9 仲裁と制裁ー6
「何してんだ、くらあぁあぁああぁぁっ!!」
「え?」
どう逃げ出そうか考えていると予期せぬ方角から声が飛んでくる。甲高い女性の罵声が。
もしかしたら近くでたまたま別の乱闘が行われていたのかもしれない。同じ時間、同じ場所で。そんな悠長な事を考えていると怒号と共に激しい足音が近付いてきている事に気付いた。
「……は?」
「いってぇ!?」
警戒するように辺りを見回す。直後に目の前にジーンズを穿いた足が出現。更にはすぐ前に立っていた鬼頭くんが地面に向かって倒れ込んだ。大きな悲鳴を上げながら。
「え、え…」
隣に立っている人物を見上げる。目にはサングラスをかけて、長い髪を後ろでダンゴ状に束ねている女性を。この位置からだとハッキリ顔を確認する事は出来ない。だがその風貌から誰なのかすぐに分かった。
「か、華恋っ!」
「……ぐっ」
「どうしてここにいるの!?」
「やっば…」
慌てて名前を呼ぶ。地面に手を突いて立ち上がりながら。
「何て事するんだよ。暴力はマズいって」
「……んっ」
「いや、もうバレてるから」
「あぁ、もう!」
やはり自宅にいるハズの妹だったらしい。観念した彼女は背けていた視線を元に戻した。
「何なのよ、コイツは」
「お、落ち着いて。頼むからこれ以上暴れないでくれ」
「だって雅人に手を出そうとしてたじゃん。無理やり押し倒して」
「それは…」
恐る恐る倒れている人物を見る。殴られたであろう右頬を押さえて呆然としているクラスメートを。
「大丈夫?」
「あ、あぁ…」
「立てる?」
「ん、サンキュー」
どう声をかけるべきか悩んでいると彼の元に優奈ちゃんが接近。肩を借りてゆっくりと立ち上がった。
「何の話してたの? 穏やかそうな感じには見えなかったけど」
「それは…」
「なんとなく予想はつくけどね。コソコソ会ってた現場を見られちゃったんでしょ」
「……ん」
華恋に指摘を受けて黙り混む。内容がこれでもかというぐらいに的を射ていたので。
きっと腸が煮えくり返っているのだろう。しかし彼女の怒りの矛先は別の方に向けられた。
「アンタ、私の雅人に何してくれてんのよっ!」
「え? いや、俺はただ…」
「この大事な顔に傷が付いたらどうしてくれんのさ。責任取れんの?」
「え、えぇ…」
「雅人に手ぇ出す奴は私がブッ飛ばす」
人差し指を伸ばしながら脅し文句を吐き出す。自宅にいる時のように荒々しい口調で。その言動がキッカケで場が凍結。正面に立つ2人は目を丸くしていた。
「あ…」
同時に別の異変にも気付く。頬に当たる冷たい水滴の存在に。見上げると空全体が黒い雲に覆われている状態へと変化。それはまるで今の自分達の関係を表しているかのような天候だった。
「……行こ、お兄ちゃん」
しばらくすると優奈ちゃんが鬼頭くんの腕を引っ張る。この場から離れるように促しながら。
「いや、俺はコイツと…」
「いいからっ!」
「ここまで来て引き下がれるかよ」
「……ならもう知らない」
「お、おい」
だが彼は提案に対して強く反発。そのリアクションを見て優奈ちゃんはこちらに近付いて来た。
「先輩、ごめんなさい…」
「え?」
彼女が小声で何かを発する。ハッキリと聞き取れない言葉を。
「あっ…」
そのまま駅とは違う方向に向かって逃走開始。追いかけようとしたが出来なかった。
「どこに行くつもり?」
「どこって…」
華恋が腕を掴んでくる。詰問の台詞と共に。
「離して」
「やだ」
「いいから離してくれよ!」
「嫌っ!」
至近距離で睨み合いを開始。ついでに声も荒げた。
「くっそ…」
すぐにでも後を追いかけなくてはならないのに。デートの続きをしたいというやましい考えがあるからじゃない。頭を下げてきた時の彼女は泣いているように見えたからだ。
「優奈っ!」
そして自分の代わりに鬼頭くんが駆け出す。雨粒を気にしない全速力で。
「行こ」
「……ん」
その光景を見て反発する気はゼロに。追いかける必要性が無くなってしまった。
華恋に腕を引っ張られて駅の中へと入って行く。振り返った先には濁った街並みだけが広がっていた。