16 家出と幽霊ー5
「おやすみ…」
就寝の挨拶を飛ばす。誰もいないリビングに向かって。
「……ん」
視界の中にはキッチンに窓にテレビが存在。うんざりするぐらい見ている景色なのに違和感があった。先程までと違って薄暗いからなのだろう。別の空間にいる錯覚に陥ってしまった。
「うぅ…」
食後に見ていた心霊番組の事を思い出してしまう。せっかく忘れかけていたのに。
身を守るように頭を布団の中に収納。何の特殊効果も無い結界を張った。
「えぇ…」
しばらくすると妙な音が聞こえてくる。何者かが廊下を歩いている軋みが。
「む…」
一番ありそうな答えは誰かが起きてきたという事。催した自然現象を解消する為に。けれど気配は明らかにこちらに接近。トイレに行くならリビングまでやって来る必要は無かった。
「そんな…」
有り得ない想像が脳裏に浮かんでしまう。人知を超えた不可思議な物の存在が。
「ぐっ…」
すぐそこまで迫ってきている現実を受け入れたくない。かといってこのままでは眠れそうにない。恐怖心と興味が意識の中で激しく葛藤していた。
「……まだ起きてる?」
「う、うわああぁあぁぁ!!」
勇気を振り絞って布団をどける。その瞬間に小さな囁きが耳元に届いた。
「きゃあっ!?」
「お、驚かさないでくれよ!」
「なになに、何なの?」
「それはこっちの台詞だって。何してるのさ、ここで」
すぐにその正体を確かめる事に。起き上がった自分の横で華恋が頭を押さえてへたり込んでいた。
「大きな声出さないでよ。ビックリしたじゃない」
「そっちがイタズラみたいな真似するからじゃないか。いきなり目の前に人がいたら誰だって取り乱すし」
「お、起こそうとしたのよ。そしたらアンタが急に動き出すから」
「まったく……こんな所で何してるわけさ」
「あの、その…」
「ん?」
強めの口調で行動の真意を問い詰める。俯いて口ごもっている対話相手に向かって。
「まさか…」
「え?」
「1人でトイレに行けないから付いて来てほしいとか」
「ち、違っ………わない」
「えぇ…」
返ってきた答えに呆れてしまった。あまりにも内容が間抜けすぎて。
「トイレならここに来る途中にあったじゃないか!」
「だって怖いんだもん!」
「あのさ、小学生じゃないんだから…」
「お願い! 迷惑だとは分かってるけどドアの前で待ってて」
「はぁあ…」
布団をどけて立ち上がる。無駄な言い争いを避けたいので素直に要求に従う事にした。
「ここで待っててあげる」
「に、逃げ出さないでよ?」
「強く釘を刺されると逆に実行したくなるよね」
「バカ! そんな事したらブン殴るからね!」
「本当に戻ろうかな…」
薄暗い廊下を歩いてトイレにやって来る。相方に用事を済ませるよう促すと壁にもたれかかって待機した。
「くあぁ…」
とはいえただ待っているだけというのも退屈だった。眠気も催し始めていたので。
「ほいっ」
「ぎゃあぁあぁぁぁぁっ!?」
先程の仕返しとばかりに照明の電源を切る。その瞬間に中から凄まじい悲鳴が聞こえてきた。
「ご、ごめん…」
咄嗟に謝る。再びスイッチに手をかけながら。
「……大丈夫かな」
ついでに二階の様子を確認。起こしてしまったのではと考えたが異変は感じられなかった。
「無理ムリムリムリムリっ!」
「ちょ…」
「怖い怖い怖い怖いぃぃぃぃぃ!」
トイレの方に振り返ると勢い良くドアが開く。中からはパニック状態の華恋が登場した。
「電気。つけっぱなしだから」
「やだやだやだやだぁ!!」
「いででっ、骨が折れる!」
更に近付いて抱きついてきた。ラガーマンのタックルのように。
「もう終わったから良いでしょ?」
「……うん」
「何か出た?」
「ちょっ……バカっ! そっちじゃないわよ。小さい方だってば」
「いや、あの…」
会話の中に微妙な齟齬が発生。照れ臭くなるような勘違いが。
服の裾を掴んでくる相方とリビングへ引き返す。大きな音を立てないようにソファへと腰掛けた。
「……あの、部屋まで付いて来てくれない?」
「はぁ? 1人で戻りなよ」
「だ、だって…」
「さっきした話は嘘。お化けなんて出ないから安心してよ」
「え? そ、そうなの!?」
「やっぱり信じてたのか…」
きっと部屋で怯えまくっていたのだろう。不安になりながら辺りをキョロキョロ見回している姿を想像すると笑えてきた。
「でもやっぱり怖いぃぃぃぃ」
「華恋の方が怖いんだよ。何かに取り憑かれでもしたの?」
「一緒に寝よ? ね? 良いでしょ?」
「それは同じ布団で仲良く横になるという事かい?」
「……あ」
さすがにそこまでは考えてなかったのか。自分の出した提案に自分で驚いていた。
「べ、別にそれでも構わないけど」
「いや、ダメだって」
「なんでよ! 私が良いって言ってんだから良いじゃない」
「あのね、もし2人で一緒に寝るとするでしょ? その現場を二階にいる住人に見つかったらどうなると思う?」
「お……驚かれる?」
「それだけで済めば良いが、恐らく僕はかなりの信用を失う事になってしまう」
女の子の布団に男が存在。どう考えても夜這いでしかない。
「という訳で却下」
「やだぁ、無理ぃ…」
「じゃあ殴って気絶させてあげるよ。それでどう?」
「その前にアンタを殴ってしまいそうで怖い」
「……それだけ強気ならお化けも逃げていくよ。うん」
「どうしてもダメ? マジで1人は無理なんだけど」
追い返そうとするが中々聞き入れてくれない。仕方ないので1つの妥協案を出してみた。
「なら枕と布団ここに持ってきなよ。それで床に寝ると良いさ」
「え? ここで?」
「そうそう。絨毯の上なら冷たくないし」
「まぁ……それで良いかな」
「よし。なら先に寝てる」
ようやく納得の声が返ってくる。安堵しながら頭をクッションの上へと移動した。
「ちょっと寝ないで。部屋まで付いてきてよ」
「何でさ。サッと行ってサッと帰ってくるだけじゃん」
「それでも怖いんだってばぁ。ねぇ、お願いだから」
「う~ん…」
だがすぐに妨害の手が伸びてくる。体を強く揺さぶられた。
「分かったよ。取ってくれば良いんでしょ」
「あ、待って待って」
「結局付いて来るんかい」
「アンタ、怖くないの? 暗い廊下とか不気味じゃない?」
「そりゃ怖いけどさ。怯えてる華恋を見てたら平気になってきた」
布団をどかして再びリビングの外へ。客間を目指しそろそろと進んだ。
「ちょ……歩きづらいって」
「怖い怖い怖いぃ!」
「離してくれよ。前に進めない」
腰回りをガッチリと掴まれる。ケンタウロスみたいな格好で目的地へとやって来た。
「ほら、着いたよ」
「……何にもいない?」
「窓の外に誰かが立ってる」
「ひいぃぃぃっ!?」
カーテンの隙間に静かな世界が広がっている。様々な憶測を巡らせてくる暗闇が。
「よし、さっさとズラかろう」
「うん…」
「ちゃんと戸は締めて来てね。窓から何か入ってくるかもしれないし」
「や、やめてよ! 頼むから」
枕と布団を持つと部屋を退出。廊下を引き返してリビングに戻ってきた。
「ふぅ……じゃあ寝ようか」
「あ、ありがと…」
「ソファと床ならどっちが良い? 上が良いなら代わってあげるけど」
「う~ん、落ちたら痛いから下で良いかな」
「はいよ」
作業を済ませたのでそれぞれの寝場所に横たわる。時計を見ると解散してから30分近くが経過していた事が判明した。
「寝れそう?」
「た、多分」
「そっか。んじゃ、おやすみ」
「……おやすみ」
二度目となる就寝の挨拶を発する。妙な疲労感を感じながら瞼をシャットダウンして。
「雅人…」
「ん?」
「……もう寝た?」
「寝た」
「起きてるじゃない」
「声かけてこないでよ。眠れないじゃないか」
「ご、ごめん…」
静まり返る部屋の中で寝返りを発動。いつもと違う場所だからか寝心地が悪かった。
「ふぅ…」
「まだ起きてる?」
「……ぐっ」
更に隣からは不毛な呼び掛けが連発。苛立ちが募ってきていた。
「本当に寝ちゃった?」
「む…」
「お~い、雅人ぉ」
「……しつこいな」
「起きてるよね? 寝たフリしてるだけだよね?」
当然反応はしない。選ぶ選択肢は無視一択。
「ズボン、ずり下げてやろうかな」
「コラッ!」
「あ、やっぱり起きてた」
しかし耳に飛び込んできた言葉に慌てて上半身を起こす。その内容が嫌がらせとしか思えなくて。
「いい加減寝かせてくれぇ……何度妨害してくれば気が済むのさ」
「だ、だって眠れないし…」
「そっちの事情なんか知ったこっちゃないんだよ。頼むから大人しく寝よ?」
「……むぅ」
既にいつもの就寝時間を突破。日付も変わり深夜と呼べる時間帯に突入していた。
「このままだと徹夜になっちゃう。僕は構わないけどバイトがある華恋は辛いでしょ?」
「寝不足は嫌だなぁ。でも寝れないしなぁ」
「頭の中で羊を数えなさい。定番じゃないか」
「そんなんで眠れるわけないじゃん…」
「健闘を祈る。じゃあね」
ブーブー文句を垂れる彼女を無視して布団を被る。接触を絶つように。
「んんっ…」
それから数分間は無言の状態が継続。気になったので様子を窺ってみた。
「……すぅ」
「寝てるぅぅぅっ!?」
散々人の安眠を妨害してきた人物が気持ちよさそうな寝息を立てている。満面の笑みを浮かべながら。
単純なその思考回路に呆れ気分が全開。それと同時に偉大な羊に感謝した。
「おやすみ…」
今日はずっと誰かに引っ張り回されていた気がする。休日なのにドッと疲れた1日。
楽しかったが二度と味わいたくない。溜め息をつきながら静かに目を閉じた。




