12 錯覚と発覚ー5
「ふあぁ…」
翌朝、乾いた喉から大きな欠伸を出す。存在理由が不明な現象を。
昨日まで感じていた体中の違和感が綺麗サッパリ消滅。どうやら無事に完治したようだった。
「……このお嬢さんのおかげかな」
すぐ隣にいた人物を見つめる。彼女は豪快に布団を蹴っ飛ばし、体を丸めて寝ていた。
「え…」
パジャマを着た体に触れようと手を伸ばす。その瞬間に奇妙な異変を察知した。
「何これ…」
特におかしな点はない。目の前には寝相の悪い妹が転がっているだけ。
「気持ち悪…」
ただ心の中に漠然とした不安が広がっていた。今までに感じた事のない不快な感情が。原因を考えたが、まるで見当がつかなかった。
「ねぇねぇ、どっか出掛けない?」
「出掛けるってどこに?」
「恋人っぽい場所。オシャレなカフェとか」
「う~ん……でも病気を理由にバイトを休んでる身だからなぁ。人に代わりに働かせておきながら遊ぶのはちょっと」
「あ、そっか」
昼間になると華恋も目を覚ます。完治した事を知るとまるで自分の事のように大喜び。けれど熱が下がっただけで体力はまだ万全ではない。おじや以外ほとんど何も食べていなかったから体に力が入らなかった。
「じゃあ後で買い物に行くから付いて来てよ。ティッシュやらトイレットペーパーがもう切れそうなんだよね」
「ん、了解」
「本当は昨日買っておきたかったんだけどさぁ。食材がかさばっちゃったから諦めたの」
「1人だと持てる量に限界があるもんね。車があったら楽なんだけど」
「そうそう」
日用品の管理はほぼ彼女に任せっきり。何が足りなくてどこに予備が保管されているのか。母親以上に彼女はそれらを把握していた。
「う~、やっぱり寒いなぁ。晴れてても体が冷えちゃう」
「でも風がないからまだ良いよ。日差しが気持ち良く感じる」
「そのマフラー付けてきてくれたんだ。ひょっとしてお気に入り?」
「ん? あぁ、そだね。巻いてると温かいから重宝するよ」
「へっへ~。そうやって言ってもらえると嬉しいかな」
「でも華恋はマフラーないじゃん。寒くないの?」
「寒いよ。ちなみに昨日はそれ借りて出掛けたから」
菓子パンを食べた後は近所のスーパーに行く為に家を出る。再び体調を悪化させないように衣類を着込んで。
「ふぅ…」
顔に当たる柔らかな風が気持ちいい。たかが3日ぶりの外出なのに空を見るのが久しぶりに感じられた。
「買っておかなくちゃいけない物って他に何かある?」
「ん~、シャンプーあるしリンスあるし綿棒は100均で買えば良いし…」
「思い浮かばないならまた今度で良いよ。無理して今日買う必要ないし」
「あ、いっけない。ゴミ袋が切れかかってたんだ」
店に着いた後は2人してカートを押しながらウロウロ。暖房が効いていて暖かい店内を歩き回った。
「ねぇ、お鍋と親子丼ならどっちが良い?」
「病み上がりの状態で肉はちょっとね。2人だけで鍋ってのも淋しいし」
「なら晩ご飯どうしよう。消化に良いうどんにしとく?」
「そだね。そうしよっか」
「あ~あ、せっかく雅人と2人っきりになれた貴重なチャンスなのに。出掛ける場所が近所のスーパーとか味気ないなぁ」
「そんな文句ばっか言わなくても。新婚の夫婦みたいで楽しいじゃん」
「夫婦…」
空腹のせいで目移りしてしまう。気になった食材を次から次へとカゴの中に放り込んでいった。
「エッヘヘヘ、夫婦かぁ。いひひひぃ」
「……病気かな」
突然、隣にいた相方が暴れだす。カートの持ち手部分に何度も頭突きを喰らわせだした。
「いつつつつ…」
「もしくは同棲中のカップルとか。でも僕達ぐらいの年代の人ってあんまりスーパーに来ないよね」
「あぁ、確かに」
「たまに1人で買い物に来てる女子高生を見かけるじゃん? ああいう子を見ると惹かれない?」
「分かる分かる。彼氏と同棲してんのか、はたまた病気の母親の代わりに弟達の面倒を見てるのかっていろいろ想像しちゃうわよね」
「ははは」
周りを見回してみればほとんどの客が主婦と思しき女性。たまに男性を見かけても年配の方だったり奥さんの付き添いだったり。
あらかた買う物をカゴに入れるとレジへ行き精算。予め持ってきたエコバックを広げて品物を詰め込んでいった。
「そっち、牛乳パックやペットボトル入ってて重たいけど大丈夫?」
「平気平気。これぐらい何て事ないから」
さすがに女の華恋に重たい物を持たせる訳にはいかない。彼女にはティッシュやトイレットペーパーを任せて、袋に入った食材等は自分が担当する事にした。
「もうすぐ冬休みも終わりだねぇ」
「うん。2月になったらほとんど学校に通わなくてもよくなっちゃうし」
「私、大学に受かるかなぁ。雅人と違ってバカだからヤバい気がするんだけど」
「大丈夫だって。あれから必死に勉強したんだからもっと自信持ちなよ」
「かなぁ…」
夏休みの宿題を忘れた日から彼女には徹底的に勉強に取り組ませた。同じ学校に進みたいからという本人の希望を受けたせいもあって。
成績があまりよろしくなかったので不安ではあったが進捗状況は良好。物覚えが良く、吸収力は人一倍。なぜ今まで真面目に勉強に取り組まなかったのか疑問に感じてしまう程だった。
「ねぇねぇ、大学行ったらサークル入る?」
「どうだろ。友達が欲しくなったら考えるかもね」
「私さ、アニメ研究部に入りたい。コスプレ活動とか同人誌作ってるサークルに」
「好きにすれば良いと思うよ。自分の人生なんだから」
「1人だと恥ずかしいから雅人も一緒に入ろうね? 約束だよ?」
「いや、そんな約束結びつけられても…」
まず受験が成功するかどうかが分からないのに。彼女の頭の中では既にバラ色のキャンパスライフが始まっているらしい。
「……華恋」
「ん? なぁに?」
「もう二度といなくなったりしないよね?」
「はぁ?」
「親戚の家に行ったり、黙って家出したりなんかしないよね?」
「ちょっ……突然何よ」
立ち止まって相方の名前を呼ぶ。今朝の不安な心を思い出しながら。
「ちゃんと気持ちも受け止めたし告白もした。だから消えたりなんかしないでよ?」
「……雅人?」
「1人になるのは嫌なんだよ。昔みたいに…」
「昔って?」
「あの頃には戻りたくない。華恋がいない生活なんか考えられないし考えたくもない」
「え……え、え」
「いなくなった時は凄く寂しかった。立ち直るまでメチャクチャ時間かかったんだから」
「……あの、話がサッパリ分からないんですが」
自身の行動に自身で困惑。知らない間に声を荒げていた。
「あ…」
「何があったのか知らないけど、そんなに怯えないで」
「ご、ごめん」
「私はいなくならないよ。ずっと雅人の側にいるから安心して」
「……うん」
物憂げな気持ちに駆られていると荷物を下ろした彼女が近付いてくる。手袋を外しながら。
頬に当たる温もりのおかげで冷静さを取り戻す事に成功。柔らかな感触が心地良かった。
「落ち着いた? もう大丈夫?」
「うん、大丈夫。誰かさんのおかげで平常心を取り戻せたよ」
「ん、なら安心」
「風邪引いてたせいか混乱しちゃったみたいだね。悪い」
「まぁったくぅ。いくら私の事が好きだからって束縛が強すぎるんじゃないの?」
「束縛……なのかな」
もし片方が受験に失敗したらどうなるのだろうか。自分だけが受かって華恋が落ちたら。その逆は。
そうなったら彼女とも離れ離れになってしまう。少なくとも家以外の場所では。
そうならないように祈りたい。もし別々の学校に通う事になったら今の関係でいられるか分からないのだから。
「大学に進んだら私がナンパされて、その男と付き合ったりするのが怖かったんでしょ?」
「ナンパねぇ…」
「大丈夫だって。浮気したとしても本命は雅人だからさ」
「……えぇ」
「あはははは、嘘ウソ。浮気なんかしないよ、絶対に」
「本当かな…」
「でも雅人が違う女に少しでも鼻の下伸ばしたらマジで刺すからね」
「……はい」
住宅街の道路で2人して雑談。幸いな事に車や自転車の往来がほとんどない道だった。
「ねぇ、キスして」
「え? ここで?」
「もちろん。情緒不安定な彼氏を落ち着かせてあげたお礼」
「仕方ないなぁ…」
唐突なお願い事を持ち出される。照れくさくなるような催促を。
「……んっ」
外という状況に抵抗を感じながらも彼女に接近。顔を近付けて唇を重ね合わせた。
「ふぅ…」
先程まで感じていた不安が消滅していく。細胞を通して体外に霧散するように。
「あ…」
しかし顔を離した途端に見えてしまった。交差点の更にその先にいる人達が。
見知った顔。記憶の中に強く残った出で立ち。声が届くか届かないか分からない距離からの傍観。
予感が確信に変わった瞬間だった。里帰りしているハズの家族が真っ直ぐこちらを見ていた。




