9 雅人と華恋ー5
「良かったの? 智沙達と遊びに行かなくて」
「行ける訳ないでしょ。うちに帰ってやらなくちゃいけない事あるんだし」
放課後になると同居人と2人で教室を出る。ただし友人からの誘いを断って。
「やらなくちゃいけない事?」
「家の手伝いとか。アンタ達のご飯作ったり」
「いや、そんな毎日は必要ないでしょ。母さんもいるし、コンビニやスーパーだってあるんだから」
「そういう訳にいかないっつの。アンタが居候させてもらってる立場だとしたらどう? 自由に動ける?」
「あのさ、前から言おうと思ってたんだけど考えすぎだよ。別に放課後に遊びに行ったりしても誰も責めたりしないって」
「……そうかもね」
示した意見に華恋さんが小声で返答。だが言葉と表情が一致していなかった。
「まだうちに馴染めない?」
「そういう訳じゃないけど…」
「ねぇ、前から気になってた事があるんだけどさ」
「何よ…」
「君のお母さんってどんな仕事してる人なの?」
「……っ!」
ずっと抱いていた疑問を尋ねる。控え目な態度で。
「海外に出張に行く事になったんだよね。どうして一緒に付いて行かなかったの?」
「そ、それは…」
「いきなり外国なんて言われたら誰でも戸惑うとは思うよ。でもそれなら説得して引き留める事も出来たんじゃない?」
彼女の母親がどんな職種なのかは知らない。社会のルールも。それでも意見を掲げずにはいられなかった。
「ん…」
「も、もしかして聞いたらまずかった?」
しかし問い掛けに対する返事は返ってこず。対話相手は黙ったまま俯いた姿勢を維持していた。
「……ぐっ!」
「あっ、ちょ…」
どうするべきか悩んでいると彼女が歩きだす。歯を食いしばりながら。
「ねぇ、何か言ったらいけないこと言った?」
「……っさい」
「悪かったって、謝るからさ。機嫌直してよ」
「うっさい…」
話しかけるがスルーの一択。まともに目も合わせてはくれない。
よほど触れてほしくない話題に触れてしまったらしい。結局、帰宅するまで一度も口を利いてくれる事はなかった。
「……はぁ」
晩御飯後は部屋に退避する。同居人と対面しないようにする為に。食事中の彼女は普段と変わらない笑顔で会話に参加。けれど下校中の異変を知っている自分にはその表情がとても苦しそうに感じられた。
「う~む…」
ベッドに寝転がって見上げる。無地な天井の一部を。
「聞かれて困る職業ってどんなのだろう…」
他人には秘密の仕事。世界を股にかける女スパイとか。
「そういえばこの部屋に隠してある本もあっさりと見つけ出したっけか」
だとしたら娘の華恋さんもその血を継いでいて当然。脳裏に黒スーツを身に付けた彼女の姿を思い浮かべた。
「ん?」
幼稚な妄想を繰り広げていると妙な音が意識の中に入ってくる。自宅ではなく窓の向こう側から。
「あれ?」
ベランダから外に出て発信源を確認。それは部屋の下から聞こえていた。
「……華恋さん?」
彼女が縁側で佇んでいる。風呂上がりのパジャマ姿で。
「んん、ぐっ…」
「え?」
暗がりだったので何をしているのかは分からない。この位置からだと顔を拝む事が出来ないから。
「ん…」
「……おかぁ、さぁん」
ただ1つだけ気付いたのは大きな違和感。彼女はそこで泣いていた。




