5 リーリャ疫病に侵される
この世界に転生して6年目。
日本人と黄金竜の記憶と魂を持つ、奇妙な異世界転生をした俺だが、この年も前年に続いて、災い続きの年になった。
前年に起きた、死なないバッタとイナゴの大量発生事件が原因で、国中で食料が不足し、飢饉が発生してしまった。
さすがに時間が過ぎたことで、虫に残っていたヒールの残滓も消え去り、虫は死に絶えた。
だが、飢饉は年が明けても解消されることがなく、都市部ではあまりの死者の多さに遺体の埋葬が間に合わずに、道端に遺体が捨て置かれる事態にまでなっていた。
結果捨て置かれた遺体から疫病が発生し、デナント王国とデニング帝国の両国家で、猛威を振るうこととなってしまった。
この両国は大変仲が悪く、1年のうちに何度も国境で戦いを繰り広げているが、この年は疫病が深刻なせいで、両国が一度も戦うことがなく終わるという、年になった。
だが、それは平和だからでなく、両国の疫病問題が、戦争をやっていられないほど深刻だったせいだ。
そして疫病の被害は、ロカルト山系に隔てられることで、他領と直接接していないアルセルク騎士爵領にまで及んでしまった。
「ゴホゴホッ、お兄ちゃん」
「リーリャ、無理をしたらダメだ。ちゃんとベッドで寝てろ」
妹のリーリャが青い顔をして、咳をしている。
最初は風邪と思われた症状だったが、リーリャ1人に留まることなく、多くの領民たちが咳き込み、寝込むようになってしまった。
時折この領地を訪れる行商人を介して、王国で蔓延している疫病が、この領地にまで入り込んでしまったのだ。
領民たちの多くと同じく、リーリャまで疫病に感染してしまった。
「リーリャ、ちゃんと寝ないと病気が治らないぞ」
「うん。でもこの病気って、死んじゃうんでしょう。リーリャ、怖いよ」
「リーリャ……」
まだ4歳のリーリャ。
なのに、自分の置かれている状況を、子供ながらに理解していた。
「安心しろ、リーリャは死なない。絶対に大丈夫だからな」
「本当?」
「ああ、お兄ちゃんを信じろ」
俺を縋るように見てくるリーリャ。
元気づけるために、幼い妹の手を握る。
だが、その手は病のせいで衰え、年齢以上にやせ細っていた。
そして病の出す熱によって、ジンワリと汗ばんでいる。
「クレイ、いけません。ここにいては、あなたまで病気がうつってしまいます。早く部屋から出なさい!」
俺は妹を元気づけるために傍にいたかったが、母上に見つかってしまった。
「ですが……」
「ダメです。部屋から出なさい!」
「はい」
黄金竜仕様の俺の体には、人間の疫病がうつることはない。
だが、そのことを母上に言うことはできない。
言ったところで、信じてももらえないだろう。
疫病を恐れる母上が、妹と一緒にいることを認めるはずもなく、俺はしぶしぶだが、妹のいる部屋を出た。
「お兄ちゃん……」
「リーリャ、絶対に大丈夫だからな」
部屋から出ていく間際、寂しそうに見てくるリーリャに、俺はそれしか言えなかった。
△ ◇ △ ◇ △ ◇ △ ◇
「リーリャの病を治すか」
母上によって、リーリャの寝ている部屋から追い出されてしまったが、俺は早速妹のために行動することにした。
元黄金竜である俺にとって、人間の病を治すなど超簡単。
魔法を使えば、一発で領内にはびこる疫病を、病原菌ごと綺麗さっぱり殺菌することができる。
……ただし使ったが最後、人間の体内に生息している腸内細菌とかまで、全滅してしまいそうだ。
人間の腸内細菌が全滅すると、どうなるんだろう?
あと自然界に存在している、有害な菌だけでなく、有用な菌類も壊滅してしまう気がする。
「俺は魔法を使えない。世界滅亡の引き金にはもうならないぞ」
この疫病の遠因が、俺の使ったヒールにある以上、殺菌魔法を使った時の副作用が恐ろしすぎる。
「魔法は絶対になしだ」
自分が原因で世界滅亡なんてしたくないので、安易に魔法で解決する手段は、なしにした。
「ということで、次善の案で行こう」
魔法がダメでも、俺にはまだ使える手が残っている。
この世界では竜神とまで呼ばれている、神の1柱が、今の俺なのだ。
人間の姿にされ、魔法なしでも、疫病程度どうにでもなる。
ということで、俺は家にある刃物を持ち出して、それで自分の手を切りつけた。
「……あ、やっぱりダメか」
防御力超過多で、手に押し付けた刃物が折れてしまった。
対して俺の手は、無傷だ。
「仕方ない。痛いけど我慢するか」
ということで、俺は自分の歯で指を噛んで、そこから血を流した。
「イテー」
さすがに自分の歯が相手では、俺の皮膚も耐えられない。
指から血がポタポタと流れ出し、それをコップの中に数的落としていく。
血が数的落ちたところで、指の傷がもう塞がってしまった。
人間になってしまった俺の体だが、上位神と同じで、竜神としての超常的な回復能力は健在だ。
しかし、この血がとびきりの薬になる。
「高位ドラゴンの血は”竜血”と呼ばれ、不老不死の薬となる」
俺は人間の体にされていても、本質的には黄金竜の要素をそのまま引き継いでいる。
高位のドラゴンどころか、この星では最高位に君臨するドラゴンの血なので、抜群の不老不死の薬になる。
一度不老不死になれば、疫病にかかることはなくなり、さらに頑強な身体能力を得ることができる。
疫病なんておさらば。
病気知らずの体の完成だ。
まさに、完璧な解決方法だ。
この血をリーリャに飲ませれば、それですべて解決だ。
「……なんだけどなー」
ただ、そこで立ち止まらざるを得ない。
黄金竜は、この星と同じくらいには生きている、超高齢ドラゴンだ。
なので、その長い人生(竜生?)の中で、幾人もの人間が、高位ドラゴンの血を浴び、飲んだ光景を見ている。
高位ドラゴンと言っても、所詮俺より格下のドラゴンの血だが、その血を飲んだ人間は、ことごとくもだえ苦しんだ後に、苦悶の表情を浮かべて死んでしまった。
「高位ドラゴン血って、普通の人間に耐えられる代物じゃないからな。不老不死になる前に、体がもたなくて死んじまう」
劇薬過ぎて、効果が出る前に人間の体が持たないのだ。
リーリャに原液を使うのは、絶対にダメだ。
「エリクサーで薄めて使ってみるか?
死人でも生き返る薬だから、あれで薄めりゃ何とかなるよな」
エリクサーの材料は黄金竜の記憶の中にあって、数種類の雑草とエーテルに、世界樹の朝露などが主な原料だ。
『おい、雑草じゃねえだろ。
霊薬とか、世界で数か所しか生えていない伝説級の薬草とか……』
俺の中にいる、元日本人が突っ込んできたが、それはどうでもいい。
黄金竜基準で考えれば、どの材料も、手に入れるのにそこまで手間のかかるものじゃないからだ。
「てことで、まずはエーテルを取りに行くか」
苦しむ妹のために、早く行動しよう。
俺は家の外に出ると、そのまま空に向かって全力でジャンプした。