15 偽妹とお兄ちゃんー6
「あのさ…」
「ん?」
だが小心者の人間が居心地の悪い空気に耐えられる訳もなく。勇気を出して話題を振ってみた。
「さっき言ったじゃん。嫌いになっても良いよって」
「……うん」
「もし僕が本当に嫌いになったら、どうするの?」
「どうするって…」
「家でも学校でも無視。口も利かない目も合わせない。ムカついたら後ろから蹴り飛ばしてやる」
「ちょっ…」
「それでも構わないの? 華恋は」
もちろんそんな事を実践しようとは考えていない。あくまでも憶測で口にした台詞。
「……やだ」
「でしょ? ならやっぱり無理だよ」
「で、でも私はアンタのこと嫌いなのよ? なのに…」
「それでもだよ。避けられたとしてもこっちから嫌いになるなんて事はしないさ」
「あ…」
投げかける言葉に彼女が黙り込んでしまう。しかしそれは一瞬ですぐに口を開いた。
「そういう言い方卑怯じゃん。そんな風に言われたら……アンタのこと嫌いって言えなくなる」
「別に無理して突き放そうとしなくても」
「そ、そうなんだけどさぁ…」
「普通で良いじゃん、普通で。好きと嫌いの二択って訳じゃないんだし」
「ぐすっ…」
強気な態度はいつしか困惑した顔付きを生成。そして最終的に瞳を潤す悲しい表情へと変化した。
「ど、どうして泣き出すのさ。泣いてるよね?」
「だって、だって…」
「泣くほど嫌わなくても良いのに。さすがにそこまで拒絶されると傷つく」
「違っ…」
彼女が声を詰まらせる。勢いよくこちらを向きながら。
「ゴメン、本当はアンタのこと好き…」
「へ?」
「嫌いってのは嘘。本当は全然嫌いなんかじゃない」
「え、えぇ!?」
続けて自分の口からは叫び声が発生。ただ階下に届いてはマズいので慌てて口を塞いだ。
「い、今なんとおっしゃいましたか」
「だから別にアンタのこと嫌いじゃないよって」
「いや、その前。凄い言葉を言ったよね?」
「うぐっ…」
聞き違いでないのなら有り得ないような単語を耳にした気がする。とても喜ばしいキーワードを。
「ハッキリ聞こえなかったからもう一度言ってください」
「……む」
「お、お願いします」
「やだ…」
「え?」
けれど彼女が要求を拒否。そっぽを向くように目線を逸らしてしまった。
「恥ずかしいからもう言わない…」
「な、なんでさ? もう一回言ってくれるぐらい良いじゃないか」
「やだ。聞き逃したアンタが悪い」
「そんな……好きって言ってくれよ」
「聞こえてんじゃんか!」
「ぐえっ!?」
強気な攻めに返ってきたのは告白ではなく攻撃。顎に鋭い掌底を喰らってしまった。
「いったぁ…」
「アレよ、アレ。アンタが言ってたみたいに家族としてって意味だからね」
「分かってるよ。でも良かった」
「何が?」
「嫌いって言うのが嘘って分かって」
「……あ」
「やっぱり人に嫌われるって良い気分しないもんね。それが家族となれば尚更だよ」
頬の筋肉が緩む。緊張感が少しだけ和らいできていた。
「ゴメンね。さっきは傷つけるような事言っちゃって」
「アレでしょ? ツンデレってヤツ」
「かなぁ……自分ではよく分かんないけど」
「ツンの部分が強すぎてたまにドン引きするけど」
「……ごめん」
指摘に対して彼女の声のトーンが下がる。ボリュームを下げたテレビの音声のように。
「いや、別に怒ってるわけではないんだよ。そこまで嫌ではないし」
「アンタ……ひょっとしてマゾ?」
「はい、マゾです」
「ふ~ん…」
「あ、ドン引きしないで」
今度は反対に汚らわしい物を見るような目で見てきた。すっかり見慣れたいつもの表情で。
「まぁ、そうよね。アンタがSだったら私とっくに愛想尽かされてるだろうし」
「ムカついて喧嘩になっちゃってるだろうなぁ」
「そう考えたらアンタのその性癖に感謝すべきなのかしら」
「性癖って…」
お互いの顔を見て笑い合う。数分ぶりに砕けた雰囲気を味わう事が出来た。
「でもまさか好きって言ってもらえるとは思わなかったよ」
「だ、だからそれは家族としてって意味で…」
「分かってる分かってる。それでも嬉しいのさ、僕は」
「ア、アンタが変なこと言うからぁ…」
「変?」
彼女の言葉に首を傾げる。頭にいくつものクエスチョンマークを浮かべながら。
「バイトからの帰り道……私のこと好きってアレ」
「あぁ。まだ気にしてたんだ、あの時の事」
「面と向かってそんなこと言われたの初めてだから頭から離れなくて」
「告白された経験ないんだ。意外だよ」
「そ、そう?」
「まぁね。じゃあ彼氏が出来た事もないの?」
「ん…」
話の流れで恋愛に関しての経歴を質問。返ってきたのはコクコクと首を縦に動かす仕草だった。
「へぇ、だからそういう状況に耐性ないんだ」
「ア、アンタだって同じ様なもんでしょうが」
「うん。今まで誰かと付き合った事ないもん」
「そうなの? 意外でも何でもないわね」
「うえぇっ!」
両手を目元に当てる。ワザとらしい泣き真似を演じた。
「そういえばどうしてさっきは嫌いなんて言ったの?」
「えぇ……それ聞いちゃう?」
「わざわざ嘘ついた理由が分からないんだよね。照れ隠し?」
「言わなきゃ気付かない?」
「へ? 何が?」
相手を気遣った遠回しのアプローチだろうか。けれどそんな事をする意味は無い。どちらにも恋人はいないのだから。
「アンタが何回も言ってるでしょ。自分達は家族だって」
「あ、あぁ……うん」
「家族間でそういう感情持つのはマズいかなぁって躊躇っちゃったのよ」
「……なるほど」
聞かされた説明に納得。同時に告白されてる気分になった。
「下手に好きって言ってアンタが私に欲情でもしたら困るでしょうが」
「凄い自信家…」
「でも突き放したのにアンタが食らいついてくるからさ…」
「うっかり本音を晒しちゃったと?」
「……うん」
生まれて初めて誉められた気がする。へたれな性格が起こした成果を。
「じゃあ家の中でベタベタするのはマズいよね。朝みたいに」
「あ、当たり前でしょうが! あんなの見られたらこの家にいられなくなっちゃう」
「でもまたああいう風に遊びたいなぁ。体を突っつき合ったり」
「そ、そう?」
頬を赤らめた彼女と目が合った。まんざらでもないという表情と。
「1人っ子だったから同世代の触れ合いに憧れるんだよね」
「ん? アンタ、妹いるじゃない」
「香織と知り合ったの中学生になってからだよ? 思春期だったからあんまりボディタッチしなかったし」
「そうなんだ…」
「背中に乗っかって足の裏に落書きしたりするぐらいしかしなかった」
「充分やってんじゃないのよ……過剰なスキンシップ」
足の裏をボールペンで落書きすると何とも言えないこそばゆさを感じてしまうのだ。大抵の人は我慢出来ず、のたうち回る羽目に。
「しかしまさか華恋があそこまでノリノリで付き合ってくれるとは思わなかった」
「べ、別にノリノリだったわけじゃ…」
「お兄ちゃ~ん、もっと撫で撫でしてぇ」
「……っ!」
「ギャーーっ、痛いぃ!?」
「変な声出すな、バカっ!!」
顔面に平手打ちが飛んでくる。恐らく全力だろうと思われる強烈な攻撃が。
「ひぃぃ……何も本気でぶたなくても」
「恥ずかしいこと思い出させないで。頼むから…」
「でも可愛かったなぁ、あの甘えん坊の華恋ちゃんも」
「なっ!?」
「また会いたいなぁ。あの子に」
ワザと悪戯っぽい笑みを浮かべてみた。狼狽している対話相手の様子を窺いながら。
「た、たまになら良いけど…」
「え? 本当に?」
「まぁ……うん」
「うひょ~、言ってみるもんだね」
絶対また殴られると思ったのに。どうやら彼女も一連のやり取りを楽しんでいたらしい。
「そうだ、良いこと思いついた」
「ん?」
「兄妹ごっこを続けよう。そうすれば家でも外でもスキンシップを図れるよ」
「は? 何言ってんの、アンタ」
ハイテンションで立ち上がる。脳裏に浮かんだシチュエーションを口にしながら。
「だから僕達の間柄を仲の良い兄妹って事にしておいてさ。四六時中そういう風に接すればいいわけよ」
「……ぽかーん」
「擬音を口にする人初めて見た。でも何が言いたいのかは分かったでしょ?」
「それって意味なくない? 私達の知り合いには同居人ってバレてるんだから」
「あっ、そうか」
「2人だけで楽しむのにしか使えないわよ、その設定」
「2人だけ…」
彼女からは反論の言葉が炸裂。同時に思考が違う方向で興奮してきてしまった。
「ちなみに華恋って何月生まれ?」
「ん? 6月」
「げっ、じゃあ何日?」
「どうしていきなりそんな事聞いてくんの?」
「いいから教えてくれ。知りたいんだ」
「5日」
「……え」
耳に入ってきた台詞に言葉が詰まる。その情報があまりにも予想外すぎて。
「い、一緒なんだけど。誕生日」
「はぁ!? 何でよ」
「いや、何でよと聞かれても…」
今まで同じ生年月日の人に会った経験はない。同級生全員を調べても1人いるかいないかの確率だろう。それがまさかこんな身近で見つかるなんて。
「うわあぁあぁぁっ!! ならどっちが妹で弟か決められないじゃないか!!」
「そんな事のために質問してきたんかい」
「日付が先の方を兄、もしくは姉にしようと思ってたのに」
「ふ~ん…」
欲望の氾濫は止まらない。思考回路はかつてない程の暴走に陥っていた。
「私が先だったらアンタにお姉ちゃんって呼ばれるの?」
「優しいお姉ちゃんって憧れるよね。宿題を見てくれたり、病気の時に看病してくれたり」
「……けっ」
「あ~、降臨してくれないかな。そういう人」
「私、そういうの無理。諦めなさい」
「だよねぇ、はぁ…」
どちらかといえば彼女は姉御的存在。備えているのは母性ではなく逞しさだった。
「アンタも兄っぽくないからお兄ちゃん失格」
「な、何それ!」
「お兄ちゃんっていうのは妹に優しくて格好良くて勉強もスポーツも出来て喧嘩も強くて、それから…」
「待って待って、そんな奴が一体どこにいるというのさ。日本中探してもいないよ!?」
喧嘩が強い人間は大抵ガタイもいい。なので秀才やイケメンとは両立しないパターンがほとんど。
「無理じゃなくてなりなさいよ。努力してさ」
「……無茶言わないでくれ」
「お願ぁ~い。良いでしょ?」
「うっ…」
「ね? ね?」
反論していると卑怯な上目遣いが目前に迫ってくる。苦手だが嫌いではない表情が。
「け、検討してみます」
「やったあぁ!」
「へへへ…」
騙されてると分かっていてもつい気持ちとは逆の返事をしてしまった。本能には逆らえない恐ろしさを痛感。
戸惑いながらも頬の緩みが抑えられない。女性の怜悧狡猾さと男の単純さを思い知ってしまった。




