7 叱咤と嫉妬ー3
「どうしたの? さっきからずっと顔を押さえてるけど」
「……ちょっと肌荒れが気になって」
翌日の朝、隣に座っていた香織からふいに声をかけられる。頬に何度も触れる行動が気になったらしく。
喋っていたのは彼女だけで父親も母親も華恋も無言。誰も食事中の会話に混ざろうとしていなかった。
「ちゃんと顔洗いなって。肌が乾燥してるよ」
「そうだね。後でクリーム付けて洗顔してくるかな」
「男の子だからってそういう部分は気をつけないと。じゃなきゃ私みたいな美人になれないからね」
「え!?」
ボケなのか本気なのか分からない台詞が飛んでくる。ツッこむ気力も無いのでとりあえずスルーしておいた。
「ん…」
朝から華恋は一言も口を利いてくれていない。よっぽど昨夜の出来事が気に入らなかったらしい。そして通学途中も学校に着いてからもその険悪な状況は続いた。
「あ、あの…」
「ん?」
「お昼のお弁当は…」
「無い」
「えっ!?」
「……ふんっ!」
昼休みに恐る恐る声をかける。勇気を振り絞って
「今日は弁当なしか…」
だが返ってきたのは素っ気ない態度。別々に昼食をとる事になってしまった。
「はぁ…」
1人になると廊下を歩き出す。足の裏を床で擦るように。
食堂に到着した後は大好物のカレーライスを注文。水の入ったグラスを持って椅子に座った。
「おっす」
「いてっ!?」
壁際を陣取っていると側頭部に軽い衝撃が走る。何者かによる攻撃を喰らったせいで。
「珍しいじゃん、雅人が学食利用してるって。1人?」
「そうだよ。智沙は?」
「アンタと一緒」
振り向いた先にはショートヘアの女子生徒が存在。どうやらトレイをぶつけてきたらしい。彼女はうどんをテーブルに置くと隣に腰掛けた。
「分身は?」
「……用事があるって言ってた。だから別々」
「ふ~ん、フラれたんだ」
「う、うるさいなぁ…」
口の中にご飯をかきいれる。湧き上がってくる羞恥心を少しでも打ち消す為に。
「そのカレー美味しそう。貰っていい?」
「ダメだよ。カレーだけ取られたらご飯とのバランスが悪くなる」
「ケチ。せっかくカレーうどん作ろうと思ったのに」
「食べたいなら追加注文してきなよ。ご飯抜きで」
「そんな頼み方もったいなくて出来るか、馬鹿!」
「えぇ…」
意見に対して彼女が激怒。正論を言ったハズなのに何故か怒られてしまった。
「ちょ……食べるの早くない?」
「のんびり食べてたら椅子に座れない人達が可哀想じゃん。だからだよ」
「アタシ、まだ食べ始めたばっかなんだけど」
「ごちそうさま。じゃあね」
辺りを見回すと既にほとんどの場所が満席に。パーティー会場を彷彿とさせるぐらいの混雑具合だった。
「ちょっと、アタシが食べ終わるまで待っててよ。ね?」
「やだ。もう教室戻る」
「うわ、冷たっ!」
立ち上がった瞬間に隣から手が伸びてくる。面倒くさいので素早く振り払って対応。食器を落とさないように注意しながら返却口へと直行した。
「ふぅ、お腹いっぱい」
廊下に出た後は下腹部を押さえる。パンパンに詰まった胃袋を確認しようと。
ぞんざいに扱ってしまったが智沙には感謝していた。1人きりでの食事は割と抵抗があるから。
せっかく友達になれた丸山くんも昼休みになるとフラリとどこかに消失。恐らく去年のクラスメートと過ごしているのではないかと予想していた。
「……あ」
教室へと戻る為に廊下を歩く。その途中で窓の外に意識を奪われる光景を発見。
中庭のベンチに座ってお弁当を食べている華恋がいた。しかし彼女は1人ではない。その隣には昨日初めてまともに会話をした鬼頭くんがいた。
「どうして2人が一緒に…」
立ち止まって窓に手をかける。会話が聞けるかもしれないと開けてみたが声は届いてこなかった。この位置から分かるのは2人の仕草だけ。彼らは親しげにお喋りしながら箸を動かしていた。
「ん…」
自分が学食に行った後に合流したのだろう。事前に約束をしていたとは思えないから鬼頭くんの方から声をかけたと予測。それでも断る事は出来たハズだ。なのに揃ってあの場所にいるという事は彼女も誘いを承諾したという証拠。
「……戻るか」
止めていた足を再び動かす。途中、窓を閉め忘れた事を思い出したが引き返さなかった。そこから見える光景を視界に入れたくなかったから。
教室に戻って来てからは大人しく席に着席。そして昼休みが終わる頃に再び立ち上がった。
「あ…」
「ふんっ!」
清掃場所へと向かう途中に華恋とすれ違う。だがお互いに目を合わせただけで口を利く事は無し。
「……えぇ」
まさかここまで本気で避けられる事になるなんて。確かに昨夜は彼女を怒らせるような発言をした。けれどその罰はしっかりと受けたわけで。朝になったら元通りになっていると思っていたのに。彼女の様子を見る限り不機嫌に拍車がかかっていた。
「はぁ…」
下駄箱で靴に履き替えると駐輪場へとやって来る。そこで既に来ていた鬼頭くんと合流した。
「うぅっす」
「あ……うん」
「どうしたの? 元気なくない?」
「そ、そうかな?」
態度の不自然さを指摘されたがごまかす。まさか本人を目の前に原因を打ち明ける訳にもいかないので。
しばらくすると丸山くんと女子2人も登場。班のメンバー全員揃いはしたが相変わらず男子3人だけの掃除となった。
「バイトって楽しい?」
「楽しくはないかな。お客さんにも店長にも怒られるから大変だよ」
「優奈もよく怒られてんの?」
「いや、あんまり。僕が失敗ばかりしてるから注意されてるだけ」
「ははは、大変じゃん」
鬼頭くんが頻繁に話しかけてくる。誰かと性格が入れ替わったのではないかと思えるぐらいの饒舌っぷりで。
「一度ぐらいその喫茶店に行ってみたいと思うんだけどさぁ、優奈が来るなって反発してくんだよね」
「恥ずかしいんだよ。働いてる姿を見られるのが」
「今度こっそり言っちゃおうかな。変装して」
「や、やめとこうよ。それは…」
彼女がいるという事はかなりの確率で自分も存在。クラスメートにバイト先での失態なんか見せられなかった。
「俺もどっかでバイトしてみよっかな。妹が働いてるのに兄貴が休みにゴロゴロしてるのは格好悪い気がする」
「鬼頭くんはバイト経験ないの?」
「ないよ。何かやってみようかな。どんなのが良いかな」
「とりあえずうちの店はやめておいた方が良いかも。男にはあまり向かない仕事場だし」
「分かってるって。やろうとしても優奈に止められるもん」
「あぁ、だよね」
2人で顔を見合わせて笑い合う。会話が弾んでいたせいで清掃活動は停滞状態に。手よりも口ばかり動かしていた。
「ふぅ…」
鬼頭くんとは仲良くなれたが妹とは相変わらず険悪状態を維持。バイトがあったとはいえ、放課後に教室を出るタイミングはバラバラ。帰ってからも会話はゼロ。彼女はこれでもかというぐらい徹底的に無視してきた。
そんな一方的な行動に驚きよりも戸惑いが発生。あれだけ過剰に付きまとっていたのに手のひらを返したように冷たい対応を連発。原因がハッキリしているだけに余計にその様変わりが受け入れられなかった。
「……あ」
更に翌日の昼休み。学食から戻って来る途中で再び華恋と鬼頭くんが食事している姿を見つける。
また一緒にいるのではないかと予想していたからあまり驚きはしない。ただ1つだけ意外だったのは2人が食べていた物が同じだったという事。
「あれって…」
見覚えのある紺色の容器が目についた。自分がいつも使っている弁当箱が。
「む…」
恐らく彼女が渡したのだろう。それならばお揃いの物を持っている光景も納得出来る。思い返せば昨日も同じ物を食べていた気がした。
相変わらずこの位置には2人の声が届いてこない。だが彼らの表情を見ていれば楽しそうな雰囲気が嫌というほど伝わってきた。
「……放課後どうしよっかな」
静かにその場を立ち去る。誰にも聞いてもらえない独り言を呟きながら。何かを考えようとしていたのに思考はまともに動いていなかった。