17 父と子ー1
「今までお世話になりました」
「こっちこそありがとうね。雅人がいてくれたおかげで若い男の子目当てのお客さんが増えたし」
「あはは…」
「またいつでも遊びにいらっしゃい。待ってるから」
閉店後の喫茶店で頭を下げる。照れくさいお礼の言葉を何度も述べながら。挨拶を済ませると店長は片付けの為に奥の厨房へと引っ込んでしまった。
「あ~あ、今日で雅人くんもいなくなっちゃうのかぁ」
「うち、淋しいっす。先輩がいなくなったら男ゼロになっちゃうじゃないですか、この店」
「そうね。誰か新しい子でも入ってきてくれたら私もやる気が出るんだけど」
「姉さんは彼氏いるから良いじゃないですか。うちなんて独り身なんですよ!? これからどうやって野郎成分を吸収すればよいのか…」
「ちょ、ちょっと落ち着いて。恵美ちゃん!」
瑞穂さんと紫緒さんがフロアの片付けをしている。それぞれ不満や愚痴を漏らしながら。
「もううちもバイト辞めたろかな。優奈も先輩もいない場所にいたら悲しくなってくるし」
「あの、もし良かったら私の知り合いの男の子を紹介してあげるけど。同じ大学に通ってる子」
「マジっすか!?」
「その子も確か彼女欲しがってた覚えあるから。恵美ちゃんと同じで」
「やったぜ!」
2人が無関係の話題で大盛り上がり。見送るような雰囲気は微塵も存在していなかった。
「その人はイケメンですか。イケメンですよね?」
「ど、どうかな。可愛い顔してるとは思うけどイケメンではない……かな」
「ショタフェイスなら大丈夫です。むしろバッチこいですわ」
「なら今度紹介してあげる。だからバイト辞めようだなんて淋しい事は言わないでね?」
「ほ~い」
間抜けな後輩があっさりと買収されてしまう。そのあまりの単純さについ声を出して苦笑い。
「じゃあ僕はそろそろ帰りますね」
「あっ、うちも駅まで一緒に付いて行きます」
「え? でも片付け…」
「大丈夫、後は私がやっておくから。2人は帰っちゃって良いわよ」
「……すみません」
瑞穂さんに頭を下げながら出入口へ。もう一度だけ別れの挨拶を告げると紫緒さんと2人で外に移動した。
「うぅ、さぶっ」
「卒業式はどんな感じ? 泣きました?」
「いや。けど何故か妹が号泣してたかな」
「師匠っすか? それともかおりんの方?」
「香織だよ。目を真っ赤にして嗚咽してた」
「あはは。可愛いなぁ、あの子は」
3月になったとはいえ気候はまだまだ冬。手袋やコート無しでは歩けないような気温だった。
「先輩も高校生じゃないんすね」
「だね。宿題やテストに追われなくて済むんだと考えると不思議な嬉しさが込み上げてくるよ」
「大学には通わないんすか? それか専門とか」
「とりあえず勉強する予定。んで、来年また受験する」
「え? じゃあ…」
「浪人生だね。1年予備校でみっちり勉強して、今度こそ夢のキャンパスライフを送ってみせるんだ」
今年がダメでも来年がある。来年がダメでも再来年が。失敗は手痛いダメージだったが良い勉強になっただろう。子供のまま社会に出るより心を先に成長させられて良かった。
「先輩は偉いなぁ。うちだったら1年勉強し直してまで受験しようだなんて考えないや」
「紫緒さんって勉強は苦手な方?」
「嫌いっす。授業中はいつも寝てます」
「そんな事して先生に怒られない?」
「怒られてるかもだけど意識が無いから気付かないんすよね。ひゃはは!」
「……ダメじゃん」
その姿が容易に想像出来てしまう。だらしなくヨダレを垂らしている女子高生が。
「先輩とこうして帰るのも今日で最後っすね」
「そうだね。なんやかんやで紫緒さんと過ごしてるの楽しかったよ」
「ん? それは告白っすか?」
「違う違う」
初めて彼女に会った日の事を思い出した。無愛想で生意気だった態度を。
「先輩はこれからもうちの友達でいてくれますか? これからもうちと会ってくれますか?」
「まぁ……会っちゃいけない理由も無いし」
「なら今ここで約束してください。連絡したら絶対に返事を返すって」
「えぇ…」
「してくれないと泣きますよ? 大声でワンワンと」
「そしたら二度と会わない。今、この場で絶交だ」
「わーーっ、わーーっ、ごめんなさい! そんなふざけた真似しないから許してください!」
2人で大盛り上がり。夜間の住宅街で。そして少しだけ心が動かされてしまった。この子となら友達以上の関係になってしまっても良いのではないかと。
「分かってるよ。今のはジョークだから」
「本当ですか!? もし嘘ついてたらうち、チョコバー1000本飲みますからね」
「危険だからやめておきなよ」
「先輩まで離れていったら……うわあぁあぁぁっ!」
「でも瑞穂さんに男の人を紹介してもらうんでしょ?」
「そうだった。やったぜ!」
「何、このお気楽な思考」
呆れはするが嫌な気はしない。コントみたいなやり取りを繰り広げながら駅までやって来た。
「先輩はこれからこの路線って使うんすか?」
「う~ん……全く乗らないって事はないけど少なくはなるなぁ」
「あ~あ、うちも早く卒業したいなぁ。毎日電車とチャリ通学とか辛すぎ」
通学や出勤をしなくなるので電車自体を利用する機会が減ってしまう。遊びに行くぐらいしか足を運ぶ用はないだろう。
「んじゃ、先輩。お疲れ様っした」
「うん、ありがと」
「絶対また会いましょうね? 約束ですよ?」
「分かってる分かってる。誘ってくれたら学祭にも行くからさ」
「自宅は?」
「なるべく遠慮したい」
そしてあっという間に紫緒さんが下車する駅に到着。彼女はホームに下りると閉まるドアの向こうから何度も手を振ってくれた。再び列車が動き出すその瞬間まで。
「……はぁ」
良い子だったと思う。純粋で気が強くて、そしてちょっぴりお馬鹿で。その明るさに何度も励まされた。数え切れないぐらいたくさん。
「ただいまぁ」
「おう。お疲れ様」
「あ……うん、ありがと」
帰宅すると父親に出迎えられる。労いの言葉と共に。
「どうだった? 最後のバイト」
「楽だったよ。一緒に働いてる人達がほとんど仕事させてくれなくてさ」
「女の人ばかりなんだろ? 可愛い子はいたか?」
「そりゃもう、年上の女子大生から年下の女子高生まで選り取りみどり」
「くうぅっ、羨ましい! 父さんも学生と偽って働いてみようかな」
「何を言ってるの?」
気を遣ってくれたかと思えば意味不明な発言を連発。母親に聞かれたら殴られそうな内容の台詞だった。
「ふぅ…」
心の中で生まれたのは何かを成し遂げたような達成感。こうして人生初のアルバイト生活が終了した。




