つなら頭じゃなくこの左胸――心臓を狙ってくれや。脳漿ぶちまけてくたばるなんて汚えだろ? そんな無様は御免だからよ」
「……いいだろう」
軍人の構えた銃口が眉間から左胸、心臓の位置に移動する。拳銃の引き金が絞り切られるまであと僅か。ヴィンスは余計な抵抗をせずその時をじっと待つ。そして――
銃口が弾けると同時、体に巻かれた縄や着ていた服を貫いて銃弾が左胸に着弾した。
背中からベッドに倒れる。拳銃に撃たれて沈黙するヴィンス。彼の左胸に空いた銃痕をしばし見やり、軍人が息を吐きながらゆっくりと拳銃を脇に下ろした。
「――なんてな」
自身から銃口が逸れたことを確認し、ヴィンスはがばりと上体を起こす。ぎょっと表情を強張らせる軍人。ヴィンスは足を振り上げて軍人の股間を蹴りつけやった。
「――がっ……」
軍人が痛みにうずくまる。銃弾により千切れた縄を手早く外しながら、ヴィンスは足元でうんうんと呻いている軍人を見下ろして左胸に空いた銃痕を指差した。
「正確に心臓を狙っていた。いい腕してんじゃねえか。おかげで命拾いしたぜ」
脂汗を浮かべながら困惑する軍人。ヴィンスは足を上げると、股間を押さえているその軍人の顎を踵で叩いた。軍人の頭がぐらりとゆれてその場に昏倒する。
「ど、どういうことだ!?」
ベッド脇で待機していた軍人が動揺しながらも拳銃を構える。自身に向けられた銃口に左手をかざすヴィンス。軍人がパンパンと拳銃を二度発砲して――
「ぎゃああああ!」
太腿を押さえて崩れ落ちた。
ヴィンスの左手に巻かれていた包帯が、受け止めた銃弾により千切れる。ハラリと指先から外れる包帯。その彼の指先は――
まるで鎧のような黒岩に覆われていた。
「跳弾して足をぶち抜いちまったか? 悪いな。俺の左半身は鉄よりも硬えんだ」
「……その体はまさか」
唖然とする軍人たち。ヴィンスは彼らに黒い指先を向けてニヤリと笑った。
「『岩人形』。それが亜人としての俺の変異だ。俺の左半身は頑丈な黒岩に覆われていて、そいつが銃弾だろうとナイフだろうと弾いちまうのさ」
「まさか心臓を狙わせたのは……」
「この左半身の黒岩で銃弾を防御するためだ。お優しい軍人さんで助かったぜ?」
嘲笑しながら自身の拳銃を抜く。武器を手にしたヴィンスに、まだ怪我のない三人の軍人がはっと我に返り拳銃を構えた。
「この化物が!」
三人の軍人が発砲する。ヴィンスは左半身を前にして半身に構えると、右手の拳銃を左わきから覗かせて照準を定めた。そして軍人の銃弾を左半身に浴びながら――
冷静に引き金を引く。
「がぁ!」
軍人の一人が肩を押さえて倒れる。残る軍人は二人。カンカンと左半身の黒岩に弾かれる銃弾。ヴィンスは冷静に銃口を動かして、引き金をまた躊躇いなく引いた。
拳銃を落としてまた一人の軍人が倒れる。残る軍人は一人。この部屋にいる軍人の中で一番若年と思しき軍人だ。拳銃を構えたその若い軍人が表情をひどく怯えさせる。
「あ……ああ……」
若い軍人が引き金を引く。だがカチカチと音が鳴るだけで弾がでない。弾切れだろう。ヴィンスはベッドに飛び乗ると、若い軍人めがけて一直線に駆けた。
怯えている若い軍人の手首を掴み、腕を捻じりながら軍人を壁に押し付ける。関節を決められて身動きができない若い軍人。ヴィンスは拳銃を収めると――
懐から小ぶりのナイフを取り出した。
「簡単な質問に答えてくれねえか? ジーンのいる浴室はここからどう行けばいい?」
「ぐ……それは……」
答えを躊躇う若い軍人。ヴィンスはニヤリと笑い、若い軍人の首筋にナイフの刃を押し当ててやった。軍人から小さな悲鳴が鳴る。
「素直になったほうがいいぜ? なにせ俺は亜人だ。何しでかすか分かんねえぞ」
「……部屋を出てすぐに右に曲がり……あとは廊下をまっすぐ進んで突き当りだ」
「そいつはどうも」
若い軍人の首筋からナイフを離し――
逆手に構えてナイフを振り上げた。
「ま――待て! 約束が違う!」
若い軍人の声になど耳を貸さず、ヴィンスは頸椎めがけてナイフを振り下――
「待ちなさい!」
聞こえてきた声にナイフを咄嗟に止める。
軍人を拘束したまま声に振り返る。廊下に面した扉の前に、一人の女が立っていた。こちらに両手を突き出して瞳を尖らせているその女は――
バスタオルを体に巻いたカリスタであった。
「そんな恰好で俺を誘惑しにきた……ってわけじゃなさそうだな?」
「……そのナイフを下して」
こちらの軽口には応えず、カリスタが真剣な面持ちで言う。カリスタの突き出した両手。そこに青白い魔法陣が浮かぶ。ヴィンスはナイフを構えたまま挑発的に笑った。
「魔導士ったって、最近じゃあ拳銃を始めとする近代兵器の普及によりまともな魔法を使える奴は少ない。ここにいる軍人のようにな。カリスタ。お前はどうなんだ?」
「……私の専攻は魔導科。これでも成績は良い方なんだからね」
「ナイフを下さなかったら魔法で俺を攻撃するか? お前のダチが探せなくなるぜ?」
「だからって……人が殺されるのを見過ごすことなんてできないじゃない」
カリスタが金色の瞳を尖らせた。彼女の両手に浮かんだ魔法陣。彼女の決断ひとつでその魔法陣から強力な魔法が放たれる。つまり拳銃の引き金に指を掛けた状態と同じだ。
ナイフを構えたまま沈黙するヴィンス。その彼を見据えたまま、両手の魔法陣を維持するカリスタ。しばしの静寂。ヴィンスはゆっくり嘆息すると――
構えていたナイフの刃を軍人の頸椎めがけて叩きつけた。
「――な!?」
カリスタの両手に浮かんでいた魔法陣が消失する。力なく床に崩れ落ちる軍人。うつ伏せに倒れたその若者は、そのままピクリとも動かなくなった。
カリスタに振り返る。金色の瞳を見開いて唖然としているカリスタ。瞳を小さく震わせているその彼女を見据えながら、ヴィンスはナイフをかざしてその刃に指先を触れた。そしてナイフの刀身を指先で軽く押してやる。
ナイフの刀身が指先に押されて、柄の中に引っ込んでいった。
「……へ?」
きょとんと目を丸くするカリスタ。間抜け面をする彼女に、ヴィンスは肩をすくめる。
「ただの玩具だ。こいつはビビり過ぎて気を失っただけ。まだ死んじゃいねえよ」
「――ヴィンスさん!」
「お前が一人で勘違いしただけだろうが。それでお前はどうしてここにいんだよ?」
玩具のナイフをしまいながらそう尋ねる。カリスタがバスタオルの位置を指先で直しつつ、むすっと唇を尖らせた。
「……ジーンさんがヴィンスさんを危険だとか言うから……嫌な予感がして」
つまり助けにきたということか。亜人である自分を。ヴィンスはそれを理解すると、仏頂面をしているカリスタに歩いて近づいた。首を傾げるカリスタの前に立ち止まり、ヴィンスは右手をおもむろに持ち上げて――
彼女の体に巻いてあるバスタオルの裾を指先でグイっと引っ張った。
「ぎゃああああああ! ちょっと、何すんのよ! タオルが取れちゃうじゃない!」
「助けに来たなら悠長にタオルなんか巻いてんじゃねえ! 素っ裸でこいや!」
「そんなことできな――ああマジでヤバいって! ホント止めて! 引っ張らないで!」
バスタオルが解けないよう、カリスタがタオルの結び目を懸命に死守する。顔を真っ赤にして抵抗するその彼女に舌を鳴らしつつ、ヴィンスはタオルから指を離した。
「まあいい。ジーンの野郎。たっぷりと礼をしてやろうじゃねえか」
ヴィンスは目尻を尖らせると、部屋を出て廊下を大股で歩き出した。目に涙を滲ませていたカリスタが、こちらの背中を慌てて追いかける。
「ちょっと何するつもりよ? ジーンさんはいま入浴中なのよ」
「知るか。こちとら命を狙われたんだ。風呂上がりを待ってやる義理なんぞねえ」
「それは……そうだけど」
「むしろ裸のひとつでも拝ませてもらわなきゃ割に合わねえぐらいだ」
「そういう発想が最低なのよ!」
それこそ知ったことか。廊下をズンズンと突き進み突き当りに到着する。浴室を警備していた二人の軍人が、近づいてくるヴィンスに狼狽しながらも拳銃を構えた。
「と、止まれ! さもなくば――」
「あ、ピエロ」
「え?」
「どっせええええええええええええ!」
まんまと窓の外に視線を誘導された軍人を、二人まとめてラリアットで黙らせる。失神した軍人を横切り、扉を蹴破り脱衣所へと入る。
「待ってよ。やっぱりちゃんと話し合えない? ジーンさんもきっと分かって――」
「くどいんだよお前は! おらジーン! テメエやってくれるじゃねえか!」
怒鳴りながら扉を開いて浴槽のある部屋へと入る。そしてヴィンスは――
浴室に横たわるジーンの遺体を見つけた。
「――ジーンさん!」
ジーンの遺体を見てカリスタが息を呑む。仰向けの状態で碧い瞳を見開き、虚空を見つめているジーン。浴室であるため彼女は当然裸だ。しかし一見してはそう見えなかった。なぜなら彼女の首から下は――
炭化して黒く変色していたからだ。
ジーンの頭部から視線を下していく。彼女の足が股関節の付け根から切断されていた。浴室の濡れた床に広がる血だまり。どうやら体を焼かれる前に足を切断されたらしい。
浴室の床にある血の跡がガラス戸まで続いている。ヴィンスは無言のままガラス戸に近づくと、ガラス戸を開いて外に出た。そして月明かりを頼りに視線を巡らせる。
だが怪しい人影を見つけることはできなかった。