7 叱咤と嫉妬ー5
「んーーっ、楽しかったぁ。喉ガラガラになっちゃったけど」
「あはは…」
精算を済ませると店の外に出る。すっかり日が沈んで暗くなってしまった大通りへと。
「じゃあ俺こっからチャリだから。2人は電車だっけ?」
「あ、うん」
「ならここでお別れだね。バイバイ」
鬼頭くんが自転車のカゴに鞄を放り投げて走行開始。立ち漕ぎで走り去る後ろ姿を無言で眺め続けた。
「……帰る?」
「帰らないでどこ行くっていうのよ」
「いや、僕達も電車に乗るって意味で聞いたんだが」
そして2人きりになったタイミングで話しかける。不機嫌全開な妹に向かって。
「おんぶして、疲れた」
「電車来るよ。とりあえず駅に行こ」
「コラッ、無視すんな!」
ブツブツと垂れ流される文句を無視して歩き出した。後ろから何度も背中を小突かれたが全てスルー。車内は微妙に混雑していたが、座席が埋まっているだけで人はあまりいなかった。
「で、さっき言ってた話ってどういう意味?」
鞄を床に置くとドア付近に立つ。2人して向かい合う形で。
「もう良い…」
「え? 何で?」
「もう良い。さっきの事は忘れて」
「そんな…」
一方的に質問してきて一方的にキレてきたのに。もう過ぎた事だから忘れろと言いたいらしい。
「さっきの話はもうお終い。お終いったらお終い」
「……分かったよ。そっちがそう言うならこれ以上は聞かない」
「は?」
不満は残っているがしつこく追及するような真似はしなかった。せっかく会話してくれるようになったのに再び機嫌を損ねられても困るから。
「どうしてそう簡単に引き下がんのよ。もっと粘りなさいよね!」
「え、えぇ!?」
「ここは肩をガシッと掴んで問い詰める所でしょうが、バカ!」
「バカってそんな…」
しかし彼女の口からは決定を覆させるような台詞が炸裂する。諦めろと言ったり問い詰めろと主張したり意味が分からなかった。
「いくじなし、へたれ、根性なし」
「痛いって、やめてくれよ」
「バカバカバカバカばぁ~か」
「一体何なのさ…」
更に持っていた学生鞄を何度も足にぶつけてくる。小学生レベルの悪態をつきながら。
「……さっきの話の続きを教えてください。お願いします」
「やだ」
「怒られた理由を知りたいんです、先生」
「ん~、どうしても聞きたいの?」
「はい。どうしてもです」
「しょうがないなぁ。そこまで言われちゃ教えてあげない訳にはいかないわよね」
人をおだてるのは苦手だがモヤモヤした気持ちを残したまま行動するのはもっと苦手。不満を堪えて下手に出る作戦を開始した。
「アンタさぁ、私に口利いてもらえなくてどんな気持ちだった?」
「ん? そりゃあ嫌だったよ」
「具体的にはどんな風に?」
「どんな風にって…」
「イライラしたとか、辛かったとか」
「あぁ」
どちらかといえば虚無感や孤独感の方が強かっただろう。ストレスも感じていたがショックの方が大きかった。
「淋しかった……かな」
「なら何でそう言わなかったのよ」
「いや、だって僕が喋りかけても答えてくれなかったじゃないか」
「それでも話しかけ続けなさいよね。一度や二度無視されたぐらいで諦めるんじゃないわよ」
「……む」
その理屈は分かる。けれど無視してる張本人から言われるのだけは納得がいかない。
「せっかくお弁当作って待ってたのに全然来ないんだもん」
「あれ? でも僕の分は無いって」
「そんな訳ないじゃん。昨日も今日もずっとベンチで待ってたんだよ」
「えぇ…」
なら何故あんな嘘をついたのか。言動が理解不能だった。
「もうちょっと強気になりなさいよね。押しが弱い!」
「昔からこういう性格なんだってば」
「ダメって言われたらすぐ諦めるの? 粘ったら結果が変わるかもしれないでしょうが。頑張んなさいよ」
「んっ…」
言い返そうとしたが言葉に詰まる。反論の余地が無い的確な指摘を受けたので。
「私から話しかけなかったらどうしてたのよ。ずっと無視?」
「華恋の方が口利いてくれないならそうなるのかな」
「ちっ…」
問い掛けに答えた瞬間に彼女が舌打ち。眉もひそめてしまった。
「ならもし何度も話しかけたら答えてくれてたの?」
「さぁね」
「さぁって…」
「ただ1つ言える事は、私から話しかけてあげなかったらアンタは私と喋る事は無かったって事」
「それって華恋の一存じゃない?」
「当たり前じゃん。元はといえば雅人が怒らせるような発言したのが原因なんだし」
「……仰るとおりです」
ぐうの音も出ない。追及の言葉にただただ萎縮。
「私、ショックで部屋に戻ってから泣いてたんだからね」
「ご、ごめん…」
「まぁ嘘なんだけどさ」
「……えぇ」
ツッこむべきか迷ったが何も言わなかった。今の冗談の真偽はともかく傷付けてしまったのは事実だから。
「お昼ご飯とかどうしてたの?」
「学食。昨日はカレーで今日はカツ丼食べてた」
「うわっ、1人だけズルッ!」
「別にズルくはないと思うけど」
駅に着くと後ろのドアが開く。誰も乗ってこない事を確認した後は再びもたれかかった。
「もしかして鬼頭くんが食べてたお弁当って僕の分だった?」
「あれ? アンタ、見てたの?」
「た、たまたま見つけちゃって…」
「うわぁ…」
彼女が表情を曇らせながら額に手を当てる。どうやら観察されていた事に気付かなかったらしい。
「当たり?」
「……うん。残すのはもったいないかなぁと思ってあげちゃった」
「ならわざわざ鬼頭くんの為に作ってあげた訳じゃなかったんだね」
「当然でしょ。なんで私が雅人以外の男の為にお弁当用意しなくちゃいけないのよ」
「それはどうも…」
視線を暗闇の広がる窓の外に移動。耳に入ってきた台詞に恥ずかしくなってきた。
「明日はどうすんの? お弁当いらない?」
「いや、いります。欲しいです」
「ほっほぉ~う」
「作ってくれますか?」
「まっ、今後の雅人の態度次第かなぁ」
彼女がだんだんといつもの調子を取り戻していく。機嫌が良くなっていく様子が手に取るように分かった。
「もしや私が他の男と仲良くしてる事にヤキモチ妬いてたの?」
「……どうかな」
「妬いてたんでしょ? だから気にしてたんでしょ? ねぇ?」
「随分と嬉しそうだね」
「そりゃあだって……ねぇ?」
続けていやらしい笑みを浮かべながら肘で突っついてくる。イタズラを思い付いた悪ガキのように。
「雅人のクセに可愛い。ヤキモチとか」
「ちょ……やめてくれ」
「んふふふふ」
更には伸ばした手を頭の上に移動。撫でられたので乱暴に振り払った。
「ほら、降りるよ」
「あ、待って待って」
困惑しているとタイミングよく地元の駅に到着する。開いたドアからホームに逃走した。
暖房のせいなのか恥ずかしさのせいなのか制服の中は汗だくに。頬に当たる風が気持ち良く感じた。
「どうして雅人が話しかけてこなかったか分かったわ。悔しかったからなのね」
「違うってば」
「ま、それなら勘弁してあげようかしらね。私を誰かに取られちゃいそうで不安だったんでしょ?」
「誰もそんな事言って…」
「そうなんでしょ?」
「……はい」
頭が上がらない。反論する気にも言い訳する気にもならない気分。
「あぁ、くそっ。そうと分かってればそれをネタにからかってやれたのになぁ」
「からかうってどんな風にさ」
「私、この人と付き合う事にしたからもう今までみたいにデートしてあげたり一緒にお弁当食べてあげたりは出来ません……とか?」
「それ普通じゃない? 別におかしくはないよね」
「はあぁ!?」
返答に対して彼女が呆れたような声を出す。もの凄い剣幕の顔と共に。
「私が誰かに取られちゃうのよ! アンタそれ黙って受け入れちゃうの!?」
「だ、だって仕方ないじゃん。華恋がその人を選んだって事なんだから」
「だからさっきも言ったでしょうが! すぐに諦めるんじゃなくて粘りなさいよ。食らいつきなさいよ」
「なら颯太がまた付き合ってくださいって言ってきたらどうするのさ。その粘り強さを認めて付き合うの?」
「返り討ちにするに決まってんじゃん。二度と立ち上がって来れないようにその信念をへし折ってあげるわよ」
「……外道」
人を勇気付けたいのか蹴落としたいのか分からない。だんだんと彼女が魔王か何かに思えてきた。
「私が誰かと手を繋いで歩いてたら、その相手を八つ裂きにするぐらいの気合いで向かってきなさい」
「そ、そんなの可哀想だよ。八つ裂きって…」
「ちったぁ根性見せなさいよ! 男でしょうが」
「嫉妬に狂って無実の男性を八つ裂きにするような奴が、果たして真の男と呼べるのだろうか…」
「黙って指をくわえてるよりマシじゃない。でしょ?」
「そういう場合はいさぎよく諦めるのが理想だと思います」
華恋に恋人が出来た場合の対処についての議論が続く。架空のシチュエーションに対しての話し合いに意味があるのかは謎だったが、もっとも不思議だったのは本人が参加しているという事だった。
「私が誰かになびいちゃっても良いのか!?」
「君は双子の兄が恋人と殴り合いの喧嘩してるシーンとか見たいのかね。どこの昼ドラのヒロインですか」
「コイツは俺の物だ、誰にも渡さんって抱きついてくるぐらいの気合いを見せなさいよね」
「妄想を押し付けられても困る」
「んがあぁーーっ!!」
「いてっ!?」
顔面にロケットパンチが飛んでくる。先日の怒りの鉄拳に負けないぐらいの威力の攻撃が。
「グチグチグチグチうるさい。アンタは私の言う通りにしてれば良いのっ!」
「なんでさ。どうして駒みたいに指示通りに行動しなくちゃならないんだよ」
「義務だから」
「そんな理不尽な義務、嫌だよ…」
2人して静かな住宅街を歩いた。道を照らす住居や街灯の光を頼りに。
周りに人がいなかったのがせめてもの救いだろう。こんな議論、知り合いになんかとても聞かせられない。
「帰ったら宿題見せてね」
「自力でやりなよ」
「あっそ。なら明日のお弁当は無しだから」
「そしたら学食に行けば済むし二度と宿題も写させてあげない」
「ぐっ…」
仲直りしたばかりなのにもう喧嘩に発展。この不毛な言い争いは家に帰ってからもしばらく続いた。