10 雪の日と別れの日ー4
「転校するってマジっすか?」
「マジっす」
バイト後の帰り道で本人にも尋ねてみる。妹づてに聞いた話題を。
「……そっかぁ。淋しくなるね」
「何度もバイト辞めてすいません。1年の間に2回も退職してしまうなんて」
「事情が事情だから仕方ないよ。一度目の時は産休でしばらく休んでたみたいなものだと考えておけばいいさ」
「なら私を退職に追い込む原因を作った先輩は、さしずめ私の赤ちゃんのパパという事ですか」
「そ、そんな…」
「良かったでちゅね~。これからはパパが2人分の面倒を見てくれまちゅよ~」
「やめてやめて」
彼女の手が腹部に移動。存在していない胎児に話しかけるように。
悲しい話題を交わしているハズなのに不思議と場の空気は明るい。いつもと変わらないテンションがそこにはあった。
「でも本当なら先輩には最後まで内緒にしておくつもりだったんだけどな…」
「どうして?」
「だって黙って立ち去ったら私の事を考えて悲しんでくれるかもしれないじゃないですか。あぁ、なんであの子の告白を受けなかったんだぁって」
「そういう人の心情を弄ぶような作戦はやめようか」
「後悔させるぐらいその人の心に自分を残せたら、それは凄く素敵な話だと思うんです。その後悔が長く続けば続くほど」
「えぇ…」
対話相手が意味深な笑みを浮かべる。まるでトラップを仕掛けている小悪魔のような表情を。
「自分がいなくなって一番悲しいのは、誰も覚えていてくれないって事だと思うんですよ」
「いや、その考え方は分かるんだけどさ。一言の挨拶も無しにいなくなられたら、そっちの方が後味悪いんだけど」
「……まぁ一番の理由は同情してほしくなかったからなんですけどね」
「同情?」
「もし私が余命3ヶ月の身で、最後にデートしてくださいとお願いしたら先輩はどうしますか?」
「う~ん、やっぱり迷うかなぁ…」
まさに今その悩みを抱えて生活中。心の中で理性と本能が葛藤していた。
「私としては本心で来てしかったんです。1人の女性として認めてくれた上でイブのデートに」
「でももう転校するって話を耳にしちゃってるし。余計な雑念が混ざっててどうしたら良いか分からないんだよ」
「それは簡単です。妹さんを捨てて私の元へと来てくれたら良いんですよ。へい、カモン」
「そ、それはちょっと…」
「何か問題でもあるんですか? マゾなんだから殴られるのも平気ですよね?」
「いやいやいや、マゾでは無いし平気でも無いから」
どんな惨事を迎える結果になってでも構わないから来いと言いたいらしい。提案内容がムチャクチャだった。
「……やっぱり妹さんがいるからですか?」
「そうだね。華恋は裏切れないもん」
「つまり考え方は変わっていないという事ですね。今もずっと」
「うん…」
「やっぱり適わなかったって事か。悔しいなぁ」
隣を歩く人物が首を傾けて視線を移した。雲の隙間から綺麗な月が顔を覗かせている空に。
「どうしよっかな、イブの日…」
「ん…」
「……当日は駅前で待ってます」
「え?」
「先輩が来れなくてもずっと待ってますから」
決意を漏らした台詞と共に憂いのある笑みを向けられる。彼女の言葉に肯定も否定も出来なかった。
「むぅ…」
迷う理由なんかない。断って済む、それだけの話。なのにその意思に抗おうとしていた。
こんな優柔不断な性格を華恋は嫌いと言っていた。そしてこんな人間を大好きでいてくれていた。どちらも裏切りたくない。慕ってくれている後輩も妹も。
ただ問題が解決しなくたって時間は刻一刻と進んでいく。悩んでいるうちにあっという間に約束の前日を迎えてしまった。
「……という訳で明日誘われてまして」
「あ、あ、あ、あぁん?」
客間の椅子に座っている華恋が鋭い目つきで睨み付けてくる。こめかみをピクピクと痙攣させた状態で。
「行こうかどうか凄く迷ってます。どうすれば良いと思いますか?」
「は?」
「本来なら断るべきなんだけど、なんとなく行かないと後悔するような気がして…」
「……はんっ」
「あ、あの……聞いてますか?」
「聞いてない。聞こえてない」
嘘やごまかしは使わず素直に心情を暴露。しかし素っ気ない対応ばかりが返ってきた。
「頼むからちゃんと聞いてくれよ。これでも真剣に悩んでるんだから!」
「どうして私がそんな馬鹿げた相談事に耳を貸さなくちゃならないのよ。ふざけんな!」
「でも大事な話なんだってば。華恋にも関係する内容だし」
「んなの雅人が行かなけりゃ良いだけでしょ。誘われてホイホイ付いて行くとかアホなの?」
「……自分でも悪いって分かってるよ。けどそうした方が良いような気がして」
「もし行ったら許さないからね。縁切るから」
「はぁ…」
予想通り彼女は大激怒。部屋には気まずい空気が蔓延しただけ。
「アンタは私の事が好きで付き合う事にしたんじゃない。それなのに他の女と仲良くするとか意味不明」
「だってもう会えないんだよ? 別に手を繋いだりとかはせず、あくまでも友達として付き合うつもりだし」
「それでもダメに決まってるでしょうが。好意を寄せてると分かってる相手とわざわざ2人っきりにさせるハズないじゃん」
「ならどうして優奈ちゃんからの挑発に乗っかったのさ。華恋があの時ハッキリと断ってればダラダラとこんな関係を続ける事はなかったんじゃないの?」
「そ、それは…」
「今でも謎なんだけど。分かりきった挑発行為を受けた意味が」
「……差し出された勝負を受けなかったら負けな気がして」
「はぁ……負けず嫌いな性格が災いしたのね」
頭に血が登っていて冷静な判断が出来なかったらしい。短気さが招いた結果だった。
「だ、だって自信あったしぃ。雅人が私を振ってあの子の方にいくハズがないって」
「それは自分を過信しすぎじゃないかな」
「なのにまさかこんな馬鹿とは思わなかったわ。女の気持ち一つ分からない無神経男だったなんて」
「……念のため言い訳させてもらうと、華恋の事を考えてたからこうして誘われた事を打ち明けたんだが」
それが詭弁だと自分自身でも分かっている。優奈ちゃんとの勝負の話を持ち出した事だって。ただこのまま黙って彼女と別れるのが嫌だった。恐らくタイミング的に明日のイブが顔を合わせられる最後の日。もしこのままジッとしていたら一生悔やむ別れを経験するだけだった。
「どうしても行きたいっていうならこの私を倒してからにしなさい」
「え? 殴り倒しても構わないの?」
「え? え? へ?」
「日頃の恨みもあるし今なら手加減なしで攻撃出来る気がする。華恋が許してくれるっていうなら遠慮なく倒させてもらうけど」
「ちょ……待て待て。待ちなさいよ、お兄さん」
「ん? なに?」
指の関節をパキパキと鳴らしながら机の方に移動。同時に目を丸くした彼女が勢い良く立ち上がった。
「ア、アンタは可愛い妹に手を出すっていうの!? 仮にも恋人で付き合ってるこの私を」
「だって華恋が言い出したんじゃないか。行きたかったら倒していけって」
「それは絶対に行かせないって意味を表しただけのセリフでしょうが。真に受けるな、アホ雅人!」
「ちぇっ、ならどうやってもあの子の元に行く方法はないって事じゃないか」
「あったりめーじゃんよ。明日はこの家から一歩も出さないからね」
「あの……昼間はバイトあるんですが」
丸めた雑誌で頭を叩かれる。ツッこみを入れるように。
予想通り見逃してはくれないと判明。やっぱり華恋は華恋だった。




