1 帰還と奇観ー3
「ん?」
「開けてもいい?」
「いや、開けてから言われても」
しばらくすると訪問者が登場する。パジャマ姿の華恋がそそくさと進入してきた。
「えへへ、何やってたの?」
「……漫画読んでた」
体を起こしてベッドの端に腰掛ける。彼女が密着するように隣に座った。
「明日はバイトなんだっけ?」
「そだよ。昼から夜まで」
「ふ~ん、なら一緒に外食行けないんだぁ」
「そうだね。悪いけど」
「はぁ…」
風呂上がりなのか頬が赤い。ジャンプーの良い香りが全身から漂っていた。
「あ~あ、雅人と一緒に行きたかったなぁ」
「別に落ち込まなくてもこれからはいつでも行けるじゃん。同じ家に住むわけだし」
「あっ、そっか」
「一緒に行くかどうかは分からないけど」
「行こうね~、2人っきりでどこかに」
「……気が向いたらね」
肩に重量が付加する。彼女が頭を乗せてきたせいで。
「じゃあ次のバイト休みいつ?」
「3日後。でも颯太の家に遊びに行く約束してるから」
「よし、3日後ね。一緒にお出掛けするわよ」
「いや、あの……話聞いてます?」
「晴れると良いなぁ。天気良いといいなぁ」
「だからその日は先約があってですね…」
「あっ、でも雨降ったら降ったで相合い傘出来るじゃん。やったね」
「……えぇ」
意向を無視した外出予定が発生。必死で言い訳を口にしたが強引に押しきられてしまった。
「あ、あの…」
「ん?」
「そろそろ寝ようかと思うんだけど。明日バイトあるし」
「あっ、そっか。長居しちゃ悪いわね」
やや無理やり協議を打ち切る。これ以上の被害を出さない為に。
「……何?」
「おやすみのチュー」
「出てけ」
直後に彼女が唇を尖らせて接近。ドアを指差して退場のサインを送った。
「えぇ、なんでぇ~?」
「早く寝たいんだよ。出て行ってくれ」
「だからその前にチューを…」
「壁に貼られたポスターとでもやってなよ。ほらっ!」
「ちょっ…」
しぶる訪問者の背中を押す。テリトリーから追っ払おうと。
「やだやだやだ~」
「しつこいなぁ、もう」
「きゃっ!?」
「……あ」
簡易的な相撲を繰り広げていると予期せぬハプニングが発生。伸ばした手が振り向いた彼女の胸に直撃してしまった。
「ご、ごめん。決してワザとではなくて」
「む…」
「本当に偶然なんだよ。すいません、すいません」
「んんっ」
「申し訳ないです」
咄嗟に体を離して謝罪する。初めてこの家で華恋と顔を合わせた日の記憶を思い出しながら。
「……触られた」
「うっ…」
「雅人に触られた。おっぱい」
「いや、あの…」
「酷い……いくら家族だからってそんな」
「ひいいぃっ!」
彼女がジト目で睨んできた。明らかに不機嫌と分かる様子で。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」
「……悪いと思ってるの?」
「はい、はい。この通りでございます」
「ふ~ん…」
「うぅ…」
立場が逆転する。強気な姿勢は一気に瓦解していた。
「ならキスして」
「……へ?」
「チューしてよ。私に悪いと思ってるんでしょ?」
「は?」
制裁を覚悟していると見当違いの意見を振られる。断ったばかりの要求を。
「ん~」
「あ、あの…」
「チュー」
「そんな…」
「ほらぁ、早くしてよぉ」
もしかしたら何も感じていないのかもしれない。彼女のそれは今のセクハラ行為を意に介さない態度だった。
「はい、こっちこっち」
「え? ちょ…」
「もう夜遅いから良い子は寝ようね」
「ま、雅人ぉ?」
「ほいっ!」
「あ~~ん」
体を引きずる形で部屋から追い出す。廊下に出た瞬間に勢い良くドアを閉めた。
「……行ったか」
すかさずドアノブに全体重をかける。数回ガチャガチャ回してきたが全て無視。扉越しに聞こえてくる足音で撤退した事を確認した。
「ふぅ…」
1人になると再びベッドに倒れ込む。謎の疲労感を噛み締めながら。
「ん?」
再び漫画を読もうか考えていたらスマホの画面が点灯した。メッセージの受信音と共に。
「う、うわぁっ!!」
すぐに内容を確認する。差出人は今しがた追い返した人物。開いた画面には『大好き』という文字の周りに大量のハートマークが付け加えられていた。
「何これ…」
呪いとしか思えない。強力な呪術か黒魔術の類なのだと。
「……はぁ」
彼女が帰って来てくれた事は嬉しかった。もう二度と会えないと覚悟していたので。
けれどその喜びは半減。ワクワクと同時に得体の知れない恐怖感に襲われてしまった。