4 ヒールという名の禁忌魔法
「世界の終焉じゃー!」
「魔王だ、魔王が復活したんだー!」
「邪神の降臨じゃ、世は全て炎の海に覆われるのじゃー」
森から家がある騎士爵領に帰ってくれば、領地の住人が家の外に飛び出して、叫び声を挙げまくっていた。
俺がいない間に末法思想に取りつかれてしまったようで、口々に世界が終わるとか、魔王が復活したとか叫んでいる。
「神よ、偉大なる竜神様、鬼神様、白鯨様、陸亀様……」
竜神から続く、この世界の神々の名を連呼している人までいる。
その瞳には、ヤバイ新興宗教に取りつかれた、暗い闇と狂気を宿していた。
「新興宗教ってヤベーな」
そんな領民たちの姿を見て、俺は変な宗教には入らないようにしようと心に決め、自分の家へ帰った。
騎士爵領では、領民たちが外に出て叫び声をあげ続けているが、その目を避けて、家の中にこっそり入り込むなんて朝飯前。
「クレイ、クレイはどこー!」
「お兄ちゃんが消えちゃったー!ウワアアーン」
朝飯前だけど、領民たちの上げる叫び声が、家にも届いていた。
家の中では母上が取り乱し、妹のリーリャは大泣きしている。
「息子はどこだ!すべての領民を集めて、今すぐ探し出すのだ!」
「ハハーッ、領主様のご命令を、領民全てに伝えてまいります!」
父上に至っては、屋敷の使用人にそんな命令まで出していた。
本物の領主なので、命令一つで全領民を駆り出すことができる。
息子1人のためにそこまでするとか、さすがに大げさすぎだ。
それにしても、ヤバいことになってるな。
「あ、あのー、俺ならここにいますよ」
俺はバツの悪い思いを抱きつつ、こっそり父上たちの前に姿を見せた。
「クレイ、無事だったか!」
「ああ、よかった。私の息子が無事で」
「おにいちゃーん」
俺は、内心でやらかした思いがあって、物凄く複雑なのだが、そんな俺を両親が抱きしめ、妹は両手で俺の体を掴んできた。
けれど家族の感動の再開……とはならなかった。
「クレイ、一体今までどこにいたのだ?
私たちがお前の身を案じて部屋に行ったのに、いなかったのだぞ?」
一安心すると同時に、父上が俺のことを問い詰めてきた。
「ど、どこって……夜中にトイレに行きたくなって、それでいなかっただけですよ」
「本当にそうなのか?
だが、世界中に轟くかのような轟音に、真昼より明るく、赤く染まった空。
世界が終わるかのような光景を目の当たりにして、身動きができなくなっていたのだな」
「ア、ハイ。たぶん、そうです」
世界中に轟く轟音に、真昼よりも明るく、赤く染まった空って何のことだ?
オレ、ワッカンナイナー。
父上が尋常でない様子で詰めよるものだから、俺はその場から1歩、2歩と、後退してしまった。
あまりにも鬼気迫る迫力に、思わず引いてしまったよ。
「私はこれより魔の大森林へ調査隊を出す。
もしかすれば、古の大魔王が復活したのかもしれない」
俺と違って、危機感MAXな父上は、悲壮な顔でそんなことまで言い出した。
だが大丈夫だって。
この世界に魔王が生まれたわけでも、邪神が降臨したわけでも、世界終焉爆弾が落ちたわけでもないから。
だから、そんなに思いつめた顔をしないでほしい。
俺の精神的な健康のために!
なお、後日魔の大森林へ分け入った騎士爵領の調査隊だが、森の中に住む強力なモンスターに遭遇して、あえなく撤退。
森の深い場所まで分け入ることができず、俺がやらかした現場まで辿り着くこともなかった。
俺としては、やらかしがバレなくてホッとした……と言いたいが、そうとも言えなかった。
領地に戻ってきた調査隊のメンバーだが、
「俺はモンスターに腸を切り裂かれて殺されたはずなのに、みるみる間に傷が回復して生き返ったんだ」
「腕を切り落とされたのに、生えてきたんだよ!一体あの森はどうなってるんだ!?」
「20年前に戦争で失った右目が元に戻って、再び見えるようになったぞ。神の奇跡じゃー!」
なんてことを宣っていた。
なんでだろうな?
俺があの時使ったのは、ただのヒールだ。
ただのヒールのつもりだが、黄金竜の魔力で使った魔法なので、超広範囲魔法化しているうえに、効果の持続時間がちょーーーとばかり、長続きしているようだ。
そして腸を切り裂かれても回復するとか、もはやゾンビレベルの回復魔法だな。
ゲームだと戦闘不能になっても、蘇生手段があるが、それが現実で起こると気味が悪い。
なお、ヒールの影響は俺の想像以上で、
「森で出会ったモンスターを斬っても、奴らの傷がみるみる間に回復するんだ」
「首を切り落としたのに、胴体から頭が生えてきたんだぞ。一体何なんだ、あのモンスターは!」
なんてことも、調査隊の面々が述べた。
土地や人間だけでなく、モンスターまでお構いなしに、回復してしまっている。
「魔法はダメだ。絶対に使ってはならない。いや、俺は魔法をそもそも使えないんだ」
調査隊からのヤバすぎる報告に、俺は以後絶対に魔法を使ってはならないと決意した。
……のだけど、この時の俺の想定は甘すぎた。
ショートケーキにハチミツをかけて、その上から氷砂糖をぶちまけたぐらい、甘々過ぎた。
「昨日死んだマゼリータ婆さんが、翌日の葬儀の時に、棺桶の蓋を開けて生き返ったぞ!」
騎士爵領に住んでいる超高齢のマゼリータ婆さん。
「もうそろそろお迎えが来るのかねぇ」
なんて、当人が呑気に言っていたのを、俺も聞いたことがあるが、その婆さんが死んだはずなのに、1日経ったら蘇ったそうだ。
「……」
事件の主犯としては、何も語るまい。
ただのヒールなのに、なぜか死者蘇生魔法クラスの効果が付いていた。
しかし、俺の使ったヒールはいいことだけではなかった。
「シカの丸焼きが動き出した!」
ヒール事件から一月以上経ったある日、我が家の夕食に出された豪華なシカの丸焼きが、生き返ったのだ。
正確には、小麦色に焼かれた丸焼きの姿はそのまま、四肢がバタバタ動き出して、中途半端に蘇りやがった。
「ギャー、ゾンビー!」
突然の事態に、妹のリーリャは泡を吹いてぶっ倒れてしまう。
シカの体に今まさにナイフを突き立てようとしていた父上は、戦場に行ったこともある戦士だったので、冷静にナイフでシカの丸焼きの心臓部分を突き刺した。
だが、ナイフで刺しても、丸焼きが動き回る。
「シスターを、シスターを呼べ。神聖魔法で、ゾンビを天に返すのだ!」
物理でダメだと判断すると、ゾンビ退治のために領地のシスターに任せることにした。
父上が冷静なのはいいけど、これって明らかにヒールの残滓だよな?
超広範囲にリザレクションレベルの効果を発揮した俺のヒールだが、流石に時間がたったことで、その効果もだいぶ衰えてしまったらしい。
中途半端に衰えたせいで、シカの丸焼きが元の姿に回復しきることなく、丸焼き状態で、動き回るようになってしまった。
「は、母上、ここは危ないので避難しましょう。リーリャは俺が背負っていくので」
「え、ええ、そうね。この場はお父様とシスターにお任せしましょう」
あまりの事態に茫然としていた母上を連れ、俺は後のことを、父上たちに丸投げすることにした。
「俺は魔法を使っちゃいけない。使えないんだ。使ったが最後、世界の理が乱れる」
あまりのヒドサに、俺は改めて魔法を使ってはいけないのだと、自分に言い聞かせた。
が、それでも俺の判断は、まだ甘々だった。
あまりにも甘すぎる、ハチミツ漬けアンドーナツレベルだった。
ヒール事件の3か月後 実りの季節である秋になったが、この年は魔の大森林からバッタやイナゴといった昆虫の大群が発生し、それが領内の作物を片っ端から食い荒らしていった。
「村の貴重な食糧が!」
「ああ、オラの小麦畑が……穂が全滅しちまった」
「蔵に蓄えていた麦の一粒まで、虫に食われちまった」
騎士爵領の農民たちは嘆きの声を上げ、領内の食料は壊滅。
しかも例の虫なのだが、
「叩いても潰しても死なないぞ。ゴキブリ以上の生命力で、殺しても生き返りやがる」
「悪魔だ、悪魔の魔法によって、殺しても蘇り続ける虫なんだ!」
異常な生命力を獲得して、どうやっても死ぬことがなかった。
超進化を遂げた、不死身のゴキブリ染みた生命力を獲得していた。
「世界が終わる時が来たのだー。皆この世界は終わるのだー!」
あまりの事態に、またしても領内にある危険な新興宗教が、そんなことを叫びだす始末だ。
しかも虫の大群だが、騎士爵領からロカルト山系を越えて、デナント王国とデニング帝国の、両国家にまで飛んで行ってしまった。
地球でのバッタの大量発生による食料被害と同じく、その年は両国家で虫による食料被害が起こり、国を巻き込む飢饉が起こってしまった。
街や村で大量の餓死者が出てしまい、死んだ人間が多すぎるせいで埋葬が間に合わず、至る所に死者が捨て置かれてしまう事態となった。
国家を超えたレベルの、大災害になっていた。
この事実を俺が知ることになるのは、冬になる前にロカルト山系の向こう側から来た、冒険者から話を聞いたからだ。
アルセルク領は、人間の文化圏から隔離されたような場所にあるので、たまに他所からやってくる人の話を聞かないと、外の世界の情報が届かないせいだ。
そしてこの世界、ファンタジーのお約束よろしく冒険者がいるのだが、そんな冒険者に初めて出会った俺は、そのことを気にしている余裕なんてなかった。
俺は白目を剥いてぶっ倒れかけてしまった。
だって、あの虫の大群だけど、俺のヒールの残滓を感じたんだ。
あの異様な回復能力は、俺が3か月前に使ったヒールの残滓のせいだ。
虫サイズの大きさだと、いまだにリザレクション効果が十全に発揮され、死んでも蘇ってしまうようだ。
そのせいで、世界中で飢饉が起こっている。
「お、俺は魔法を使ってはならない。魔法を使えないんだ。魔法を使うと、世界が滅びる」
俺は二度と魔法を使わない。
そう心に固く誓った。