4 上部と下心ー7
「どうぞどうぞ。狭苦しい所ですが」
「……お邪魔しまぁす」
ドアを開けて中へと入る。こうなる事を予め想定していつもより綺麗に整頓しておいたプライベート空間に。
「案外スッキリしてますね」
「そうかな。こんなものだと思うけど」
「必要な物しか置いてないんですね、ふ~ん」
「いや、けど男がヌイグルミとかたくさん持ってたら嫌じゃない?」
「にしてもスッキリしすぎてますよ。アイドルのポスターでも飾ってあるのかと予想してたのに」
「あ~、そういえばそういうの貼った事ないや」
壁に存在しているのは月替わりのカレンダーのみ。他は窓しかなかった。
「先輩ってアイドルとか興味ない人ですか?」
「どうだろ。テレビで見るぐらいかな」
「もしや隠して楽しむタイプとか?」
「別にそういう訳じゃないけど…」
今まで芸能人やらタレントに夢中になった覚えがない。せいぜい香織とテレビを見ながら誰が一番可愛いかと語り合うレベル。
「お兄様は私に夢中ですもんね?」
「……やめてくれ」
ナチュラルアピールをしていると華恋が会話に割り込んできた。場違いな発言を付け加えて。
「やっぱり私とは持ってる漫画が違いますね。ほとんど読んだ事がない作品です」
「基本的に少年漫画ばかりだからね。優奈ちゃんってどんなの読むの?」
「私は少女漫画ばっかりです。小学生の時からずっと」
「ならジャンル被らないか。語り合えそうな作品は無いかもね」
「そうですね。あっ、でもこれなら映画を見た事ありますよ」
本棚に近付いて物色を始める。途中で後輩が屈んで1冊の単行本を取り出した。
「あぁ、確か2年前に実写でやったね」
「はい。友達の付き添いで見に行ったけど面白かったです」
「そうなんだ。僕は見てないや」
「実写化は反対派ですか?」
「いや、そういう訳ではないんだけどね」
思わず否定してしまったが実はその通り。今では気にしていないが当時は好きな漫画の三次元化には大反対。だからこの作品の映画が公開された時も『絶対に見に行くものか』と意固地になっていた。
「ん~、あとは知らない作品ばかりです。タイトルは聞いた事あるんですが」
「こういうの興味ないかな?」
「いえ、ありますよ。ただ読むキッカケが無かったっていうか」
「なら貸してあげよっか? 気になるの適当に持っていって良いよ」
「本当ですか? ありがとうございます」
思い付いた提案に彼女が喜びながら返事をしてくれる。親切心だけではなく、また家に来てもらいたいという卑しい下心込みの意見を。
「でも借りちゃって良いんですか? 先輩困りませんか?」
「全然。だってここに先客がいるから」
「……あはは」
「あっ、そうなんですか」
「勝手に部屋に入って無断で持っていくよ。しかもしょっちゅう」
「な、仲良いんですね…」
隣に立っていた妹の顔を指差した。一連の奇行に対する仕返し目的で。
「でもお兄様も私の部屋に勝手に入ったりしてるから、おあいこですよね?」
「はぁ? いつ?」
「この前タンス開けて私の下着を漁ってたじゃないですか」
「……ちょっ!?」
口と鼻から液体を放出。慌てて服の袖で拭った。
「と、突然なんて事を言い出すのさ!」
「え? 言ったらマズかったですか?」
「マズいよ……じゃなくて嘘つかないでよ!」
「嘘じゃありません。ちゃんとこの目で見ました」
「こんのっ…」
彼女の口を塞ごうと手を伸ばす。しかし途中で停止。今は身内同士で争っている場合ではない。
「あの、これ嘘だから」
「は、はぁ…」
「普通に考えて妹の下着盗むわけないよね」
「……ん」
「あはは…」
乾いた笑いで場の雰囲気を破壊。だが目の前の人物は視線を外すと黙って俯いてしまった。
「え、えと…」
期待外れのリアクションが返ってくる。予想では苦笑しながらも理解してくれるハズだったのに。それはまるで信じてしまっているかのような反応だった。
「別に隠さなくても良いじゃないですか。私は全然気にしてませんよ?」
「……君はちょっと黙っていようか。少し静かにしててね」
「そんなに見たいんだったら言ってくれれば良いのに。いつも一緒にお風呂入ってるんだから」
「ちょっ…」
「お兄様になら下着姿を見られても平気ですよ。な、なんなら外した姿でも…」
「……なっ!?」
華恋が両手を顔に当てながら頬を赤らめる。それが計算しての行動だとすぐに理解。けれどここにいる後輩はそうはいかない。妹の素性を知らないのだから目の前で起こる出来事をそのまま受け入れるしかなかった。
それに彼女には華恋の主張を鵜呑みにしてしまう理由がある。以前に腕を組んで歩いてる姿を目撃してしまっているからだ。
「一体いつ一緒に入浴したって言うんだよ。優奈ちゃんがドン引きしてるじゃないか!」
「毎日寝る時も一緒じゃないですか。お兄様が1人じゃ淋しいって言うから」
「嘘をつかないでって。そんな事言った覚えないし!」
「でも私の事好きって言ってくれましたよね?」
「そ、それは…」
反論する言葉が詰まる。思わぬ意見を出されてしまったせいで。
「言ってくれましたよね?」
「……言った事はあるかもしれないけどさ、今は関係ないじゃん」
「もしかして嘘だったんですか?」
「う、嘘じゃないよ! 嘘じゃない。ただ今はそういう話するのやめようよ」
「お兄様は……華恋の事が嫌いなんですか」
「ぐっ…」
説教して終わり。そのつもりだった。なのに責め立てる事が出来ない。別れ際に泣いていた彼女の姿が脳裏に浮かんできてしまったから。
「嫌いじゃないよ。だからそんな顔しないで…」
「……本当?」
「本当だって。嫌いになるなんて有り得ない」
「へへへ…」
素直な心情を打ち明ける。しんみりとした空気感の中で。
「あの、ゴメンね。変なとこ見せちゃって」
「い、いえっ! 気にしないでください。私は大丈夫ですから」
「コイツ、ちょっと変わってるんだよ。いつもはもっと普通なんだけどさ」
「そ、そうなんですか…」
「優奈ちゃんがいて緊張してるのかも。シャイなんだよね」
場を鎮めた後は言い訳を展開。戸惑っている後輩のフォローに回った。
「ん?」
頭の中で都合のいい理由を模索していると背後から何かが聞こえてくる。ガサガサという物を漁っている音が。
「ちょ……何してるのさ!」
振り返った先には床に膝を突いている華恋が存在。彼女は本棚の裏を覗き込みながら手を伸ばしていた。
「見てください、優奈さん!」
「はい?」
「私はお兄様がこういう本を隠してる事も把握しているんですよ」
「ひいいいぃぃっ!!」
そのまま1冊の雑誌を取り出す。妹の秘密という文字と共にブルマ姿の女性が表紙のアダルト本を。
「うぉおぉっ…」
ずっとおかしいとは思っていた。女の子と仲良くしているのに文句の1つも言ってこないなんて。
お客さんと仲良くする為と考えていたがそうじゃない。彼女の目的は関係の破壊。あること無いこと吹聴してブチ壊しにしてやろうと目論んでいただけだった。
「も~、お兄様ったらこんな物に欲情しなくても。言ってくれたら私のをお見せしますのに」
「このっ…」
「お兄様に胸を触られた日の出来事は今でも忘れません…」
華恋が再び頬を紅潮させる。悪びれる様子のない表情で。
「……で」
「ん?」
「出てけえぇぇーーっ!!」
拳を震わせると大声で叫んだ。強制的な退出命令を。
「……じゃあ、お邪魔しました」
「う、うん。何かいろいろゴメンね」
「い、いえっ…」
夕方になると家の外に出る。お客さんを見送る為に。
玄関先にいるのは自分と後輩だけ。悪ガキは部屋から追い出して客間に閉じ込めておいた。
「あの……本当にこれ借りてっちゃっても良いんですか?」
「あぁ、うん。良いよ良いよ。読んだら店にでも持って来てくれたら良いから」
「わっかりました」
当初の予定とは違う返却方法を勧める。自宅には二度と招待出来なくなってしまったので。
「また一緒に遊びましょうね」
「え?」
「それでは」
「あ……気をつけて」
挨拶を済ませると彼女が振り向いて歩き出した。重そうな紙袋を携えながら。
「はぁ…」
親しくなるハズだったのに。これでは余計な誤解を招いてしまっただけ。
夕焼け空の下で盛大な溜め息をつく。駅に向かって消えていくシルエットを見守りながら立ち尽くしていた。