23 郷愁と追憶ー1
「……いなくなっちゃうんだ、華恋さん」
「うん。もう少ししたら親戚の家に行くんだって」
「電車? 飛行機?」
「新幹線って言ってたかな」
「そうなんだ……淋しくなるね」
カゴを乗せたカートを押して歩く。香織と2人で近所のスーパーに買い出しに来ていた。
「華恋がいなくなったら困るよねぇ。特にご飯の事とか」
「暇な時にいろいろ料理を習おうとか言ってたのに、結局なんにも教わらなかったね」
「本当だよ」
彼女と顔を見合わせて苦笑する。サボリ魔による怠慢談義を展開。
「あ~あ、またコンビニ弁当とカップ麺のローテーションに戻るわけか」
「今からでも遅くないよ。好物のカレーぐらい習ってみたら?」
「前に教わろうとした事あるんだよ。そしたら『もう良いからあっち行ってて』って怒られちゃった」
「……何やらかしたの?」
煮物を作るというので意気揚々と参戦。しかしジャガイモを半分に切って鍋に放り込んだら怒られてしまったのだ。
「ねぇ、私達2人でご馳走作って華恋さんをお持て成ししない?」
「お持て成し?」
「うん。今までお世話になりましたって感謝の意味を込めて」
「あ、あんまりそういう事やると華恋が泣いちゃうかもしれないからやめておこう」
「え~。せっかく張り切って包丁振り回そうと思ってたのに」
「殺人鬼かな?」
そういう事をしてあげたい気もするが照れくさい。何より不味い料理を食べさせたくなかった。
「でもさ、良いの?」
「ん?」
「まーくんと華恋さんって、その……兄妹なんでしょ? なのに別々に暮らすって」
「あー…」
空気が微妙に気まずい。よそよそしさが全開。
「それには深い訳があってだね…」
「深い訳?」
「実は…」
「実は?」
「華恋は転校するのが趣味だから」
「え?」
適当に思い付いた言葉を口にする。小学生すら騙せないレベルの言い訳を。
「数ヶ月に1回転校しないと気が収まらないらしいよ。しばらくしてないからこの前、発作がきたんだってさ」
「嘘だぁ。そんな人いないよ」
「うん、嘘」
「ほらね!」
両親には既に華恋が報告済み。一緒に進言すると提案したのだが拒まれてしまった。
経緯はどうあれ一度断った話を受けるのだからそれなりの理由が必要だろう。けれど父親も母親もその件について何も問い詰めてこなかった。
「香織は転校したいって思った事ある?」
「ん? ないよ。だって友達と離れ離れになるの淋しいし」
「そうだよねぇ…」
「まーくんは?」
「僕だって嫌だよ。肉体的より精神的にキツそう」
「私だったら悲しくて泣いちゃうだろうなぁ」
「……うん」
経験のない人間には分からない。想像だけでは到底理解出来ない境遇だった。
「あ、おかえり」
「ただいま」
自宅に戻ってしばらくすると華恋も帰宅する。階段を下りてきた所でバッタリ鉢合わせ。
「お腹空いてない? スーパーで食料買ってきたけど」
「何買って来たの?」
「ハムカツとか唐揚げとか」
「見事に油っこい食べ物ばかりね。健康に悪いわよ」
「はは……見てたらどうしても食べたくなってしまって。いらない?」
「いる。メチャお腹空いてるから」
彼女が靴を脱いでこちらに近付いてきた。満足そうな笑顔を浮かべながら。
「手洗った?」
「ん、まだ」
後を追いかけるように自分もリビングへとやって来る。そこで唐揚げを指でつまんで食べている行儀の悪い人間を発見した。
「先に洗ってきなよ。別に唐揚げは逃げたりしないから」
「いやぁ、つい誘惑に負けちゃってね。んむんむ…」
「食べながら喋らなくても…」
注意するが不発に。彼女は口の中へもう1つ追加すると洗面所の方へと消えて行った。
「バイトってあと何回出るの?」
「1回。といっても制服返しに行くだけなんだけどね」
「あ、なら働くのは今日で最後なんだ」
「皆がさぁ、送別会やってくれるって言うのよね。でも恥ずかしいから断っちゃった」
「もったいなくない? せっかくやってくれるって言ってるのに」
「あ~。私、そういう辛気臭いの苦手だから。泣かれたりすると申し訳ない気分になっちゃうし」
「そっか…」
智沙達とお別れ会的なイベントを開こうかと考えていたのだが。本人が苦手と言うならやらない方がいいのかもしれない。
「あっ!」
「ん?」
「で、でもやっぱり内緒でやってくれたりすると嬉しいかなぁ……とか思ったり」
「どっち?」
「え~と…」
視線が左右にキョロキョロと泳いでいる。どこからどう見ても狼狽えている人間の仕草だった。
「そ、そういえばさ! 私が買った漫画、荷物にすると嵩張るから雅人が持っててくれない?」
「え? 向こうに持っていかないの?」
「うん。お世話になる親戚の家がどんな感じか分かんないし。あんまりたくさん私物持って行っても迷惑かなぁと」
「あぁ、なるほど。なら貰っておくよ」
「別に邪魔になるようだったら売っちゃっても良いわよ。置いといても場所とるだけだもんね」
「いや、売らないで残しておくよ。いつか読むかもしれないからさ」
「……そっか」
気を遣った発言に憂いのある笑みが返ってくる。心の中の声を読み取っていそうな表情が。
「あれ? どこ行くの?」
「着替えてくる。覗くんじゃないわよ?」
「あ……いてら」
唐揚げのパックを空にすると彼女が廊下の奥へと退散。リビングにいてもする事がないので自分も部屋へと戻った。
「ふぅ…」
ここ数日はずっとこんな感じ。別れを惜しむでもなく、ただ今まで通りの日常を繰り返すだけ。
朝起きて学校に通い、帰ってきた後は一緒にゲームをしたりご飯を食べたり。まるで華恋の転校が遠い未来の出来事であるかのような感覚で過ごしていた。
今までもクラスメートとの別れで悲しいと感じた事はない。卒業式の時も。
自分にはそういう感情が欠落しているんじゃないかと思った事もある。でもそれはきっと本気の決別を経験していないだけ。
転校したクラスメートも格別仲が良かった訳ではないし、中学を卒業する時も颯太や智沙と離れ離れにならずに済むと分かっていた。両親の死についても2人が心の中に存在していないのであまり淋しくなかった。