10 決断と決別ー8
「……ねぇ、もう良いでしょ? これ以上続けたって可哀想なだけだよ」
「ふんっ!」
「華恋だって満足したでしょ。今のこの姿が優奈ちゃんの答えだよ」
「ん…」
「だからもう話はここで…」
「やだ」
「え?」
振り返って口論の中止を提案。しかし力強い言葉によって即座に否定されてしまった。
「ちょ……何するつもりなのさ!」
「アンタさ、自分の兄貴に嫌気が差したから雅人を利用したんだって?」
「……え?」
「別の男を使って兄貴の意識をその男の方に向けようって、そういう魂胆だったんでしょ?」
優奈ちゃんに歩み寄った華恋が右腕を掴む。瞳をこする動きを制限するかのように。
「そ、それは…」
「そうなんでしょ? ねぇ?」
「……ごめんなさい」
その威圧に負けたのか謝罪の言葉が飛び出した。震える声での返答が。
「げっ!?」
「ふざけんなぁっ!!」
直後に妹が腕を振り回すモーションが視界に入ってくる。対話相手の頬を平手で殴打する動作が。
「待って待って。ストップ!」
「アンタ、自分がどんだけワガママな事言ってるか分かってんの!?」
「落ち着いて。暴力はマズいから!」
「自分の兄貴に可愛がってもらっといて、それがウザイとか何様のつもりよ!」
「分かったから暴れないで」
「心配してもらったらありがとうでしょうが! それが嫌なら家出て1人で暮らせっ!」
「いてっ!?」
すぐに近付いて羽交い締めに。だが振り回した肘が思い切り顔に当たってしまった。
「世の中にはね、助けてくれる家族がいない人だってたくさんいるのよ!」
「華恋!」
「ずっと離れ離れで、やっと再会出来たっていうのに……ロクに妹の心配もしないバカ兄貴だっているんだからね!」
「あ…」
そしていつしか話題が移り変わって行く。身に覚えのある内容に。
「最初はあんなに優しかったのに、私の事を好きって言ってくれたのに。それなのに…」
「ん…」
「別れてからずっと会うのを楽しみにしてたのに、帰って来てからも全然構ってくれないし…」
「……もう良いから」
「それどころか他の女に夢中になってるとか……どうしたら良いのよ、このやり場のない気持ち」
「説教する側が泣いてどうするのさ」
腕を掴んでいた手を肩に移動。そのまま慰めるように優しく添えた。
「うっ、ぐっ…」
「ごめん。あんまり構ってあげられなくて」
「うぁあぁっ…」
「別に興味がなくなったとか嫌いになった訳じゃないんだけどさ」
謝罪の言葉を口にする。もたれかかってくる頭を撫でながら。
「落ち着いた?」
「……まぁ、ちょっとは」
「しかし久しぶりに泣いちゃったね」
「うっさいなぁ、バカ」
「いでっ!?」
しばらくはその体勢を維持。距離を置いた後は威力のない右ストレートを胸元に喰らった。
「あ、あの…」
「ん?」
濡れた制服を確認していると隣から弱々しい声が飛んでくる。話し合いに介入する台詞が。
「アナタの言う通りです、私が間違えてました」
「……ふん」
「確かに心配されている事がお節介だなんて身勝手だと思います。大切に思ってくれている人の存在が当たり前なんだと勘違いしていました」
「そうかもね…」
女性陣が再び意見の交換を開始。ただし喧嘩ではなく皮肉と反省を込めた会話だった。
「自分のワガママにアナタのお兄さんを巻き込んでしまった私が馬鹿でした。ごめんなさい」
「……もうごめんなさいは聞き飽きた」
「これからは二度とアナタのお兄さんに近付いたりしません。絶対に」
「え…」
そしてその流れは予定外の場所に漂着。最悪な結末へと。
「ま、待ってよ」
「はい?」
「もう会わないってどういう事?」
「ですから、私がいると先輩達の邪魔になってしまうから…」
「邪魔なんかじゃないよ。誰もそんな事言ってない」
「あ…」
思わず身を乗り出す。伸ばした手で華奢な腕を掴んだ。
「別に兄妹喧嘩に巻き込まれたからってムカつくとか思ってないし。例えフリだったとしても一緒に遊んだり出来たのは楽しかったから」
「ちょっと雅人」
「だからもう会わないなんて悲しい事は言わないで」
「雅人!」
背後から聞こえてくる声は全て無視。意識を向けるのは前方にいる相手だけ。
「これからも一緒に遊びに行こうよ。ずっと仲の良い友達で…」
「こんのっ…」
「いって!?」
「アンタ、何考えてんのよ! せっかくの話し合いをふりだしに戻したりなんかして」
説得の言葉をぶつけていると後ろから腕を引っ張られる。華恋に動きを制限されてしまった。
「だってこのまま会えなくなるなんて淋しいじゃないか。引き留めて何が悪い」
「ちょっとはこの子の気持ちも考えろ、馬鹿!」
「優奈ちゃんの気持ち?」
「そうよ。まさか気付いてないで引き留めようとしてるの?」
「ど、どういう事さ?」
意味が分からなかった。質問の答えではなくそれを聞いてきた行為が。
こんな状況に追い込まれた人間の感情なんか決まっている。傷心か憤怒のどちらかだからだ。
「そんなの言われなくても分かってるよ。ずっと見てたんだし」
「嘘だ。アンタ、全然分かってない」
「いや、人の心ぐらい何となく理解出来るって」
「……クソ鈍感男が」
「はぁ?」
華恋が不機嫌そうに舌打ちを飛ばしてくる。掴んでいた腕を乱暴に振り払いながら。
「この子が言わないから私が代わりに言ってあげる。アンタ、一生気付きそうにないし」
「ん?」
「あ、あの……やめてください!」
「何さ…」
「この子はね、雅人の事が好きなのよ!」
そしてそのまま大声で何かを宣言。それは意識の中に入っていなかった単語だった。
「え?」
「アンタの事が好きだから、ずっと騙してた事が申し訳なくなって大人しく身を引こうとしてんじゃないのよ」
「……僕の為?」
「そうよ。バイトを辞めたのも、大人しく呼び出しに応じたのも、二度と会わないって言ったのも、全部雅人の為じゃない」
「そんな…」
感情が激しく渦巻いていく。見えない力で圧迫されているかのように。
「で、でもならどうして消えようとするのさ。おかしいじゃん」
「だから好きだから罪悪感を感じて一緒にいられなくなったんでしょうが!」
「けど僕はもう気にしてない。怒ってもないし恨んでもいない。なのにいなくなろうとするのは辻褄が合わないよ」
「それはアンタの都合でしょうが。騙してた側からしたら申し訳ない気持ちでいっぱいなのよ」
「……じゃあ、僕が許したって言ったとしても」
「自分自身が納得出来ないでしょうね。私がその子の立場なら」
「えぇ…」
どうやら気を遣ってかけていた言葉は全て無意味だったらしい。近付こうとすればする程、相手を傷付けているだけだった。
「ごめん……余計に引っ掻き回すような事しちゃって」
「い、いえ。元はと言えば私が先輩をたぶらかすような真似をしてしまった事が原因ですし」
「もっと早くに気付くべきだった。どうして言われるまで分からなかったんだろう」
「ん…」
振り返って頭を下げる。謝罪の言葉を口にしながら。
「今の雅人に出来る事はさ、大人しく引き下がってあげる事なんじゃないの? それがこの子の為でもあるんだから」
「……何か悲しいね、それ」
「男らしくスパッと諦めなさい。ほら、行くわよ」
続けて華恋が側に接近。慰めの台詞と共に腕を叩いてきた。
「さぁ、帰るわよ。いつまでもここにいたってしょうがないし」
「……そうだね」
「元気出せ。今度はアンタが泣き出すのか?」
彼女の言葉で自然と解散する流れになる。鞄を回収する為にベンチへと移動。公園の出口では後輩が停めていた自転車を押して歩き出そうとしていた。
「あ、あの…」
「……え」
「今までありがとうね。いろいろ教えてもらって」
「先輩…」
「一緒に遊べて楽しかったよ。ゲームやったり漫画について語り合ったり」
その後ろ姿に向かって話しかける。引き留める為ではなく伝えたい事があったから。
「優奈ちゃんに教えてもらったサイト、これからも使い続けるから」
「……ん」
「それから一緒に行こうって言ってたタワー、楽しみにしてる」
「あ…」
「前は雨が降って中止になっちゃったけどさ。もう一度、今度はちゃんと天気の良い日に行こう」
そして無意識に遡っていた。目の前にいる女の子と紡いできたやり取りを。
初対面の印象は小さな子供だった。どう見ても高校生とは思えず、あまりにも幼い容姿に仰天。
だがその頼りない見た目とは裏腹に彼女は難しい仕事をそつなくこなしていた。ただ狼狽えるだけしか出来ない自分に声をかけてくれたり、失敗して怒られた後に励ましてくれたり。
年上だらけの厳しい環境の中で唯一年下だった彼女の存在は拠り所へと変化していた。歳が近い事もあってか次第に仲良くなり、毎日一緒に並んで帰る事が日常に。
家に招待したり、長電話したり、お互いの日記にコメントを書いたり。振り返ってみたらほんの数ヶ月分しかない短い思い出ばかり。
だけどその関係性の全てを断ち切りたくはない。反故してしまうには貴重すぎる体験ばかりだったから。
「またね!」
最後に声を振り絞って大きく叫ぶ。視界の先では見慣れた後ろ姿が小さくなっていった。