ハーレム主人公に顔面パンチした幼馴染みヒロイン、チャラ男風な先輩と幸せになる
「ハズレ職アイテムマスターが、ハズレアイテムを使ったらトントン拍子で世界一の冒険者になれた件について~今更より戻してとか言われても断固拒否!~」もよろしければどうぞ
「なぁなぁ後輩」
埃っぽい用具室の中。ちょっと薄暗い電気に照らされた、日本人離れした色素の薄い髪と青い目をした奴に話しかける。
「何ですか、先輩」
「俺の鍛え抜かれた下半身のパッションが収まらないんだが、どこかに俺の下半身を鎮める都合の良い女との出会いの場はないか?」
「くたばれ」
去年高校を中退したこの俺、御影弥次郎の真剣な相談は、パート先の後輩(中卒)である夏目椿によってバッサリと切り捨てられてしまった。その目はまるでゴミを見るかのよう……なんて可愛げのない後輩なんだろう。
「いや、そうは言うけどな後輩。俺は尊敬する猿野社長の言葉に従って、将来女を寝取られないように下半身を鍛え、通信空手を極めたことで中学の修学旅行先の旅館の脱衣所で居合わせた黒人観光客に「Amazing!?」って驚かれる下半身を手に入れているんだ。この下半身を持ち腐れにするわけにはいかないんだよ」
「ホント止めてくれません!? さっきから私へのセクハラが酷すぎますよ!」
「だって、お前くらいしか相談相手いないんだよ。男友達は全員下半身鍛えられただけの童貞ばかりで話にならないし」
こういう相談は一周回って女の方が的確な事を言いそうじゃん? 俺が話す女って言えば、後輩しか居なんだよ。
「あぁ~、彼女欲しい。このパッとしない青春に花を添えてぇ」
「私たち、高校にも通わずにバイト三昧ですからね。同年代との出会いは諦めた方がいいんじゃないですか?」
「……つまり、洗練された大人の女を俺の下半身でアンアン言わせてモノにしろ……そういう事だな?」
「少なくとも、大抵の女性は大っぴらに下ネタを口にする男は嫌いですから無駄な悩みです。……よほどの物好きでもない限りは」
「無駄とは限らねーだろ!?」
それじゃあまるで俺が生涯童貞みたいじゃないか。なんて酷いことを言うんだ。
「まるでじゃなくて、実際にそういう下心丸出しの男性はモテませんよ。先輩は色々とがっつき過ぎです、もっと紳士的になってください」
「……なぜ俺の考えていることが分かった?」
「考えていることが顔に出過ぎですし、先輩ともそこそこ長い付き合いですからね。とにかく、先輩は口を開けば三枚目を地で行く人なんですから、そんなにモテたかったら考えて口を開いたらどうですか?」
どうやら俺がモテないのはトーク技術の問題らしい。下半身ばっかり鍛えてその辺りの努力を怠った弊害を、こんな形で被ることになるなんて。
「やっぱり彼女を作るには、風俗嬢を俺の下半身で墜とすしかないか」
「……先に言っておきますけど、未成年で風俗に手を出すのは犯罪ですからね?」
「ははは、やだな。そんなことは分ってるって」
スマホに表示されていた風俗サイトを消して待ち受け画面にする。俺はまだ十七歳だし、逸る気持ちを抑えるのって、大事だよね。
「大体、収入がバイトだけな先輩が風俗なんて生活が破綻するから止めておいた方がいいですよ」
「確かに……それで生活できなくなったら元も子もないな」
就職のための資格取る為には金がいるしな。ただでさえ高校中退なんていうハンデあるのに。
下半身を極めた俺は、迸りそうなパッションを延々と貯め続けることが出来る。そしてそれを最大の力で開放することが出来るのだ。我慢できなくはないんだけど、初体験で歯止めが効かなくなるって言うのもな……。
「あ、出会い系なら……」
「知ってます? 出会い系って、詐欺の温床なんですよ? プロフィール写真と実際の顔が全然違ってたり、女性と偽って実は男性だったり」」
「くそっ! この世の中はなんて汚いんだ!」
八方塞がりとはこの事か……こんな調子じゃ、俺は何時になったら童貞を卒業できるんだ!?
「……大体、そんなどこの誰とも分からない上にお金のかかる女性を選ばなくても、もっとお手軽なのが身近に居ると思いません? 客観的に見ても顔が良くて、散財も嫌いで、浮気も絶対にしない、先輩の彼女になって……エ、エッチな事も受け入れてくれそうなのが」
「うっそ!? 誰誰!? そんな都合の良い女がいるの!? 紹介してくれ!」
「…………絶対に嫌です」
「どうして!?」
プイッとふくれっ面を明後日の方向に向ける後輩に全力でしがみ付く。
何でそんな意地悪な事をするんだ!? 目の前に餌をぶら下げてお預けするなんて!
「ちょっと何してるんですかスケベ! どこ触ってるんですか!? 放してください! ズ、ズボンが脱げちゃうから!」
「俺がどれだけ童貞を卒業したがっているのか、お前も知ってるだろ!? そんな都合の良い女、見逃すわけにはいかないんだ!」
鍛えた下半身があっても女っ気のない、このまま童貞を貫いて魔法使いになってしまうんじゃないかという恐怖がなぜわからん!? 女だって処女を拗らせたら煙たがられると聞いたことがあるのに……!
「あーもう! このさも「俺には縁がないから貴重なチャンスを逃せない」みたいなことを考えていそうな顔がすっごい腹立つ! どうしてこんな……!」
「御影くーん、夏目ちゃーん、休憩時間だからって騒ぎすぎちゃダメよー」
「「ごめんなさい!」」
パートリーダーの田村さんに怒られて、俺たちは箒を持って外に掃除しに出かけることにした。
=====
私……夏目椿がこれまでの人生で好きになった二人の男性は、それぞれ違う意味でどうしようもない人だった。
元々、祖母が白人で、隔世遺伝で日本人らしくない外見をした私は、小学校時代にはそれなりに苦労した。
集団なんて言うのは、異質な存在を受け入れ難いものらしく、それは小学校でも同じ……色素の薄い髪と青い目で「外人だ」と特に意味もなく仲間外れにされた私は、ずっと孤立した小学校時代を送っていたのだ。
更に言えば私は帰国子女で、当時日本語が上手く喋れなかったのも影響があるんだろう。その影響で、今でも敬語っぽい口調で話してるし。
苛められなかったのがせめてもの救いだろうけど、皆が友達と仲よく遊んでいるのを傍から見るだけの日々は、幼心に堪えたのを覚えている。
「君すっごく綺麗な髪と目だね! 僕は御剣刀也っていうんだ! 君も僕と一緒に遊ぼうよ!」
そんな私に初めての友達が出来たのは小学校3年生の時……たまたま同じクラスになった、御剣刀也と出会った時だった。
当時の私はずっとコンプレックスになっていた髪と目を褒めてくれたのと、初めて友達になってくれると言ってくれたのが嬉しくて、珍しく外国人に偏見のない刀也と、そんな彼の友達とはすぐに仲良くなれた。
夏になればプールやお祭りに行ったりしたし、秋の遠足では同じ班。冬になればクリスマスやお正月を一緒に楽しんだし、春になればクラス替えで一緒に一喜一憂したりと、私はとにかく刀也と一緒に過ごしていたっけ。
そんな私が、皆の輪に入れる切っ掛けをくれた刀也の事が好きになるのは自然な事だろう。
彼とどうしても結ばれたくて努力を惜しまなかった。中学に上がってから他の男子に告白されることも多くなってたから見た目は良い方だっていう自覚はあったから、それを必死に磨いたりしたし、大抵の人に好かれるような人格者になろうと自身を見つめ直した。
その甲斐があって、中学二年生の時に刀也の方から告白してくれて、私は十四年の人生で一番の幸福を噛みしめたものだ。
客観的に見ても、私と刀也の付き合いは順調だったと思う。付き合いが長いだけあってお互いのパーソナルスペースみたいなのを理解してたし、ゲームや漫画といった年頃の男の子らしい趣味も、私は好きだった。
手を繋ぐのが精一杯でキスも出来ずにいたけど、この初々しい恋人関係が何時までも続くように、刀也に飽きられないように、他の男に目移りなんかせずに思いつく限りの努力をし続けた。それもひとえに、刀也の事が好きだったから。
それでも、そんな努力は私の独り相撲だった。
二人の関係がずっと続くように努力していたのは私だけ……中学三年になって受験シーズン真っただ中。お互い同じ高校に行けるように勉強するために必然的に会う時間が減った頃、刀也は浮気した。それも私が見たり聞いた限り、十人以上と。
こっそりと後をつけてみると、人気のない場所で抱き合ったりキスしたりしてたからそうなんだろう。問い質してみると、刀也本人も浮気相手の女子たちも挙って認めた時は眩暈すらしたものだ。
元々、八方美人というか、不思議と女の子……それも可愛い子との縁に恵まれていて、昔から女友達が多い人だったけど、まさか正式に付き合っている女子がいるのに浮気なんてする人だなんて、思いもしなかった。
女友達くらいなら幾らでも許容できる。あくまでも友達の範疇に止めていられるなら。でも浮気となれば話が違う。
それでも私は刀也の事が好きだったから、何とかして他の子と縁を切って欲しかった。浮気なんてありえないって、泣いて縋った。今縁を切って私だけを見てくれるなら、この浮気は無かったことにするからと。
「俺の事を好きだって勇気を振り絞ってくれた女の子たちの想いを無下にするようなことは出来ない。俺は椿も皆も纏めて幸せにしてみせる……俺を信じてくれ!」
それでも、私の言葉は届かなかった。
幸せにするだなんて、今まさにこうして堂々と浮気を公言して、不実を正当化するかのように浮気を認めろだなんて、一体どの口で言っているんだと。
「昔から男の浮気は甲斐性だと言いますでしょう? 未来の旦那様のハーレムすら許容できないなんて、懐が小さいのではありませんの?」
他の浮気相手の子たちもそうだ。どうして自分の恋人が浮気をしているなんて馬鹿げた状況を許すどころか推奨するような真似をするのか、私にはまるで理解できない。ハーレムって、そんなの創作や大昔の産物で、今の法治国家で認められてるようなものじゃないのに。
なんかもう、全てが気持ち悪く思えた。刀也も、浮気相手たちも、それに関わってる自分自身も。
本当なら、平手打ちの一発でもかまして、あんな浮気男振ってやればよかったと、今でも後悔している。でも当時の私は、異様な状況に頭が付いて行けず、刀也との曖昧な交際を続けることを選んだ。
多分だけど、あの時の私はまだ刀也に期待していたんだと思う。ハーレムなんて許されるはずのない夢から醒めて、前みたいに健全な恋人関係に戻れるんじゃないかって。幾ら浮気されたからって言っても、簡単に割り切れるほど私の初恋は短くなかったし、そこまで大人になれていなかったから。
もし過去に戻れるなら、今の私は昔の私の頭を全力で引っ叩いてる。そんな男とは今すぐ別れろって。
でもそんなことできるはずもなく、それから一年にも満たない残りの中学校時代は、私にとっての地獄だった。
最初は些細な事だった。鉛筆や消しゴム、ヘアピンと言った消耗品が頻繁に無くなる程度の、私本人ですら気付けない嫌がらせ。
それがだんだんとエスカレートしていき、教科書やノートが破り捨てられる、机や椅子を隠される、靴や体操服が学校周りの用水路に捨てられるなど、学校生活に支障が出るようなものにまで発展していった。
犯人なんて、直感で理解できた。刀也のハーレムメンバーたちだ。それを肯定するかのように、彼女たちは毎日校舎裏など人気のない場所に連れていき、殴ったり蹴ったり暴言を浴びせたり、バケツに満たされた水を頭の上からかけるとか、陰湿な嫌がらせを誰にも気づかれないよう、協力しながら続けてきた。
彼女たちの言い分を要約すれば、抜け駆けして一番初めに刀也の恋人になったっていう私の事が気に入らないらしい。
私としてはそんなつもりは一切なかったんだけど……私よりも刀也との付き合いが長い、これまで親友だと思っていた女友達もハーレムメンバーに混ざって私を苛めてきたショックで、何も言い返せなかった。彼女の気持ちも知らないまま刀也と結ばれるなんて、無神経な事をしたんじゃないかって。
それでもこの状況を何時までも甘んじているわけにもいかない私は、ハーレムメンバーたちが私に暴力を振るっている時の音声をスマホに録音し、刀也に助けを求めた。
これを聞けば、刀也だって分かってくれる。あの頃に戻れる。そう信じて疑わなかったけど――――
「あの子たちがこんな事をするはずがないじゃないか! こんな合成音声まで用意して彼女たちを貶めようなんて……見損なったぞ!」
ここでも、私の期待は盛大に裏切られてしまった。
苛立ちをぶつけるようにスマホを壊され、憎々し気に私を睨みつけて去っていく刀也に何も言えなくなって、それから数日の間は頭の中が空っぽの状態で過ごしていた。
両親に心配かけたくない気持ちだけで、思い足を引き摺って惰性で登校を続けてきたけど、苛めはなくなるどころかエスカレートするばかり。刀也に見捨てられたのがきっかけで私の精神は限界を迎えて、トドメとばかりに最低な出来事が起こった。
今でも思い出したくもない……ハーレムメンバーたちに女子トイレに連れ込まれたと思ったら、そのまま無理矢理服を脱がされて、全身に落書きされた姿を写メで撮られた。少し前までは女友達だと思って付き合ってた人も混じっていたことも相まって、余計に恥ずかしくて、辛くて、苦しくて。
それからの記憶はしばらくない。気が付けば私は全身落書き塗れの状態で学校を無断で早退して家に帰り、台所の包丁で力一杯お腹を刺して……気が付いたら、病院のベッドの上に寝ていた。お腹を刺してすぐにお母さんが家に帰ってきて、救急車が呼ばれたらしい。
「ごめんね……! 気付かなくて、ごめんね……!」
これが切っ掛けとなって、家族皆に苛めの事がバレた。後になってから幾らでも相談すればよかったと反省してるけど、この時の私はただ皆に心配を掛けたくないっていう気持ちが強すぎて、何でもないとばかりに何時も気丈な振りをしてた。
だからベッドの脇で泣いてるお父さんやお母さん、妹に謝らなくていいと言いたかったけど、諸々の出来事がショックで何も言い出せず、ただ家族の嗚咽を聞いていることしか出来なかった。
それから当然のように、私は学校に通わず引き籠りになった。
時折、リビングで電話越しに怒鳴っているお父さんとお母さんを見たけど、多分学校に苛めに関して抗議しても上手くいってないんだろう。対応する側にもよるけど、いざ保身に走ろうとしたら徹底的にいじめ問題を有耶無耶にするのが、学校という場所だ。
一応、内申点に響かせないとは言われたけど、受験勉強なんてできる精神状態じゃなく、そのまま三月末まで何もせずに引き籠っていたせいで学歴がストップ確定。高校なんて、入学すること自体早々に諦めた。
部屋の布団の中に閉じこもって、蘇る嫌な思い出に苛まれながら無為に過ごすだけの日々。どうにかしなきゃと頭では分かっているのに、気持ちと体が理性についてこれない。
とにかく心に負った傷に折り合いを付けることに必死なだけの私が、ある日夜中に水が飲みたくなってリビングに降りた時、家族皆がこっそり話し合っているのを聞いた。
「やっぱり、椿を連れて遠くに引っ越してやり直した方がいい。娘の為なら会社での立場なんてどうでも良いからな」
「そうね……いっそのこと、誰も椿の事を知らない遠くの田舎でのんびりとあの子の心が癒えるようにしたほうがいいかも。桜も、それでいい?」
「……うん。お姉ちゃんの為だもん。我慢する」
それを聞いた時、私は安心するよりも愕然とした。
だってお父さんはこれまでの仕事の頑張りが認められて、近々専務に昇進するかもって言ってた。お母さんだって、経営してる英会話教室が盛況でやりがいがあるって言ってたし、妹の桜は私なんかと違って学校で沢山友達がいるって、毎日楽しそうだったのに……私のせいでそれら全てを失うっていうのか。
「……何やってるんでしょう……私」
悟られないよう、そっとその場を離れて再び部屋に引き籠る
私の存在そのものが、家族を不幸にしている。そう考えたらネガティブな気持ちが止まらなくなって、私は衝動に駆られるまま遺書を書き、皆が寝静まった深夜に間宮高校に忍び込んだ。本当なら、刀也と一緒に入学するはずだった高校だ。
ただでは死ねない。学校のホームページで知ったけど、丁度明日は入学式だ。これまで刀也と、そのハーレムメンバーたちに何をされたのか……それを事細かに記した遺書を残して屋上から飛び降りて、刀也たちの入学式を凄惨なものにしてやる。
それに私が死ねば、これ以上家族に心労を掛けることもない。
幸か不幸か、見回りにもバレず、古い旧校舎側の屋上の扉は鍵すら付けられていない。このまま遺書を残して飛び降りてやろうと、柵を乗り越えたその時――――
「あん? 何だ? 何やってんの?」
「っ!? こ、来ないで!」
私に続いて、屋上に上がってきた人がいた。驚いて振り返ると、そこにいたのは明るい髪にシルバーアクセサリーを身につけた、見るからに不良って風貌の人。
着崩しているけど、間宮高校の制服を着ているし、多分在校生だだろう……背中には大きめのリュックサック、両手には大きなカバンという大荷物を抱えている。
「こ、来ないでください‼ わ、私は今日死ぬんです……!」
「え? 何? 自殺? ちょっと勘弁してよ。俺今日ここに泊まる予定なんだから」
自殺を止められると思った私は彼に向かって威嚇するように言い放つが、彼は迷惑そうな顔をしながらそんなことを言ってのける。
「さっきアパートが火事になってここ以外に泊まるとこねぇんだよ。バイトから帰って寝落ちして起きたら玄関と台所が燃えててさぁ。慌てて大事な物を鞄に詰めて窓から飛び降りたんよ」
……色々と突っ込みたいところが多すぎる。だからそんな大荷物なのか。よく見てみれば背中に紐で小さなテレビを括りつけている。
「夜中だから友達ん家に行くのも悪いしホテル代も勿体ないしさぁ……なのにこんな所で自殺なんてされたら、俺が容疑者扱いされて警察に御用になっちゃうじゃん。分かったら帰れ、しっしっ」
「な……!? 何も知らないくせに、一体何を――――」
「知る訳ねぇだろ、テメェの事なんざ。それとも説得でもされると思ったか? 初対面の奴になんか言われたくらいで、自殺諦めんの?」
この時、胸の奥から広がった怒りがすぐさま鎮められた。
この人の言う事は尤もだ。こんな見ず知らずの人に何言われても心に響かなかっただろうし、仮令説得されても私は日を改めて自殺しただろう。
でも今まさに死のうとしている人に対してここまで言ってくるとは思わなくて、私は飛び降りることも忘れて呆気を取られた。
「というわけで、さっさとお家に帰りなさい」
「ちょ、何するんですか!?」
一体何がしたいんだろうと思っていると、彼は乱暴に私の襟首を掴み上げて、私を柵の内側へと戻そうとする。
「離してください‼ 私は今日死ぬって言ったじゃないですか!」
「そりゃテメェの都合だろうがよ! 死ぬなら余所で死ねっつってんだ!」
「知りませんよ! それこそそっちの都合じゃないですか!」
何なんだ、この人は!?
ここまでされると私も意地になって、柵を力一杯掴んで抵抗し、二人でギャーギャー騒ぎまくっていると、再び屋上の扉が開け放たれた。
「コラァアアアッ‼ 夜中の屋上で騒いでるのは誰だぁああああ‼」
「げっ!? 今日の宿直、生徒指導の鬼原先生だったんすか!?」
「国原先生だ、馬鹿者! というや、やっぱり御影だったか! ……む? そちらの彼女は?」
「自殺志願者みたいっすよ。ほら、遺書みたいの持ってるし」
「ちょ!?」
「……君も宿直室に来なさい」
その後、抵抗してはみたけど、御影と呼ばれたこの人にあっさりスマホを奪われて親を呼ばれた。怒られながら反省文を書かされている御影さんを見ながら待たされることしばらく、荒い息を吐きながら両親が宿直室に飛び込んできた。
荒い足取りでズンズンこっちに向かってくる両親に叩かれる……そう思った私は思わずギュッと瞼を閉じたけど、予想外な事に二人は泣きながら私を強く抱きしめてきた。
「よかった……! 家から居なくなった時は、どうしようかと……!」
これは後から聞いた話だけど、二人は夜中に起きたら私が部屋に居ないのを知って、もしかして自殺でもしに行ってしまったんじゃないかと不安になり、近所を走り回りながら探していたらしい。
結局自殺なんてできる状況でもなくなった私が両親に連れられて家に帰ると、妹にまで盛大に泣かれて、その時思った。
私が死んだら、私の家族は今よりも苦しむことになる。そう考えると、刀也たちなんかの為に自殺するのも嫌だなって思えてきた。半年以上心労を掛けてきたんだ。立ち直って、もういい加減に家族を安心させないといけない。
不服にも、第一印象が悪くてデリカシー無さそうな御影さんが切っ掛けでそのことに気が付けた。
=====
あの後、両親に言って引っ越しは取り止めにしてもらった。私の為に皆の生活や仕事が大きく変わるなんて、個人的に耐えきれそうにないし、私は私で時間をかけてでも立ち直るからと。
御影先輩と再会したのは、学校には通わないまま、精神科病院に通いだして二ヵ月ほど経過したある日のことだ。
「あ。自殺女だ」
お腹の傷も塞がり、精神科病院に通院したおかげで、刀也たちが学校に居て出くわすようなことがない時間帯だけだけど、ようやく一人で外を出歩けるようになった私はスクーターに跨る御影さんとバッタリ出くわし、開口一番そう呼ばれた。
「その呼び方止めてください。もう自殺とか考えてませんし」
「あ、そうなの? でも俺お前の名前知らないしなぁ」
「……夏目です。夏目椿……15歳です」
「おお。てことは、後輩か。どもども、御影弥次郎、高校二年の16歳だ。よろしく」
この時、私たちは初めてお互いの名前と年齢を知ることになった。やっぱりこの人は先輩だったらしい。
「ていうか、お前こんな平日の真昼間にブラブラしてどうした? サボりか?」
「サボりじゃありませんよ。……高校自体、入学してませんし」
「ふーん」
あんまり興味無さそうな様子の御影さんだったけど、この反応は正直有り難かった。嫌な過去をほじくり返すような真似、したくもないし、してほしくもなかったし。
「そっちこそサボりなんじゃないですか? 今の時間だと、授業中でしょう?」
「あぁ、俺は――――」
御影さんは何かを言いかけたかと思いきや、マジマジと私の顔を見つめる。
「な、何ですか?」
「お前、学校もないんだったら暇だよな?」
「暇って……いや、まぁそうですけど……」
正直、物申したくはあったけど、何も言い返せなかった。事実私は中卒の無職だったし、用もなく散歩してただけだったし。
「だったら丁度いい。ちょいと助けてほしいことがあるんだわ」
「は、はぁ? どうして私が?」
「そう言うなって。ちょっとした荷物持ってほしいだけだし、ちゃんと礼はすっからさ」
結局無理矢理押し切られて、私はシートの隠し収納スペースに入ってた予備のヘルメットを被せられ、スクーターの後ろに乗せられる。それでどこに行ったかと言われれば、そこは今まで私が行ったことがない隣町にある、結構年季が入ったスーパーだった。
「今日ここでめっちゃタイムセールがあるんだよ。鶏むね肉150円。卵一パック50円だぜ? ヤバくね? でもこれがお一人様一つまででさぁ」
「もしかして、それで学校サボったんですか? 私を使ってセール品を二つ手に入れようと?」
「そういう事。当然、金は全部俺が持つからよ」
「はぁ……ここまで来ましたし、いいですけど……」
そう言って軽率に付き合ったことを、私は軽く後悔した。
「オラオラ退けやババァども! このエノキは俺のモノなんだよ! 加齢臭のする手で触んじゃぬぅえ―‼」
「現れたな、御影のクソガキャア! 家族の食卓を預かる母親の力、その身に叩き込んでくれるわ!」
「専業主婦歴45年! まだまだ若いもんには負けはせんわい! かかってきんしゃい!」
「既婚者がなんぼのもんじゃぁ! 独り身童貞がそんなに悪いかぁ! ヒャハハハハハ!」
そこは、年関係なく多くの主婦たちが、セール品を巡ってアクション映画さながらの格闘戦や空中戦を繰り広げる、私なんかが踏み入ることすら出来ない戦場だった。
とにかく御影さんが手に入れたセール品を守るのに必死で、どうやって店を出たのかも覚えてないけど、とりあえず無傷で帰路に付けたのは奇跡だったとしか……。
「チッ……宮川のオバさんめ。まんまと豚肉を奪っていきやがって。だが食パンは確保してやったぜ。お前のおかげで大収穫だ、ありがとよ」
「なんかもう、どっと疲れました」
全身くまなく青痣だらけになって鼻血を垂らす御影さんはグッと親指を立てる。一体あのスーパーは何なんだと聞いてみると、どうやらあのスーパー近隣の主婦は皆修羅の集まりで、他の町の主婦は寄り付きもしないのだとか何とか。もう意味が分からない。
「さて、おかげで食費も浮いたし、礼に昼飯御馳走してやるよ。時間的にそろそろ食うだろ?」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
人間の体が図太く出来てるのか、精神科の先生のおかげか、私も少しずつ食欲が戻ってきて、今では三食食べれるようになったし、そろそろお腹が鳴りそうだ。お願いに付き合わされて時間も取られたし、このくらいの恩返し受けてもいいだろう。
こうしてお昼をご馳走になったわけだけど、その時の話の流れで、刀也の浮気発覚前に買ったゲームの話題になった。
「マジで!? お前もモンバスやってんの!? アカウント教えるから一緒にやらね?」
「……買ってから一度も開封してないから、データも初期状態で弱いですよ?」
「いいっていいって。ゲームなんて楽しくプレイすりゃあいいんだよ」
モンスターバスター、通称モンバス。ネットを通じて通信プレイが出来る、世界的に人気な狩猟ゲーム。私もこのシリーズが好きで結構昔からプレイしてるんだけど、御影先輩もモンバスが大好きらしい。
刀也とのことや受験勉強があったから、とてもゲームで遊ぶ気分になれなくてずっと仕舞われてたけど、押し切られる形でようやく包装紙を破ることになった。
「うわっ……本作って、こんなに細かくキャラメイクできるんですね」
何があったとしても、楽しいものは楽しい。学校にも行かずにゲームなんて、本格的に引き籠りなってきたなぁって自嘲したものだけど、私は久しぶりに遊ぶことの楽しさを思い出した。
色んなことが変わってしまって、この世界に良い事なんて何一つないって思っていたけど、私の好きなものは変わらずそこにあり続ける。それに気づけた私は、少しずつ嫌な記憶を思い出さなくなってきていた。今までは苛めや浮気の事が夢にまで出てきて眠れなかったのに。
ただ、どれだけ楽しくても上手く笑えるほどには回復できていない。久方ぶりに遊んだ私は、その事実を突きつけられざるを得なかった。
=====
それからゲームを通じて、私は御影先輩の事を詳しく知ることになった。
学校の救済制度で、学力試験をパスして作文と面接だけで高校に入学した不良生徒であるという事。
娯楽と付くものはインドアやアウトドアに関係なく何でも好きで、特にゲームがお気に入りという事。
市民会館で清掃のバイトをしていて結構忙しいという事。
その分学校に関することはおざなりで、授業さえ真面目に受けてれば進級させてもらえるという制度をフル活用して、テスト勉強とか一度もやっていないと言う事。当人曰く、卒業資格以外に学校に目的を見いだせないらしい。
「俺の下半身は、ブラジル人を遥かに超越している……! これでモテない方がおかしいな」
「それはない」
「なんだと? 俺の下半身がブラジル人如きよりも下だっていうのか!?」
「そっちじゃありませんよ! 女性の前でなんて話題を振るんですか!?」
そしてなにやら、お……男の人のあれ……もとい、自分の下半身に自信を持っているという事。
どうやらこの男、下半身を鍛えれば彼女が出来ると信じている節があるが、そんなことはあり得ないと、同じ女として断言したい。
何というか、喋ると三枚目の典型なのだ。少なくとも私だったら、女の子相手にこんな明け透けで下心を隠す気もない人を彼氏にするとか、絶対に嫌だし。
その一方で就職のための資格取得のために勉強していて、近々パソコン関連の試験を受けるとか言っていたから、真面目なのか不真面目なのか、何とも判断に困る人だと、これまでの付き合いで理解できた。
あと……先輩のお父さんが不倫して多額の慰謝料と養育費を一括で払って音信不通になり、お母さんも先輩が中学の時に事故で亡くなったという事。
今は母方の叔父が保証人となって、保険金と遺産、バイト代で小さなアパートで独り暮らししているらしい。祖父母は既に他界していて、叔父さんも結構な大家族を養ってるから、あんまりお世話に慣れないのだとか何とか。
「お袋は大金が手に入ったって笑ってたけど、隠れて泣いててさぁ……ありゃあ、テメェの奥さんにさせる顔じゃねぇよ」
不謹慎な話だけど、お父さんが不倫して絶縁状態になったと聞いて、親近感が湧いた。この人も浮気で傷ついた人なんだなって。
先輩は浮気なんてしないだろうなって思った。喋れば三枚目なところを治しさえすれば、きっとこの人の彼女になれる人は幸せなんだろう。誠意をもって付き合ってくれる、それだけで幸せなんだって言うのは、私は良く知っている。
それに何だかんだで、ある程度気が利くところもあるのだ。さりげなく荷物とか持ってくれるし、歩幅が全然違う私に合わせて歩いてくれたりするし。何より、引き籠りの私の事を詮索するようなことはしなかった。
本人は興味ないとか言ってたけど、気を使われてることくらい分かる。
そんなある日、私を苛めていた刀也のハーレムメンバーたち全員が、親と一緒に家の前まで謝りに来た。
私を気遣ってか、在宅に切り替えてネットで英会話授業をするようになったお母さんが怒って追い返してたから直接会ってはいないけど、どうやら中学時代に私にしたことが大々的にバレて、各方面から凄いバッシングを受けたらしい。
少しネットで調べてみたら、私の情報だけを可能な限り伏せた苛めの内容が、ハーレムメンバーたちの顔と実名付きでネットに晒されていて、彼女たちのSNSが炎上していたのだ。それを知った親御さんたちが雷を落として謝りにきた……というのが事の顛末らしい。
一体誰がそんなことをしたんだろうと思っていたある日……先輩が学校を連続で休むようになった事を、昼間に買い物している先輩を見つけて知った。本人はサボりだと言っていたけど、問題ない程度には出席するスタンスの先輩が、何日も連続で休むというのは少し違和感がある。
「もしかして先輩、停学になったりしました?」
「……なんのこっちゃ」
なんて言っていたけど、怪しい。この人、嘘を吐く時はそっぽを向く癖があるのだ。
なんだか事情に聞くに聞けずにいたけれど、偶然にも先輩の学校の生活指導をしている、国原先生と再会することになり、先輩が停学した経緯を教えてくれた。
驚いたことに、ハーレムメンバーの悪事が表に出てきたのは先輩やその友達の仕業らしい。ひょんなことから事の経緯を知った先輩は、その時に私の写真が入った彼女たちのスマホからデータを全部消したり、ついでに簀巻きにして顔にクモとかムカデとかゴキブリを這わせたりしたりしてたそうだ。聞くだけで恐ろしい。
でも正直、胸がすいた。先輩がどう思っていたかはともかく、仇を討ってくれたみたいな気がして。
思い返せば、この時から先輩の事を見る目が少し変わったんだろうなぁって思う。
=====
「モンバスのイベント行かね?」
停学中。先輩が伝手でモンスターバスターの新作発表イベントのチケットを二枚手に入れて、私を誘ってきた。私もこれには興味があったので誘いに乗ったんだけど、日本各地から集まってきた大量のファンでごった返しになっているイベント会場は、人付き合いが希薄な無職にはなかなか厳しい。
人波に流されて逸れてしまいそうになった私だったけど、そんな私の手を先輩が握って引っ張ってくれた。
大きくて、温かい、力強い手。不覚にもちょっとドキッとした。普段のデリカシーのない先輩を思い出して、必死に冷静になる。最近の私はちょっと変だ。先輩の言動を一々気にしている。
先輩のスクーターの後ろに乗せてもらった時もそう。別に先輩のスクーターに乗せてもらう事なんて何度かあったのに、背中の大きさとか、がっしりした体つきとか、変に意識してしまう。
そんな変化に戸惑いながらもイベントは無事に終わり、夕方にスクーターの後ろに乗って家に送ってもらう最中、先輩は海の前で突然スクーターを止めた。
「ちょっと待ってろ」
そのまま砂浜の方へと向かっていく先輩。一体どうしたんだろうかと考えながら、私は何となく海を眺める。
夕焼けで赤く染まった綺麗な海。刀也に告白されたのも、こんなシチュエーションだった。
あぁ、嫌だな。刀也の事なんて、思い出したくなかったのに。
良い事も悪い事も、刀也と過ごしてきた。夕日の砂浜で告白してくれたのは本当に嬉しかったし、喜びすぎて波に足を取られた私たちが一緒に転んで笑いあった日は、一生忘れることのない綺麗な思い出になるんだと確信していた。
なのにもう、あの時のことなんて嫌な思い出にしか思えない。これから私は海を見る度に、こんな気持ちになるんだろうか――――
「あー、ヤバい! 開放感が、開放感がパネェ。変な趣味に目覚めちゃいそうだ!」
そんな私のセンチメンタルな気持ちは、先輩が海に向かってオシッコする音で木端微塵にされた。
「ぎゃー!? 海を汚すなぁー!」
「しゃーないだろ!? オシッコ我慢できなかったんだ! この道コンビニとか全然ないんだよ!」
「だからって! 私、女の子なんですけど!? もうちょっと人目考えてくださいよ! なんてもの見せつけるんですか!?」
「見せつけてねーよ。背中はちゃんと向けてるだろ?」
「それだけでセクハラにならないと思ったら大間違いですけど!?」
最悪だ。本当にこの人は最悪だ。そんなんだから彼女が出来ないんだ。
なんかもう、何もかも馬鹿らしくなって涙が出てきた。目からボタボタ零れる雫は、堰を切ったかのように止まらない。
「お、おい。なに泣いてんだよ。そんなに俺の下半身に驚いたのか? 確かに鍛え抜かれた俺の下半身は刺激が強かったかもだけど、夕日が逆光になって見えなかっただろ?」
「違う……違いますよ、馬鹿……そんなんじゃなくて……」
自分の中でグルグル渦巻く感情に我慢できず、それをどうにか発散したくて、私はポツリポツリと話し始める。
刀也という幼馴染みが居たこと。その幼馴染みと付き合うようになったこと。嫉妬された友達に苛められて、刀也はそれを信じてくれなかったこと。それが嫌になって引き籠りになって、自殺までしようとしたこと。
二人で並んで砂浜に座り、先輩が黙って私の話を聞いていた。話し終わってしばらく経っても、先輩は黙っていた。
「……なんか言ってくださいよ」
「何かって言われてもな……他にも男がいるとか、気にするなとか、スカスカの言葉しか浮かばねぇし。強いて言うなら、浮気発覚の時点で一発殴って別れりゃよかったのに、としか」
「ですよね」
私だって逆の立場なら言葉に困る。……ていうか。
「さっきから何を描いてるんですか?」
「うちの学校の有名人、いけ好かないハーレム野郎の御剣刀也。ま、元ハーレム野郎だけど」
「……妙に上手いですね」
「これでも手先は器用なんだ」
当然と言えば当然だけど、刀也は悪い意味で有名らしい。それはそうだ、大勢の女子と何股もしている男に、良い印象なんてあるわけもない。もっとも、先輩がハーレムメンバーとひと悶着あってからはバラバラになって、刀也含めた全員が孤立しているらしいけど。
そんな刀也の特徴をよく表した大きな絵を、落ちていた木の枝で砂浜に描くと、先輩は私に木の枝を渡してくる。
「昔のことに口出ししてどうこうできるほど出来た人間じゃねぇけどよ、これからの事とストレス発散は手伝えるぞ。手始めにストレス発散からどうぞ」
「ストレス発散って……」
「どうやるのか分からねぇのか? こうやるんだよ……見ろ、鼻毛男爵御剣爆誕だ」
そう言いながら、先輩は刀也の絵の鼻から長い長い鼻毛を書き足す。それを見て要領を得た私は先輩の手から木の枝を取り、グサッと刀也の顔に突き立てた。
「何が……何が皆を幸せにするですか‼ 彼女一人泣かせといて、思い上がるなっ‼」
私は木の枝を剣に見立てて、絵を本物の刀也に見立てて、怨嗟の声を叫びながら切り裂いたり突き刺したりしまくる。
「私がどんな気持ちだったのかも考えずにチヤホヤされて良い気になって! 倫理観何処に捨ててきたっていうんですか!? 裏でどれだけドロドロした展開があっても無視して! 貴方なんかと付き合ってたのが、私の黒歴史だっていうんですよ!」
「ぎゃー、痛いー。やめてくれー。僕チンが悪かったよぉー、ぶひぃー」
「やめません! 絶対にやめません! 死んで、私に、詫びなさい! あと先輩、アイツの一人称は俺ですから! もっとリアリティ込めて!」
刀也の声真似で情けない悲鳴を当てれ越してくれたことでより一層興が乗って、刀也の絵をグチャグチャにし、トドメとばかりに蹴り飛ばして――――
「下半身もげて死んじゃえ! バァアアアアアアアアアアアアカッ‼」
夕日の海に向かって全力で叫ぶ。気が付けば荒い息を吐きながら、髪の毛グチャグチャになってるし。なんでこんな根暗な事をハイテンションでやってたんだろ、私たち。
「先輩……ありがとうございます。ちょっとだけ、ちょっとだけですけど気が晴れました」
でも暗鬱とした気が晴れたのは本当だ。その気持ちを込めてお礼を言うと、先輩は体ごと顔を背けながら、変に真面目な口調で言う。
「おー、手助け料一億で良いぞ。ローンも可」
「なんですか、それ。ぼったくりすぎでしょ」
本当に、素直じゃない人だ。
=====
イベント以降、久しぶりに心が軽くなったと実感した日々を過ごしていた私。先輩の停学がもう少しで明けてなんだか寂しい気持ちになりながら、早く先輩のバイトが終わらないかと、時間潰しも兼ねて、いつものように平日の午前を狙って気晴らしの散歩をしていた時、会いたくもない相手と会ってしまった。
「やぁ、久しぶり」
何と相手は刀也だったのだ。どうしてこんな時間帯に会うのか……わざわざ偶然会うことのないように配慮していたというのに、最悪である。
「連絡しても返事してくれないなんて酷いなぁ。俺の彼女っていう自覚が足りないぞー?」
何より最悪だったのは、中学の出来事なんてなかったかのように平然と話しかけてくることだ。一体どういうつもりなんだろう……連絡返さないのは着拒しているからだし、そうする理由にも、まともな感性があれば心当たりくらいあるだろうに。ただただ気味が悪い。
「まぁいいや。久々にデートしようよ。モールに良い店が――――」
そして平然とデートに誘いながら私に触れようとする刀也に対する気持ち悪さが最高潮に達し、私は強かに彼の手を弾いた。それに対してしばらく茫然としていた彼だったが、何をされたのかを理解すると、急に媚びへつらうような笑みを浮かべて詰め寄ってきた。
「そ、そんなに拗ねるなよ。分かった、ずっと放っておかれて怒ってるんだろ? 悪かったって。これからは彼氏として、もう一回椿の事を愛するからさ」
「彼氏なんかじゃありませんよ」
「俺は別れ話なんてした覚えはない。だったらまだ椿は俺の彼女だろ?」
呆れて言葉も出ない。もう無視してその場を走り去ろうとすると、背後から太い腕が私の体を拘束し、同時に口を手で塞がられた。
「んーっ!?」
「ひゅーっ。ちょー可愛いじゃん。マジで食っちゃっていいわけ?」
「へ、へへへ。大丈夫です。そいつは俺の彼女ですから、俺の為ならなんだってしますよ」
何の話をしているのか理解しきれないまま抵抗するが、腕力に差があり過ぎる。私はそのまま引きずられて、車の中に乗せられた。
「じゃ、じゃあこれで俺を許してくれるんですよね……?」
「あー、許す許す。ついでに撮影係してくれたら完全に許すわ。後でお前もヤッちまっていいからよ」
「ほ、ホントですか? わかりました」
そうして走っていた車が止まり、立ち入り禁止のバリケードを越えたところにある、明らかに工事の途中で放り出されたかのような大きな建物へ私は連れ込まれる。以前少しだけ近所で話題になっていた、マンションになる予定が依頼主の事情で無しになり、工事業者も手を引いたっていう建物だ。
解体するのにもお金がかかるから放置気味になっていると聞いていたけど、バリケードはお粗末なもので、中には男の仲間と思われる、大柄でガラの悪そうな人たちが十人以上いた。
「やっべ! マジ可愛いじゃん! 本物のハーフ美少女!」
「こんなのテレビでも滅多にいないよなぁ。おい、そこのビデオカメラでちゃんと撮っとけよ? あとで脅しの材料にすんだから」
「え、えへへへ。わかりました」
どこから持ってきたのか、マットの上に乱暴に放り投げられた私は、血走った眼をしながら嗜虐的な笑みを浮かべる男たちと、そんな彼らに何故か媚びへつらいながら従う刀也を眺めながら最悪の事態を察知し逃げようとしたけど、四方八方を囲まれて逃げられそうにない。
――――先輩……っ‼
体を穢される……それだけは絶対に嫌だと思った時、私の脳裏に強く思い浮かんだのは先輩の姿。こんな都合よく助けに来てくれるわけないと絶望しそうになったその時――――
「通信空手奥義、スクーターアタック」
「ごべぇっ!?」
そんな言葉と共にスクーターで窓を突き破り、私を正面から抑え込もうとしていた男を思いっきり轢いた先輩が乱入してきた。
豪快に現れた闖入者に、スクーターの前輪で顔を轢かれて吹き飛ばされた挙句、吹き飛ばされて頭から柱に激突して痙攣している仲間に動揺する男たちの中、先輩は素知らぬ顔でスクーターから降りた。
「よっ。一応聞くけどピンチだった?」
「せ、先輩……? どうしてここに……?」
「表に止めてる車にお前と御剣が乗ってるのが見えてな。気のせいかもしれないけどもしかしてって思って追いかけてきてみれば……AVのバイトでも始めた?」
「そ、そんなわけないじゃないですか!」
「だよな。良かった……とっさに轢いて正解だったわ」
「このクソガキがぁ! 何しやがんだ!?
どこまでも何時ものような先輩に痺れを切らしたのか、男たちは先ほどとは一転して怒りの表情を浮かべながら先輩を取り囲む。誰も彼もが大柄で筋肉質。しかも何人かはナイフとかメリケンサックと言った武器まで持っている。
「俺たちは全員弩鬼潤大学の空手部だ。生きて帰れると――――」
「通信空手奥義、ラリアット」
「ごぼぉおっ!?」
何か喋っていた男に先輩のラリアットが直撃し、そのまま吹き飛ばされた男は壁に後頭部を強打して気絶した。
「何しやがんだはこっちのセリフだ。お前らのせいで俺はタイムセールを見過ごす羽目になったんだ。この恨みは絶対晴らす……こいよ、俺が本物の空手を見せてやる」
「上等だ! やっちまえっ!」
そこからは大乱闘……というか、一方的な蹂躙だった。
「通信空手奥義、サマーソルトキック」
ある男は下顎を蹴り砕かれた上に、そのまま天井に頭をぶつけて気絶し。
「通信空手奥義、バックドロップ」
ある男は顔を床に減り込まれて気絶し。
「通信空手奥義、ドロップキック」
ある男は窓を突き破る勢いで蹴り飛ばされて気絶し。
「通信空手奥義、ジャイアントスイング」
ある男は両足を掴まれてグルグル振り回され、他の仲間を薙ぎ払う武器代わりにされた後に壁に叩きつけられて気絶した。……絶対に通信空手じゃない。
瞬く間に全員がなぎ倒されて気絶する中、最後に残った刀也に先輩と二人で詰め寄ると、彼は尻もちをついて唾を飛ばしながら言い訳らしきものを口にし始めた。
「ご、ごめんって! でも仕方なかったんだ! こいつら、ちょっとぶつかっただけで絡んできて金まで盗ろうとしてきたDQNでさぁ……女の子を紹介したら許してくれるって、それも出来ないなら殴るって言うから! わ、分かってくれるよね? 椿も彼女なら俺に尽くすもんでしょ? そりゃあちょっと連絡取らなかったのは悪かったけど、椿だって俺の事好きなんだし、俺だって椿の事は好きだ! だから俺のためにちょっとこいつらの相手してくれればと思って……」
「っ!」
私は、この人の何が好きだったんだろう?
勝手に人のことを生贄にしようとしておいて言いたい放題な刀也に怒りが湧いてきて平手を振りかぶった……その瞬間、その右手は先輩に止められる。
一体どうしてと、先輩を鋭く睨むと、先輩はスッとメリケンサックを私に差し出した。
男達が持っていたものの一つなんだろう。手のひらに置かれたメリケンサックと先輩の顔を交互に見ると、先輩はすごく良い笑顔で親指を立てる。それに対して私は何も言わずにメリケンサックを装着し、刀也の顔を力一杯殴った。
「ごぶっ!?」
金属越しに伝わる、鼻が潰れる感触。そのまま頭から床に倒れて気絶する刀也を見て、私の胸にスーッという清々しい感覚が流れ込んできた。
「おい見ろ後輩」
先輩が指さした先にある刀也の顔を見下ろす。周囲からイケメンと持て囃された彼の顔は、鼻は潰れて白目をむき、両方の鼻の穴から長い鼻毛を思わせる鼻血が流れていて――――
「鼻毛男爵だ」
「……ふっ……く、はははははは!」
下らない……そう思った直後、私の口から意図せず笑いが噴き出していた。
「だってみろよ、この綺麗な鼻血のカーブ。これはアレだな、鼻毛男爵を超えた真の鼻毛男爵、レッド・ノーズ・ヘアー男爵だ」
「な、何ですかそれ! くっだらな……あはははははは! し、しかも色々間違えて……はははははは!」
以前、海で描いた落書きの事を思い出して、気が付けば私は大きな声を上げて笑っていた。大泣きしながら笑っていた。
その後警察が呼ばれて事情を聴いた家族が急いで駆け付けると、久々に笑っていた私を見て、両親も妹も泣きながら笑っていた。
結局、大学生たちは似たような手口で多くの女性に被害を出していたことが判明して全員が逮捕。刀也もそれに関わったという事で、脅されていたという事情を考慮して逮捕とまでは行かないまでも、学校側で何らかの処罰が下るらしい。
こうしてこの一件は無事に幕を下ろした……と言いたいところなんだけど、そうはいかなかった。
停学中に暴力事件を起こしたという事で、先輩は学校を辞めることになった。
相手が皆骨が割れたり砕けたりしてるなどの重傷を負っていることでも、過剰防衛みたいな話が出てきているらしい。事情が事情だけに退学処分ではなく、家庭の事情による中退という事にしてもらったようだが、だから何だというのか。
それには私も、私の家族も納得が出来なかった。このままでは先輩の将来が台無しになってしまう……そう考えた私たちは、家族総出で学校に嘆願をしに行ったんだけど、それを止めたのは他でもない先輩だった。
「元々、停学中に問題起こしたら退学だぞって散々言われてたしな。退学になるって分かってやったことだし、こうなったのも文句はない。下手に駄々こねて学校に迷惑かけらんないしな。それに、学校に行かない分、バイトと資格の勉強に費やせると考えたら、学校辞めるのも悪くない。高校卒業の資格だって、夜間学校で取り直そうと思えば取り直せるし」
今のご時世、学歴主義なんて流行らないだろと、先輩は笑っていたけど、私は笑う気にはなれなかった。
私はどちらかと言えば巻き込まれた側だ。客観的に見て私が責められる謂れはないというのは理解できるが、それとこれとは話が別。私なんかに構ったから先輩の学歴に大きな傷が出来たのかと思うと、申し訳ない気持ちで一杯だった。
「あー、しゃらくさいっ! しゃんとしろっ!」
「痛いっ!?」
俯く私の頭に先輩のチョップが直撃する。本人は軽くやったんだろうけど、素の筋力が強いからなのか、割と痛かった。
「本気で悪いと思ってんならいつまでもへこたれてんな。俺がここまでやったんだから、お前があのバカ共の億倍は人生を面白おかしく過ごして、助けた甲斐があったって思わせりゃいいんだよ」
この言葉が、再起のきっかけだった。
一年ほど社会から外れていた私が社会復帰するには、想像よりも難しいだろう。能力云々じゃなく、精神的に。
それでも私は、先輩がしてくれたことに見合う人間にならなくちゃならない……そう決意した私は、手始めにバイトを始めて家賃を渡し、就職活動をすることから始めることにした。
実家住まいという事もあって経済面では余裕があるけど、それ以外は先輩と同じような状況になった私。どこのバイトに応募すればいいのか悩んでいると、先輩が自分のバイト先である清掃仕事を薦めてくれた。
「俺が今バイトしてるとこ、人数が不足しててな。家からもそこそこ近いし、手間かかるだけで仕事内容自体は簡単だから、バイト初心者には超お勧めだぞ。ちなみに週6勤務だと助かる。一日4時間で」
それを聞いた私は、ステップアップの理屈を踏まえて誘いに乗ることにした。……決して、先輩と同じバイト先だからとか、そういう気持ちが主目的じゃないと、ベッドの中で悶えながら自分に言い聞かせていたのは内緒だ。
そして数日後、履歴書を持って面接に行った私は、驚いたことにその場で採用を通知してもらった。あれでも先輩が仕事熱心で、バイト先でもかなり信用されているらしく、人手不足も相まって即日採用を勝ち取った訳である。
なんだか拍子抜けしたままご飯を食べてお風呂入って部屋に戻ると、そこでようやく私は現実感を取り戻した。そして胸に真っ先に湧き上がってきたのは、途方もない達成感だった。
人手不足に先輩の推薦と、採用は既に決まっていたようなもので、多くの人は大袈裟と笑うかもしれない。でも私にとってはようやく過去を振り切って歩き出した、その第一歩だったんだ。そう考えると何だか堪らなくなって……。
無性に、先輩に会いたくなった。
気が付けば「コンビニ行ってくる」なんて言い訳して、飛び出していった。会ってどうしたいのかなんて考えていない、ただ衝動の赴くままに走る。
先輩のアパートまであと半分の距離……そこで私はようやく冷静になった。こんな時間に来られても迷惑なんじゃ……そんな考えにようやく至って足を止めると、雨が降り始めた。
最悪だ。慌てて屋根のある場所へと逃れてみたものの、雨は一気に強くなってシャワーみたいに降り続けている。これは濡れながら帰ること確定か……重い脚を動かそうとした、丁度その時。
「後輩」
「……先輩?」
何でこの人は、私が会いたい時に限って現れるのだろうか? ビニール傘を差しながらひょっこり現れた先輩は変なものを見るような目をしていた。
「何でここに……?」
「いや、だって帰り道にお前が全力疾走してんの見かけたもんでな。なんかあったんかと思って来てみただけだけど……てかお前、傘忘れたのか? 仕方ない、このコンビニ傘をプライスレス込みで1億で売ってやっても……うおっ!?」
私は先輩に抱き着いてわんわん泣いた。抱き着かれた先輩は困惑していて、ずっと万歳をしていた。泣き止むまで、ずっと受け止めてくれていた。
「おい、落ち着いたか? いい加減放してくんない? 涙と鼻水でシャツがやべぇ」
「うー……!」
後でベッドの上で「私何やってるんだろう」と悶絶することになるんだけど、私は頭をグリグリして先輩に逆らう。泣いた後の顔なんて見られたくないし、そもそもこの状況下でシャツの心配とは何事かと、文句を言うつもりで額を胸板に擦り付けた。
そもそも泣いてる女の子に対してちょっとぞんざいすぎやしないだろうか? そんな不満を抱いた私は、先輩の腕を掴んで無理矢理私の頭を撫でさせる。
「ったく、こうでいいのか?」
「……痛いです。先輩、髪の毛撫でるの下手すぎ」
「やらせといて文句言うなよ。ていうかこれに下手とか上手いとかあったの?」
「ありますよ……だから先輩はモテないんです。女の子の扱いがなってませんから」
「余計なお世話だこの野郎‼ 痛いならもう止めるぞ」
「ダメです、続けてください」
「めんどくさい奴だな、お前! どうしろってんだ、ったく」
そんなの私自身が良く知っている。後でこの時のことを振り返って悶絶する羽目になったんだから。
先輩の手のひらは私よりも全然大きくて、抱き着いた体もゴツゴツしてて大きくて……そこで私は、ようやく自覚する。
……あぁ。ヤバい。
……こんな人、絶対に好きになんかならないって思ってたのに。
……好きになったら色々苦労するって、分かり切っているのに。
……私、いつの間にか、先輩の事が好きになってる。
=====
そこからはまぁ、先輩と一緒に色々な事をした。海の大会で騒動起こしたり、痴漢冤罪犯を捕まえたり、雪山で遭難しかけたり、事の成り行きで警察の不祥事をネットに晒したり……これまでの人生は何だったんだと言わんばかりの、濃い一年間を。
そして私もバイトにすっかり馴れて、先輩と一緒に清掃先の市民会館から帰る直前のこと。
「でさぁ、近所で畑やってる爺さんに大根メッチャ貰ってよ。デカいの五本くらいあんの。食いきれないからお裾分けしようと思ってんだけど、いる?」
「んー。ちょっと待ってください」
私は急いでスマホを操作して、我が家の台所事情を預かるお母さんに連絡をする。すると返信はすぐに帰ってきた。
「それだったら、私の家でおでんとか食べないかって、母が。もらったお礼も兼ねてと」
「マジでー? 良いの?」
「誘ってるのはこちらですし、気にしなくていいです」
「ラッキー! しめしめ、晩飯代が浮きそうだ」
これまでの事もあって、先輩は私の家族にすごく気に入られている。一見チャラくてデリカシーもないけど、普通に良い人だし意外に真面目だし、そういうところも気に入られる要因なんだろう。
……だからって、さりげなく私と先輩を二人っきりにしようと気を回そうとするのは如何なものか。いや、嬉しくない訳じゃないんだけども……。
「ん? LINE……宮本から? えっと………………ごふぁっっっ!!!!!」
「先輩!? どうしたんですか!? 顔面土気色で泡まで吹き始めて!?」
届いたラインを目にした瞬間、先輩が突然痙攣しながら両膝を地面に付けた。宮本って、先輩の友達の宮本さんだったはず。一体何があったのだろうか。
「み、宮本が……彼女作って、童貞捨てたって……俺より、先に……! こんな屈辱ある……?」
「…………」
「俺が……俺の方が先に、童貞捨てるかと信じてたのに……!」
何それ下らない。こんなことで一喜一憂するなんて、私はなんて男を好きになってしまったんだ。
私が冷たい眼で先輩を見下ろしていると、再び先輩のスマホに通知が入った音がした。先輩は緩慢な動きでその画面を確認すると――――
「――――世界は、美しい」
「いきなりどうしたんですか!?」
先ほどとは打って変わったアルカイックスマイルを浮かべて立ち上がる先輩。心なしか、背中から羽が生えて浮かんでいるように見えるのは私の気のせいだと思いたい。
「宮本の彼女が伝手で合コン開いてくれるって連絡来たんだよ! いやぁ、宮本の奴はどうしてくれようかと思ってたけど、持つべきものは女子高彼女持ちの親友だよな!」
「……え?」
ウッキウキの先輩とは正反対に、私の気持ちは一気に落ち込んだ。
普通に考えて、そんな合コン成功するとは思えない。だって先輩だし。……でも万が一、万が一私みたいな物好きが居たら……?
「これで俺も彼女持ちになれる日が……って、どうした?」
気が付けば私は、引き留めるように先輩の服の裾をつまんでいた。
「……行っちゃ嫌です」
「はい?」
「合コン、行かないでください」
「は? 嫌だよ。せっかくのチャンスを棒に振るなんて――――」
「……好きです」
「はい?」
「好きなんです、先輩のこと」
……言ってしまった。こんなムードもへったくれもない状況で。
それもこれも先輩が悪いと思う。人の気持ちを知りもせずに合コンだのエロだの下半身だのと騒ぎ立てるから私は焦って思わず……。
「あの……女子トイレ前で言う事? それ」
あぁ、本当に最悪だ
=====
「好きなんです、先輩のこと」
後輩からこんな事を言われて意外といえば意外だけど、こんなセリフを真っ赤な顔で言われて「友達として」なんて勘違いするほど、俺は鈍感系じゃあない。問題は……。
「あの……女子トイレ前で言う事? それ」
「言わないでくださいよっ‼ 本当にデリカシーないんですから!」
「トイレ前で告られたら誰だってそう思うだろ!?」
漂ってくるフローラルな消臭剤とトイレ洗剤の匂いに包まれながら告白される……こんなシチュエーション、妄想の中でも思い描いたことねーよ。
「だって先輩がこっちの気も知らずに合コンだってはしゃぐから! そりゃあ誰と付き合おうが先輩の自由ですけど……私以外の人と付き合ってほしくないんですっ! だから告白しました! 何か悪いですか!?」
「いや、悪くはないけど……え? 女子トイレ前で?」
「うっさいです! 私だって口走ったこと後悔してますよ! 本当だったらもっといい雰囲気で……」
……マジか。人生で初めて女子から告られて、実は結構驚いてる俺を後輩は真っ赤な顔で睨みつけるように見上げてくる。
「あー、もう! そんな事より、答え聞かせてください……! 私と付き合ってくれるんですか?」
正直な話、後輩の事をそういう目で見たことはない。友達関係が心地よかったって言うのもあるけど、男関係で色々苦労してた後輩は、誰かと付き合うとか考えて無さそうだったし。でもまさか、俺の勝手な勘違いだったとはなぁ。
でも付き合ってもいいっていうんなら、俺はどういう目で後輩を見ているんだろう? 確かに後輩は見た目は良いし、趣味も性格も合うし、しかも外国遺伝子入ってるだけあってオッパイでかい。そんな後輩と付き合うとか――――。
……あれ? むしろ全然ありじゃね?
「ちょっ!? マジかよ!? 俺と付き合うってお前、彼氏彼女になったら俺めっちゃエロいことするよ!? いいの!?」
「エロ……っ!? い、いいですよ!? やってやろうじゃないですか!」
「ひょーっ! マジかよ!?」
「ただし! そういうのはちゃんと順序を踏んでからですからね!?」
「分かってる分かってるって」
「まずはデートとキ、キスを済ませてから……!」
「前戯はちゃんとしてから本番だよな?」
「……先輩?」
おっと、ゴミを見るような目ですねぇ。
「……え? 違った?」
「全然違いますよ! 先輩のバカァアアアアアアッ‼」
「あ!? このアマっ!?」
後輩の奴、女子トイレの個室に逃げ込みやがった! そっちから告っておいて逃げるとはどういう了見だ!
「馬鹿め! それで逃げられると思ったか!」
そんなバリケード、俺には通用しない。個室の壁を乗り越えて侵入し、後輩を追い詰めてやった。
「ぎゃー!? なに入ってきてるんですか!? バカ! 変態! 最低! 御影弥次郎!」
「俺の名前を悪口のように使うの止めてくれない?」
ペシペシと俺を叩いてくる後輩だが、俺は離さなかった。やがて観念したのか、後輩は俺の服を掴みながらブツブツと文句を言っている。
「もう最悪です……何で私はこんな人を好きになっちゃったんですか……変態。性欲魔人。御影野獣郎」
「ゴメンて」
「どーせ先輩はエッチなことが出来ればなんだっていいんでしょう? もう風俗でも何でも行って破産すればいいんです」
「失礼な事を言うな。俺は本気で彼女作るために風俗嬢を下半身で落とそうとしてたんだ。誰でも良いってわけじゃねよ」
「……」
「本気になれない相手と遊びで事に及ぶ気はないんだよ。だからこれでも、軽い気持ちでお前に迫ってるわけじゃない」
柄でもないこと言って顔が熱くなってきた。言わせんな、恥ずかしい。
「……だったら、証明してくださいよ。私の事、本気だって」
そう言うと、後輩は真っ赤な顔で目を瞑って軽く顎を突き出してきた。これの意味するところを分からないわけがない……俺はそれに応えようとした瞬間――――。
「御影君に夏目ちゃーん? 閉館時間すぎてて人がいないからって、トイレで騒いじゃ駄目よー?」
「最近の子は凄いのねぇー」
「若いっていいわぁー」
気が付けば、バイト先のおばちゃんたちが寄って集ってた。そう言えばここ、女子トイレの個室だったわ。
「「すんませんでしたぁー‼」」
=====
それから色々な出来事を経験しながら月日は流れたある日、私のスマホに知らないアカウントから通知が入った。
「……うわ」
一体なんだろうと確認し、私は秒で後悔する。
相手は何と、あの事件から一度も会ってもいない刀也だったのだ。しかもラインの内容も酷いもので、「俺はまだ椿の事愛してるんだ」とか、「やっぱり椿が一番しっくりくる」とか、「今度ご飯いかない?」とか、所謂復縁ラインっていう奴。
ただ別に私の事が好きだから復縁ってわけでもなさそうだけど。旦那の高校時代からの友達が情報通で教えてもらったんだけど、高校を退学した刀也は数年間引き籠りになったけど、二十歳になった途端に業を煮やしたご両親に叩きだされて独り暮らしし、ギャンブルに嵌って借金まみれになったとか。
ずばり、借金を肩代わりさせようとしている意図が見え隠れする。そんなんに関わる気なんて毛頭ない。
一応警戒するようにとは言われているけど、私は結婚を機に旦那の勤め先がある市外の社宅に引っ越し済みだ。大企業なだけあって警備もしっかりしたところだし、防犯カメラも人目も多い街だし、実家に連絡して警戒するようにしてもらう事にしよう。
あと私に出来ることと言えば、このアカウントもブロックすることだけ……こちとら妊婦なんだから、変なストレスは極力回避に限る。
「ママー! パパがテレビ出てるよー!」
「はいはい、今行きます」
黒歴史をブロックした直後、テレビの前にちょこんと座っていた旦那の髪の色と私に似た顔立ちをした愛娘が私を手招きする。新しい命が宿る大きなお腹に気を付けながら娘の後ろにあるソファに座りながら眺めるテレビには、大勢の観客に囲まれた会場で拳を掲げる旦那が映っていた。
『さぁ現れました! 第○○回世界総合格闘技大会優勝候補! 世界的なゲーム制作会社であるS&Wカンパニーが経営する格闘団体、猿野ジム所属の御影弥次郎選手! 日本に残したご息女と奥様、そして新しく生まれてくる家族のために優勝トロフィーを掴むとモチベーションも上々です!』
『猿野ジムにはS&Wカンパニーの男性社員が多く所属していて、御影選手自身もS&Wカンパニーの社員なんですよ。あの会社の方たちの本業はゲームクリエイターの筈なのに、どういう訳か大会優勝者も多く、社長である猿野健吾氏も――――』
テレビの向こうで対戦相手の大きな外国人を場外まで蹴り飛ばす、相変わらず人間離れした旦那に歓声を浴びせる観客たちと一緒に、私も娘も、ちょくちょく様子を見に来てくれているお母さんとお父さん、妹の桜も一緒になって歓声を上げる。
これはハーレム主人公に顔面パンチを叩き込んだ(元)幼馴染みヒロイン、夏目椿改め、御影椿がチャラ男と付き合って幸せになった話だ。
軽い用語集
・S&Wカンパニー
世界最大手のゲーム会社。モンスターバスターやパチットモンスターといった世界的なシリーズを作成した会社としても有名で、そこに勤める男性社員は下半身が鍛えられ、軒並み高収入。経済的にも夜の営み的にも優良物件とされており、入社すれば勝ち組確定とまで言われている。
ただし、社内コンプライアンスは厳しい。特に浮気なんて以ての外。
・猿野健吾
S&Wカンパニー社長にして「寝取られやすそうな幼馴染みを全力ガードしてみた」の主人公。大富豪にして超子沢山な愛妻家。性欲は枯れる気配なし。
暴漢にエロい体をした美魔女すぎることで有名な妻が襲われそうになったところを、当時小学生だった御影弥次郎が暴漢の股間にドロップキックをかましたことによって交流を持つように。
弥次郎に下半身の可能性を教えたすべての元凶。おかげで椿はほぼ毎日エロ漫画状態に。
・猿野ジム
S&Wカンパニーの広告塔的存在の格闘団体。格闘技の他にも下半身の強化も執り行われていて、数多くの男性が入会している。
・下半身
極めることで人智を超えた力を手にすることが出来る。そこから放出される体液には尋常ではないアンチエイジング効果があるとされ(猿野社長の妻が実例とされている)、世の女性にS&Wカンパニーの男性社員は優良物件と言わせる最大の要因。
・特売スーパーの主婦
修羅の語源というべき恐るべき最強生物たち。台所の包丁でティラノサウルスとか捌ける。