15 偽妹とお兄ちゃんー1
「……眠い」
冷えた指先で軽くこする。開くのが億劫な瞼を。
今日は休日なので早起きしなくても良い。にもかかわらず予定より早く目覚めてしまった。
「む…」
二度寝しようと試みるがその願いは叶わず。すぐには寝付けない不眠症体質が恨めしい。
「はぁ…」
溜め息をつきながら体勢を変える。拳銃で撃たれた怪我人のように寝返りを打った。
「……ん?」
壁のシミを見つめていると何かが聞こえてくる。部屋の扉をノックする音が。
「う~ん…」
対応したい所だが起き上がるのが面倒くさい。布団を被ってシールドを張った。
「またか…」
けれどそんな意志を無視するかのように耳障りな音が鳴り響く。間を置いて何度も。
「……くっ」
何か不測の事態が起きたなら部屋に飛び込んで来るハズだった。つまり大した用件ではないと判断。
布団の中に頭をすっぽりと収納する。夏場だがクーラーをつけていたので寒かった。
「しつこいな…」
狸寝入りを続けるもノックの音が大きくなる。我慢が出来ないので誰なのかを確かめる事に。
「……何、朝っぱらから」
「あ、ゴメン。起こしちゃった?」
「まぁ…」
廊下に立っていた人物と視線が衝突。そこには薄着の華恋が立っていた。
「寝てた?」
「寝てた。んで、何の用?」
「起こしちゃったか。ゴメンね」
「いや、謝らなくていいから先に用件を」
睡眠を妨害されたせいで若干イライラ気味。相手が相手なので余計に。
「これといって特に用事はないのだけれど…」
「はぁ?」
「お、お兄ちゃんが起きてるかなぁと思って」
「……へ?」
寝ぼけている影響なのかもしれない。よく分からない単語が聞こえた気がした。
「ねぇ、聞いてる?」
「あ、うん。まだ頭がボーっとしてるから」
「えっと、じゃなくて……んんっ」
戸惑っていると彼女が口元に手を当てる。そのまま軽く咳払いした。
「だ、大丈夫。お兄ちゃん?」
「ちょっ…」
「眠たかったら無理しないで横になっててね」
「……ど」
「ん?」
「どうしたのさ、一体。頭でも打ったの!?」
思わず手を伸ばして掴む。目の前にある華奢な体を。
「何かあった? さっきからおかしいよ」
「や、やだなぁ、お兄ちゃん。私はいつも通りだよ」
「いやいや、そんな訳ないし。違和感ありまくりだから」
「そんな事ないってば! おかしくないおかしくない」
「変な薬でも飲んだとか。それとも嫌な夢でも…」
「だ、だから私は何ともないってば」
軽く意見を衝突させた。無音にも近い静かな廊下で。
「とりあえず部屋に戻って寝なよ。そうすれば治まるからさ」
「ちょ、ちょっと!」
「寝ぼけてるだけ。もしかして睡眠不足かな?」
「だぁから、そういうんじゃないってばぁ」
「そういうのなの。ほら早く…」
背中を押して彼女を部屋から強制追放する。反論には耳を貸さずドアを閉めた。
「……ふぅ」
頭の中で思考がめまぐるしく動く。寝ぼけていた意識が瞬時に覚醒するレベルで。
1人になった後は壁にかけられたカレンダーを確認。今日はエイプリルフールではなかった。
「ちょっとちょっと、どうして追い出すのよ!」
「何でまた入ってくるのさ。早く自分の巣に帰りなって」
「まだ話終わってないでしょうが。勝手に帰らそうとすんな!」
「もう終わったんだよ! 華恋が部屋に戻ればそれでお終い」
「ふっざけんなし。せっかく人が約束守ってあげてんのに」
「約束? 何の事?」
「だから1日だけ妹になってあげるってアレよ!」
「はぁ?」
だが追い出した同居人が再びドアを開けて入ってくる。不満を撒き散らしながら。
「……あ」
その行動である事を思い出した。1日前にした下校時のやり取りを。
「もしかして昨日の…」
「ようやく思い出した? まったく、理解力低すぎ」
「……えぇ」
「約束守ってあげてんだから感謝しなさいよね。私だって本当はやりたくないんだからさ」
彼女が不機嫌そうに腕を組む。そっぽを向いた顔は唇が尖っていた。
「待って待って、誰がそのお願い事で良いと言ったの?」
「さぁ?」
「さぁって、自分で考えるって言ったじゃないか。その案は却下したハズだし」
「だってアンタ頼み事言わなかったじゃない。だからこっちで勝手に決めちゃった」
「そんな…」
とりあえず保留という事で話はついたハズなのに。だから要求の催促もしていなかった。
「ズルいよ、そんなの! どうして勝手に決めてるのさ」
「何よ、悪い? なら今言いなさいよ。代わりに叶えてほしいお願い事」
「そ、それは…」
「ほ~ら無いじゃない。じゃあコレで決定、妹で決定」
「……くっ」
こんな展開、納得が出来ない。一方的に決めた上に押し付けてくるなんて。
「まだ文句あるって顔してるわね」
「当たり前だよ。全然嬉しくないし」
「なんでさ。せっかく可愛い妹役を振る舞ってあげてんのに」
「作った可愛さが喜ばれると思う? 全くありがたくないって」
「高い金払ってメイドさんやキャバ嬢に癒やされてる人だっているでしょうが。タダで恩恵が受けられるんだから喜びなさいよ」
「どんだけ自惚れてるの…」
こんな発言、よほど自分に自信がある人物じゃないと出せない。あるいは幼稚な思考の持ち主か。
「ほら、寝るから出てって」
「うぅう…」
「今から眠れるかな…」
「だらぁっ!!」
「うげっ!?」
ドアを指差して退場のサインを送る。その直後に強烈な痛みが背中に発生した。
「……いっ、つぅ」
「あぁ! 大丈夫、お兄ちゃん?」
「い、いきなり何するのさ!」
「ゴメンね、ちょっと目眩がしちゃって」
「嘘つくなよ。ピンピンしてるじゃないか!」
どうやらタックルを喰らわしてきたらしい。転倒した勢いで壁に鼻をぶつけてしまった。
「本当にゴメン! お詫びにホッペにチューしてあげるから」
「……え」
反論すると彼女が肩を掴んでくる。意味深な台詞を口にしながら。
「ちょ…」
視界から周りの背景が隠れてしまった。至近距離まで迫ってきた対話相手の影響で。逃げようとするが体が動かない。更には顔にかかる吐息のせいで思わず目を閉じてしまった。
「……すると思った?」
「へ?」
「やだぁ、冗談に決まってんじゃん」
「なっ…」
「あっははは。も~、照れ屋なんだからお兄ちゃんは」
目を開けるといやらしい笑顔が飛び込んでくる。鼻先を弾く人差し指と共に。
「マジにしてやんの。ウケるわ」
「このっ…」
「やだ、怒らないでお兄ちゃん。華恋泣いちゃう」
「……うっ!」
掴みかかろうと手を伸ばした。しかし突然の泣き真似のせいで急停止。
「お兄ちゃん、怖いよぉ」
「やめてそれ。変な感がじする」
「変? どこが」
「華恋の存在そのものが」
「……あ?」
「ごふっ!?」
からかわれた事に対する文句をつける。直後に必殺の右ストレートが腹部に飛んできた。
「あぁ、ゴメン。また手が出ちゃった」
「どうしていつもいつも…」
「大袈裟に痛がるんじゃないわよ。ちょっと小突いただけでしょうが」
「まぁね」
痛がる素振りを見せたものの大したダメージは無し。本気ではなかったらしい。
「やっぱりダメかな、妹キャラ」
「ダメではないだろうけど、普段の性格とかけ離れすぎてて違和感がある」
「私の普段ってどんな感じよ?」
「みんなの前ではおしとやか、2人っきりの時はバイオレンス」
「2人っきりって言い方やめて。ニュアンスが紛らわしい」
「じゃあ表がおしとやか、裏がバイオレンス」
「どっちも本当の私よ!」
「いひゃい、いひゃい!?」
頬をつねられ左右に引っ張られる。今度は手加減なしだからか本気で痛かった。
「おっかしいなぁ。事前の想像ではアンタは私にデレデレなのに」
「華恋の中の僕は頭悪すぎるし……いってぇ」
「やっぱり妹ダメかぁ…」
「もうそれで良いよ。我慢します」
「お? ついに折れたか」
彼女は根っからの負けず嫌い。このままだとお互いに一歩も引かない展開が続きそうなので妥協する事にした。
「特にやってほしい頼み事も思いつかないしさ」
「ふ~ん」
「これで貸し借りはチャラね」
「了解しましたー」
「んじゃ、とりあえず部屋から出てって」
「え? 何でよ」
「眠たい。二度寝する」
「あ……そっか」
これ以上アホなコントに付き合うのも疲れるだけ。一刻も早く眠りにつきたかった。




