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6 抑止と峻拒ー6

「……帰って来てしまった」


 家先の道路で立ち竦む。友人や隣人の子供とは別れ香織と2人きりの状況で。


「どうしたの? 入らないの?」


「いやぁ、我が家はなかなか立派だなぁと思って」


「は? 頭でも打った?」


「むしろぶつけて気絶したいぐらいだよ」


 今朝の出来事が脳裏に浮かんで足が動かない。1人だったなら間違いなく逃げ出していた。


「ただいま~」


「た、ただいま…」


 とはいえいつまでも躊躇っていても仕方ない。覚悟を決めて玄関をくぐる。前を歩く小さな背中に隠れながら。


「……あ、おかえりなさい」


「ごめんね、華恋さん。留守番任せちゃって」


「うぅん、気にしなくて良いよ。楽しかったみたいで良かったね」


 リビングにやって来ると香織が臆する事なく話しかけた。ソファに座っていた華恋に。


「雅人もお帰りなさい」


「た、ただいま…」


「へへへ…」


「ん?」


 彼女と目が合う。だがすぐに逸らされてしまった。


「え、え…」


 様子がおかしい。てっきり怒り狂って飛びかかってくるかと思っていたのに。その体からは怒気や不満という感情が微塵も感じられなかった。


「何なんだ…」


 戸惑いながら身構えていたが優しく出迎えられただけ。結局、両親が帰宅してからも華恋は大人しさを維持。何もしてこない事が却って恐怖を際立たせてきた。




「あっ、いけね。お土産渡し忘れてた」


 風呂上がりに自室へと戻ってくる。ドアを開けた瞬間に机に置かれているバッグを発見。制裁の事ばかり考えていて渡し損ねてしまった。


「むぅ…」


 早く処理してしまいたいが行動に移せない。双子の妹と対面する状況が恐ろしすぎて。


「誰!?」


 どう処理するべきか悩んでいるとドアをノックする音が聞こえてくる。何者かの訪問を知らせる音が響いた。


「わ、私。入っても良い?」


「うっ…」


 振り返った先には薄ら笑いを浮かべている妹が存在。最悪な来客の登場だった。


「ごめんね、こんな時間に」


「いや、良いよ。ちょうど渡そうと思ってた物もあるし」


「え? 何だろ。嬉しい気持ちになれる物かな」


「どうでしょうかね…」


 主導権を握る為に話題を切り出す。都合良く手にしていた小物を突き出しながら。


「これ。今日買ってきたんだけど」


「わあぁ、可愛い。貰っちゃって良いの?」


「う、うん。連れて行ってあげなかったせめてもの罪滅ぼし」


「……ゴメンね。いろいろ気を遣わせちゃって」


「へ? いやいや、謝らなくても。むしろ頭下げなくちゃいけないのはこっちの方なのに」


「うぅん、こうやって優しくしてくれるだけで私は嬉しいから。本当にありがとうね」


「どういたしまして…」


 どんな反応をされるか怯えながら待機。けれど返ってきたのは屈託のない笑みだった。


「エヘヘ、嬉しいなぁ」


「んっ…」


 よっぽどお気に召したのかバッグをマジマジと観察している。恍惚とした表情で。


「あ、あのさっ!」


「はい!?」


「その、えっと…」


「何でしょう…」


 しばらくすると状況が変化。お土産を机の上に置いた彼女が振り向きながら話しかけてきた。


「あ、朝の続き……してほしいかな」


「……へ?」


「だから朝の続きを…」


「え、え? 何?」


「今朝いろいろしてくれたでしょ? またやってほしいなぁって」


「はぁ?」


 無意識に口から言葉が漏れる。自身でも驚いてしまうような愚鈍な声が。


「ちょ、ちょっと待って。アレはワザとじゃなくて本当に偶然で…」


「そんなのどっちでも良いからさ。またやってよ。ね?」


「いや、もう無理っす。あんな卑猥な真似、二度としたくないです」


「なんでよ? 今朝はあんなに激しく触ってくれたのに。それとも疲れてるから出来ないって事?」


「違う違う。例え元気が有り余っていたとしてもしないから」


「じゃあ無意識で胸を触ったの? おかしいよ、それって」


「だからお腹をこしょぐるつもりで触れただけなんだってば。それ以上の出来事は意図的なものではないんだよ」


 思い出しただけでこっ恥ずかしい。要領の悪さが原因で新たな黒歴史を生み出してしまった。


「な、なら私どうすれば良いの。今日、1日中ドキドキしながらお兄ちゃんが帰ってくるのを待ってたのに」


「お兄ちゃんって何さ。久しぶりの兄妹プレイ?」


「このモヤモヤ感を残したまま寝られそうになくて。だからゴメンッ!」


「うわっ!?」


 言い訳を繰り広げていると彼女が体全体で飛びかかってくる。試合中のプロレスラーを彷彿とさせる勢いで。


「大好き、お兄ちゃん。愛してるっ!」


「ちょっ…」


「もう今の華恋は超ラブラブモード。自分でも止められないの」


「ど、どいてくれよ! 重たいんだってば!」


「ずっとお腹の辺りがムズムズしてて。体がいつも以上に敏感になってるっていうか…」


「このっ…」


「もう何しても怒らないよ。だから……メチャクチャにして」


「……え」


 背中をベッドにつけながら必死で抵抗。しかしその動きは途中で停止した。


「お願い、先の事とか考えずに今だけ…」


 頬に温かい息がかかる。意味深な台詞と共に。


「華恋…」


 彼女が望んでいるのはきっと恋人同士が辿り着く最終地点。自分が未だ経験した事のない行為。


 興味が無い訳ではない。ただそれ以上に溢れてくるのは戸惑いの感情。今いるこの場所も、人も、状況だって。素直に受け入れていいものではなかった。


「きゃっ!?」


 精一杯の力を振り絞って投げ出す。目の前にあった体を。


「い、いい加減にしてくれよ。そういう事されるの迷惑なんだよ!」


「え?」


「ここがどこか分かってる? 自分達の家なんだよ。そんな場所でその……そういう事が出来ないの分かってるでしょ?」


「ま、雅人?」


「恥ずかしいとか照れくさいとかそういう話じゃないんだよ。やったらマズい事なんだって」


「それは…」


「もっとしっかりしてくれ。見つかったら顔を赤くするだけでは済まないんだからさ」


 焦りを怒りに変換するように強めの口調をぶつけた。拳を握り締めながら。


「な、なんでそういう事言うの。私の事嫌いなの?」


「そうじゃないってば。今のこの状況がマズいんだよ」


「皆、もう部屋に戻ったから大丈夫。寝ちゃってるって」


「そんなの分からないじゃん。そもそもそういう問題でもないし」


「で、でも…」


「あと華恋にそういう事するの……ヤダ」


 空気が気まずい。床にいる人物と目線を合わせられなかった。


「……え、どういう事? なんで私とエッチしたくないの?」


「ちょっ…」


「私の事が好きなんじゃないの? 好きなんでしょ? 好きって言ってくれたよね? ねぇ!」


「……確かに言ったよ。言ったけどさ、とにかく嫌なんだよ」


「なん、で…」


「自分でも分からない。好きだけど受け入れたくないっていうか、そういう事しちゃダメっていうか……上手く言えないけど良くない感じがする」


 咄嗟に嘘をつく。NGな理由はとっくに承知しているハズなのに。


 今まで通りの冗談口調なら平気で言葉に出来た。何度もそれを理由に彼女を拒み続けてきたのだから。


 なのに今は出来ない。それは互いの関係性が変わっている証だった。


「な、なら今朝した事は…」


「本当に偶然」


「じゃあ2人でホテル行ったとしても…」


「したくない。というか出来ない。例え大好きな華恋相手でも」


「ん…」


 お互いに黙り込んでしまう。時間が停止したのではないかと錯覚してしまう空間の中で。


「今朝の事はこっちが悪かったよ、ごめん。でも無理だから諦めて」


「私がこんなにお願いしても?」


「ごめん」


「取り返しのつかない事になっちゃっても構わないとしたら?」


「嘘ばっかり。本当はそうなる事を怖がってるクセに」


 一時的な感情に流されているだけ。ただそれだけ。もし本能に流されて最悪な結果を迎えたとしたら一番後悔するのは彼女だった。


「嘘つきなのは雅人の方だよ。私の事好きって言ってたのに。もう二度と離さないって言ったクセに」


「言ったよ、確かに。でもやっぱり良くない事は良くないよ」


「キスはしてくれたのに?」


「……キスと性行為は違う気がする。今、ここで華恋の願い事を叶えてあげちゃったら二度と普通には戻れない気がするんだ」


 思い返す度に辛くなる。目の前にいる人物との出逢いも繋がりも。


 傷つけてしまったかもしれないが恐らくこれが最も正しい選択肢。踏み込んではいけない領域の一歩手前まで自分達は歩いて来てしまっていた。


「べ、別に良いじゃない。恋人同士なんだからエッチな事したって」


「恋人であると同時に兄妹なんだよ。プラス家族」


「おじさん達だってそういう事してる。家族だなんてのは言い訳」


「と、父さん達は夫婦だからだし。関係性が僕達とは違う」


「なら……私達は一生エッチ出来ないって事?」


「そういう覚悟で華恋はこの家に帰って来たんじゃないの?」


 中途半端な気持ちで付き合う事を了承してくれたとは思いたくない。流されるままの人生では望んでいる場所へ辿り着く事は不可能だから。


 きっと彼女は淡い希望だけを抱いてこの場所へとやって来た。覚悟を持たないまま。


「……バカっ! 雅人がそんな風に言うなら浮気してやるから!」


「そんな真似しない事は知ってるからビビらないよ」


「ほ、本当にするからね。脅しじゃなくマジでしてやるもん」


「そしたらお別れだね。残念だけど」


「告白してきた相手にOKしちゃう。ナンパされたら付いて行ってエッチしてやる」


「ホテルに行っちゃうって事?」


「そ、そうだよ。雅人の知らない所で他の男に体とか触らせちゃうからね!」


 反論はせず黙って見下ろす。悔しそうに歯を食いしばっている口論相手を。


「ん…」


 可哀想だと思った。強がっている彼女ではなく、まだ双子だと知らされていなかった頃の自分達が。


 思い切って告白したあの時、いつかはこんな日を迎えるんじゃないかとは思っていた。それがまさかこんな形で訪れる事になるなんて。


「ぐっ…」


 華恋が顔を隠しながら立ち上がる。このまま粘っても何も変わらないと悟ったのか部屋を出ていった。


 その後ろ姿を引き止めもしないし慰めもしない。そして笑いも泣きもしない。心の中にあるのは僅かばかりの後悔と大きな虚しさだけ。


「……はぁ」


 溜め息をつきながらベッドに倒れ込む。1年前に華恋を好きになってしまった自分を恨んでいた。

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