7 叱咤と嫉妬ー4
「赤井くんって今日バイトある?」
「ううん、休みだよ」
「本当? なら今から暇?」
「え、何で?」
帰りのホームルームが終わると鬼頭くんが話しかけてくる。軽快な口調で。
「予定ないなら一緒に遊びに行こうよ。カラオケとかどう?」
「う~ん、どうしようかな…」
「他に用事あった? 友達と遊ぶ約束があったとか」
「え~と…」
特に予定という予定はない。むしろ何をして時間を潰そうかと考えていたぐらいだった。
「良いよ、暇だし。行くよ」
「おぉ。やったぜ」
「他に誰か来るの?」
「ん? あぁ、実はもう誘ってあるから」
「げっ!」
悩んだ末に誘いを受ける事に。しかし彼の背後にはしかめっ面のケンカ相手が存在していた。
「……や、やっぱりやめとこうかな。行くの」
「え? 何で?」
「2人の邪魔しちゃ悪いかなぁと…」
すぐに意見を覆す。鬼頭くんの体を利用して威圧感な視線を遮断しながら。
「別に気を遣ってくれなくて良いから行こうよ」
「いや、やっぱり遠慮しておく。風邪を引いたのか喉か痛いし」
「う~ん、弱ったなぁ…」
「どうしたの?」
「白鷺さんをカラオケに誘ったらさ、赤井くんが一緒だったら良いって言うんだよね」
「そ、そうなんだ」
もう一度体を横にズラして華恋の顔を確認。そこには不満を爆発させた険しい表情があった。
「ん…」
彼女の心情が理解出来ない。どうしてそんな台詞を口にしたのかが。
断って帰ってしまうのが一番楽な道だろう。ただ後でグチグチ文句を言われるのも嫌なので付いて行く事にした。
「な、ならちょっとだけ…」
「よ~し、決まりだ」
上機嫌になった鬼頭くんに肩を叩かれる。3人で廊下に出ると靴に履き替え外へ。自転車を押して歩く彼の先導の元、大通り沿いのカラオケ店を目指した。
「白鷺さんは歌とか得意な方?」
「え~っと、歌うのは好きなんですけど得意かと聞かれたら微妙ですね」
2人が親しげに会話している姿を後ろから眺める。邪魔者にならないように無言で。
それから15分ほど歩いて目的地に到着。人で賑わう店内に突入すると2時間の予定で部屋へと入った。
「俺、あんまりカラオケとか来ないから緊張するわ」
「そ、そうなんだ…」
「赤井くんはどう?」
「僕はたまに来るよ。最近はめっきりだけど」
「へぇ」
鬼頭くんが椅子に座って頬を叩く。気合いでも注入するかのように。
「さて、誰から歌おうか」
「……ん」
そのままこちらに目配せをしてきた。けれどその問い掛けに対する返事は無し。
「むぅ…」
当然といえば当然だった。彼と親しくなったの2日前だし、自分と華恋は喧嘩中。こんな異質な状況で進んで歌い出す勇者なんて存在していなかった。
「ジャ、ジャンケンで決めよう…」
しばしの沈黙の後、このままではいけないと感じた鬼頭くんが口を開く。彼が提案したのは定番中の定番意見。
無意識に体が動いてしまうのは染み付いた習慣のせいなのかもしれない。ごく自然な流れで各々が決まり手を出した。
「あ…」
3人しかいないので一発で勝敗が決定する。自分と鬼頭くんが5本の指を伸ばし、華恋だけが握り拳の状態だった。
「じゃあ白鷺さんからという事で」
「……えぇ」
彼女が自分の手をまじまじと見つめていた。やっちまったという焦りを醸し出した表情で。
「1番手、行かせてもらいまぁす…」
覚悟を決めると機械を使って曲を送信。マイクを握りながらゆっくりと立ち上がった。
「おぉ…」
画面が知らない街並みに切り替わる。タイトルやアーティスト名と共に。
それはテレビを見ている人なら必ず耳にした事があるCMとのタイアップ曲。アニソンではなく一般曲もカバーしている事に驚いたがもっと意外だったのは華恋の歌唱力だ。
自分はお世辞にも歌が上手いとはいえないし、ましてや人の評価なんて出来る器ではない。それでも彼女の歌声がプロレベルなんだと判断出来た。
「……ふぅ」
歌唱終了と同時にマイクがテーブルの上に置かれる。電源をオフにした状態で。
「な、なんかごめんなさい…」
直後に歌った本人の謝罪が炸裂。気まずい空気が蔓延していった。
「ん…」
彼女は何故こうなったのかを理解していないのだろう。当事者にもかかわらず。
もし歌唱力が人並みだったなら普通に拍手で済んだ。和やかな雰囲気で。けれどこんな歌声を聴かされた後ではとても熱唱してやろうという気持ちになんかなれなかった。
「しまった…」
こうなるんだったら最初に名乗り出ていた方がまだマシだったハズ。ジャンケンで勝ち手を出してしまった事を後悔した。
案の定、後発組の男子はレベルの差を思い知らされる羽目に。自信喪失したままで歌唱。歌っている最中も恥ずかしいのだが、曲が終わった後の沈黙がキツかった。
「……はぁ」
2人に見えないよう静かに溜め息をつく。ガックリと肩を落としながら。しかしすぐ隣には自分以上に落胆している人物がいた。
「んん…」
鬼頭くんの体から覇気が失われている。試合で燃え尽きたボクサーのように。
これが2人っきりだったならまだ良かった。お互いに歌っていない間は曲を選ぶフリをすれば済むから。3人というトライアングルが絶妙に気まずい空気を作り出していた。
「ちょっとトイレ行ってくる」
「あ、うん」
入室から1時間近くが経過した頃、歌い終わった鬼頭くんがドアを開けて部屋を出ていく。演歌調のBGMが流れている廊下へと。
「飲み過ぎかな…」
彼は既に3杯以上の烏龍茶を注文。緊張しているのかガブ飲みしていた。
「ん?」
次の曲を選んでいると部屋が静かになっていく。歌うハズの人物が演奏停止ボタンを押したので。
「ふんっ!」
彼女は持っていたマイクをテーブルの上に置いてグラスを鷲掴み。ふんぞり返って足を組み始めた。
「……いつまで黙ってんのよ」
「ご、ごめん」
そのまま高圧的な態度を放出。グラスに刺さったストローを口にくわえながら。
「楽しい? カラオケ」
「まぁ、そこそこに」
「ふ~ん…」
2人で会話を開始。部外者がいなくなったからか口調が荒かった。
「で?」
「でって……何が?」
「それだけ?」
「んん?」
「だからそれだけかって聞いてんのよ!」
「な、何がさ。怒り出す意味が分からないよ」
突然、彼女がグラスをテーブルの上に叩き付ける。割ってしまいそうな勢いで。
「私に何か言いたい事あるんじゃないの?」
「言いたい事?」
「そう。あるでしょ?」
「ん~…」
口元に手を当てて思考を巡らせてみた。ここ数日に起きた出来事を振り返るように。
「……あの強力なパンチ力はどこで身に付けたの?」
「それじゃねぇーーっ!!」
「いってっ!?」
両足のスネに強烈なダメージが発生する。蹴られたテーブルの角がモロに直撃してしまった。
「あっ、ごめん。痛かった?」
「つぅぅ…」
「悪い悪い、ついカッとなっちゃって」
「……テーブル壊す気? コップの中身もこぼれてるじないか」
「あぁ、もうっ!」
辺りにオレンジ色の液体が散布している。近くの椅子や床にも。
「カラオケにまで来て暴れないでくれよ」
「元はといえばアンタのせいでしょうが、あぁ!?」
「いてててっ、何するのさ!」
ナプキンで抜き取っていると作業が途中で中断。制服の襟を掴まれ引き寄せられた。
「離してくれ、苦しいっ!」
「昨日も今日もどこで…」
「は?」
「……くそっ!」
喉元を圧迫する力のせいで上手く声が出せない。体勢も元に戻せない。
「ん? どうしたの?」
至近距離で睨みあっていると入口のドアが開く。トイレに行っていた鬼頭くんが戻って来た。
「え~と、ジュースこぼしちゃって…」
「あらら。マジか」
「私が手を滑らせちゃったの。ごめんね、雅人」
その瞬間に制服を掴む指が離れる。ハンカチを持つ反対側の手と入れ替わるように。
どうやら今のやり取りをなかった事にしたいらしい。3人でこぼれたジュースの処理を行った。
「ふぅ…」
片付けた後は再びカラオケに逆戻り。華恋からのローテーションで再開。また同じ展開になったらどうしよかと怯えていたが一度も鬼頭くんが席を外す事なく予定時刻を迎えた。